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慟哭の歌  作者: 紫貴
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 窓一つない真っ白な部屋がある。綺麗に磨かれた床や壁、適度に保たれた温度や湿度から清潔そうな部屋だが、そこに備え付けられたいくつものテーブルの上は物で散乱していた。

 何かの実験室なのか、多くの薬品やビーカーなどがテーブルの上を埋め尽くしている。

 そんなテーブルの一つに、ラディツアが何か作業をしていた。

 椅子に座る彼女の前にはビーカーや試験管、薬品を入れる瓶が大量に散乱している。

 そしてテーブルの隅にはアタッシェケースの形を取ったバルザが置かれていた。

 ラディツアは瓶の中から白い粉を小さなスプーンで掬い取り、秤で慎重に量を計ると毒々しい色の液体の入ったビーカーへと入れる。

 ガラス棒でかき混ぜられる液体は緑と黒時々紫な色合いで、強烈な刺激臭まで発している。

 ラディツアはビーカーの中を混ぜ終えると、覚悟を決めるように唾を飲み込み、時折発光しているその液体を一気に飲み干した。

「~~~~ッ、プハッ! ……はぁ~」

 額に汗を浮かべ、大きく息をつくとビーカーをテーブルの上に戻す。

「うぇ、ゲロマズ」

『娘がそんな言葉を使うものじゃない』

「うっさい」

 続いて彼女は左の袖を捲って白い肌を露出させると、肩近くをゴムチューブで縛り、テーブルの上にあった注射器を取り出す。

 注射器の中身は毒々しい緑の液体で満たされている。

 シリンダーの底に親指を添えて軽く力を入れると、細く鋭い注射針の先端から緑色の液体が僅かに垂れ落ちる。

 ラディツアは慣れた様子で注射針を腕の血管に突き刺し、シリンダーを押し込めて中の液体を注入していく。

「あんまり痛くないわね」

『細すぎて抵抗が少なかったのだろう』

「ふうん……」

 ラディツアが自分に刺した注射針の先端を見つめたその時、部屋のドアが外から開いて一人の男が入ってきた。

 昨夜自己紹介された鳳秋人という地球人だ。

「それ、カディス連合から渡された宿題なんですが、ほとんど使っちゃったみたいですね」

 テーブルに散乱する薬品のビンを指差して言った。

「情報部の方に請求してくれれば、倍にしてお返しします」

 連合から提供された研究資材を宿題と比喩した男は微笑を浮かべたまま、簡易な椅子を引き寄せてテーブルを挟んだラディツアの向かい側に座る。

「急に薬品を調合して、何を作っていたんですか?」

「滋養強壮に効果のある栄養ざ――」

『という名のドーピングだ』

 誤魔化そうとしたラディツアの言葉を遮って、テーブルの上に置かれたバルザが答えた。

『ESP能力のパワーを早急に回復させる効果がある。ちなみに、地球人が飲めば脳が沸騰して死ぬような、本来は規定違反な物だ』

「仕方ないでしょう。次にあいつらが動き出したら、私しか対応できるのいないんだから」

「そうですね。ラディツアさんには申し訳ないが、多少無理してでも頑張ってもらいたいと私らは思っています。今ちょうどその事について話そうと思っていたんですよ」

 そう言って、秋人は持っていたタブレット型コンピュータをテーブルの上に置いた。

 昨夜の、神社の出来事から一晩が経っている。

 バルザが予測した通り、地球政府はラディツア達の宇宙船墜落を観測していた。廃れた商店街の路地で見つかった異星人の腕、市の中央公園で起きた事件を調査し、昨夜の神社から発生した精神汚染を察知してから交渉人として秋人が赴いたのだ。

 ラディツアは既に彼から簡単な自己紹介を受けている。地球政府の一員として直接異星人のラディツアに会いにきたところから組織内の地位は高いのだろうが、まだ若い。

 本人がそれほど優秀なのか、何かしらの事情があるのか。

「見つかったんですか?」

「いえ、まだです。個人的な意見ですが、我々で見つけれるとは思えません。いくら隠密行動を取っても思考は消せませんし、催眠を受けている可能性だってある」

「まあ、そうね……」

 グルガ達はESP能力者だ。テレパシー能力による気配察知や、催眠能力によって逆に誤認情報を与えられる可能性だってある。

「一応、連合からESP能力者に関する資料や、対テレパシストマニュアルを以前から与えられていますが、なにぶん能力者と名乗れる程の人材がいないので、どこまで対抗できるのか不明なんです」

