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慟哭の歌  作者: 紫貴
3/8

3


『何なんだこの星は。いや、この土地固有の環境か』

 廃工場内部、椅子の上に置かれたバルザは独り言を呟いた。

 真夏の季節、外からは蝉のけたたましい鳴き声が四方八方から聞こえ、日陰だというのに蒸し暑く、重い空気が工場内を満たしている。

『この暑さは一体何なのだ?』

 暑さにとうとう耐えきれなくなったバルザはわざわざ地球のネットワークに軽く侵入し、日本の一年を通しての気候データを手に入れてまで愚痴を溢し始める。

『そうか、湿度が原因か。というか、ちっぽけな島国の癖に四季があるとは一体どういう奇跡なのだ』

 とうとう訳の分からない文句まで言い始める。

 彼は夜から朝まで、エネルギーの節約と回路の熱放射の為にエコ状態だったのだが、大して冷却されていない事に怒りを覚えているのだ。

『これほど暑い中、よく寝ていられるものだ』

 視覚機能を操作してソファの上を見ると、汗だくの状態で魘されながらも眠り続けている少女がいる。

『さすがにこのまま放置するわけにもいかんな』

 言って、今度はソファから少し離れた場所、工場の支柱と壁によって支えられているハンモックを見る。

 そこには十歳くらいの子供が、弥都が眠っていた。ラディツア同様に汗をかいてはいるが、慣れているのか魘されていない。

 昨夜、商店街から逃げた弥都は工場に着いてバルザを元いた椅子の上に戻して帰ろうとはした。

 だが、さすがに疲れ果てて、ガラス片による掌の切り傷や全身の擦り傷の治療をろくにせぬまま眠ってしまった。

『こんな暑い中でも、サイコボムの探索をしなければならないとは』

 バルザがレーダー機能を使用して自ら回路に負担を掛けていると、ハンモックの上から弥都が起き出した。

『おはよう』

「………………おはようございます」

 のそりと、上半身だけを起こした弥都の目はどこも見ていない、呆っとしたものだった。それでも返事をはっきりと行い、鋭い動作でハンモックから飛び降りる。

「………………暑い」

 そう呟き、眠そうな目とは裏腹に足早で工場の隅に移動する。そこには水道が備え付けられていた。

 バルブを回すと、付けられていた緑のホースの先から水が飛び出す。

 弥都はホースを掴んで服を着たまま水を頭から被り始めた。

『水道からの水を浴びるなど、衛生上良くない』

「大丈夫です。何度も使ってますし――つッ」

 掌の傷や全身の擦り傷に水が染み込んで痛みがはしる。弥都は上着を脱いて眉をしかめながら傷口を洗い始めた。

 ほんの僅かに朱の色を混ぜた水が地面に落ちると、積もった埃も洗い流して入り口の向かって流れていく。

『……この星の水は安全のようだな。ヤト、よければ彼女も洗ってくれないか?』

 その様子を眺めていたバルザが思いついたように言った。

「洗う?」

『私には嗅覚が無いので分からないが、この暑さにこの汗だ。年頃の女子に対して言うのもなんだが、相当汚いのではないか?』

「………………」

 少し考えるように視線を上に向けたあと、弥都が眠っているラディツアに鼻を近づけて臭いを嗅ぐ。

「たしかに臭いですね。酸っぱい臭いがします」

『ああ。だから洗ってやってくれ』

「それはいいんですけど……また噛みついたりは?」

『猿轡でもさせておけばいい』

「分かりました。なら、道具を取ってきます」

 言って、弥都は濡れたままの上着を着直して、工場の外に出ていった。


 三十分後、着替えてきたのか服装が変わっていた弥都が大きなリュックを背負って戻ってきた。

『その荷物はなんだ?』

「洗濯道具です」

 言って、彼はリュックを開けると大きなビニールの固まりと空気入れの小型ポンプを取り出した。

 ビニールを広げ、空気穴から空気を入れていく。段々と膨らんで円形を形作る。そこでようやくそれが何か分かる。

『プールか?』

「はい」

 膨らませ終えた円形のビニールプール。その中にホースを入れて水で満たす。水を満たす間に弥都は手拭いを捻って作った猿ぐつわを慎重にラディに噛ませた。

『……本当にやるとは』

「何か言いましたか?」

『いや、何でもない。私のことは気にせず続けるといい』

「はい」

 無表情で頷き返し、弥都は作業に戻った。

 ラディツアが裸に剥かれてプールに叩き込まれるのを尻目に、バルザは今後の事について考え始める。

 昨夜の事でいくつか疑問が浮上した。サイコボムを直接生き物に突き刺しての使用。ラディツアと相討ちの形で重傷を負っていた筈の犯罪者が自由に動き回っていた事。そしてその犯罪者の能力が上がっていた。

