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慟哭の歌  作者: 紫貴
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 ハリケーンの如く木々と地面を抉り、砕いていくそれを弥都は跳躍して避ける。

 木よりも高く、破片や木の葉と共に空に舞いながら弥都はバルザを持つ手とは逆の左腕を地上に向ける。

 その掌から光の玉が生まれ、矢のような速度で落ちた。眼下には狐の体に蛇の特徴を持つ体へと変異した稲穂がいる。

 彼女は後頭部に生まれた新たな赤い瞳でそれを見据えると、バリアを張って光弾を防ぐ。そして反撃と言わんばかりに多数の尾が弥都めがけて伸びた。

 鱗の隙間から銀毛を生やした蛇の尾に対し、弥都は空気を蹴ったかのように宙で真横に移動する事で避けた。

『サイコエネルギー弾に飛行。いつの間に覚えた?』

「嫌という程見せつけられたので、自然と」

 稲穂が振り向き、地面を抉って飛ぶと同時に不可視の刃を連射しながら突進してくる。

 それらを全て避けてみせながら、弥都は三割ほど削れた山の崖下を滑空する。

 森の中に隠れ、木を盾に行動したいところではあるが、あまり奥に行ってしまえば稲穂から発せられ精神汚染の波動が街へと届いてしまう。

 いや、その範囲は徐々に広くなっている。既に街まで届いているかもしれなかった。嵐で住民達が避難しているのが幸いした。

「バルザ、彼女を元に戻すには?」

『ない』

「可能かどうかは問わなかったら?」

『…………あると言えばある』

 言いにくそうにバルザが続ける。

『変異は精神汚染によって精神が強化され、その精神に肉体が引きずられて起きる現象だ。ならば元の健全な精神に戻れば肉体も戻る可能性がある――かもしれない』

「方法は?」

 尋ねながら弥都は海面と地面のスレスレを飛行する。念動力で、崩れた斜面となった地面と波の水をまとめて拾い上げた。

 大量の海水に砂と石を混ぜた巨大なボールを造り、後ろから迫りつつある稲穂に投げつける。

 巨体を持つ化け物となった稲穂は、それを物ともせずに突っ込んで弾き飛ばした。

 元より目眩まし程度の効果しか期待していない。弥都は結果を見ずに急停止、直後に急上昇という急な軌道変更で一瞬だが稲穂の虚をついて距離を離す。

『テレパスで無理矢理外部からヒトの形を取り戻させるしかない。だがそれはほぼ不可能だ』

「理由は?」

『三つある。一つはヒトの域を脱した精神を元に戻す為には接触テレパスによる精細な伝達でなければならない。今のイナホに接近したあげくにヒトへ戻るまで触れ続けるのは困難だ』

「そこは工夫します」

『二つ目、一つ目をクリア出来たとしても彼女がそれを望まない可能性もある。ただでさえ流されやすい激情に身を晒しているのだ。君に彼女を説得できるのか?』

「バルザの知恵を貸して下さい。人を騙くらすのは得意みたいでしょうから」

『ひどい誤解だ』

「その調子でお願いします。それで無理なら、無理矢理にでも戻します。これ以上嫌われてもどうって事ないですから」

『……三つ目――では無く二つ目。さっきのは嘘だ』

「そうですか」

 堂々と嘘だと告白し、弥都もまたそれをすんなりと受け入れる。

『本当の二つ目、サイコボムの存在だ。変異はあくまでアレの機能で、ただ精神を戻せばいいという問題ではない。精神汚染の範囲内で元になければならないのだが、この時当然こちらも今まで以上に精神汚染を受ける事となる』

「現在進行形で耐えていますけど?」

 攻撃中だろうと移動中だろうと、稲穂とサイコボムによる精神汚染の波動は放たれ続けられている。

 常人ならば間違いなく狂って化物になっている中、弥都は僅かな頭痛で住んでいる。

『接触テレパスで直接繋がるのだ、間接的に受けている今とは比較にならん。それに精神をヒトの形に戻すと言っても簡単な事ではない。例え見た目はヒトに戻っても後遺症を残す確率が高い。精神汚染を撥ね退け、イナホの精神を元に戻すという荒業には圧倒的な力量差が必要だ』

