表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
慟哭の歌  作者: 紫貴
4/8

4


「じゃあ、オレはこのへんで失礼します」

「うん、今まで本当にありがとう。助かったわ」

「いえ、人助けは当然のことですから」

「連合と連絡ついたら勲章上げるよう申請するわ」

「いりません」

「えっ!? 好きじゃないの、勲章。男の子、というより男は皆勲章とか見せびらかすの好きでしょ!?」

「さあ? 少なくともオレはそういう趣味持ってません」

「へえ、控えめなのね」

「ひかえめ?」

『……ラディ、そろそろ解放してやったらどうだ? 君のテンションに戸惑っている』

「ああ、そっか。ごめんね」

「気にしてません。それじゃあ、今度こそ帰ります。明日、食事を持ってきますから」

「うん、美味しい地元料理ならなんでもいいから」

『図々しいな、君は』

 弥都はお辞儀をし、人一人通れる程度の隙間が開いた扉から外に出た。

 ラディツアは右手にバルザを持って、少年の小さな背に手を振って見送った。少年も一度振り返って小さく手を振り、踵を返して去っていく。

「…………行ったわね」

 弥都の姿が見えなくなり、ESP能力者としての超感覚からその存在が離れていくのを感じ取ると、ラディツアは工場の中へと戻る。

 微笑を浮かべたまま指先だけで重い扉を閉め、いきなり持っていたバルザを真上に軽く投げた。

「――フン!!」

 気合の篭もったと共に、少女の拳がバルザのボディに直撃した。

 空気が震え、バルザが吹っ飛んでいく。ほぼ直線を描き、工場を支える支柱の一つに激突。凄まじい音を立てて跳ね返り、地面を跳ねて転がった。

『まあ、そう来ると思っていた』

 地面に転がったバルザを踏みつけ、ラディはその赤い瞳で見下ろす。

「子供巻き込んで――なにやってんのよ!」

『この星の基準に合わせると、君も子供だ』

「事情が違うわよ!」

 蹴りが見舞われ、バルザがまた吹っ飛んでパイプ椅子にぶつかり、ソファの上にまで跳ねた。

『一応、こちらにも言い分はあるのだが』

「言い訳するつもり? あんた、会った時からあの子に目をつけてたでしょ」

 ラディツアは、目覚め腹に食べ物を入れた後、弥都とバルザから彼女が眠っていた間の事を聞かされていた。

 ただ、バルザからはテレパシーによる、より鮮明な情報を受け取ることで、まるで自分の目と耳で体感したように今までの経緯を知っていた。

『それは否定しない。だが、一人では動けない私には足が必要だったし、万が一サイコボムと接触した場合を考え、精神汚染に耐えれる現地協力者が欲しかった。だが、ESP能力が架空のものとして思われているこの星では、条件に合う才能を持つのが近くに彼ぐらいしかいなかったのだよ。この際、子供だろうと大人だろうと関係ない』

「戦いに巻き込んでるじゃない」

『あれは私も予想外だった。まさか彼らが既に動けるよう回復していたとは』

「そういうまさかがあるから、最初から巻き込むべきじゃなかったのよ」

『そうだな、次からは善処しよう。それよりも重要な事がある』

 怒りが軽く流され、ラディツアは握り拳を作ってバルザを睨みつけた。

『君の怒りはもっともだが、物事には優先事項がある』

「…………はぁ~っ」

 彼女はしばらくバルザを見下ろしていたが、盛大に息を吐くと同時に力を抜いた。

「分かってるわよ。連中の行動に違和感があるんでしょ?」

 呆れと諦めが混ざった様子で、彼女はソファの上に置かれたビニール袋を手に取る。ビニール袋の中には、バルザに言われて弥都が買ってきた食料が大量に詰め込まれている。

『そうだ。改めて考えてみると、グルガがサイコボムを盗んだ事自体不自然なものだ』

 元々グルガ率いる窃盗グループはある程度文明の発達した星域で盗みを働き、それを売り捌いて金を得ていた思想も何もない泥棒だ。

 窃盗の対応をしていたのは地元の治安組織であり、連合が出ばるものでは無い。

 だが、グルガらはどういう訳か連合の研究所からサイコボムを盗み出した。

『グルガは馬鹿ではない。危険な山は踏まない慎重な犯罪者だ。それが仲間を犠牲にしてまでサイコボムを盗んだ』

 誰にも気づかれずに爆弾を盗めた訳ではなく、仲間の何人かは研究所の警備によって殺されている。

「武器商人に売ろうにも、あんな危険の大きな物に需要があるとは考えにくい。それが分からないグルガではないだろう』

「それ、プロフィールを解析した結果? 私、見る余裕なかったよね」

『追跡命令が出てすぐに戦闘になったからな。仕方ない』

 ソファに転がったままのバルザから光線が射出され、空中にディスプレイとなる画像が浮かぶ。ディスプレイにはグルガを初めとする窃盗グループのプロフィールが表示された。

『私にはプロファイリングの機能はないが、素人から見ても今までの彼の行動には疑問するだろう』

「ふ~ん……強かな泥棒みたいね、本当は。でも、だからこそ今までの行動が不自然でならないわ」

『この数日だけでサイコボムを使い、その効果を試している。今朝に至っては人前でESP能力を使っただけでなく、精神汚染を一般人に浴びせている』

 一連の出来事をまとめたレポートが新たに宙に浮かび、それを読み進めていくうちにラディツアの顔が曇っていく。

「最悪ね。こいつ、泥棒から大量殺人犯に鞍替えでもしたの?」

『分かっている範囲でだが、地球人に死者は出ていないから大量殺人未遂犯だな。だが、そっちの方がまだマシだったかもしれない』

「どういう意味?」

『今までの行動、そしてサイコボムの特性からしておそらくグルガ達は精神汚染を受けている可能性が高い』

「はぁ? ちょっと待ちなさいよ。あいつら、仮にもESP能力者よ。サイコ爆弾からの精神汚染は能力者なら防げるし、そもそも今までの奇行が精神汚染の結果なら時期がおかしいじゃない」