 よく考えてみればサイコボムを盗んだ行為自体が違和感を覚える。

 元々は金目の物を何であれ盗む窃盗グループであり、武器商人の真似事をする集団ではなかった筈だ。それが、仲間達を犠牲にしてまでサイコボムを手に入れて逃亡した。

 追跡中に本部から得た彼らの情報と差異がある。それがバルザにとって気になる事であった。

『何にしても本部と連絡が取れるまでは見回る程度のことしか出来ないか……』

 その為には、今後も弥都の協力が必要だ。

「見た目はほんとうに地球人と変わらないんですね」

 ラディツアの体を豪快にブラシで洗う――というより家畜の洗浄に近い作業をしている彼は昨夜の戦闘について何も言ってこない。

 それに、巻き込んでおいてなんだが変異した動物との遭遇や精神汚染、そして昨夜の戦い。どれも子供が対応するものではなく、同時に切り抜けられるものでもない。

 そうこう考えているうちに、弥都の作業が終わったようだ。濡れたラディツアの体をタオルで拭き取り、着替えさせて再びソファの上に転がす。

『その服は?』

 ラディツアは今まで着ていた服から白いシャツに青のジーンズを着せられていた。

「父のです。少し大きいですが、母のは残っていなかったので」

 弥都は説明しながら、今度は洗濯板を取り出してラディツアが着ていた服を手洗いし始める。

『世話をかけるな』

「いえ。ところで、昨日のあれはあのままで良かったんですか?」

『あれ、とは?』

「オレが切り落とした腕です」

『ああ、あれはあのままでいい。人に見つかったとしても、大した騒ぎにはならない』

 バルザは空中に映像をいくつか投影させる。それら全ては今現在テレビで放送中のニュースだった。

「便利ですね」

『私達の星では標準装備だ。全国をはじめ、地方ニュースにも報道されていない。まだ見つかっていない可能性もあるが、あれだけ派手に物を壊したのだ。周囲が無人と言っても、見つかっているはずだ』