「オレと彼女の力量差は?」

『徒手空拳の一般人と戦車』

「うまくいけばできそうですね。大丈夫です。昔の日本人は竹槍で核に挑みましたから」

『その自信はどこから来るのか知らないが、イナホもサイコボムも互いに共鳴し合って力を高め続けている。いずれ底さえも見えなくなるぞ』

「その前になんとか――!?」

 突然目の前に蛇の尾が振り下ろされていた。

「ぐぅッ!」

 丸太のような太さを持つ尾を咄嗟に真上からバリアで受け止めるが、衝撃で叩き落とされる。

「くっ……」

 衝撃で全身に痺れを感じながら、弥都は気流で自分の体を押し上げるよう操って落下速度を落とし、落下地点に空気のクッションを作る。

「がはッ!」

 それだけやっても強く背中を地面に打ちつけ、肺の中の空気を吐き出す。

「ゴホッ、ゴホッ……今のは?」

 咳き込み、杖型のバルザを松葉杖代わりにして立ち上がる。

 弥都が顔を上げると、根本から切れた尾が満ち潮に打ち上げられた魚のように跳ねて水飛沫を飛ばしていた。

『尾を切り離し、テレポートで飛ばしたようだな』

「トカゲみたいですね」

 言っている間にも、稲穂が空から追いつく。空中で静止し、仰け反りながら大きく息を吸って胸を風船のように膨らませる。

『来るぞ!』

 バルザの言葉に弥都は身構え、バルザの先端に円形の刃を生成させる。

 稲穂の首にあるサイコボムが輝く中、首が前に倒されると同時に凶悪な顎を大きく開き、喉奥から音を吐き出した。

「こぉぉぉおおおおぉぉおおおぉおぉん!!」

 圧倒的な音量と念動力、精神汚染を混ぜた衝撃波は視界に収まる山を地面を大きく振動させ、吹き飛ばし始めた。

 当然弥都もその範囲内。むしろ中心だ。

 左腕を伸ばし念動力を使って衝撃波を逸らしていくが、その圧力に指が折れ曲がりそうになる。

「っ…………」

 地面は抉れ吹き飛び木の根が宙に飛ぶ光景は、局地的なハリケーンが横倒しになって山の一角を蹂躙しているようなものだ。

 物理的な現象のみならず精神汚染もまた、これまで以上の密度を以て弥都の精神を襲う。

 頭の中におぞましい何かがしきりに入ろうと試みて来るが、弥都は必死に抵抗する。

 だがそれは同時に念動力への集中力が疎かになる事を意味していた。逆に念動力へ集中すればするほど精神汚染への対抗が弱くなる。

『危険だ。これでは頭から押さえつけられたも同然だぞ』

「詰まされた……」

 機械ゆえかあくまで冷静な物言いのバルザと、子供とは思えない淡々とした弥都であった。

『どうするつもりだ?』

「何とかします」

『できるのか?』

「やるだけです」

 いくつも生えた稲穂の尾が弥都に向けて鎌首を擡げた。直後に見えない刃が風に乗って飛来する。

 自分の首を狩りに来るそれらを弥都は右手に持ったバルザ、その先端から発生する光の刃で切り落とす。

「最悪なことに、オレはまだ生きたいと思っているようですから」

『難儀だな』

「唆した人が何を――ん?」

『どうした?』

「これ、今更ですけどどうして切れるんですか?」

 言って、杖の先にある円形の刃を見る。

『それはサイコエネルギーと念動力の合わせ技だからだ。イナホの刃は念動力の力を刃の形に圧縮して飛ばしているに過ぎないので対抗できている』

「なら、これにテレパシーを乗せることはできますか? そうすれば多少リーチが伸びた状態で接触テレパスが使えると思うんですが」

『………………チッ』

「………………ちっ?」