『そこが、一定レベルの文明を持ちながら太陽系銀河が未開拓扱いされている所以だな。それより、グルガが見つかっていないのならば何の用で来た?』

 秋人の言葉を、バルザはすぐに切り返し淡々とした口調で質問する。

 ラディツアが小さな声で失礼だ、と注意した。

「気にしていません。それに、嫌味で言った訳ではないでしょう。今回の事について再確認を行いたいのですよ」

「昨日、説明したはずですけど?」

『私がな』

 ラディツアは一言多いバルザを睨む。

「そうなんですが、まあ、これも宮仕えの辛いとこでですね。上は、AIであるバルザさんからよりも、カディス連合の正式な一員であるラディツアさんからの証言が欲しいんですよ。怪我の治療も終えて歩き回っているようなので、よろしいですか?」

「………………」

 正直と言うべきか、ともかく秋人という男は丁寧な物腰であるものの言葉の端々に容赦が無い部分が見られた。

「地球に降りた時に私は休眠状態で、正確な事は分かりません。ただ、バルザが記録を取っているので正確性はそちらの方が上ですよ?」

「構いません。むしろバルザさんが説明してくれてもいいんです。貴女から直接話を聞いたという体裁が欲しいだけなので」

『そういう事ならば私から話そう。簡略したものでいいかな?』

「ええ、お任せします」

 秋人が返事を返すと、バルザが空中を画像を投影し始める。それを見て彼は嬉しそうに驚きの声を上げた。

 ラディツアはそんな彼らの様子をじっと見つめる。

『事の起こりはグルガ率いる窃盗グループが連合の研究施設に侵入したのが始まりだ』

 研究施設では特定の星間種族が発する精神汚染の対策を研究していた事、その副産物として精神汚染の波動を発するサイコボムが出来上がってしまった事が説明された。

「精神を汚染するサイコボム……それは人の脳に直接作用して精神を狂わすというのは分かりました。しかし、肉体までも変化するというのがイマイチ理解できないのですが」

『狂わす、というよりも精神を強化させると言った方が正しいのかもしれないな』

「と、言うと?」

『サイコボムによって急激に強化された精神に肉体が合わせて変化したのだ。単純に言えば、丸い物体には丸い箱を、四角い物体には四角い箱をと、中身に合った器へと変化したに過ぎない』

 町中で出くわした奇妙な猫や犬、その姿は強化された精神によって起きた変化であった。

 グルガ達、精神汚染を受けたESP能力者の力が上がっていたのもそれに起因する。

「実感は湧きませんが、肉体が精神に引きずられるという事ですか?」

『そうだ。ただし、ある特定のベクトルへ精神は誘導されるようだがな』

「特定のベクトル?」

『サイコボムのサンプルとなった、とある種族の精神構造に近くなるのだ。かの種族は女王を頂点とする社会構成でなりたっており、他種族を排他する凶暴性を持っているが故に連合の手によって滅ぼされた』

 バルザが映す画面にその種族の姿が表示される。

 蛇に鱗の生えた人の手足をくっつけたようなその姿は、グルガの形態変化しつつあった姿を連想させた。

『滅ぼされた筈だったのだが、どうやら生き残りがいたようだ。グルガ達は蛇人間の末裔だ。種族としての本能かは知らないが、奴らは女王のテレパシー機能とほぼ同等のサイコボムの存在を嗅ぎつけて盗んだ』

「その子孫とやらがサイコボムを手に入れて、最終的にこの地球で何が起きるとお考えですか?」

『地球全域が精神汚染の波動に包まれ、地球上の生物全てが狂い、形態変化に耐えきれずに自壊するだろうな』

「それはまた話が大きくなりましたね」

『変異した生物との共鳴で性能が上昇するのは今までの事件で分かっている事だからな』

 サイコボムの刺さった首長犬、そして大狐へと変異した少女。二つの事例がそれを証明していた。

「危険極まる代物ですね」

『意図せず出来てしまったものだし、即処分が決まっていたから禄に検証もされてもいなかった』

 秋人の嫌味に臆する事もなくバルザは淡々と答える。

『ESP能力の適正があるものなら自壊せずに済むが、それでもサイコボムからの精神の束縛からは逃れられないだろう。グルガの目的は他の生命体を同種族へと変異させ、あわよくばサイコボムを使って新たな女王を生み出すことなのかもしれない』