「人の腕が見つかったら、騒ぎになりますよ」

『人では無く異星人ならば、騒乱よりも沈黙が起こるだろうな』

「あっ…………」

『この星域は未開拓星域。だが、地球の政府が秘密裏にカディス連合と接触していた痕跡がある。で、あるならば……』

「目印ですか」

『私の方から存在を示して見つけてもらう。だが、あまり派手にすると潜伏中の犯罪者が逆にこちらを攻撃しかねないがな』

 相手の現状が予測不能な今、先手を取られる状況は非常に不味い。

「なら、これからどうするつもりですか?」

『前と変わらず、だ』

「しばらくは街を歩き回ればいいんですね」

『ああ』

 弥都はリュックの中からハンガーと紐を取り出し、工場の支柱と支柱を紐で結んで、そこに洗い終えた服を掛けていった。

「それじゃあ、行きましょう」

 全ての作業を終えると、弥都は当たり前のようにバルザを掴む。

『今日は都市の中央近くを見て回ってほしい。あいつらが人気の無い場所とはいえ街中に出てきたのが気になるからな』

「わかりました」

 と、弥都が歩きだした時、彼の腹から音が鳴った。

「そういえば朝ご飯がまだだった」

『……途中で食料を買おう』

「はい」


 廃工場からしばらく歩いた先、図書館に隣接する中央公園の隅で弥都はチョコ菓子をリスかネズミのように少しずつ、且つもの凄い早さで食べていた。

 朝食は途中のコンビニでおにぎりとお茶を買って済ませたのだが、バルザから糖分を多めに取るよう言われ、チョコも買って食べ始めたら止まらなくなった。

「甘……」

『能力を使ったせいでカロリーを大量に消費したのだ。そのせいかESP能力者はよく食べる』

「ESP能力はカロリーを多く消費するんですか?」

『ああ、だから気を付けておくといい。どうでもいいが、どうしてこんなところで食べる。中央には噴水があって涼しそうだぞ』

 彼が座っているのは広い公園の隅の隅、茂みや木々に隠れて離れた所からでは見えないような位置だ。木々の葉で日陰になってはいるが、蒸し暑いのは変わりない。

「人が多いところは苦手なので」

『そうか……』

 と、弥都が更に菓子を食べようとした時に単調な電子音が鳴った。

 弥都は一度拭いてからポケットに手を突っ込んでスマートフォンを取り出す。

 電子音はそこから聞こえていた。

『メールか』

「はい。友人からです」

 言って、スマートフォンを操作する。

『……そういえば、今は長期休暇なのだろう。厄介事を持ち込んだ私が言うのもなんだが、学友と遊んだりはしないのか?』

「二人とも家族旅行に出ているので」

『…………友人は二人しかいないのか?』

「はい」

『…………』

 簡素な返事にバルザは押し黙る。

 その間にも弥都はメールの返事を返すと同時に食事を終え、ゴミをビニール袋にまとめて入れて立ち上がる。

「じゃあ、今度こそ行きましょうか」

『もういいのか?』

「はい」

 スマートフォンを仕舞った弥都は右手にバルザを、左手にゴミの入ったビニール袋を下げて茂みの中から遊歩道へと出る。

 ちょうど、途中に設置されているゴミ箱があったのでビニール袋を捨てた。

 その時、後ろから気配がしたので振り返る。

「あっ……お、おはよう、御門くん」

 弥都が振り返って見てみれば、同年代と思われる少女が立っていた。白いワンピースを着、両手で布製の手提げ鞄を持っている。

 少女はいきなり現れた弥都に驚いているのか、多少挙動不審だった。

「……おはよう」

「と、図書館に用、なの、かな?」

 少女はまるで怯えているような態度を取っている。心なしか後ずさりもしているように見えた。

「いや、休憩していただけ」

「そ、そうなんだ……」

「………………」

「………………」

 会話が完全に途切れ、少女はどうしたらいいのか分からないのか視線を彷徨わせている。今にも泣き出しそうで、弥都が泣かしているようにも見える。

 対して、弥都はそんな少女を無表情にじっと見つめているだけで、口をろくに開こうとしない。

 しばらく気まずい空気が流れたところで、ようやく弥都が口を開く。

「じゃ、オレは行くから」

「えっ? う、うん……それじゃあ、ね」

 踵を返し少女に背を向け、少年は何事も無かったかのように遊歩道を進んでいく。

『友人か?』

 少し離れた所で今まで黙っていたバルザが話しかけてくる。

「いえ。学校で何度か見た事があるだけで、名前も知りません」

『向こうは君の名前を知っていたぞ?』

「悪い意味で有名人ですから」