 いきなり、気まずそうに押し黙る杖を弥都は半目で見上げた。

「今、舌打ちしましたか?」

『そんな機能はない。結論を言うと出来る。だが、注意して欲しいのは刃という性質は変わらないので下手をすればイナホ自身の心まで切断しかねない。そしてなにより――』

 その時、骨の折れる音を耳にする。

 弥都が痛みに顔を歪め、左手を見る。圧力に負けて小指が間接の逆に折れ曲がっていた。

『パワー負けしている。最早小手先では対抗できないぞ』

「………………」

 鈍い痛みに汗を垂らし、精神汚染で顔を青くしながら弥都は思考する。

 左の薬指が折れた。

 ――生き恥を晒すと決めたのなら、なんとしても生きなければならない。そして、オレを殺す権利のある少女もまた取り戻さなければならない。

 まるで死へのカウントダウンのように、次に中指が折れた。

 ――けれどもそれは簡単じゃない。この身動きできなくなった状況の上に、彼女とは圧倒的な出力差がある。

 人差し指が捻れ折れて、中から折れた骨が皮膚を突き破った。

 ――こうしている今も、精神汚染でESP能力が強化された彼女との力量差はサイコボムとの共鳴で一秒毎により差を広げている。何か良い方法は……。

「…………バルザ」

『何だ?』

「先に謝っておきます。すいません」

『…………そうか。まあ、しょうがない。第一、最初に巻き込んだのは私なのだからとやかく言わんさ』

「そうですか。では……」

 親指が根本から千切れ飛び、同時に弥都の念動力で逸らされていた風が迫ってくる。さながらダムが決壊し、大量の水が溢れ出るように極大の嵐が弥都とバルザを襲う。

 爆発が起きたような轟音と共に地面ごと大きく抉られ吹き飛ばされた。


「■ゥ■■ぅぅううるあぁぁううぅぅおおおおお…………」

 稲穂が慟哭を止め、顔を狂喜の色に染めて笑みを作る。

 銀狐の顔に並ぶ蜘蛛に目のような複数の赤い目、裂けて大きく開く長い口には幾重にも生え並ぶ凶悪な牙、なにより変異を抜きにしても醜く歪んだ笑みには少女の面影など一切ない。

 サイコボムからの汚染による女王化が、達成感を得た稲穂の精神を本格的に乗っ取り始めるている。ただただ復讐を望みそれを成就した喜びに満ちている彼女がそれに気づく事はない。とうに狂わされているのだから。

 だが、その歓喜に満ちた顔に影が差す。

 彼女が見下ろす抉れた地面、土埃の舞う中に人型の影と刃の輝きが見えた。

「グ、るぅあああぁぁ、がるぅあああぁぁ、■■■■おぅあああっ!!」

 まだ生きていたのかと、蛇人間の女王と成りつつある稲穂が猛り狂った雄叫びを上げて、再び口から衝撃波を放つ。

 土煙が一瞬で晴れ、弥都の姿が露わになると同時に山が爆発しそこなう。

 丸裸となった山の一角を更に抉る筈だった衝撃波が見えざる力によって受け止められていた。

 山をも抉る稲穂の雄叫びを受け止めた力場の先、そこに弥都の姿がある。力場と衝撃波がぶつかる事で生じる風を受けながら、右手で杖の形をしたバルザを持ち、左手を前に伸ばしている。

 折れ曲がって親指が千切れた筈の左手からは、傷口から幾つもの赤い糸が蠢いていた。

 糸は折れた指に巻き付き無理矢理元に戻し、突き破った骨を切り、足りなくなった部分を糸同士が絡み合って指の代わりとなる。

 糸は左手だけだなく今まで弥都が負った傷口から生えていた。脈打ち、まるで血管のような赤い糸が全ての傷を縫い、真っ赤な鱗が花開くようにして傷口から生えて傷を覆い始める。

