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慟哭の歌  作者: 紫貴
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6


 強い突風がラディツアの体に容赦なく叩きつけられてくる。

「降ってきたわね」

 風と共に横向きになって降る雨はまるで滝のようで、彼女の全身を水浸しにする。

『中に入ったらどうですか? 女の子が雨に濡れているのを見ているのは、さすがにね』

 左耳に付けた通信機から秋人の声が届いた。

「お気遣いありがとう。でも、何かあればすぐに動けるようにしたいし、このままでいいです」

 ラディツアは今、研究室のあったビルの、ヘリポートとしても使われる屋上に立っていた。

 格好は弥都から貰ったシャツとジーンズから着替え、最初に着ていたジャケット姿だ。

 脇のホルダーには壊れたレーザー銃の代わりに地球の拳銃が納められており、背中にはベルトでバルザが固定されている。

『状況は?』

『今のところ何もなしですね。貴女達の助言通り、既に検問と各要所、それに自衛隊にはカメラを装備させています。だから、例え催眠にかかってもこちらからモニターしている限り見逃す事はないでしょう』

 バルザの問いに秋人が答えた。

 グルガ達がESP能力による催眠やサイコボムの精神汚染を使ったとしても機械の目は誤魔化せない。

「ジエータイ?」

『この国の軍隊だ』

『レンタル品なんで、使いものにならなくなると上がうるさい。目標が現れたら頼みましたよ?』

「わかってます」

 通信を切って、雨に濡られながらラディツアは屋上の外周に沿って歩き始める。

 高層ビルから見下ろす街の光景は普段なら絶景で端から端まで見渡せそうだが、日が沈みつつある上に台風の分厚い雨のカーテンで近くの風景も望めるか怪しい。

 それでも、視覚で捉えられる範囲以上の広域をラディツアは知覚する事ができる。バルザに搭載されたレーダーだってある。

 夜となって暗闇に包まれても、都市中央近くに立つビルの周囲は正確にカバーできた。

「動くとしたらもうそろそろね。場合によってはいきなり邪魔者な私を狙ってくるかな?」

『そうだな。朝までには何かしらの決着をつけたいと向こうは思っているだろう。問題はどこにいるかだ』

 グルガ達の潜伏先はまだ見つかっていない。この嵐の中では非常線を張るのが精一杯で、捜索は行えないのだ。

「しっかし、まさか知らない星で蛇人間の末裔を相手にする事になるなんてねえ。帰ったら特別手当貰わないと」

『事故とは言え、交渉中の惑星に不法侵入したのだから貰えるものと言えば始末書だろ』

「追跡しろって言ったのは上よ」

『必要以上の事をして醜態を晒したのは君だ』

 時計回りに外周を歩きながら雑談していると、視界に収まる光景が人工の光に包まれた町並みから神社のあった山へ、そして波が荒れる海へと切り替わる。

 嵐で水位が上がり、砂浜が完全に隠れて大きな波が堤防に幾度もぶつかっては砕けては、水飛沫として海の中へと消えていく光景がラディツアのいる場所からでも見ることが出来た。