『…………』

「それよりも見回りをしましょう。市内中央と行っても広いですが、どこから行きま――…………?」

『どうした?』

 突然立ち止まった弥都にバルザがいぶかしんだ。

「いえ、何だか変な感じがいきなりして」

『変な感じだと? それはいった――ヤト、バリアを張れ!』

 バルザが叫んだ直後、強烈な光が弥都を包んだ。


 突如起きた爆発によって巻き起こる土煙の中、咳き込みながら弥都が出てくる。彼は何が起きたのか確かめる為に周囲を見回す。

 バルザの言葉があったからバリアは間に合った。代わりに遊歩道の舗装された地面に穴が穿たれ、ひび割れている。

『注意しろ。敵だ』

「……敵?」

『君が感じた妙な気配はESP能力発動の前兆だ。近くにそれを感じられる程に強い能力者がいる。気をつけろ』

「でも、一体どこから?」

『――走れ!』

 バルザの言葉に弥都は素早く反応して走り出す。

 次の瞬間、先ほどまで彼がいた地面に向かって、土煙を掻き消しながら光が落ちてきた。

 光の柱が地面に触れると、爆発が起きる。土煙を一瞬で吹き消すと同時に新たな粉塵を巻き起こす。

 敵は空から攻撃してきているようで、煙の中を走る弥都の足跡を辿って光の弾が上から落ちてきた。

『この煙の中、正確に狙ってくる。感知されているぞ』

「感知……」

『まさか、日の昇っている時間に攻撃を仕掛けてくるとは。形振りかまっていられないのか、それとも他に何か考えがあるのか』

「そんな事よりもまずは相手がどこにいるのか分からないと何も――」

 走っている途中、爆撃音に混じって人の声が聞こえた。

「まさかさっきの……」

 爆風に煽られ転んでしまったのだろう。先程弥都と話していた少女が地面に尻餅をついていた。

 突然起こった爆発に混乱しているのか、起き上がろうとせず視線を彷徨わせている。

「――フッ!」

 気合いを入れるように短く、強く息を吐いて弥都は横に跳んだ。僅かに感じる頭の違和感と共に念動力によって彼の体が引っ張り上げる力と押し出す力が働く。

 念動力によって人間離れした身体能力を発揮して弥都は遊歩道から一気に木々へ向かって跳躍する。

 だが、跳んでいる途中で空から光弾が目の前に降ってきた。

「ッ!」

 バリアを張って凌ぐ。だが、衝撃を受けたせいで失速し、芝の上に落ちて転がってしまう。

「み、耳が……」

『止まるな、走れ!』

 爆音で耳がおかしくなりそうなところで、頭の中に直接バルザの声が響く。

 その声に素早く反応して弥都は身を起こし。茂みの中を走ろうとする。しかし、周囲を取り囲むようにして光弾が続いて降り注ぐ。

 直撃ではないが、爆発によって粉塵と共に石が勢いよく飛来する。

「…………」

 弥都は冷静にバリアを張って防ぐ、どころかバリアの範囲を拡大させて石と土を弾き返す。

「強すぎた……」

 飛来した物だけでなく、自分の足下に生えていた雑草が地面ごと吹き飛んだのを見て、弥都は困ったような声を出した。

『いや、上出来だ。それよりも上を見ろ』

 言われて見上げると、高い木の枝に男が一人立っていた。

 見たこともないコートらしき服を着た男だ。赤い髪が肩まで伸びており、同色の顎髭も生やしている。

 男は無表情ながらも僅かに好奇心の色を混ぜた視線を弥都に送っている。

「……本当にこの星の住人か?」

 赤毛の男はそう言って、枝の上から飛び降りる。重力を無視した落下は緩やかに行われ、音もなく木の傍に着地する。

「この星にはESP能力者がいないと思っていたんだが、間違いだったか? そのサポートAIが教えたにしても、数日でそこまでやれるようになるとは信じられん」

「………………」

『そういうお前も本物か? グルガ・ラ・ラカン。こんな陽の昇っている内に人気の多い場所で攻撃を仕掛けてくるとは、お前らしくもない』

 無言の弥都の代わりに、バルザが話に乗った。

「どういう意味だ?」

『そのままの意味だ。今まで起こした犯罪の経緯を見れば、お前は慎重で無謀な事はしない人間の筈だ』

「それはそちらの勝手なプロファイリングだろう。私の何を知っている」

『少なくとも行動は予想できる。それで聞くがな、お前は本当に自分の意志で動いているのか?』

「――――」

 バルザの言葉に男は、グルガと呼ばれた者は急に口を閉じて考え込む。

「……あの、部外者なので話の流れが分からないんですが?」

『気にすることはない。それよりも耳はもう平気か? 一時的なものだと思うが……』

「それは大丈夫です。もう回復してきましたから。それより……」