『なんて無茶をするんだ、ヤト! 自ら汚染を受けるとは、ヒトを止めるつもりか!?』

「――――」

 バルザの声に弥都は応えない。汚染による精神の変調を起こしているのか口の端を釣り上げて笑みだけを浮かべている。

「ヤト……」

 敢えて、自らサイコボムからの影響を受けることで精神を強化し、稲穂と拮抗しようとする試みは衝撃波を受け止めている事から成功していると言える。

 だが、同時にそれは弥都も取り込まれかねない危険性が高い。

「――■■■■!」

 弥都の口からヒトの物ではない声が発せられ、彼はバルザを振り被る。

 強力な力が流れ、バルザから二つの刃が生成された。

 二又の槍となったバルザを放たれ続ける衝撃波に向け、振り下ろす。

 形なき衝撃波が絶たれた。

 更には振った軌跡に沿って残る三日月の残像がそのまま衝撃波を裂きながら稲穂へと向かっていく。

「ぎゃンッ!?」

 右肩と尾の数本が切り裂かれ、稲穂は獣の声で悲鳴を上げた。

「ぐるぅおおおおっ!」

 すぐさま傷口の周りから蛇の鱗が生え、口を閉じるようにして鱗同士が噛み合って止血と硬質化を同時に行う。

「あぎぃる、あぎぃるぅあああああぁぁああぁっ!!」

 怒り猛った遠吠えを上げて弥都に向かって急降下を行う。

 前脚の爪と口顎の牙、共に凶悪なほど鋭く尖った武器を見せつけるように構える。

「■■――」

 対して弥都も獰猛な笑みを浮かべ槍を構えた。

 その時、片方の刃が黒く染まる。

「ヤト!?」

 そのまま力強く踏み出して真っ正面から稲穂を向かい打つ。

 二本の腕からの凶爪を懐に潜る事で避け、続いて迫る牙が己に届くよりも早く、加減も躊躇も無く、槍を稲穂に突き刺した。

 二つの刃が稲穂の背に生えた。

「ギ、ガ、アアッ!」

 一つは肩口から鮮血を噴出させる。だが、胸に刺さったもう一つの黒い刃はどういう事か何の外傷も与えなかった。

「ガァオオオオオォォッ!!?」

 稲穂がもがき苦しみ始める。それは肩に刺さった刃よりも、胸を貫く黒い刃に苦しんでいるように見えた。

 肩を貫通した光の刃から三日月の刃が新たに生えて引き抜かれるの防ぐ。

 そして黒い刃の刺さった胸から光が溢れた。

「■■■■、つか■■たッ! つかまえたぞ!!」

 雑音の混じった声で弥都が叫ぶ。

『……正気だったか』

 二種の刃、その力の種別を認識したバルザは弥都が正気を保っている事を確信した。

 闇にとけ込むような黒色の刃は物質的影響を与えない精神干渉、テレパシーの刃だ。

「これで……」

 離れられないよう固定し、接触テレパスと同じ効果のある刃で貫いた。これで最初の難関は突破した。あとは、稲穂の精神を引き戻した上でサイコボムを破壊するだけとなる。

 だが――

「――ッ!? ア、アアッ、アアァアーーッ!!」

 弥都の口から悲鳴の声が上がる。

 今の稲穂にテレパスで繋がる事はつまり、サイコボムとも繋がる事を意味していた。

 強い怒りと悲しみに猛り狂う稲穂の精神の奥、寄生するかのように彼女の心にこびり付いている闇がある。

「グァアア、■■、■■ゥオオオーーッ!」

『ヤト! な、なにッ!? こ、これは、ガ、ガガ、ゴ。れ、ハ――』

 弥都の苦痛を見たバルザが彼を心配すると同時、機械であるはずのバルザにも影響が出始める。

 機体内に収めたままの、最初に破壊された筈のサイコボムが弱々しくも反応、息を吹き返すように稲穂の首裏に癒着しているサイコボムと共鳴しながら精神汚染を発し、プログラムにまで影響を及ぼす。