「地面があって、潤沢な緑や水がある。病院で食べさせて貰った果実もそうだけど、色々揃ってるわよねこの星」

『密林や海しかない星と比べるとそうだな。この水準にまで文明が発達しているのに多くの自然が残っているのは驚くべき事だ。だからこそ、カディス連合も慎重なんだろう』

「ふ~ん。政治の話は分かんないから、どうでもいいけど。あっ、ゴミついてる」

 ヘリポートに置かれたままのヘリ表面に張り付いたビニールの袋を剥がす。

『話を振った人間が何を言っているのか……』

 ラディツアの態度にバルザが呆れたような音声を発する。

『このような星は犯罪者達に狙われやすい。特にグルガのように種族の再起をかけている者にとって最高の環境だろう』

「まさか、この星の事知ってて落ちたんじゃないでしょうね?」

『さあな』

 その時、日が落ちたのか薄暗い程度の空が完全に暗闇に落ちた。


 同時刻、暗い縦穴の中から獣の声が轟く。

 そこは日の光など入らない、元より暗闇に包まれた場所だ。縦穴の半分以上は海水に満たされ、磯とカビの臭いが混ざりあっている。

 縦穴の奥深くから轟く獣の声は延々と水の中から聞こえてくるが、水面は嵐による荒波に激しく揺られるのみで水底からの声に泡どころか波紋一つ、揺れの一つも起こさない。

 鳴き声は明確な音を持たない、到底自然界では起こりえず、人の声では決して発音する事の出来ない不気味な声である。

 あくまでその声を形容するなら、赤子が泣き喚いているかのようであった。

 声が唸るように低く、間延びしたものに変わる。まるで何かに堪えるように、力をため込んでいるかのようだ。

「――――■■ッ!!」

 次の瞬間、縦穴から爆発したような衝撃波が発生した。縦穴内部に入り込んでいた水が逆流し、外へと吐き出されて入り込もうとしていた波を正面から押し出す。

 同時に銀の影が縦穴から飛び出した。

 影は海の荒波や空からの雨もモノともせずにロケットのような勢いで空を駆ける。

 それは異形の怪物の姿をしていた。

 銀の体毛を持つ狐ではあるが、まずは大きさが違う。それは象程の巨体を持っていた。

 白銀の毛の隙間からデキモノのように蛇の鱗のような外皮が生え、尾からは胴体とは逆に蛇の鱗の隙間から銀毛が生えているような有様で、毛並みの美しさを台無しにしていた。

 細面の顔には両眼以外にも赤い瞳が蜘蛛の目のごとく生え渡っており、不気味な光を携え狂気に満ちている。裂けた頬からは鋭い針葉林の如く乱立する犬歯が剥き出しになって隙間からは涎が泡となって溢れ出る。

 嵐の海の上を四本の足で立つその姿は怪物と言うしかない。

「■■■■ああぁぁッ!!」

 異形の化け物が狂気を孕む雄叫びを上げ、海面の上を走り出す。

 打ち付けてくる荒波に穴を開け、速度によって生まれた風圧によって海の水が白い水飛沫が後塵となって尾を引いていく。

 その光景は巨大な白蛇が黒い大地の上を這い進んでいるかのようであった。

「あぎぃ■■ぅあ■ぅああぁぁっ!!」

 狐とも蛇ともつかない化け物は弧を描き、泣き叫ぶような慟哭を裂けた口から発しながら縦穴から街のある方角へと突き進む。

「そうだ、行け。仇はあそこにいるぞ」

 銀狐の後ろ、縦穴の上にいくつかの人影があった。

 ほぼ垂直に切り立った崖にある僅かな出っ張りの上に立つのはグルガだ。右腕を肘から無くし、肩ごと左腕を失った彼は首と顎が鱗に覆われている顔に青白い病的な色を浮かべている。だが、その瞳は生気と狂気に満ちていた。

 最早彼は正気ではない。無意識の内に連合の研究施設に忍びこみ、当然のように精神汚染の波動をばら撒いて新たな女王を作ろうとするその行動は後先考えない愚直な行いであり、今まで窃盗グループのリーダーとして活動していた彼らしくない無謀な行いであった。