「相良稲穂さんを誘拐したのはそれと関係が?」

 あの山にあった境内には相良という姓の親子が住んでいた。その家の一人娘の名前が、相良稲穂だった。

『脳の構造上、女王つまり雌しか特殊なテレパシー器官は持てない。女性で、ある程度EP能力の適正があれば誰でも構わなかったようだな。町中で堂々とサイコボムを使ったのは、手っとり早く地球人の中でESP能力を持つ者を探す為だろう』

「迷惑極まりないですね。まあ、大まかな話は分かりました――で、ここからは私情が混ざるんですが、なぜ一般人の弥都君を巻き込んだんですか?」

 タプレット型PCを自分の手元からテーブルの隅に押しやると、秋人は柔和な笑みを浮かべたまま聞いてきた。

 ようやくきたと、ラディツアは思った。

 秋人は昨夜から保護者だと言っておきながら、今まで弥都の話を一切してこなかった。

 表情の変化はなく、相変わらず愛想笑いを浮かべてはいるが、目が僅かに細められて雰囲気が若干変わったような気がする。

『巻き込んだのは私だ。最初は案内役のつもりだった。ESP能力の適正があり、万が一精神汚染に巻き込まれても正気を保っていられるからな。戦闘にまで巻き込むつもりは無かったんだが、彼は想像以上に適正が高かった』

「本場の能力者を相手にできるほどにですか。なら、万が一貴女達が失敗しても彼を投入すれば可能性があるということですね」

「なっ!? ちょっと、あん――貴方、あの子の保護者なんでしょう!」

「同時に星間交渉を任されている者の一人です。話の規模が地球全体に及ぶのなら――子供と言えども代わりがいないなら――働いてもらうしかありません」

「……遠回しにこちらの不甲斐無さを責めているわけですか」

「むしろ渇を入れていると思ってください」

 秋人は最後にそう言ってタブレット型PCを掴み、椅子から立ち上がろうとする。

『待ってくれ』

 だが、バルザがそれを引き止めた。

「何か?」

『君の意見には私も賛成だ。連合の船が到着するのは明朝、おそらくそれまでにグルガ達も行動を起こす可能性が高い。精神汚染に耐えられる者がいないのなら、倫理に反していようと子供でも使うべきだ』

「ラディツアさんは異議があるようですが?」

「………………」

「口先だけだ。本気で嫌なら、自分が解決すればいい』

 バルザの容赦ない言葉にラディツアは苛立たしげに小さく舌打ちして顔を背ける。

『だが一つ、この件に関して特に関係はないが、気になる事がある……』

 一度躊躇したように言葉を止めたバルザに対し、秋人は続きを促すように頷く。

『……ヤトは一体どういう少年なのだ? あの年齢にしては精神が熟達し過ぎているような気がする』

 秋人はそれを聞いて浮かしかけた腰を再び下ろす。

 その顔は先程の考えの読めない笑みではなく、僅かに憂いを残す顔だった。

「それは…………父親に似たんでしょう」

『父親というと、現在服役中の?』

「あっ、失礼でしょうが!」

 顔を背けていたラディツアが反射的に拳での鉄槌をバルザのボディに振り下ろそうとする。

 だが、それを秋人が止めた。

「構いません。恐らく本人から教えられたんでしょうから」

『そうだ。事も無げに言われたよ。ヤトの父親と言うのはどんな人物だ?』

「一言で言うなら、真面目な人でしたよ。真面目過ぎたから、許せなかったのでしょう」

 そこで言葉を切った。

「なんの罪で服役しているかは?」

『そこまでは聞いていない』

「そうですか……。弥都君の父は六人の人間を殺したんです。殺された妻の復讐としてね」

「………………」

『………………』

「乱暴され、殺されてしまった妻の仇を取るために、六人の人間を殺したんです。彼女のお腹には弥都君の妹になるはずだった命もあった」

「…………」

「良くも悪くも真っ直ぐな人で、報復が認められないと分かっていながら、妻と娘の敵をとるしか出来なかったんでしょう。彼は六人を殺したその足で自首、弁解の一つもせず、そのまま刑務所に送られました」