「アア、アアアァ、ウガァアアァァアアアアアァアアッ!!」

『ワ、だし――でガガ、ピ、あたエ、ル――』

 蠢く泥のような闇が一人と一機の精神とプログラムを侵し、狂わせ、蝕もうとしている。稲穂もまたこの状況の余波を受けて金切り声を上げた。

「ガァ、グッ、アアッ、アアアアァァアアァーーッ!」

 人、機械、獣の三種の悲鳴と精神汚染の共鳴が混ざり合う。

『ア、ガッ、ガガ――こ、れでは、ァ、アガ』

 弥都は苦痛を感じながら精神を覗き込み侵略してくる闇の更に奥を見た。

 そこには自分以外は全て有象無象だとしか思っていない醜悪な意思があった。

「――――ァ」

 サイコボムの奥底に存在する邪悪な意思。その強烈かつおぞましいモノはまるで亡霊だ。他者の精神を汚染し、自種族以外は死滅しろと宣った女王そのものだ。

「――――」

 弥都の口から音が途絶えた。

『――ヤ、ト?』

 様子の変化と己に流れる力の質が変わった事にバルザが気づく。

 完全に取り込まれてしまったのかと危惧した直後、精神汚染によりショートしかかっていた回路が健全な流れを取り戻す。

『これは……』

 弥都から流れてくる力がまた変わっていくのをバルザは感知する。

「……ダメだ」

 弥都の口が開き、小さく呟く。

 識別不能な音ではない。獣のような悲鳴でもない。はっきりとしたヒトの声だ。

「アレは、解らない」

 傷口を覆っていた赤い鱗が砕けて剥がれ落ちる。瘡蓋が剥がれたように傷口があった場所には赤い痕を残っている。

「解らない。理解する事なんか無理だ。少しでも受け入れたらもうそこでダメだ」

 呟き続ける彼の顔には獰猛な笑みも苦しみも無い。いつもと変わらない、それこそ何の変化も見られない普段の無表情な顔があった。

「バルザ」

『……なんだ?』

「彼女を元に戻す明確な理由ができました。嫌がろうが泣こうが無理矢理にでも戻します」

『君には驚かされるばかりだな。まあ、思うままするといい』

 もう私の手に負えんと、最後に呆れ混じりで付け加える。

 女王の呪いとも言えるサイコボムに宿る意思、そして汚染を受けていながら正気に戻った弥都。最早バルザの理解の範疇を超えた出来事だ。

 なら、後はもう一つの役割を全うしよう。武器として役割を。

『やってしまえ』

 バルザから伸びる刃の輝きが増し、弥都は左手で柄を上から掴む。肩を貫いていた光の刃が消え、黒い刃だけが残った。

「ああぁぁああああぁっ!!」

 少年が叫び、槍を回して黒い刃を下に向けて左手で押さえつける。

 体重をかける事で上から下、化け物となった稲穂の体を胸から股にかけて一気に黒い刃を下ろす。

「ギ、ィ――」

 物理的な影響を与えない黒い刃だが、その一撃で稲穂の動きが止まる。

 同時に切った箇所が光り、そこから湿ったものや骨が動き変形するような音が聞こえてくる。

『引き上げろ!』

 バルザの声に従い、弥都は左手を伸ばして光の線に触れる。

 僅かな抵抗の後、左手が線の中に呑まれていった。

 暖かく柔らかい感触が手を通して伝わってくる。

 二の腕の付け根にまで深く手を入れていくと、指先が肉と骨が動く感触を捉えた。

「捕まえた!」

 掴み、右足で銀狐の腹を押さえながら一気に引っ張り上げる。

 掴んだ部分から体内の蠢きが不快な音を立てながら加速する。そして、光の線の中から小さな人の手が現れた。