 仲間の者達も、そんなグルガの事を疑問に思わない。研究施設にて犠牲が既に犠牲が出ているのに、誰も咎めず、逆らわず、むしろ同調して行動する。

 祖先の遺伝子がそうさせたのか、グルガの仲間達は誰も彼もが蛇人間の末裔だった。

 もしかするとサイコボムなどはきっかけに過ぎず、遙か以前から既にグルガ達は滅ぼされた種族復活の為、本人達ですら無意識の内に動いていたのかもしれない。

「その声を、何の力もない原住民達に聞かせてやれ。そして我らの同胞となる祝福を与えてやるのだ」

 彼らの蛇のような眼には銀狐と都市が映っている。

 まだ見ぬ新たな同胞達の誕生に、期待で胸を膨らませ、喉の奥から空気が漏れるような笑い声を上げる。

 その時、銀狐の目の前からいきなり一機のヘリが突進してきた。

「――ッ!?」

 驚く彼らの前でヘリと銀狐が激突、前面部から大きく潰れ、操縦席のウィンドウからガラス片をまき散らしてヘリが爆発を起こした。

 暗闇の中で赤い光が起こり、一瞬だけ黒い海を照らす。生じた爆煙の中から白い固まりが跳ねて海面に着地する。

 無傷、とは言えないものの健在な銀狐は憤怒の籠もった唸り声を上げ、己の進路を阻んだ敵を複数の眼で睨みつけた。

 ヘリの破片が海に沈み、火が消える。再び暗闇に包まれる空には、遠くに望める人工の光を背にしたラディツアが宙に浮いていた。

「随分と回復したようだな、エージェント殿」

 銀狐の背後にグルガ達窃盗グループの面々が集まり、ラディツアを見上げる。彼らの姿は人型を保ってはいるものの、グルガ以上に変異が進み、大蛇が人に化けようとして失敗したかのような醜悪な姿を晒している。

「おかげさまでね」

 いくつもの鋭い視線が集中するなか、ラディツアは平然とした態度で雨に濡れた前髪を手櫛でかき上げる。

 そんな彼女の様子を観察しながら、グルガは面倒なのがという感想を抱く。

 先程のヘリの事といい、ESP能力者用の強壮薬でも使ったのか、本当に随分と回復しているようだった。

 本来ならヘリが突っ込んできた程度、銀狐は避けるなり撃ち落とすなり出来た筈だ。複数ある銀狐の眼による視界の広さから、都市に建つ高層ビルの屋上から飛び立つヘリの存在にも気づいていた。

 だが、当たった。それは何故か。

 瞬間移動したわけでもなく、ヘリは一直線に銀狐へと突進してきたのはグルガの目にも見えていた。

 ならばどうして。

 それは、ヘリがまるで遠近法を利用した視覚トリックのようにして、狐と都市の距離を無視したからだ。

 奥行きの距離を無視し、横移動による位置調整だけで突進してみせた奇妙な現象。こんな空間の法則を乱すような事を行えるのは、グルガが知る中ではただ一人だけだ。

「とにかくさっささとかかって来なさいよ。それとも朝まで待ってくれるの?」

「………………」

 ラディツアの言葉に、グルガが僅かに反応する。

 意志はどこぞへ行ってしまった彼でも、朝になって連合の船がくれば勝ち目がなくなるのは理解している。安い挑発だが、乗るしかない。何より、この女を放置するわけにもいかない。

 グルガからのテレパシーを受け、仲間達が一斉に攻撃を仕掛けようとする。

 その直前、足下の海から何かが四つ飛び出した。

「ギャッ!?」

 悲鳴を上げ、窃盗グループの一人が突然股から頭の先まで切断される。二人がとっさにバリアで受け止め、残り一人が足を切断された。

 出現した物、それは爆散し沈んだヘリのプロペラを構成する四枚の羽根だった。金属の羽根は回転しながら宙を飛び、ラディツアの周囲を旋回し始める。

「きさ――」

 足を切断された男が怒鳴ろうとした瞬間、眉間に穴が空き、吊り糸が切れたようにして男の体が海へと落ちた。

 いつ抜いたのか、ホルスターの中にあった筈の銃がラディツアの手にあった。

 その銃口からは雨に混じって硝煙が昇っている。

「■■ッ!」

 完全に虚をつかれ、数秒で二人の仲間を倒されたグルガ達が人では発音不可能な声を上げて一斉に動き出す。銀狐もまた、威嚇の声を発して念動力による衝撃波を放った。

 ラディツアは衝撃波を避け、続いて放たれた光弾も空を飛行して回避する。

「覚悟しなさい。ここで全員まとめて潰してあげる」

 四枚の羽根と銃を構え、反撃を行う。

 波打つ海の上、強風が吹き荒む闇でESP能力者同士の戦闘が開始された。




『状況開始。イナホ、そしてグルガ達の計八名との戦闘を開始した。内二名は既に排除したがな』

 通信機から聞こえるバルザの機械音声に秋人は相槌を打つ。

 彼は今高層ビルの窓からタブレット型のコンピュータを持って海を見ていた。暗く、雨に打たれて水の流れる窓からはとても海の様子が見れたものではないが、時折小さな光を確認できる。