 弥都は相手が別の事に囚われている今の内に、この場から離れる事を考えた。しかし、グルガの右目が左目とは別に動いて弥都を注視している。

「ああいうので、異星人だと実感できますね」

 見た目は地球人と変わらないが、生態的な部分でようやく違いが分かる。

『肝が据わっているというか、その図太さは地球人の特徴か?』

「比べた事がないので分かりません。それよりも早くこの場を離れた方がいいじゃないですか?」

 弥都は注意深くグルガを見ながら木々の外、公園から聞こえてくる喧騒に耳を傾ける。

 当たり前だが、やはり幾度も起きた爆発を聞きつけて人が集まってきた。

 弥都達がいる場所は木々や茂みによって隠れて見えにくくなってはいるが、何時向こうがこちらに気づくか分からない。

「――ああ、そうか」

 どうするか弥都が頭を悩ませていると、グルガが突然合点がいったように頷いた。

「簡単だ。ああ、簡単な事だ。どうして今まで誰も気づかなかったんだ?」

「………………」

「道理でな。く、くくっ、ははははははっ」

 グルガは額に手を置き、突然笑い出した。

「はははははははーーっ、かは、くっ、くくく……くか、か、ははははっ」

 冷静そうな雰囲気を持っていた男の豹変に、さすがの弥都も眉をしかめて思わず引き気味になる。

 一体何がおかしいのか、グルガは狂ったように――いや、むしろ泣き笑いに近い声を上げ続けている。

「一体何を言ったんですか?」

 彼の突然の変わりように、原因と思われるバルザを見下ろす。

『自分が本当に正気だと自信を持って言える人間は意外と少ないものだ。おかげで確証は得られたが、さすがに予想以上の反応だ』

「おかげで嫌な予感しかしませんね。声で人が集まってきそうだし」

 グルガの笑い声は大きく、公園の中にいた一般の人々にも聞こえていた。自ずと注目を集めてしまう。

「ははっ、ははははは――そう邪険にするなよ、少年」

「――!? うわああッ!?」

 突然笑うのを止めたグルガが手を前に伸ばした直後、光の猛流が弥都を襲った。

『この威力は!?』

 大きな光の波はバリアごと弥都を包み込んで彼を吹き飛ばす。

 バリアが破られる事は無かったが、弥都の小さな体は公園の遊歩道を越えて噴水近くまで転がる。

 周囲から複数の悲鳴が聞こえてきた。

 公園にいた人々は爆発に続く光に驚き混乱している。

 園内はグルガの光弾や先程の光の奔流によって地面が抉れ、爆発による熱風で地面の草花が燃えるという悲惨な状態になりつつあった。

『大丈夫か? ヤト』

「ええ、なんとか」

 転がった際に口の中に入った土を吐き捨て、唇の端が切れて流れてきた血を拭う。

『パワーが前よりも上がっている。厄介だな』

 顔を上げれば木々の間からグルガが、まるで道のようにして抉れた地面の上を歩いて向かって来ていた。

 彼は途中で遊歩道を横切る時、両目を別々に動かして公園にいる人々に視線をくれる。左目が遊歩道に座り込んだままの少女を捉えた。

「やばい……」

 弥都が足下に落ちていた小石を拾い上げてグルガに投げつける。

 念動力を乗せて投げられた石は矢のような速さで飛んでいくが、バリアによる壁に阻まれて空中で砕け散る。

 弥都はその結果に失望する事なく、横へ走り出した。

「歳の割に賢いじゃないか。この惑星の住人はそれが当たり前なのか?」

 男は歯の間から空気を漏らしたような笑いを起こす。

「良かったな、少女。庇ってもらえる人間がいて」

 遊歩道で腰を抜かしていた少女を捉えていた左目を弥都に向け、グルガは歩き出す。

「いや、そうとも言えんな」

 そして、自分の口の中に手を突っ込んだ。


「何をやってるんでしょうか?」

 わざと見えやすいように見通しの良い場所を走っていた弥都は、突然自分の喉に手を突っ込んだグルガを見て不審そうに目を細める。

 顎の間接が外れているようで、手が完全に口の中に入っている。喉が大きく膨らみ下から上へと動く。

 唾液だらけになった手が引き抜かれ、ある物が姿を現す。

「あれってもしかして……」

『まさか、自分の体内に隠していたのか』

 グルガが自分の口から取り出した物、それは音叉の形をしたサイコボムであった。

(聞こえるか? 少年)

 頭の中にグルガの声が響いた。

 彼は顎の間接を元に戻し、口元やサイコボムについた唾液をコートの袖で拭う。

(テレパシーでの会話は初めてか? 安心しろ。無理矢理頭の中を覗けるほど私は強力なテレパスではない。だがな――)