 グルガが最初に奇妙な行動を見せたのは爆弾を盗んだ時だ。サイコボムによる影響でおかしくなったのなら時期が合わない。

『だが、そうとしか考えられない。この短期間で連中のESP能力が上昇していた。精神汚染による変異を受けていたとすれば、合点がいく』

 最初にあった角刈りの男に、今朝会ったグルガ、共に地球への墜落中ラディツアが戦った時よりもESP能力が間違いなく上がっている。この数日の間に何かあったと考えるのが妥当で、そのきっかけとなり得るのはサイコボムしかない。

「もしそうなら、精神に異常を来している可能性もあるわね」

『ああ。今朝の事を考えれば、早い内に捕まえておきたい』

「後手後手ねえ。目的さえ分かれば動きを予測する事も出来るんだけど」

『わかったところでこの見知らぬ土地、先回り出来るとは思えないがな』

「いちいち嫌味言わないと気が済まないの?」

『嫌味を言って相方を諫めるのが私の仕事の一つだ。そうでもしないと、ESP能力がろくに使えない娘が飛び出しかねないからな』

 今のラディツアは十全に能力が使えるとはとても言い難かった。

 グルガ達と戦闘を行い、地球へ不時着した時にも相当な無理を重ねて脳に多大な負担がかかっている。

「…………ふん」

 顔を背け、ラディは飴玉の入った袋を開けて丸い飴玉らを鷲掴みすると口の中へと放り込む。

「固いわ、これ」

 音を立てて噛み砕きながら、彼女は甘みを味わった。




 ◆


「ん…………」

 相良稲穂は浅い眠りから覚めると瞼をゆっくりと開いた。

 まず視界に入ったのは見慣れた木目を持つ自室の天井だった。

 稲穂はまだぼんやりとする思考の中、体にかけられていた薄い布をどかしながら上半身を起こす。

 部屋の中は障子窓から入り込む夕日の光によって橙色に染まっていた。

「あ……そっか」

 どうして自分が部屋の中で寝ていたのか、それを思い出す。

 今朝、稲穂は勉強をする為に図書館へ向かおうと、隣接する公園を横断した時に事故に巻き込まれた。

 公園で起きた原因不明の爆発は稲穂を含む園内にいた人間全員を巻き込んだ。幸いにも死者は出なかったが、怪我人が多く出てパニックに陥った。

 稲穂も病院に運ばれ、検査を受けながら公園での出来事を調査している警察から事情聴取を受けたが、公園にいた多くの人同様に稲穂もその時の記憶が曖昧で何も覚えていない。

 その後、検査で特に異常が見つからなかった稲穂は迎えに来た両親と共に家に帰り、すぐに眠ってしまったのだった。

「ん、しょ……」

 経緯を思い出した稲穂は立ち上がると、布団を三つ折りに畳んで部屋の隅に移動させる。

 巻き込まれただけとは言え、両親には心配をかけてしまった。今からでも母の夕食作りや父の神社の仕事も手伝おう。

 そう思い、彼女は寝間着から普段着へと着替え始める。

 その時にテーブルの上に、端が焦げて汚れた手提げ袋が置かれているのを見つける。

 公園で起きた事は本当に覚えていない。ただ、事故の起きる直前に同じ学校の生徒に会ったのは覚えている。

 御門弥都――別のクラスの子で、学校どころか近所でも有名な生徒だ。校内でも見かけたりすれ違ったりした事もあり、その生い立ちや物静かな雰囲気から学校の中でも悪い意味で浮いている。

 稲穂からの印象は無口な子という見た目だけの印象と、犯罪者の子供という怖いイメージがあった。

 彼の父親は罪を犯し、服役中だ。だから弥都もいつか犯罪を犯す恐ろしい人間だと言うのは偏見でしかないが、それでもやはり見る目が変わるというのが人であり、そんな大人達の空気を感じ追従するような形で子供が彼に嫌がらせを繰り返す。