「ええ、こちらからでも確認できました」

『真上を飛んでいる偵察機でか?』

「はい。日本のではありませんが、映像を回してもらってるんです」

 覗き見してる事を臆面もなく告白した。

 秋人の持つタブレットのディスプレイには上空から見える海の様子が映し出されている。

『それはいいが、ラディがいる時に攻撃は止めてくれよ。例え漂流者に近いと言っても連合の一員に違いない。それで問題になれば、地球政府としても問題だろう?』

「当然です。むしろ私は是非ともラディツアさんの手で解決して欲しいと思ってるぐらいですよ。ですが……」

『失敗した場合はラディ本人の責任だ。その時はそちらの判断に任せる。言質については私の言葉が証明となるはずだ。では、そろそろ通信を切る』

「ありがとうございます。御武運を」

 通信が切れ、やれやれと言った様子で秋人はかぶりを振った。

 無人偵察機の事も、周辺地域に待機させている軍の事もあの人工知能にはとうに気付かれていた。

 ESP能力者と言えども、周囲の被害など考慮しなければ地球の火器で十分に倒す事ができる。

 だが、今後の連合との関係を考えれば餅は餅屋に任せ、決着をつけてほしいのが政府、そして秋人の考えだ。

「向こうの不始末は、向こうでつけてほしいものだね」

 ぼやきながら、タブレットを操作して現在状況を確認する。

 幸か不幸か、嵐による津波警報などを理由に都市の住人の大部分が避難所にいる。

 対テレパシスト訓練を受けた自衛隊隊員は万が一の事を想定して海岸付近に展開済みだ。だが、既に一部の兵達が不調を訴え始めている。

 肉体的なものではなく精神的な、急激な鬱状態になったり軽い錯乱に陥ったりなどだ。

 未知の存在が相手とはいえ、心身共に屈強な彼らが戦闘の空気に押し潰されかけている訳ではない。

 巨大な銀狐へと変異した少女から発生している精神汚染による影響だ。

 彼女達が戦っている海上とはまだ距離があるというのに、かなりの効果範囲があるようだ。

 最悪の場合、戦略兵器が使用されるかもしれない。精神汚染はどんなガス兵器よりも凶悪で、しかもESP能力者に対しては歩兵が携行できる火力が通じない。

「勘弁して欲しいね」

 まだ致命的な状況ではないが、一歩間違えれば最悪の展開になる。

 だが、秋人にとっては既に最悪の心境であった。

 彼はスーツの内ポケットからスマートフォンを取り出して電話をかける。

『はい、もしもし』

 二回のコールで相手が出た。

 少年の幼い声だ。

「私だよ。怪我の具合はどうだい?」

 親しげに、優しい声色で秋人は言葉を発する。

『昼にも言ったように大丈夫です。ただ、怪我したところがちょっと痒いです』

「ははっ、掻いたりしないようにね」

 電話の向こうからはビルの中で聞こえる雨音とは別の音が聞こえている。

「今どこ?」

『山にいます』

「ああ……」

 そうだろうとは思っていた。

『すいません』

「謝らなくていいさ。自分で決めた事なんだろ?」

『はい』

 少年の簡潔な返事に秋人は目を伏せる。

 ――結局、止められなかったか。

 少年は秋人の知る彼の父親にとても似ている。他人からすれば、不安になるほど似過ぎている。

 昔、妻と二人目の子を同時に失った彼を周囲の者は慰め、犯人に憤りを感じていた。しかし、当の彼は感情の起伏を見せずいつも通りに見えた。

