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 冷たい雨が降っていた。霧とも言えるそれが風に煽られ、屋根があるはずの駅ホームにまで吹き込んできた。服に触れると瞬時にしみこみ、水の重みと氷のような冷たさを感じさせた。


 帰宅ラッシュの時間帯。ここまでの駅でだいぶ空いた様子の下り電車から数人のサラリーマンが下りた。夕方ごろから突然降り出した雨のせいで電車から降りてくる人の大半は肩や頭を濡らし、疲れた顔で降りてくる。ベンチから立ち上がり、その中に彼女がいないことを確認すると雨宮潤子(あまみやじゅんこ)はかじかむ指でケータイを取り出し、メールを打つ。


「早く来てくんないかな」


 少し大きめに見えるパーカーを着た少女は文句とも取れる独り言を呟き、再びベンチに腰を降ろした。


 今から一時間前。隣町のゲームセンターで遊んでいると都市部の高校に通っている友達から電話があった。とにかく今すぐに会いたいらしく、ひどく焦った様子だった。彼女がこんな夜中に会いたいなんて言う事は今まで無かった。

 私の家と比べれば門限だとか夜中の外出だとかに厳しいはずなのに、何の用事だろう?


「家に帰れない理由でも作っちゃったのか……?」

 

 困った子だと思った。だが内心、ここ何ヵ月かは忙しくてメールと電話でしか話していなかった彼女との再会、しかも夜中ということもあり、心躍った。子供のようだった。

メールに『今どこ?』とだけ打ち込むと私はケータイを閉じた。両手をパーカーのポケットに突っ込み頭を垂れ眼を閉じる。


 次の下りの電車が来るまで、彼女からのメールが来るまで。

 目を閉じると周囲の音がクリアに聞こえる。高周波ノイズに似た雨音、駅前の道を通る乗用車のエンジン音。上り電車の接近の知らせる音声が駅に響いた。線路を転がる滑車の音が近づいてくる。電車は高い金属音で鳴き、停止した。扉の開閉音とともにいくつかの人の足音。


「ジュンちゃん……?」

「わっ」


 突然声をかけられた。目の前には先ほどの人々と同じように、制服を濡らした少女が立っていた。


「びっくりしたじゃん! 上り電車で来たの? なんで?」


 上り電車は私が乗ってきた電車だ。彼女の学校と家があるのは逆方向のはずだが……。


「ゴメン……ちょっと……」


 何に対して謝ったのかもわからない謝罪を呟く。彼女は忙しなく辺りを見渡し、安堵したようにほっと息をついた。

 その顔は妙に白く、泣いていたのか眼の回りには涙の跡があり、今も泣き出しそうな表情だった。彼女自慢のふんわりとした長い髪はしっとりと濡れ、血色の悪い頬に張り付いていた。


「……忙しかったかな?」


 普段活発な性格の日高(ひだか)(あかね)にその面影が無いことに少し戸惑いながらも言葉を返す。


「いや、ウチは隣町で遊んでただけだからさ。アカネからこんな時間に会おうなんて珍しいし……で、何かあったの?」

 

 潤子がそう聞くと茜はビクッと身体を震わせ、再び辺りを見渡すと今度は自分の足元を見つめてかちかちと歯を鳴らし始めた。寒さからではない。様子がおかしい。

何かに怯えている。


 彼女がしたのと同じように潤子も辺りを見回したが、とくに怯える要素を含んだものは無い。ホームには自分と茜、それともう一人老人がベンチに座っている。ホームから見える風景は駅に隣接しているがらんとした駐輪所と、その向こうに線路と平行するように走る細い道路。それ以外は近隣住民の家々からの来る光ぐらいだ。もう一度確認。……変わったところは無い。


「どうしたの?」


 なんとか彼女を落ち着かせようと小さな子供を(なだ)めるような声で問う。未だ顔を上げない彼女の横から、その顔を静かに覗きこんだ。


「嫌っ!」


 突然大声を上げる。遠くにいた老人が何事かとこちらを見た。 

 茜は潤子を視認した瞬間大げさに仰け反り、脚を踏み外した結果、小さな水たまりができた地面にしりもちをついた。そのまま目をひしと(つむ)り、両手で耳を塞ぎ、その場にうずくまる。


 何に怯えているのか。それにしても行動が普通じゃない。ひとまず場所を変えた方が良いと、そんな考えが潤子の頭に浮かんだ。


「ほら、大丈夫だから。アカネ!」


 茜の正面にしゃがみ、頭を両側から押さえている茜の手を掴み、意識をこちらへ向けさせる。


「ジュンちゃん……」

「立てる? とりあえずウチまで行こ」


 潤子は立てるかと聞きながらも、すでに腕を引っ張り上げて茜を直立させた。掴まれていない方の手で耳をしっかりと塞いだ茜は、その塞がれていない方の耳で聞いた潤子の声に頭を小さく縦に振って肯定する。