 大人達はそれを注意し、叱りはするものの、やはり建前に隠れた本音が窺い見えてしまう。

 ――人殺しの子供。

 その言葉一つで御門弥都という少年は形作られてしまっている。

 自分の両親も微妙な反応を見せている事から、稲穂自身もあまり関わらないようにしていた。

 それが、今朝早い時間にいきなり茂みの中から彼が出てきた時はさすがに驚いてしまった。

「そういえば、御門君はどうしたんだろ?」

 運ばれた病院では彼の姿を見かけなかった。もしかしたら事故に巻き込まれずに済んだのかもしれないが、彼と僅かに話した後からの記憶が事故のせいか曖昧だ。

 稲穂がそんな事を考えながら着替えを終わらせた時、来客を知らせるインターホンが鳴った。

 返事をしながら玄関に向かっていく部屋の前を横切っていく母の足音が聞こえる。

 稲穂は脱いだ寝間着を畳んでから引き戸を開けて廊下へと顔を出すと、何か重い物が落ちるような音がした。

「……いまのなに?」

 音は玄関の方から聞こえた。

「お母さん?」

 玄関に向かって声をかけてみるが、返事は帰ってこない。ただ、外からの暖かい夏の風が流れてきているだけだ。

「お母さん?」 

 もう一度、声を出す。

「………………」

 何も返って来ない。

 母の声も、普段なら夜でも聞こえてくる蝉の声も聞こえてこない。

 不自然な程の無音。

「お、母さん?」

 縋るように母を呼び、廊下へ一歩踏み出す。木の板の上を素足で歩く音がする。

 音全てが消えていない事に妙な安堵を覚えつつも、玄関に向かう。

 廊下と玄関の境目、橙色に染める夕日には踏み出さず、濃い影の中で立ち止まって玄関口を見る。

 扉が開きっぱなしなっていて、夕日の光が入り込んでいた。そして扉の前にはサンダルが一足、転がっている。

 ただそれだけの事なのに言いようもない不安と恐怖が沸々と沸いてくる。

 着替えたばかりだというのに、肌に汗が浮かんで気持ち悪い。

「ん、く……」

 喉が乾燥しているのか、口の中が粘つく。唾を飲み込もうにも上手くできない。

 とにかく、扉を閉めよう。母が玄関に出たような気がしたが、気のせいだろう。例え出たとしても、そのまま外に出たに違いない。

 いつも履いてるサンダルではなく、外出用の普通の靴を履いていったに違いない。ああ、ついでに転がっているサンダルも元に戻しておかないと。

 夕焼け色に染まる床に足を踏みだそうとして、体が凍る。

 ――後ろに、何か、いる。

 気配がする。小さな息遣いが聞こえる。夏の粘りつく空気よりも温かい熱を感じる。何かカビた臭いがする。

 視覚以外の五感が背後にナニかがいる事を明瞭に感じ取っていた。

「――――」

 無音だった世界に、囁きとも区別のつかない音が聞こえる。

「■■■■」

 鋭いながら粘りつくような音が鳴り続ける。

「■■■■」

「―――ぃ、あ」

 耳を塞ぎたい。声を出して誰かを呼びたい。

 あまりに不快感を催す音で、凄まじい吐き気が起きるが怖くてそれさえも出来ない。

「き、ヒ、ィ――」

 奇怪な不協和音に、稲穂の精神が耐えられなくなってくる。

 思考が定まらずに脳がかき乱され、自分の意志というのが浸食される。

「ァ、ガ、■■い、ヤ、ひッ■■■」

 本能でそれを理解しながらも何もできず、ただただ恐怖する事が唯一稲穂に許されたものだった。

「ア」

 最後の一線が崩れ去る直前に音が止み、同時に稲穂の意識も途切れる。

 床に膝をつき、次に体ごと夕焼けに染まる板の上へと前に倒れた。

 黒と朱の二色に染まる家の中、倒れた稲穂の後ろには右腕の肘から先を失った男が立っていた。

 男の顔の半分が蛇の鱗に覆われており、頬の裂けた口から伸びる長い舌には音叉のような物が巻き付いていた。




 ◆


「……もう動いてきたわね」

 サイコボムの波動を感じ取り、ラディツアは最後の飴玉をかみ砕きながら立ち上がる。

 ポーチを掴んで腰に巻き付け、銃の調子を軽く確かめる。

『ここまで聞こえたという事は近いのか?』

「ええ、ここから北よ」

『山の方だな』

 銃をズボンの隙間にねじ込み、ベルトを巻いて背負えるようにしたバルザを担ぐ。

『相手はESP能力が上昇しているし、墜落の時に負わせた怪我も治っている。それでも行くのか?』

「当たり前でしょう。この星で他に誰がやれるって言うの? ちなみに、あの子を呼んだら今度こそ壊すからね」

 準備が完了し、ラディツアは工場を出る。そこから見える水平線の向こうに夕日が沈みつつあり、海を朱の色に染めていた。

『呼ばないさ』

 その必要がない、という言葉を彼女に背で揺られているバルザは敢えて飲み込んだ。


 日が暮れかける時刻に一軒家の自宅に戻った弥都はいつも通りに夕食の準備をしようとする。

 夕焼けの光が窓から差し込んで部屋を朱の色に染める中、帰りにスーパーや薬局で買った品物をまずは居間のテーブルに広げた。

 夕飯の食材の他、軟膏や湿布がある。その中から長方形のシートを掴み、前髪を掻き揚げて額に張った。

 工場を出たあたりからだろうか。買い物している途中に色々な声が聞こえてきた。

 塀の向こうの住宅に住む一家、歩道を歩く通行人、横を通り過ぎていく車の運転手、スーパーでの買い物客達の声などがだ。

 それは口から発せられる通常の声では無く、いわゆる心の声というもので脳に直接響いてくるものだった。

 テレパシーというものだろう。ESP能力は脳を酷く酷使するものらしく、時間が経つにつれて額に熱が宿り始めた。

 頭に聞こえてくる声は感覚的に遮断する事ができるようになったのがつい今しがた。額には知恵熱に近い熱が残っており、何時間も延々と計算問題を解き続けたような状態だった。

 冷却剤の入ったシートのひんやりとした感触を味わう事もなく、弥都は夕食を作り始めようと食材を持って台所に向かう。

 小さな脚立を踏み台にシンクの前に立ち、まずは手を洗う。ミミズ腫れした火傷と共に、右手の噛み傷が視界に入る。

 ラディツアが眠っている時に餌を与えようとして負った傷だ。

 その事について知った彼女は工場で必死に謝ってきた。弥都も離させる為に傷口を殴ったので気にしないよう言ったのだが、本当に申し訳なさそうに謝ってきた彼女の姿を思い出し、弥都は真っ直ぐな人間なのだなという印象を抱いた。