 家族が被害にあったというのに、落ち着きはらったその様子は冷たい人間とも取れたが、彼をよく知る者達にとっては逆に不安を煽った。

 爆発し損なった不発爆弾が今か今かとじっとして爆発する機会を伺っているような、そんな危険を感じたのだ。

 何人かの友人達が、早まらないようにと彼を止めた。その中には秋人もいた。

 少年の父親はそれを聞き入れた――かのように思えた。

 だけど彼は止まらなかった。周りからどんなに声をかけられようと、監視に似た気遣いを受けようと、隠れて計画を立て実行した。

 そして、少年の父親は殺した相手と同じ殺人犯のレッテルを張られ逮捕された。

 人とは社会を形成して生きていく生物である。殺されたから殺すという考えでは、そのシステムは維持できず、いずれ崩壊してしまう。

 彼はそれをよく解っていながら復讐を果たした。

「一応聞くけど、考えは変わらないわけだね?」

『はい』

 彼の友人として、後輩として、彼の息子を預かった秋人はそれを止めなくてはならなかったし、止めようと強く決意した。

 同時に、悲しいほど父親に似た彼を止める事はできないとも思っていた。

 所詮は子供、いざとなれば恨まれてでも力づくで止める方法だってある。だが、少年は普通の子供ではなくなった。

 宇宙から来た異星人との接触で地球人として初の正式なESP能力者となったのだ。

 電話を耳にあてながら手に持つタブレットに視線をやる。

 メール画面には目標ロストという報告が映し出されていた。

 病院に配置した護衛と称した監視の目を潜られ、検問を利用した障害は呆気なく突破されていた。

『今までお世話になりました』

「私としては、この先も面倒をかけてほしいんだけどね。……くどいけど、本気かい?」

 どう返ってくるか予想できたが、秋人は少年の答えを聞く。すると、とくに何の間を置かずして簡素に二文字の答えが返ってきた。

 ――ああ、やはりあの人の息子か。

 続く少年の言葉に、秋人は止める事も出来ずただ聞く事しかできなかった。




 ◆


 通話を切り、スマートフォンを仕舞って御門弥都は山の中を歩く。

 神社のあった場所よりも高く、森の深い場所だ。

 入院着から私服に着替えたが、既に全身が雨に濡れている。水を大量に染み込んだ包帯は道中で捨てた。傘は動くのに邪魔なので最初から持っていない。

 迷いも臆する心も無く、力強い足取りで泥濘の上を歩き、ざわめく木々の途切れに辿り着いた。

 そこは山の中でも端の端、海を一望できる崖の上だ。

 荒れ狂う海を前にして、少年は右手側にある都市に振り向く。

 都市にほど近い海面でいくつもの閃光が煌めくのが見えた。

「………………」




「え……?」

「なに!?」

 突然の事に、海上で戦いを繰り広げていたラディツア達が敵味方など関係無くその動きを止めた。

 その原因を作ったのは、銀狐だ。

 最も苛烈な攻撃を放っていた筈の銀狐が何の前触れも無く立ち止まると、何を思うてか海面の上を回り始めた。

 自らの尾に噛みつこうと回っているようにも見えるし、何かを探しているようにも見える。

 同様に顔についた複数の目がそれぞれ動き回って視線を彷徨わせる。