 音叉型の爆弾を掲げ、グルガは口の両端を大きく引き攣らせて笑みを作った。

 途端、弥都がグルガ向かって走り出す。

『何としても止めるんだ! こんな所でアレを使わせては……』

「…………」

 無言による頷きで、弥都は加速する。

 ほぼ同時にグルガの腕から再び光りの奔流が吐き出され、弥都を飲み込んだ。

「く、ああああっ!」

 弥都自身はバリアによって身を守るが、彼の周囲にあった森林公園を象徴する緑が悉く抉られる。

 その隙にグルガがサイコボムのU字部分を指で弾いて鳴らす。

 次の瞬間、公園中に魔音が鳴り響いた。

 金切り声の悲鳴が各所から上がり、公園に残っていた人々が頭を押さえて蹲る。

 人だけではない。周囲の木々も音を立てて枝を伸ばし、捻り、奇怪な形へと変わり始める。

「やはり畜生と違い、人の変異は時間がかかるな」

 苦しむ人々を観察するように、グルガの左右の目が別々に動く。

 精神汚染の音色が流れる中、まともに立っているのは弥都とグルガのみ。他の者達は理解不能な音に恐怖を抱き、逃げ出す事もできないでいた。

『ヤト、爆弾を奪うのだ! 変異前に破壊すれば間に合うはずだ!』

 再び、少年が走り出す。

「愚直だな」

 音を鳴らす音叉を持ちながら、グルガの左腕から光が発せられる。

 視界一面が光に包まれながら、弥都はバルザを下から上へと振り上げる。その過程でバルザがボディを杖へと変形させた。

 杖の先端、円盤の外縁から光の刃が現れる。

 直径が自身の身長を超えた円形の刃を、弥都は光の波に突っ込ませた。

 振り上げによる一撃は波を縦に切り裂いてグルガへの道を作る。

 それを見たグルガは広範囲に広がる波ではなく、今度は玉の形にエネルギーを圧縮し、連射する。同時に、身体を宙に浮かせて上昇していく。

 降り続ける光弾を人の限界を超えたスピードで避け、弥都はバルザの持ち手部分を右の逆手で持ち直して肩の上に上げる。円形だった刃が鋭角になり、先の鋭いひし形へと形を変えた。