 秋人は何か別のものを吐き出すように、息を吐く。

「弥都君はそんな父親に似て、一度決めたら最後までやり通そうとします。ただ……先程バルザさんが言ったように他の子供と比べると少し特殊ですね」

『どう特殊なのかね?』

「何か行動を起こす際、思考にワンテンポ挟むんですよ。他の人だったらどうするのか、という感じに。例えば、進行方向にガラの悪そうな人達が集まっていたらどうします?」

「構わず突っ込む」

 秋人が片眉を上げてラディツアを見、そしてバルザに視線を移す。

『ラディの言う事は無視してくれ。この娘は一般的ではない』

「ちょっと……」

「ふふっ、なら一般的な判断として、普通なら避けて通るでしょう。怖いですもんね。厄介事には誰だって関わりたくないですし。でも、弥都君の場合は自分が怖いとか面倒とか思う前に、他人ならどう行動するか考えます。誰もが避けると結論すれば避けて通ります。逆にラディさんのような勇敢な方が基準なら正面から突っ込んでいきます。何の感情も起こさずにね」

「それは……」

 まるで機械だという言葉を、ラディツアは寸前で呑みこんだ。

「ラディツアさんを最初に助けたのも、それが普通だと判断したからでしょう。怪我人なら病院へ、死体なら警察へ、と。あの海岸に自殺者や遭難者が流れ着く事がよくありますから。決して、心配とかそういう感情で動いたわけじゃないんですよ」