 そして一つの目がある一点に向いたまま動きを止めると、他の目もほぼ同時にその方向へと向き直る。

 直後、銀狐が吠えた。

「■■あああああぁぁっ!!」

 一際大きな精神汚染の波動が発せられた。

 海面の上で四肢を踏ん張らせ、体を震わせる。それに準じて念動力は無差別に周囲へと放たれラディツアだけでなくグルガ達もが吹き飛ばされそうになった。

「い、いきなり何よ!?」

『これは……』

「――チィッ」

 ビルほどの高さの水柱が立ちあがり、銀狐はその中で再び叫ぶと走り出した。

「あ■■ぃるぅあああぁぁッ! ■るぅううああああぁぁ!!」

 嘆くが如く叫ぶ銀狐の向かう先は街とは別方向、山の方角だ。

「待て、どこへ行く!?」

 精神を汚染する音を含んだ声でグルガが静止の言葉をかけるが、銀狐はそれを完全に無視。海面を割りながら嵐の中を駆け抜ける。

「一体どうしたことか――ぐっ!」

 グルガ達が銀狐を追おうとした瞬間、目の前を高速回転する金属性の羽根が通過して進路を阻まれた。

「クソッ!」

 グルガは仲間の一人にテレパシーで命令を下す。それを受け、左腕の無い男が遠回りを行いながら銀狐の後を追う。

 その背に、銃弾が二発発射された。だが、グルガ達がバリアを張る事で代わりに受け止め阻止される。

「あれ、突然どうしたのかしら?」

『訳も分からずグルガ達を妨害したのか』

「嫌がるかなぁって」

 厳しい視線を向けて来たグルガ達に対し、ヘリのプロペラと拳銃の弾丸で応戦しつつ、ラディツアは先ほどの銀狐の行動に疑問を抱く。

『おそらくだが……あの山にヤトがいる』

「はぁ!? なんであんな所にヤト君が。まさか、地球政府はもう痺れを切らしたの!?」

『さあな。だが彼の思考を考えれば、おそらくは自分を餌にテレパシーでイナホをおびき寄せたのだろう。あの山ならまだギリギリで都市を精神汚染から守れる』

「それってつまり囮じゃない!」

 ラディツアは山の方に振り返る。直後、光の波が彼女を覆った。

 グルガが放ったエネルギー波はラディツアを完全に包み込んだと思われた。しかし、光の波は彼女の周囲を不自然に避け、周囲に浮かんでいたプロベラの羽根を消し炭にしながらも後ろへと流れて消える。

 グルガが外したわけではない。溝に沿って水が流れるようにして、光の方から逸れたのだ。

「………………」

 光が完全に消え、ラディツアが姿を現す。彼女は頭痛を抑えるようにして額に手を当てていた。

「あったまキタ……」

 そう呟くと、グルガを睨みつける。

「いいわ。まずはあんた達からよ。どのみち相手しないといけないんだし……速攻で潰すわ」

『それがいい。グルガも最後のサイコボムを持っている。効率と確実性を考えれば、今ここでグルガを始末する方がいい』

 精神汚染を放つのは銀狐だけではない。精神汚染の発生原因である盗まれたサイコボムは三つある。

 一つは壊れ、もう一つは銀狐の首に刺さっている。そして三つ目はグルガが持っていた。

『おそらく飲み込んで腹の中に隠している。それを破壊しろ。ヤトの事は私が視ている』

 バルザが無遠慮に空を飛び監視している鋼鉄の鳥の目を奪う。所属不明の無人偵察機を無断でハッキングしたわけだが、最低限の礼儀として秋人にはその旨をメールで送ったので後は彼の仕事だ。知った事ではない。