 水道の蛇口を閉め、調理を開始しようと食材に手を伸ばす。

 その時、小さな耳鳴りがした。

「………………」

 危うく聞き逃してしまいそうな小さなものだったが、それは間違いなくサイコボムによる精神汚染の波動だった。


 日が沈みきり、夜の帳が落ちた時刻。参道である石階段を獣のような速さで上るラディツアの姿があった。

 長い長い階段を一気に五段飛ばしで軽やかに、風に長髪を揺らしてあっという間に頂上付近にまで駆け上る。

 決して大きな山ではないが、数分もかけずに山を上りかねないその速さは人が行える動きではない。

 彼女は一度警戒するように足を止め、頂上を見上げる。

「なにあれ?」

 ラディツアの視線の先には参道の終着点があり、その左右には太い柱が二本伸びている。柱の上にはこれまた二本の柱が横に伸びて二つを繋げていた。

「ワープゲート?」

 朱一色の門を見上げてラディツアは宇宙飛行にかかせないワープゲートを思い浮かべた。

『この星にはワープ技術はない。これは鳥居と呼ばれるものだ』

「詳しいわね」

『君が寝ている間に地球の文明について大まかに調べた。この地球、神が八百万いるらしい』

「えっ、なにそれキモい」

『失礼だな君は。原住民に失礼だろう』

「いや、だって、普通に考えてキモいでしょそれ」

 返答しながらラディツアは鳥居の下をくぐる。途端に音が聞こえてきた。

「……器用な事するわね」

『催眠の応用だな。そんな技術を奴らが持っていたとは』

 精神を崩壊させようとする音を涼しい顔で聞き流し、ラディツアは周囲を見渡す。

 鳥居から先は木々に囲まれた平地となっており、隙間無く埋められた石畳の先を辿ると木造の建物がある。

 だが人の気配は一切なく、灯りさえもついていなかった。

「これは……」

『誘い出されたな』

 直後、森の中から大きな影が飛び出し、ラディツアに飛びかかってくる。

 月の僅かな光を反射して煌めいた四つの爪が右袈裟から振り下ろされた。

 ラディツアは横へ跳び退く事で爪をかわす。すぐさま左下から別の腕が振り上げられるが、高く跳躍して逃れた。

 建物と鳥居を繋ぐ石畳の中央に着地し、振り返って襲撃者の正体を確かめた。

「でっかい猫ね」

『猫ではなく狐と呼ばれる生物だな。あの大きさからして精神汚染で変異させられているのだろう』

 ラディツアを襲ったのは人間大の大きさを持つ狐らしき生物だった。銀色の体毛に太い手足、細面の顔には赤い瞳が爛々と輝いている。

 銀狐がラディを睨みつけながら唾液を滝のように溢す顎を開き、鳴く。

「ケ、■■ォーーーッン!」

 間延びしながらも大音量の声は空気だけでなく、他者の精神も揺らす声であった。

『間違いないな。サイコボムによって精神汚染を受けて変異した生き物だ』

「汚染生物って言っても、さすがに何の罪もない動物を撃つのは気が引けるわね」

 言っておきながら、ラディツアはズボンから銃を取り出して引き金を躊躇なく引く。

 銃口からは閃光が瞬き、一筋の光が発射された。

 光条は銀狐の肩を貫いたかと思いきや、中から膨れ上がったように光の筋よりも大きな傷がそこに生じ、銀狼の右腕が宙を飛んで地面に転がる。

 悲鳴を上げる銀狐だが、獣の本能か斜め前方に後ろ足だけで飛び跳ねて続く第二射をかわした。

 そのまま右、左と左右交互にジクザクに動きまわり、口の端から唾液をこぼしながらラディツアへと突進してくる。

 後ろへ下がりつつ銃を銀狐に向け、連射しながらラディツアは空いた左手を背中の後ろに左肩から回してバルザの取っ手を掴む。

 狐が突進しながら左腕の爪を振り下ろしてくる。

 それを背中から取り出したバルザの表面装甲で受け止める。金属の擦れるような音が響き、火花がバルザのボディに奔った。

 バルザは本来サポートAIだがアタッシェケース型のボディは戦闘を前提に作られている為に強度が高い。

 爪をバルザで受け流しながらラディツアは素早く銀狐の懐に入り込んで銃口を腹に押しつける。

 引き金を引かれる直前、銀狐は身を回転させるようにして体を捻った。光の線は銀狐の腹部を僅かに掠める。だが、起きた結果は掠めた傷口が噛みちぎれたようなものへと拡大し、狐の大柄な体を吹っ飛ばした。

 一度石畳の上に転がるが、銀狐はすぐさま受け身を取って残っている三本の足で土煙を上げて体勢を整えた。

「…………」

 石畳を境目にして互いに睨み合う位置となり、狐は肩と腹に穴を空けられながらも威嚇で喉を震わせてラディから視線を外さない。

 当の彼女は銃口を向けたまま警戒しつつ、猜疑的な視線を銀狐に向けていた。

「まさか、これは……」

 敵意が向きだしの赤い瞳を見、もしやという思いが過ぎる。

 狐という動物が本来どんな造形をしているのかラディツアは知らない。しかし、目の前にいる大型の狐の筋肉の盛り上がりや骨格、細かい挙動を見ているうちにあることに気が付いた。