 弥都の左手がその白い手をしっかりと掴んで、外へと引き出す。光の中から僅かに赤いモノが見え、音を立てながら手首から先も露わになる。

 肘、二の腕、肩と血で赤く染まった体が現れ、次に人の毛髪が現れて人の頭部が光から出てきた。

 まごう事なく、それは稲穂の体だ。

 虚ろな瞳から涙のような一筋の血を流した彼女は首から下も引っ張り出される。その速度に合わせ、銀狐から聞こえる肉の音が激しくなった。

 とうとう全身をさらけ出し、崩れ落ちるようにして血塗れた稲穂が弥都に向かって落ちる。

 掴んでいた手を離して抱くよう裸体の少女の背に左腕を回すと即座に地面を蹴った。

 後ろへと一瞬にして移動、腹の裂けた銀狐から距離を離した。

「………………」

 瑞穂を抱えたまま、弥都は一瞬だけ稲穂を見下ろす。開かれていた瞳は閉じられているが、唇の方から呼吸する音が聞こえた。

「生きてる」

 それに安堵する事も無く、弥都は正面を真っ直ぐに睨む。

 稲穂という依代を失った銀狐は像にも比肩する巨体を僅かに萎ませたまま立っていた。目に光がなく、口からは先が二つに分かれた舌をだらしなく垂らしている。

 首の後ろのサイコボムが存在を示すように精神汚染の波動をまき散らして光を放っているが、非常に弱々しい。

 僅かにだが銀狐が動き、首のサイコボムに引っ張られるかたちでゆっくりと浮き始めた。

「何をするつもりでしょうか」

『逃げようとしているのだろう』

 地上から離れていく爆弾とそれに引っ張られる銀狐。狐の肉体は動いてはいるが酷くぎこちなく、着ぐるみを無理矢理外から動かしているようなものだった。

『抜け殻だな。ヤト、力は残っているか?』

「アレを壊すぐらい問題ない程度には」

『なら、最後に一仕事だ。精神汚染の驚異は消えたわけでは無い』

「はい」

 弥都の意志を感じ取りでもしたのかサイコボムが発する汚染が強くなる。

 そして稲穂だった銀狐の体がより歪な変異を起こす。

 波動そのものはより強力であるが必死さのようなものが窺える。変異は支離滅裂で整合性が無く、増殖を繰り返す鱗の生えた巨大な肉の固まりでしか無かった。

『ヤト、私を投げろ』

「わかりました。遠慮なく投げます」

 弥都は近くの倒木の傍に気絶した稲穂を寝かせ、離れてから空に浮くサイコボムに向き直る。

 穂先近くを逆手で持ち、肩の上に持ち上げた。

 黒い刃の上に光の刃が生成される。二つの片刃は互いに背を向けつつもまるで音叉のようにして共鳴し合い、力が増幅し巨大化していく。

『精神刃を使うのか』

「自分でも何と言っていいのか分かりませんが、良くないモノがアレには憑いていると、そう感じるんです」

 弥都の言葉と同時、バルザは内部に保管していたサイコボムの変化に気づいた。

『………………』

 収納機能を開き、地面に中の物を吐き出すようにして落とす。

 最初に回収したサイコボムの破片が赤熱し、溶けだしていた。

「ただ純粋に何かを嫌いになったのは生まれて初めてです。今日はわがまま言ったりと、初めてな事だらけですよ」

 グルガと最初に相対した時のように構え、弥都は足を進めて徐々に加速する。念動力によって一気にトップスピードに乗るとタイミングを計り、右足を強く踏み込むのと連動して槍を投げた。