「好き勝手言ってくれるなァ、連合の狗!」

「はぁ? そっちこそ吠えてんじゃないわよ! 生皮剥いでバックにするわよ!?」

 両陣営から放たれた光を狼煙代わりに、中断された闘いが再開される。


 白い軌跡を残しながら脇目も振らずに駆ける銀の大狐を、弥都は崖の淵でただ見下ろして彼女が来るのを待っていた。

 元の原型を留めていない稲穂が崖の前で跳躍する。爆発が起きたように足下にあった海の水が飛び散って水柱をあげた。

 弥都の体に、冷たい雨とは別に潮の味のする水飛沫が降り注ぐ。

 顔に水滴が叩きつけられても目を開けたまま、弥都は視線を海面から頭上へと移す。

「空、飛べたんだ」

 上空に、稲穂が浮いていた。

 憤怒に燃えるいくつもの赤い目が弥都を見下ろす。

「あああああ■■■ぉああオオオおおァァアああッ!!」

 顎の間接が外れた口からは怨念込められた魔声が発せられる。

 生物の狂わす魔の音を孕んだ声は精神汚染だけでなく、物理的な圧を持って弥都へと落ちる。

「っ…………」

 嵐の風よりも強い圧力が周囲の木々を下りかねないほど軋ませ、弥都も吹き飛ばされそうになるほどの力が加わる。

 神社で鳥居に張り付けされた時と同じ力であった。

「ぐるゥ■■る■■あァアア! あぎゅルゥ、アぎゅるぅあッ!」

 狐の異形となった稲穂は絶えず鳴き続ける。

 声は人を狂わす凶悪なものに他ならないが、どこか透き通るような部分があり、洗練された楽器の如く魔声に含まれた僅かな一音は聴く者にその心を、訴えを伝えさせる。

 そう、復讐という意志を――。

「■■■■ァアあっ、ああ■■アアッ、コォおおおぉぉんん!!」

 発せられる嘆きは、既に首筋に刺さり肉と融合した音叉と共鳴し魔声と化して隠れているが、その奥にはまごう事無き悲しみと怒りがあった。

「ぐ、う…………」

 肉体だけでなく精神にも重圧がかかり始める。

 一歩も動けないまま、弥都が膝を抉れていく地面につく。

「――くっ、ははははははッ!」

 その時、突然第三者の声が聞こえた。

「ざまあないな、ガキ!」

 稲穂から吐き出される魔声の範囲外、風圧に煽られながらもまだ無事な木の上に男が一人いつの間にか立っていた。

 弥都を見下ろす男の姿は精神汚染を受けて変異したものだ。肩から左腕が無く、左半身が蛇の鱗に覆われている。

 隻腕の男はグルガが稲穂の追跡に向かわせた者であり、弥都がESP能力を習得した夜に相対した相手だった。

「おびき寄せて何しようとしてたのか知らねェが、このガキはもう正気じゃねえ。助ける事なんざ不可能だ!」

「………………」

 男もまた汚染する声を放っていたが、まだ狂ってはいなかった。正気であるか、完全に自分の意志かは不明である点はグルガと変わらないが。

「カワイソウな嬢ちゃんだよなあ。なまじ、素質があったからグルガに目を付けられて、サイコボムを埋め込まれちまった。だがよ、家族を殺したのはお前だぜ。俺達は手を出してねえ。姿形は変わっても、あのまま家族として過ごせたんだぜ?」

 隻腕の男は嗜虐の満ちた笑みを浮かべ、血走った眼で弥都を見下ろす。

「それを目の前で殺されて、もう頭ン中はお前に復讐する事しかねえ! ハハハハハハッ!」

 弥都が稲穂からの念動力を受けて苦しむのが楽しいと言わんばかりに笑い声を上げる。

「………………」

「クハハハハハハッ――あぁ?」

 少年の態度を不審に思った男は笑うのを止めた。そして、代わりに弥都の口が開く。

「どなたですか?」

「――なっ!? て、てめええぇ!」

 青白い男の顔が怒りで赤くなる。

「人の腕ブッた切っといてよく言えたなァ!」

「腕? ああ、あの夜の。前会った時と姿が少し変わっていたから分からなかった」

 ようやく合点言ったふうな顔をして、土から膝を離して立ち上がった。

「別にあなたに言われるまでもなく、知ってますよ。家族を殺された人がどうなるかなんて」

 二本の足で立ち上がり、夜空に浮かぶ稲穂を見上げる。

 音叉との共鳴によって骨格を変え、肉を増強させ、更に異形のモノへと変化させる銀の狐。

 人の姿はとうになくなり、今や狐や蛇など既存の生き物の特徴を僅かに残す醜い姿になりつつある。

 けれども、発せられる声は少女の深い慟哭だ。

「父さんがそうだったから」

 弥都という少年は妻と二人目の子を失った男をずっと見てきた。他人が気付かなくても、共に暮らしていた以上僅かな変化にだって気付いていた。

 それが具体的に何なのか、まだ十にも届かなかった弥都には分からないし、今でも言葉にするのは難しい。

 けれども、弥都は己の父が犯した罪から一つの事実を得ていた。

「――復讐は正当な行為だ」

 例え社会的な罪であろうと、その想いは正しいものである。

 少女の怒りは正しいもので、弥都は罪を償われなければならない。

「君にはオレを殺す権利がある」

 化物となった少女を見上げる少年は間違えようの無い本気だった。


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