 しりもちをついた時に落とした鞄とビニール傘を拾い上げ、おずおずと歩き出す。その横で潤子は「大丈夫?」と声を何度もかけてやる。こんなにアカネに気を使ったのは小学校の時以来かもしれないと潤子は思った。

 おぼつかない足取りで改札を通り、駅から出る。吹き込んでくる細かい雨粒を肌で感じ、茜が持つ傘に手をかける。


「私折り畳み傘は持ってきてたんだけど、この雨で二人ならこっちの方がいいよね」

「あっ」


 潤子は茜のビニール傘を手に取り、広げようとする。しかし、茜はその手を止めさせた。


「お、折り畳み傘、使おうよ。ジュンちゃんの……」

「えっ……でもさ」


 二人で入るには小さすぎる。二人とも肩が傘からはみ出てしまうだろうし、この雨では腰のあたりまで濡れてしまう。その旨を彼女に伝えたが、首を横に振るだけで言う事を聞かない。


「ほら、早く。どうせ一人じゃ歩けないんだからさ」


 そう言って潤子は茜の腰に腕を回して無理やり引き寄せ、もう片方の手で傘を開かせた。しかし、


「嫌っ!」


 半ば突き飛ばすように潤子を押しのけた。


「ちょっ……何?」


 その態度に潤子は少し苛立ったが彼女の顔を見て(とが)める気にはなれなかった。彼女は目を赤くはらして泣いていた。


「……わかった。早く行こ」


 まだ納得はいかなかったが、再び彼女の腰に左腕を絡ませ、くっつくようにして歩き出した。



 駅を出て右へ、踏切を渡って線路沿いを歩く。案の定、お互いに片方の肩が傘からはみ出て、雨が容赦なく身体を冷やしていった。しかし、そんなことも気にせずに、水たまりなども避けることなくやや早歩き気味に歩を進める。


 茜は終始潤子の腕をからめるようにして、前を見ずに俯いたまま歩いた。潤子は歩きにくく感じていたが、とにかく前へ進んで少しでも早く家に入れてあげたいと思った。


 歩き始めて数分。駅前の通りを外れるとすぐに道を歩いているのは自分達だけになった。街灯と街灯の間隔が大きくなっていき、辺りの明るさがわずかに失われた。先ほどより雨脚も強まり、視界も悪くなっていく。雨がアスファルトを打ち付ける音が暗闇に響いていた。


「早く……早く……」


 潤子の耳元で茜が蚊の鳴くような声で呟いた。今にも雨音にかき消されそうな震えた声。何にそんなに怯えているのか。そういえば昔にもこんなことがあった気がするがなんだったか。潤子はそんなことを思い出していた。


「…………」


「ん?」

「……何?」

「いや、今何か……?」


 近くで声がした気がした。辺りを見回すが誰もいない。

 ぼそぼそと、くぐもったような音。明らかに人の声だった。聞き取りにくい声だったが、確かに何か言っているということはわかった。


「ジュンちゃん? どうしたの……?」


 いきなり立ち止まった彼女を不審に思ったのか、俯いていた顔を前へ向け、潤子の方へと視線を移した。


「んん……なんでもないよ。ゴメン」


 不安に思わせちゃいけない。隠しきれていない疑惑の感情を抑えつつ笑顔を作る。

 こちらの顔を覗いた瞬間に茜の顔は恐怖に歪んだ。


「ッッきゃぁぁああああぁぁぁぁぁぁああ!」


 潤子は思わず身体をビクッと震わせた。夜の闇に木霊(こだま)する絶叫。鼓膜が張り裂けそうになった。


「何ッッ?」


 潤子も何者かの気配を感じ、咄嗟に振り返る。

 今まで歩いてきた真っ直ぐな道には二人以外誰もいない。人が隠れられそうな場所は道端に生える電柱とその足元に佇む真っ赤なポストだけだった。その場でうずくまっている茜の手からビニール傘をひったくり、それをしっかりと握ってポストに近づく。


 意を決してポストの後ろを覗き込むが、空き缶やビニール袋などのごみが捨てられているだけだった。怪訝そうな顔をしながら、傘の先で空き缶を転がした。中身が残っていたのか、空き缶の口からわずかに液体がこぼれた。


「いやぁぁああああああ!」


 二回目の悲鳴。茜の声だ。視線を急いで茜に戻す。彼女は鞄など全て道に置いたまま、暗い横道に反れて走り去った。


「ちょっと!」


 彼女が置いて行った荷物を拾い上げて、彼女を追うように路地へと入って行った。

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