『私が協力を頼んだ時、あっさりと引き受けたのもそのせいか』

「学校は夏休みで、特に予定が無くて時間は空いていたからですね。…………聞きたい事はそれだけですか? なら、今度こそ失礼させてもらいます」

 秋人が椅子を押して立ち上がった。

「……保護者として、それでいいんですか?」

 その直前に発せられたラディツアの言葉に秋人は一度足を止める。

「さっきも言ったように、彼は父親に似ている。自分以外にいないと言うのなら、危険な場所に平気で行くでしょう。誰が止めても、例え閉じこめたとしても」

 椅子を元に戻し、背を向ける。

「彼を父親と同じ徹を踏ませたくないが、止めても無駄なのは分かりきっているんです」

 ――だから、本当に頼んだよと、そう言いたげな視線を送って秋人は去っていった。


『……どうだった?』

 秋人の姿が見えなくなったところで、バルザがラディツアに聞く。

「感情は漏れ出てたけど、思考は完全に遮断されてたわ。何が対テレパシーに自信がないよ。十分対策出来てるじゃない」

 最早、癖となってしまったテレパシーの手応えを答えながら、ラディツアは大きく息を吐いた。

『練習相手がいないのだから、どこまで出来るかは本当に未知数だったのだろう』

「あれ、相当頭にきてたわね。最後の言葉、頼むっていうより脅してるに近かったわ」

『君も仕事と私情を分ける彼の姿勢を見習いたまえ。だがヤトを巻き込んだのは事実だ。やれるだけやるしか無いな』

「とか言いつつ、私が失敗したらあの子を使う気満々のくせに」

『最悪の事態を考えるのも私の仕事だ。そんなに巻き込みたくないのなら、君が踏ん張るしかない』

「ほんと、ムカつくわね」

 ラディツアはバルザを小突くと、飲みかけだったジュースに手を伸ばし、煽るようにして一気に飲み干した。

『連合が来るのは明朝。グルガがそれを予測していない筈がない』

 地球政府が所持している通信機の性能では連合とは相互通信が出来ず、返事が返ってきたのは連絡した深夜から数時間後になってからだ。

 それによれば、一番近くの艦隊が到着するのは朝とのことだった。

 ワープ機能は万能では無く、地球の星域へは隣の星域を経由しなければならない為に時間が掛かる。ラディ達が地球にたどり着いたのは本当に偶然なのだ。

「行動を起こすとしたら夜かしらね」

『ああ。奴らの乗っていた船は大破し、この星にはまともに飛ぶ宇宙船もない。連合が到着する前に女王を作り、星全ての生物を同族にしようとするだろう』

「天気予報によれば今夜は嵐みたいだし、誰も外出しようとは思わないだろうから、シチュエーションとしては十分ね」

 バルザが地方ニュースを映し出すと、ちょうど気候について予報士が話していた。

 台風が近づいており、夕方過ぎには都市に到着すると予想されているとのことだ。

『こちらも人目を気にせず戦えるが、精神汚染の波動は嵐など関係ない。地球政府には都市中心に警戒してもらうよう頼んだが……』

 変異した相良稲穂が敵の手にあるなか、中央公園の時のように町中で精神汚染を放たれてはたまったものではない。

「この星の人達にとってはいい迷惑ね。そんな事したって無意味だと思うんだけど……」

 ラディツアは呆れたように呟き、立ち上がる。

『どこに行く気だ?』

「どこって、ヤト君のお見舞いに行くのよ」

『行ってどうする。あの夫婦の事は君の責任ではないと言うつもりか?』

「それは……」

 グルガ達に女王の素体として捕らわれた相良稲穂の両親、相良夫妻は昨夜死亡した。弥都の手によってだ。

 今までにない出力の精神汚染を受けて変異した夫妻は自我を失い、その姿を異形の狐に変えていた。見分けるのは至難であり、襲いかかる二人に対して抵抗し殺してしまっても正当防衛としか言えない

『仕方がないと言えばそれまでだが、それを私達が言える立場では無い』

「あんたが言えるセリフ?」

『神社にヤトが現れたのはあくまでも彼自身の意志だ。それに、君がさっさと撃ってしまえば、彼がそんな負い目を背負う事も無かったんだがな』

「あれは……」

 戦闘の僅かな間でラディツアは二匹の銀狐が、彼らが元は人だということに気付いていた。

『捕まえて調べ、元の姿に戻す。組織だって動いていたのならそれも出来たが、単独行動中だった君に出来る事には限度がある。割り切らなければ、もっと重大な失敗をしてしまうぞ』

「…………ほんと、最悪ねあんたは」

『本当に最悪と言うのは、感情だけが先走って暴走するような輩の事だ。私はただ感情が無いだけだ』

「あっ、そう」

 ラディツアはバルザの取っ手を掴み、持ち上げてテーブルから離れる。

『どこに行く気だ?』

「だから病院。お見舞いにいくのに引け目だの何だの関係ないわよ」

『なら、好きにするといい。ただ、長居はできないぞ』

「わかってるわ」


 神社で保護された弥都は病院に入院していた。

 ラディツア達のいた高層ビル、名は知らないが地球政府と技術協力しているというある企業が所有するビルからは歩いて行ける距離にある。

「……なにやってるの?」

 弥都のいる病室に着いたラディツアが開口一番に言ったのは疑問の言葉だった。

「こんにちわ、ラディツアさん。これは夏休みの宿題の工作です」

 ベッドを横断して小さなテーブルになる台の上には日本列島が乗っていた。当然ミニチュアであるが、病院という場所、テーブルの上に散乱する紙粘土や絵の具が場違いで、何より怪我人が模型造りをしているとは思っていなかったラディツアは唖然としたのだった。

「わざわざ家から持ってきたの?」

「道具と土台はそうです。秋人さんが今朝持ってきてくれました」

『まさか朝からの数時間で作ったのか?』

 バルザが驚きの声を上げた。

 日本列島のミニチュアは形だけは出来上がっていた。後はその精巧な模型に色を塗るだけで完成するだろう。

「資料を見ながらですけど。ESP能力が使えるようになってから集中力が増して、調子が良かったんです」

『ESP能力と手先の器用さは関係ない』

 バルザが呆れたように言う間にも、弥都は手早くテーブルの上を片づけ、ベッドの隣に置いてあったバスケットの中からスイカを取り出した。

「なにこれ? 果物?」

「スイカです。秋人さんからのお見舞いの品です」

 バスケットの中にはリンゴやメロン、モモなど季節外れのものまであった。他にもベッドの周囲には花束や娯楽本、液晶テレビやパソコンまである。

「……まさかここにあるの全部、保護者の人から?」

「はい。さすがにちょっと大袈裟ですよね」

 答えながら、弥都はどこからか包丁とまな板を取り出してスイカを等分に切り始める。

 ビルでのラディとのやり取りに反して、秋人どうやら随分と過保護のようであった。

 病室も最上階にある特別室で、数人の人間が詰め込まれる一般の病室の五倍は広く、床には絨毯が敷き詰められ、ベッドもむやみに大きい。隣室には浴室とトイレまでも別々にある。