『後ろだ!』

「ッ!?」

 目の前の銀狐に気を取られ、後ろの警戒が疎かになっていた。

 バルザの声に後ろを振り向きながら反射的にバリアを張る。直後、バリア表面に八つの刃が進路を阻まれて放電が生じる。

「くっ……もう一人いたの?」

 ラディの背後にある森の中から飛び出したのは、先ほどまで戦っていた銀狐と瓜二つの容姿を持ってはいるが別の個体だ。

 健在の両手から伸びるそれぞれ四つの爪がバリアを貫かんと、爪が赤熱し付け根や皮膚から出血しながらも迫る。

 更には石畳の向こうにいた雄の銀狐が頭頂部をラディツアに向け、地面に踏ん張るようにして身を低くする。

「グ、ォ■■ォォーー■ーーッ!!」

 銀狐の頭部の皮膚が二カ所不意に盛り上がり、裂け目が入った瞬間に中から破裂する。

 血と体毛をまき散らしながら現れたのは角だ。

 まるで樹木の枝が無理矢理に成長するかのように、二本の角は音を立てて伸び、枝分かれし、分かれた角の先端同士が牙を鳴らすように互いにぶつかり合って研磨する。

 出来上がったのは鹿の角、それも剣山かと見間違う程に鋭利な角だ。

「やばッ!」

 ラディツアが反対側に新たなバリアを張るのと角の生えた銀狐が突進したのはほぼ同時、瞬きする間もなくバリアがいくつもの刃に激突された。

 雷鳴が轟き、業火が巻きあがる。

「くっ、う……」

 片方からは押さえつけられるようにして八つの禍々しい爪が、もう片方からは鋭く幾多にも伸びる角に挟まれて多大な重圧がラディツアに圧し掛かる。

 彼女の腹部に巻かれた包帯からは血が滲みはじめ、大きな赤黒いシミを作り始める。

『ラディ!』

「わか、ってるわよ!」

 ラディツアが怒鳴ると同時、彼女の体が輝きのない光という矛盾した銀光に包まれる。

 バリアが消え、雌雄の銀狐がそれぞれ上と下、ラディツアがいた場所を入れ替わるように通過する。

 何の手応えも無く、二種の凶器は空を切った。

 突如いなくなった獲物に二匹の獣は戸惑う様子もなく、首を巡らせて参道の石畳に顔を向ける。いつの間にかラディツアが地面の上に転がっていた。

「ハァ、ハァ……ぐ、うぅ」

 息を荒くして腹を押さえる。包帯に血の染みが六割近くまで広がっていた。

『撤退しろ。その様子では無理だ』

「だ、だからってねえ……このまま放っておけるわけないじゃないの」

 傷口が開き、ESP能力の多用によって脳への負荷が大きくなっている。しかし、サイコボムの性質からいって時間をかけるのは避けたかった。

「■■■ーーッ!」

 二匹の銀狐が雄叫びを上げてラディツアに飛びかかってくる。

 ラディツアは石畳の隙間に足のつま先を引っかけて、自分の体を押し出すようにして蹴る。

 念動力による身体操作によって、敷地の奥、木造の建物の方角へと氷の上かのような勢いで滑る。

 角と爪をかわし、滑りながら銃を構える。

「……ちっ」

 照準を下にずらし、二匹の足に合わせて引き金を引く。

 一筋の光が狐の足を貫くかと思われたが、二匹の狐は後ろ足で跳躍、光線を避けると同時に真上から襲いかかって来た。

 まず、雌の銀狐が掴みかかるようにして両腕を伸ばしてくる。頬を裂いて大きく開かれた顎には鋸の刃のような牙が並んでいる。

 しくじったという思いを抱きながらラディツアは肘で地面を叩き、体を跳ね起こして爪と牙を避け、同時に距離を離す。しかし、後から着地した雄の銀狐があらかじめ行動を予測していたかのように間を置かずに跳んだ。

 角の先端で串刺しにするための、身を低くしてでの突進だ。

 ラディツアはバリアを張る為に意識を集中させる。

「――ぐっ」

 だが、頭に急激な痛みが襲い、意識が途切れかけた。その間にも迫る角が迫ってくる。

 意識をなんとか止めて身を縮め、頭と胴を庇うようにしてバルザを盾として構えた。

「あああぁっ!」

 凄まじい勢いで衝突されて、少女の体が吹っ飛んだ。激突の瞬間にカバー仕切れなかった左足に痛みがはしる。

 銀狐が突くと同時に掬い上げるようにして、身を低くしていた姿勢から左腕で上半身を持ち上げると同時に首を上げる。

 瞬時にそれらを行った結果、ラディツアの体はボールのように跳ね飛ばされた。

 あまりの衝撃にバルザを取り落とし、周囲に生えている木と同じ高さほど飛ばされ、狐達のいる場所から少し離れた地点へ落下する。

 地面に衝突する直前に念動力によってラディツアは体を回転させて足を下に向けてなんとか着地した。

「つぅ!?」

 着地した瞬間、左足に痛みがはしり、思わず膝をつく。

 痛みのする左足を見ると、骨まで見えるほど深く腱が切られていた。

「くそっ、なんてザマ……」

『だからとっとと退却しろと言ったのだ』

 歯噛みするラディツアの言葉に地面に転がったバルザの声が頭に直接届いてくる。

「うっさいわね」

『今からでも遅くはない。逃げろ』

「そう言われても、逃がしてくれるかしら」

 相手がもう満足に動けない事を察知してか、二匹の銀狐がゆっくりと近づいて来ていた。心なしか、先程よりも筋肉が増大して体格が大きくなっているように見える。

 二匹の獣が唸りを上げ、同時に駆け出す。

 だが、駆け出した直後に銀狐は背に突然の衝撃を受けて踏鞴を踏んだ。

 足下に、衝撃を与えたと思われる石が砕けた状態で落ちて転がる。

「■ゥッ!」

 怒りを表すように一鳴きし、獣は後ろを振り返った。

 赤い瞳から発せられる鋭い敵意の視線の先、鳥居の下に参道とそこから見える町の夜景を背に少年が一人立っていた。

 少年は獅子よりも大きな化け物に臆する様子も見せず、真っ直ぐに獣達を見据える。

「ケケ■■コ■コォーーーッン!!」

 少年の揺らぎない視線を返されて銀毛の狐は威嚇するように、抵抗の意を見せつけ己を鼓舞するようにして吼える。

『来たか』

 銀狐らの手前、地面に転がっていたバルザが呟くと同時に少年が獣よりも先んじて動いた。

 右足を強く前に踏み出しながら右手に持った石を投じ、更に左足を続いて踏み出して左手に持った別の石を投げる。

 連続して投げられた小石は矢のような速度で二匹の銀狐へとそれぞれ真っ直ぐに飛ぶ。

 飛来してきたそれを狐は左右に別れて避ける。目標を失った石は建物の木戸にぶつかり、砕く。

 木の戸が割れる音を後ろに、銀狐は少年に向け突進する。

『ヤトッ!』

「…………」

 バルザは言葉と同時にテレパシー機能によって指示を飛ばす。

 念話を受けた少年は何かを掴むように右手を前に突きだして自ら銀狐に向かって走り出す。

 地面に転がったバルザが僅かに揺れ、次の瞬間に跳ねた。爆発でもしたかのような勢いで、バルザは銀狐達を追い越し、少年の手に向かって飛来する。その途中でバルザのボディがケースから杖のような棒へと変形した。

 少年がバルザの柄を右手で掴み、左手で支えてから足を止める。走った勢いから地面を滑るが、滑りながらもバルザを振り被る。バルザの先端から、両刃の長く幅広な光の刃が伸びた。