 巨大な刃を持つ二又の槍となったバルザは真っ直ぐにサイコボムを呑み込んだ肉塊へと飛んでいく。

 柄の軸を中心に回転しながら弾丸のように飛ぶ槍の穂先からは、二色の光の奇蹟が尾となって螺旋を描いた。

 槍が肉塊に到達、二つの刃が容易く貫いていき、中に隠れていたサイコボムに寸分違わす命中。

「――オオオオオォォオオォン!!」

 空に強烈な光が輝き、爆発が大気を震わせ轟音を放った。

 獣の雄叫びのような音が止むと同じくして感じていた精神汚染の波動も消える。後には蒸発し損ねた血の霧だけが空に残った。




 視界暗い海の中、一つのケースが海流に流されて沈んでいく。高い熱を持っているのか、海水が蒸発しケースの表面から大量の泡が発生している。

 そのまま泡の尾を引いて海底に沈むかと思われたが、急にケースは不自然な停止を見せた。

 落下がなくなった代わりに上昇、自ら泡に包まれながら海面に顔を出した。

『遅かったな』

「もうカツカツなのよ。拾っただけでもありがたく思いなさい」

 一人の少女が海面に浮くケースに近づいて海水を浴びせる。熱した鉄板の上に水を垂らしたような音が聞こえた。

「で、どうなったの?」

 音が小さくなり、ある程度冷めたところで少女がケースの取っ手を掴み泳ぎ始める。

『結果だけ言うとサイコボムは消滅した。最初に回収したのもまた完全に破壊した。詳しい事は今送る』

「……なんて言うか、とんでもない子ね」

 少女は戦闘によって元々崖だった山の斜面まで泳ぎ切る。海水に濡れたジャケットを念動力で絞り、肩に引っかけて柔らかい地面の上を歩き始めた。

 切り抜かれたその場所は道同然だ。

「私が壊した時も爆発したわ。相当なエネルギー貯め込んでたみたいだけど、そんな機能あったっけ?」

『ないな。仕様書も何もないが、スキャンした結果からもそのような機能はない』

「あんな物作った研究所は一度徹底的に洗った方がいいのかもしれないわね」

 岩や木の埋まった地面を進んでいくとかろうじて無事な場所にたどり着く。

「あそこまでエネルギー貯めるなんて、どうなってるのかしら」

『ヤトが言うには、憑いていたらしい』

「憑いていた? 何が?」

 と、ラディが聞き返したその時、彼女はそれを見つけた。

「あらあら……」

 倒木の傍、そこに二人の少年少女が目を閉じて眠っていた。

「こうしていると、年相応ねぇ」

『確かに、とても星一つ救った英雄には見えないな』

「あー……そういえば、そこまで大事だったんだわ」

『……やれやれだ』

 バルザが呆れていると、遠くからヘリの音が聞こえてきた。

『アキヒトからの迎えだな』

「手回しいいわね。それにしても、これでようやく私も休めるわ!」

 そう言って、少年少女の隣に腰掛けた。

『ずっと眠っていたんだ。当然の労働だな』

「うっさい。――あっ……」

 その時、嵐が止み落ち着きを取り戻した海の向こう、水平線の上に柔らかな光が現れる。

 朝日の光が、眩しそうにするラディツアとバルザ、そして眠る子供達を包み込んだ。




 ◆


 嵐が過ぎ去り、雲一つ無い空の下には同様に青い海が広がっている。

 荒々しい程の波が起きていた夜とは違い、陽の光を反射する海面は緩やかに波立っていた。

 弥都はそんな嵐の過ぎ去った光景を見知らぬ部屋から眺めていた。

 その部屋は壁一面が巨大なスクリーンになっているらしく、今までの光景は窓からのものではなくただの映像、都市の様子が鮮明に映しているに過ぎない。

 どうしてわざわざ窓ではなくスクリーンにしたのか弥都は知らない。ただ、爪痕を残しながらも美しい風景は右へと少しずつゆっくりと動いている。

 しばらくすると、一つの山が姿を現す。海側に接した部分が豪快に崩壊している山だ。

「よかった、元気そうじゃない」

 後ろから声が聞こえ、背後に顔を向けるとラディツアが部屋に入って来るところだった。

 彼女は損耗し破れたジャケットから新しい服に着替えていた。

「怪我はどう?」

「大丈夫です。ナノマシン治療というのを受けましたから」

 少年は言いながら自分の両腕を見下ろす。いくつもの傷を負って痛々しい有様だった腕が治っている。傷があった場所には赤く痕が残っているが今日中には赤みが引いていくと、弥都は三つ目の医者から説明された。

「カディス連合はすごい技術力ですね。何がどうすごいのか説明できませんが」

 最後のサイコボムを破壊し気絶した後、弥都が目を覚ましたのは見知らぬ部屋だった。部屋には額にもう一つの目を持つ人間がおり、治療と検査の為に運ばれた事を教えられた。

 今、弥都は明朝に地球へと到着した連合の宇宙船の中にいる。

「どんな形状の船なんですか?」

『興味があるのか』

 ラディツアの左手にいるバルザが小さな電子音を立てると、立体映像を宙に映し出した。緑色の先で描かれるのは曲線的なフォルムを持つ宇宙船だった。

 弥都は変わらず無表情のままだったが、興味深そうな目でそれを見上げる。

「男の子ってこういうの好きよねえ」

『君の父親は中年になっても好きだった』

「………………」

 微妙に嫌な表情を浮かべてラディは顔を背けた。

「ところで聞きたいんですが、相良稲穂さんはどうなるんですか?」

 突然、立体映像を見上げていた弥都からそんな事を口にした。

 ラディツアが気まずそうな顔をする中、バルザがその質問に答える。

『彼女は重度の精神汚染を受けていた。ここでは治療できないから我々の星にある専門の施設で療養させ、その後は彼女の記憶を書き換えて地球に帰す』

「……ご両親の事は?」

『地球政府が事故死として処理する予定だ。当然、彼女の記憶もな。台本は自動車事故によって夫婦が死亡し、その子供は一命を取り留めたもののしばらくの間昏睡状態になっていたというところか』