「そういえば部屋の前に人がいたけど、あれ誰?」

 ラディツアがここに来る途中、ESP能力で弥都のいる位置を感知して向かってみれば、廊下の途中で私服の若い男に呼び止められた。

 相手はラディツアだと知ると弥都の部屋まで案内してくれたのだが、これまた部屋の前には二人の屈強そうなスーツ姿の男達が立っていたのだ。

「警護の人だそうです。はい、どうぞ」

 スイカを切り分け終えた弥都が半円となったスイカをラディに手渡した。

「ありがとう」

 ラディツアが直接目で見たのは三人だけだが、他にも数人そっち関係の人間と思われるのが病院のいたる所にいるのが感知できた。

 私服姿が多いのは大衆に紛れ込む為と下手に威圧感を与えない為だろう。

 それだけの人数が病院にいるのは、ESP能力に目覚めた弥都の護衛か、それとも――

「――って、ご、ごめん、私何も持ってきてない」

 スイカを口に入れて初めて、ラディツアは自分が何の見舞いの品も持って来ていない事に気付いた。

「いえ、来てくれただけでも嬉しいです。遠慮なく食べてください」

「そ、そう? ありがとう」

『せめて花の一つを持ってくればいいものを。気が利かない娘ですまないな』

「あんたは黙ってなさい。それに、気づいててワザと今まで黙ってたでしょ!?」

『さあな』

 バルザのボディに両側から重圧を加えながら、ラディツアはベッドの隣にある椅子に座ってスイカを食べ続ける。

 だが、すぐに真っ直ぐにスイカの赤い断面と点在する黒い種を見つめる。

「赤い部分が食べれる部分です。種はこれに入れて下さい。……どうしました?」

 銀色のポウルを差し出した弥都は、真剣な表情でじっとスイカを見つめるラディツアの様子に首を傾げた。

「えっと……この種って、飲み込んだら芽とか生えてお腹突き破ったりしない?」

「しません」

『ラディツア、基本的にだがこの星には人を襲う植物は生存していない』

「へえ、平和な星ね」

「もしかして宇宙では動く植物がデフォルトなんですか?」

 弥都の疑問を余所に、ラディツアはスイカにかぶりつく。女性ながらも豪快な食べっぷりだ。

「水分がたくさんね。蒸し暑い外歩いてきたからちょうどいいわ」

 言いながら食すラディツアによって次々とスイカが消費させられていく。

「まだたくさんあるからいくらでもどうぞ」

「わー……ぃ……ぁ、あれ?」

 一連のやり取りに、何か違うとラディツアは気づいた。

『まるで立場が逆だな。一体どちらが子供なの――』

 床に置かれたバルザが蹴りをくらった。

「あ、あのね、ヤト君」

「はい、なんでしょう?」

 弥都はリンゴを取り出して、手慣れた手つきで果物ナイフの腹を当てながら綺麗に皮を向いていく。スイカの種の入ったポウルの中に、一枚の薄く長い皮が入れられた。

「じ、上手ね。あとその果物はなんて言うの?」

「リンゴと言います。皮切りぐらい自炊していると自然にできるようになりますよ。最初は指を切ったりしましたが、人間慣れると色々できるようになります。どうぞ」

 芯の部分を切られ、八つに分けられたリンゴは透明な器に盛られてラディの前に差し出された。

「あ、ありがとう」

『本当にどちらが子供か――』

 床から打撲音が再び聞こえ、バルザの声が途切れる。

 ラディツアは黙ってリンゴを口に入れる。弥都は機械のような正確さと早さでバスケットの中の果物を次々と剥いていく。

「………………」

 そんな彼の様子を、ラディツアは果物を口に入れながら観察する。

 彼の全身には包帯やガーゼなどが張られて半分以上の肌が隠れていた。神社での稲穂が起こした風はカマイタチも起こし、人の肌も容易く切り裂いた。

 集中的に突風を受けた弥都にはその時の夥しい傷が残っている。特に深いのは最初の攻撃を受けた背中だ。

「傷の具合はどう?」

「見た目ほど深くないと医者の先生が言ってました」

「そう……」

 そこで会話が途切れてしまう。

 広い部屋の中には壁にかけられた時計の秒針が動く音と果物の切られる音だけが聞こえる。

「………………」

「………………」

「………………」

「もしかして、気を使ってくれていますか?」

「え? え、えーっと……」

「気にしなくてもいいですよ。オレは平気――とはこの状態で言えませんけど、大丈夫です。バルザに協力したのや、神社に行ったのは全ての自分の意志ですから。だから、ラディツアさんが責任を感じる必要はありません」