 少年が槍となったバルザを振るよりも速く、二匹の狐がそれぞれ正面から角や爪で襲いかかってくる。

 だが、地面を滑る少年の足下から舞い上がっていた砂埃が突然、風も無いと言うのに銀狐に向かって吹いた。

 二匹の獣は目に異物が入った事で怯む。その一瞬の隙に、少年は大剣とも言える振り被った槍を横一閃に振った。

 光の刃の軌跡が銀狐を通過して弧を描いた。

 雌が爪ごと腕と胸上が切断され、角を立てて突進してきた雄は鹿の角と共に頭頂部から尾の根本まで体を絶ち切られた。

 光の軌跡が消え、二匹の獣は血を噴出させながら少年を素通りして石畳を赤に染めながら転がる。

 左右を通り過ぎた獣の血を浴びた少年は、体についた赤い汚れを一度見るが、すぐに正面に視線を戻して何事も無かったかのように光の刃を消した。


 左足を怪我し、動けなかったラディツアは返り血を浴びた少年、御門弥都を見つめていた。いや、正確には彼が手にしているバルザを睨みつけていた。

「バルザ。あんた、はじめから……」

『私は嘘をついていない。連絡を取っていないし、彼が来たのは異常を察知したからだろう。それに、ヤトが来たおかげで君は命拾いしたんだぞ』

「だからってね……」

 何かを悔やむように額に手を置き、ラディツアは俯く。

 目を開けた視線の先には血の池を作る銀狐の死体がある。

「来てはいけなかったでしょうか?」

 二人の会話の意味が分からず、弥都が首を傾げる。

『いや、よく来てくれた。おかげで助かった』

「いえ……ところで、爆弾の方はどうなってるんですか? あの二匹は見たところ持ってないみたいですけど」

 サイコボムによる精神汚染の波動は未だにどこからか発せられている。二匹の銀狐には首長犬のようにサイコボムが刺さっているようには見えない。

 だとすると、神社の敷地内のどこかにある筈だ。

『他の動物に刺さっているか、窃盗グループの誰かが持って隠れているか。残り二つしかないので、どこかに置かれているという可能性は低いだろう』

 バルザがサイコボムの在処を推測する中、弥都はラディの前に歩いて手を伸ばす。

「大丈夫ですか?」

「……ええ、なんとか。また助けられたわね」

「怪我人を放置しておけませんから」

 弥都に支えてもらいながらラディツアは立ち上がる。その時に松葉杖代わりにバルザを返された。

「…………」

『へし折ろうとしないでくれ。サイコボムの探査に集中できない』

 サイコボムの音色は敷地内の木々や建造物に反響でもしているのか、正確な場所が掴めない。

「ここだ」

 バルザが精神汚染の発生源を探っている時、どこからか男の声がした。

『グルガか』

「………………」

 弥都がラディツアの後ろ、神社の境内に向けて腕を伸ばしてすぐに横に振り払う。その途端、投石によって壊れた木戸ごと閉じられていた建物の扉が横に吹っ飛び、室内の様子を露わにした。

 そこには、あのグルガが左手にサイコ爆弾である音叉を持って堂々とした面持ちで立っていた。

 後ろには窃盗グループの仲間と思われる数人の男らがいるのが見え、その中には弥都によって腕を切り落とされた角刈りの男もいた。

『グルガ、その顔は……』

 グルガの右手がないのはともかくとして、彼の左顔には鱗が生えて仮面のようになっていた。

 よく見れば、首や袖から見える手の皮膚にも同様の鱗のような物が生えている。

『貴様達、やはりサイコボムの影響を受けていたな』

 彼の背後にいる者達も、形態に差異はあるものの精神汚染の影響と思われる変異が見られた。

「変異、というよりも還ったと言った方が正しいかもな」

 左手に持つ音叉を掲げて、グルガは不敵な笑みを浮かべる。

 弥都はグルガを見据えたまま、すぐに動けるよう身構える

「待てよ、少年」

「………………」

「その前に、だ。これを見てもらおうか」

 グルガは道を譲るようにして数歩横に下がる。

 境内中央、大柄な彼の体で隠れていた者の姿があった。

 そこには眠っているのか、床の上に俯せとなった一人の少女の姿がある。年の頃は弥都と同じで、長い黒髪を持っている。

 だが、最も目に付くのは少女の首元に突き刺さったまま微かに振動する音叉だ。

 三つ目のサイコボム最後の一つだ。

 そして、彼女の右半身が精神汚染の影響で変異を起こしており、人からかけ離れた容姿をしていた。

 白いワンピースのスカートからは毛が豊かで長い動物の尾が覗いており、右肩から先が動物の体毛に覆われて筋肉も肥大化している。俯せになっている為に顔までははっきりと分からないが、右顔が変異しているらしく銀の体毛がびっしりと生えており、動物の右耳が生えていた。

「…………狐?」

 少女から生える尾と耳、そして銀の体毛を見て弥都は後ろへゆっくりと振りかえった。

 境内から鳥居の間に転がる二つの死体。地面を血で赤に塗りつぶすそれらも狐の外見に銀の体毛を持っている。

「………………」

 ――あの子は何故ここにいる?

 グルガ達が浚ってここまで連れてきたのか。いや、寧ろここに住んでいて、グルガ達の襲撃を受けたのだ。

 だとすると、少女の家族はどこへ行ったのか。殺されてしまったのだろうか。それとも、少女が変異しているように、家族もまた変異してどこかにいるのだろうか?