「私達の存在を大半の地球人は知らないの。まだ知るべきじゃないと地球政府もカディス連合もそう判断してる。…………怒ってる?」

 バルザから昨夜の一部始終を聞いたラディツアが弥都の顔を窺う。

 復讐されたいという思考はあまり同意できないが、命の恩人でもある少年の機嫌が損なわれるのはよくなかった。

「別に……騙されていると分かっていましたから。ただ、オレはこれからどうしたらいいんでしょうか?」

『君の記憶は消されないし改竄されない。罪の意識を感じ、罰を受けたいと思うならそのまま生きていればいい。罪悪に苛まれて生きていくのも立派な罰だ』

「そう、なんでしょうか……?」

 俯き、黙り込む弥都。

 そんな彼の様子を見て、ラディツアが慌てる。

「そ、そうだ、ヤト君。せっかくだから船の中案内してあげる。きっと楽しいわ」

『子供じゃあるまいし。いや、子供か……。子供か?』

 バルザを無視し、ラディツアは言葉を続ける。

「宇宙船が好きなら、購買に模型が売ってるからどう? 買ってあげるわよ」

『模型が購買に売っているはずがな――あったな。この船は一応軍艦の筈だが、なぜ売っている』

「色々お世話になったし、お礼もかねてどう?」

『餌を貰っていたのに手に噛みついたり、服を脱がせて体を洗わせたりと本当に迷惑を――』

 バルザが床に叩きつけられて数度跳ねた。

「で、何かない? 出来る限りの事なら応えられるわよ」

 羞恥に顔を若干赤らめ、誤魔化すようやや早口で聞いてくる。

「んー…………」

 少し考えるようにして軽く唸り、少年は天井を見上げた。

「……ここ、宇宙船なんですよね」

「そうよ」

「なら、星が見てみたいです。地球を」

「そんなのでいいの?」

「はい。地球は本当に青いんですか?」

「妙な疑問持ってるわね」

「やっぱり迷惑でしょうか? 離着陸するのも大変そうだし……」

 弥都の表情は変わらない。しかし、どういう訳か非常に残念そうなのが伝わってくる。

 顔に出ないだけで感情豊かなのかもしれないと思いつつ、ラディツアは笑顔を向けた。

 そして彼女は壁の隅に移動し、モニターの側に設置せいたる小さなコンソールを操作する。

 するとモニターの映像が消えて無機質な壁が姿を見せ、直後にゆっくりと上へ開いていった。

 都市の光景はてっきり窓から見えているものだと思っていたが、どうやらそれは違ったようだ。

「ステルスで隠れてても良かったんだけど、一つの所に止まっていると他国がうるさいとかアキヒトに言われて……まあ政治云々の関係で外に停泊してるの。だから希望に応えられるわ」

 徐々に開いていく壁の向こうには、まず灰色の地面が見えた。そして半分ほど開いたところで、今度は真っ暗な空が見えた。

「もしかして…………」

 壁が完全に開ききった事で一望できるその光景。見計らったように弥都の目の前には、月の灰色の地平線と闇に包まれて浮かぶ青い星があった。

「……どう?」

「はい、とても綺麗です。もう、いつでも死ねると思います」

「いや、あのね? それは君に助けられた私が困るんだけど」

「困る?」

「そうよ」

 首を傾げる弥都に、ラディツアは膝を曲げて目線の高さを合わせる。

「イナホって子の為に命を差し出せる君は、人の悲しみが解る子なんだと思う。ならね、命の恩人である君に死なれたら悲しい私の気持ちも解ってくれない?」

「それは…………」

「だからね、約束してほしい。少なくとも、死ぬなんて方法で罪を償わないでほしい。約束、してくれないかな?」

「………………」

 目を伏せ、黙り込む弥都。

 その時、バルザが口を挟む。

『ラディ、指切りだ』

「あんた、とうとうバグッた?」

『違う。そういう意味ではない。今情報を送る』

 冷たい床の上で、バルザが地球にある約束の仕方をラディツアに教える。

「ああ、なるほど」

「あっ……」

 納得した瞬間、ラディツアは弥都が何か言う前に手を握り、小指同士を無理やり絡めた。

「……ズルいですね」

「君、頑固みたいだからこうでもしないとね。それじゃあ、約束してくれる?」

「………………」

 弥都は一度地球の方に振り向き、ラディツアへと視線を戻す。

 そして、小さく頷いたのだった。


 産廃再利用完了。

 次から第二部となりますが、続きはこれから書くので間が空きます。

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