「う……で、でも……」

『六つ以上年下の小学生に、逆に気を使われる心境はど――』

「あんたさ、マジで黙んないとスクラップにするわよ」

 青筋を浮かべ、バルザのボディを左右から力を込める。

『地味に変形機構に負荷をかけないでくれ。私なりに場を和ませようとしてだな』

「どこがよ!」

 膝で打ちつけながらラディツアが叫ぶ。そんな様子を見て、弥都は手を止めた。

「兄妹みたいに仲が良いですね」

「えぇ!? これ見てそう思うの?」

「喧嘩するほど仲が良いと、地球では言ったりします」

「矛盾してない?」

『臆面なく接する事ができるという意味だろう。実際、付き合いは長い。元々私は彼女の父親の装備だった。ラディツアの事はヤトよりも小さい年齢の頃から知っている』

「仕事の記録とか書類作成に便利だから持ち歩いてるの。無駄に頑丈だから盾にもなるし」

『無茶して眠りっぱなしだった者の代わりに情報を集めたりも出来る』

「欠点は性格悪くて嫌味ばかり言う事ね」

『………………』

「………………」

「仲、良いですね」

「余所から見たらそう思われてたなんて。この一件片づいたら、もっとまともなサポートAI買おうかしら」

『その前に新しい船を買ったらどうだ? アレも私と同じく父親の物だろう。そういえばヤト、アキトは君の保護者らしいが、どういう繋がりでそのような関係に? 親戚か?』

 ラディツアが苦々しい顔をするのを余所に、バルザは弥都と秋人の事を聞く。

「母の遠い親戚ではありますが、むしろ父の後輩として繋がりの方が強いかもしれません。学生時代の事をよく聞かされますが、家の事についてはあまり」

『そうか』

 簡素に返事をされ、弥都は果物ナイフを操る手を再開させた。




 病院の外に出た途端、ラディツアは生温い風に嫌な顔を見せた。

 分厚い曇り空によって強い日差しは遮られているが、気温は暑いままだ。むしろ、湿度が高い分蒸し暑さは割り増しだ。

 空調の聞いた弥都の部屋から出たばかりだからよりそう感じる。

「ふぅ……」

 溜まったものを吐き出すように溜息を吐き、彼女は歩き出す。その息はフルーツの甘い匂いがした。

 あの後、病室ではラディツアとバルザが見ている中、両手に巻かれた包帯や絆創膏が果汁で濡れるもの構わず弥都は一心不乱に手を動かし、地球の果物を供給し続けた。

 ラディツアやバルザが他愛の無い言葉をかければ返事をし、時折手を休めるが、基本的には始終手を動かしていた。

 模型作りもラディツアが来るまで休まず続けていたとするなら、彼は何時間も集中していた事になる。

『何かに集中し続けなければ安寧と出来なかったのか、それとも単にラディに餌を与えたかっただけなのか判断に困るな』

「あんたはちょっと黙ってなさいよ」

 いきかり白いアタッシェケースに豪快な蹴りを当てる少女を、周囲にいた一般人が不振そうに見てくる。

 ラディツアはそんな視線から逃げるようにしてその場から慌てて離れた。

 ある程度の距離まで進むと歩くスピードを緩め、既にうっすらと汗をかいて蒸れてきた肌を、服の襟を掴んで扇ぐ。

「う~~ん……」

 一息ついたところで、弥都の今までの言動を思い起こす。

 巻き込んでしまった責任や負い目もあるし、年下よりも年上との付き合いが多く小さな子供と接した経験が少ないのもあるが、弥都という少年はやはりどう接していいか分からなかった。

 ラディツアとしてはすっきりしない。感情を吐露し、恨み辛みを言ってくれれば逆に分かりやすいというのに。

「む~~ん……」

 もしや、こうやって苦悩させる事が目的なのか。

「だとしたら大した被虐趣味だわ」

(唸ったかと思えば頭の悪い発言をしてどうした? 精神汚染でも受けたか)

(違うわよ)

 テレパシーによる会話をしながら、ラディツアは右手に持ったバルザを鋭く見下ろした。

(ヤトの事を考えているなら、あれはそういう人間なんだと割り切った方がいい。それよりもまず、やるべき事があるだろう。考えるのはその後でいくらでも出来る)

(……そうね。まずはグルガ達を何とかして、その後考えるわ)

(ああ、それがいい。君は同時に複数の事を抱えたまま仕事が出来るタイプではないからな)

(さりげなく馬鹿にしてない?)

(君の特長を述べただけだ)


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