「その両方だよ」

 グルガが言うと同時、左手に持った音叉で少女の首に刺さった震え続ける音叉を弾き、より一層の大きな波動を放させる。

「ん、ぅ……」

 それがきっかけとなったのか、俯せになっていた少女が身じろいだ。グルガは少女の髪を掴み、無理矢理顔を上げさせようとする。

「グルガァッ!」

 片足だけで立ちながら、ラディツアが銃を構えて一筋の光を放つ。

 真っ直ぐにグルガへと向かう光の線はしかし、体ごと割って入ったグルガの仲間によって遮られる。

 次の瞬間、庇った敵の体に円形の穴が、内側から無理矢理空け広げたような穴が開いて弾けた。

「なっ!? ――きゃっ!」

 身を呈してグルガを守った行動にラディツアが驚いている隙を狙い、他の窃盗グループの仲間達が掌から光弾を放つ。

 とっさにバリアで防ぐが、僅かに遅く、銃が破壊されてラディツアは衝撃で後ろに吹き飛ばされた。

「銃からの光線はあくまで座標指定のポインター。本命は空間に隙間を作り押し広げる特異能力、か。使いようによっては恐ろしい力だな」

 仲間と共に、少女ごと屋根にテレポートしたグルガがラディツア達を見下ろす。

「さすがにその歳で情報部に籍を置いているだけはある。その力のおかげで何人もの同胞が死んだことか」

「その同胞を、盾にした奴がなに言ってんの、よ……」

 ラディツアは何とか起きあがろうとするが、衝撃で体に残る痺れで上手くいかない。

 腹の傷は完全に開き、左足の腱も切られた。ESP能力も半減しているようなもので、ろくに戦えない状態で為す術がない。

 それを知ってか、グルガは不敵な笑みを浮かべて少女を持ち上げる。獣と化した右半身が屋根に引きずられ、少女は苦悶の表情を見せながら目を開けた。

「あれを見てみろ」

 仲間の一人が少女の顎を持ち上げて、神社の様子がよく見えるように顔を上げさせた。

「う、うぅ…………え?」

 少女の目が、赤と黒の瞳が石畳の上に転がる二つの死体を見つけて見開かれる。

「シッ――ハハッ、そうか、解るか。姿が変わっていても父と母だと解るとは、親孝行な少女だ」

「あっ、あ……あぁ」

 笑うグルガの横、少女は口を震わし、目に涙が溢れ出す。

 首に刺さったサイコボムが微かにその振動を高める。

「ああ、悲しいな。なんて悲しい。可哀想に、君の両親は殺されてしまった」

「殺され、て?」

「そうだ。見るといい、あの少年を」

 言われるまま、少女の目が弥都の姿を捉える。

「くっ、止めな――ッ!?」

 ラディツアが言葉を投げかけようとするが、光弾が降り注いだことで遮られる。

 その間にもグルガは少女に囁く。

「君と変わらぬ齢の少年だが、騙されてはいけない。見ろ、あの血塗られた姿を。君の両親の血を浴びたあの悪魔を見ろ。彼こそ、君の父を、母を殺した奴だ」

「あっ、あ、ああっ、あぁあああぁぁアアアアァァアアア■■■■ーーーーッ!!」

 瞳孔が開き、赤い瞳の右目から血の涙が溢れる。首の音叉が少女の声に合わせて狂ったかのように音を鳴らす。

「ァギィイル! コォ、ィィィォオオオォォオオアアアア!!」

 身が竦む少女の慟哭と音叉の音が混じり、不協和音ながら楽器の音色のような不可解な声を紡ぎ出す。

 だがそれは精神を侵す魔の音色に他ならず、常人がいれば間違いなくその場で発狂させるだけに留まらず、暴風として物理的な圧力を持っていた。

「な、なんて声なの!」

 高い抵抗力を持っているラディツアも頭に入り込もうとする声に頭を抱える。

「アアアアァァオオォォル! ル■■■ゥゥアア■アアァァ!!」

 少女の変異が右半身から全身へと広がり、銀色の大狐へと姿を変えさせる。

 獣の赤い両眼が眼下の少年、弥都を殺意の籠もった視線で射抜く。

『ヤト、逃げろ!』

 バルザが最大音量で叫ぶ。だが、弥都は吹き荒れる風の中、精神汚染の波を受けながらも後ろの二つの死骸を見つめたまま動かない。

『ヤト!』

 何度もバルザが呼びかけるが、応えない。

「――ルゥオオオォォオオォン!!」

 銀狐の大きく開かれた口から一際大きな声が発せられる。

 見えない力が空気を破裂させ、弥都にブチ当たる。

 背中に裂傷が生じ、鮮血を振りまきながら彼の小さな体は吹っ飛んで、神社の名が書かれた鳥居の中央に激突する。

 鳥居から落ちる事なく、磔にされたように吹き荒れる暴風による風圧で押さえつけられたまま、弥都に見えない攻撃が襲い続ける。

「シッ、ハハハハッ! いいぞ、もっと怒り狂え! 復讐しろ!」

 少女から手を離し、数歩下がっていたグルガの笑い声が音に混じって聞こえた。

 彼の声もまた、銀狐と比べればひどく劣るが、精神汚染の波動を放っていた。グルガの持つサイコボムも、共鳴するように震えている。

『今まで目的が分からなかったが、その変異した姿を見てようやく合点がいった。貴様、混ざり者か』

「こんな時でも冷静だな、AI」

『こんな身だから口先だけしか動かせないのだよ』

「フン……貴様の言う通り、私には蛇人間の血が流れている」

「ということは、貴様の目的は……。だとしても、なぜ原住民の少女を依り代に選んだ」

「誰でも良かった。脳の構造上、女であるならば誰でもな。最初はそこの連合の女を使おうと思ったが、今朝当たりを引いた」

『そんな理由でか』

「そんな理由で、だ。何もできないAIはそこで見ているといい。囀る事しかできないだろう」

『そうだな。だが、おかげで貴様の注意を逸らすことが出来た』

「なに?」

 グルガが気づくよりも早く、それは行われた。

 暴風に煽られながらも、木の幹に寄りかかって支えを得たラディツア。彼女の腕は真っ直ぐに伸ばされ、掌がグルガに向けられている。

「祓え!」

 掌からグルガまでの直線上の空間が一瞬だけ銀の光に包まれた。光が消えると、暴風も精神汚染の声もない、まるで穴でも開いたような直線の空間だけが残る。

「はあぁっ!」

 そして、ラディの両の掌から光の渦が放たれた。

 渦は風や音の影響を受けていない障害の無い空間を突き進み、真っ直ぐにグルガを襲う。

 グルガはバリアを張るがそのバリアさえも、光の渦に道を譲るかのように展開した途端に穴が開く。

「チィ――ガアァ!」

 何者にも邪魔されずに突き進んだ光の渦が、グルガの左半身を抉る。その拍子にちぎれた左手からサイコボムが落ちるが、咄嗟にグルガは身を屈め口で噛み掴んだ。

「ぐぅ、げほ、げぼっ……やってくれたなァ!」

 普通ならばそのまま即死しているほどの重傷だが、血反吐を吐き、傷口から血を噴出しながらもグルガは二本の足でしっかりと立ち、ラディツアを見下ろす。

「消えろォ!」

 グルガの眼前に光の球が現れ、強力なエネルギーが放出されようとする。

 ラディツアは先の一撃で全力を振り絞ったのか、木の幹に寄りかかったまま肩で息をし、防御も回避も行えるようには見えなかった。

 だが、その直前にグルガの真上に影が差した。

 それは地球の象形文字が書かれた看板だった。表と裏に掲げられた神社の看板が二つ、グルガと銀狐の眼前に飛来していたのだ。

「グゥ!?」

「■■■■!?」

 高速で回転して暴風を切り裂いた看板はそれぞれ正確に頭部へと命中、銅張りだった看板が折れ曲がって風に流されていく。

「ツッ、手癖の悪い少年だな!」

 鳥居の上、二本の横棒の間で磔になっていた弥都が腕を振り下ろした体勢でいた。

 意識があるのかないのか、片腕で引っかかるようにして体を支えている。

「■■■■ァッ!!」

 グルガ同様に看板をぶつけられた狐が怒りの声を上げ、弥都に対する圧力を強めた。

 鳥居の柱の根本が音を立て始め、徐々に傾き始める。弥都は鳥居に押しつけられながら、抵抗している様子は無い。

 そのまま鳥居ごと参道へ落ちるのではないかと思われた時、夜の星空を背景に何かが神社へと向かって来ているのが見えた。

 それは大型の輸送ヘリだった。

 計二機のヘリは無音で飛んでおり、明らかに神社へ向かって来ている。

「地球の乗り物か。次から次へと」

 苦々しく舌打ちし、くわえていた音叉の先を狐の首に刺さったままの別の音叉に当てる。

 途端に魔音と暴風が止み、銀狐の瞼がゆっくりと閉じて眠りに落ちた。

 先程までの荒れ様が嘘のように境内が静まり返る。押さえつけるものが無くなったことで、弥都の体が鳥居から剥がれて地面に落下する。木の幹に寄りかかって起き上がろうとしたラディツアが手を伸ばし、念動力によって離れた彼を地面すれすれで受け止めてから地面へとゆっくりと下ろす。

「目的は達した。行くぞ」

「あっ、待ちな――うっ……」

 テレポートで消えようとするグルガ達をラディツアが逃がさまいとESP能力を使用しようとするが、突如頭に激痛がはしり膝をつく。

 その間にもグルガ達の姿がテレポートによって消える。

『使い過ぎだ』

「うる、ッさいわね、つぅ!」

 静まり返った境内には、地面に転がったバルザと頭を押さえるラディツア、背中から血を流す弥都、そして獣のまま死んだ夫妻の遺体が残った。

 惨散たる光景だった。

 弥都は意識を失っているらしく、何の反応も示さない。早いうちに傷を治療しなければ彼もまたその光景の一部になってしまうだろう。だが、

「………………」

 地球の武器、実弾装填の突撃銃の銃口がいつのまにかラディツアに向けられていた。

 ヘリとは別に山を登って森から入ってきたらしく、濃い緑の服を着た人間が数人、警戒したように銃を構えている。

 闇にも森にも溶け込める深緑のスーツに顔を隠す黒いマスク、ヘッドホンや暗視スコープの付いたヘルメット、緑の防弾チョッキを身につけて銃倉などが入っていると思われるベルトを体に巻き付けている。

 地球の装備についての知識の無いラディツアでも分かる、重装備の軍人達だ。

 空からは二機のヘリがとうとう到着し、強烈なライトを境内に向ける。

 滞空するヘリからはロープの端が落ち、同じような装備をした者達が次々と降りて散解していく。

「………………」

 ラディツアは抵抗もせずに黙ってその様子を見守る。ESP能力に限界が近い事もあったが、経験上こういう場合は無闇に逆らわない方がいいと知っていた。

 唯一の心配は弥都の容態だが、全身緑の者が彼の脈を確認すると応急手当を始めたのを見て安心する。

『ラディ』

(わかってる)

 能力に限界が来ていても、頭痛を我慢すればテレパシー程度なら使える。それでバルザとの相互確認をすると、ヘリのロープを伝って一人の男が降りて来た。

「おっとっと……」

 この状況において場違いだと思われるスーツ姿の男だ。

 灰色のスーツを着た男は服装と対照的に鮮やかに着地すると、ロープに結んだ安全ベルトを外してラディツアへと振り向く。

 懐から情報端末らしい、掌にのる程の長方形をした機械を取り出し、画面とラディツアの顔を交互に見た。

「銃を下ろしてくれ。彼女はお客さんだ」

 男がそう言うと、向けられていたいくつもの銃口が下ろされる。

「誰か、彼女の傷を」

 どうやら、この場で指揮系統を持っているのはスーツ姿の男らしい。彼の言葉で、剣呑な雰囲気を持っていた者達が動く。

「失礼します」

 銃口を向けていた一人がそう断ってから、傷を看始める。

 ラディツアは息を一つ吐いて力を抜くと、改めてスーツの男を見る。

 彼は途中で地面に落ちていた杖型のままのバルザを拾い上げて、土埃を払ってからラディツアに近づいた。

「よかった。言葉は通じているようだね」

「……あなたは?」

「はじめまして、ラディツアさん。私は鳳秋人と申します。日本政府での……まあ、カディス連合との交渉役を任されています。そして――」

 秋人と名乗った男は挨拶すると、一度視線を逸らして弥都の方を振り向いた。

 少年は応急手当を行った隊員に抱えられた状態で、専用のベルトでヘリから垂れるロープと固定される。

 隊員と共に引き上げられていくその様子を見て、僅かに顔に陰りを見せた秋人はラディツアに向き直ると、続きを口にした。

「彼の、御門弥都の保護者です」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