 そして、身体を横向きにすると片足で強く地面を踏みつけ、腰を捻りながら身体を前に倒すようにしてバルザを投げた。

 見よう見真似の槍投げではあったが、念動力によって槍となったバルザは風を切り、一直線にグルガの顔面へと飛んでいく。

 グルガはバリアを目の前に展開させると同時に身を捻る。バルザから伸びる光の刃はバリアを突き破るが、勢いが若干失われてしまう。

 既に回避行動を取っていたグルガは余裕を持って槍を避けると、自分の横を素通りする槍の柄にバリアを直接ぶつけ、バルザのボディが火花を散らして空に跳ね飛ばされる。

「武器を投げる奴がどこに――なに?」

 弥都の行動にグルガが呆れた途端、少年の姿が目の前にあった。

 つきさっきまでのスピードならば、まだ僅かに猶予はあった筈。それが跳躍して来たのか既に空へと浮かぶグルガの前にまで来ていた。

 全速力で走っていたかのように見せて、その実全力では無く、バルザの投擲を目暗ましにして加速したのだ。

「賢しいことだ、な!」

 弥都がグルガの右手にある音叉に向かって手を伸ばすが、振り払われると同時に弥都は首を捕まれた。

「あぐっ、ぐ、ぁ……」

「少年、そういえばお前には部下の腕の借りがあったな」

 グルガが万力のような力で首を絞めてくる。

「か、ぁ、――っ!」

 だが、弥都は首の圧迫に耐えながらも握り拳を作っていた左手を開き、隠し持っていた物をグルガの顔にぶつける。

「なッ!?」

 それは砂だ。

 顔面に投げつけられた砂はグルガの目に入り、彼を怯ませる。

 首への締め付けが緩んだ隙に、弥都はグルガの手を引き剥がして拘束を解きつつ、サイコボムに再び手を伸ばしてきた。

「チィッ」

 グルガは舌打ちし、サイコボムを弥都から引き離す。

 手が空振り、弥都は重力の法則にしたがって落下してしまう。

「残念だったな」

 せっかくのチャンスを逃してしまい、地面に背を向けて落ちる弥都の姿をグルガは見下ろす。

 彼は空を見上げたまま、まだ手をグルガに向けていた。

 諦めの悪いと、思った瞬間に激痛が彼を襲う。

「なッ!?」

 軽い喪失感も抱いて右腕を見れば、肘から先がなくなっていた。

 腕が鮮血を巻き散らしながら宙を回転する様が、彼の視界に入る。切れた腕だけではない。その隣では、外した筈の槍、バルザがゆっくりと回転していた。

『彼のESP能力を見謝ったな』

 バルザの言葉で、何が起きたのかグルガは悟る。

 簡単な話、念動力による遠隔操作によって遠くに投げたバルザを操りサイコボムを持つ右腕を切ったのだ。

 宙を舞っていたバルザと、右腕と一緒にサイコボムが急に勢いよく弥都の元へと落下する。

「させるかァーーッ!」

 グルガが左腕を下に伸ばすと、切れた右腕からサイコボムだけが抜け落ち、糸に引っ張られたかのように宙で停止した。

 落ちながらバルザを左手で掴んだ弥都は逆の手、真上に伸ばしていた右手に力を入れる。

 見えない力による綱引きが行われる。

「クソッ」

 拮抗した直後にグルガの左腕から目映い光が放たれた。

 幾度か放たれた波のような広範囲への放出ではなく、太い柱のような直線の光だ。

『ヤト、人がいる!』

 落下途中でもあった弥都の下には、精神汚染が止んでもそのショックで気絶している者や、意識はあっても衰弱したように一歩も動けずにいる者達がいた。

 その中には白いワンピースを着た少女もいた。

 先程のようにバルザから出した刃で切り裂く方法もあるが、密度が違う。切れるかどうか分からない。

 今までの光弾の威力から、直撃しなくとも公園に着弾すれば大爆発を起こして周囲に被害を与える可能性が高かった。

「受け止めるしかないですね」

 サイコボムを諦めて地上に着地し、弥都はすかさずバリアを前方に広く展開させる。

 間一髪、光の柱を受け止める事に成功する。

「ぐっ――ああああぁっ!」

 重い一撃はまるで岩でも抱えたような重さがあり、弥都を地面に押し潰す勢いだ。

「きゃああああっ!?」

 少女の悲鳴が聞こえ、弥都は視界の隅で少女の姿を捉える。

 光とバリアとの接合面からは電流のような放電にも似たエネルギーの放出が連続して起き、上へ伸ばした弥都の両手を焼いた。

「アッ、ツ……ぐぅ、アアアアッ!」

 押し返すようにして、腕をより前に突きだす。

 拮抗していた光の柱と見えない電流の壁がより強い輝きを生み、一つの爆発を生んだ。

「くっ!」

 熱を持った爆風が迫るが、念動力で押し退ける。

「きゃあっ!?」

 その時に少女の悲鳴が聞こえた。

 火傷するような熱風までは届いていないが、強い風と共に土埃が少女を襲う。彼女は閃光と爆音に驚き、目を瞑ってうずくまる。

 次の瞬間、少女を襲う筈だった風が自ら避けて後ろへと流れていくのが弥都から見えた。

 その光景は、弥都が念動力で熱風を避けているのと非常に酷似していた。

「あれは……」

『間違いなく念動力だな。君が初めてバリアを使ったのと同じだ。しかしこれは……まさかアレが原因か?』

「サイコボムですか?」

 弥都は空を見上げると、サイコボムを手にしたグルガが浮いている。彼の右目は弥都を見下ろしているが、左目は少女の方を見下ろしていた。

「……シッ」

 歯の間から笑いを漏らし、グルガは後ろへと振り返る。

『待て!』

 バルザが叫ぶも、男は空を飛んで去っていってしまった。




 あれから、誰かが通報したのかサイレンの音が聞こえ、昨夜に続き弥都は逃げるようにしてその場を後にした。

「人に見られたかもしれませんね」

 公園から少し離れたビルとビルの間にある隙間に身を隠し、弥都は両腕にできた火傷に水をかけていた。

 水は自販機から買った物だ。

 動かすのに支障はないが、それでも赤く腫れてしまっている。

『爆弾の精神汚染のせいでそんな余裕はなかっただろう』

 路地を塞ぐように置かれたゴミ箱の上にいるバルザがフォローする。

「あの目が別々に動く人は窃盗グループのリーダーなんですか?」

『どうしてそう思った?』

「なんとなく」

『なんとなく、か。まあ、合ってはいるが、それがどうした?』

「何がしたいんでしょうか?」

 人前に姿を現し、攻撃を仕掛けてきただけでなく、サイコボムも使用してきた。逃亡中の窃盗犯にしては目立ちすぎる行動だ。

『ある程度の予想はできるが、今はそれよりも一度工場に戻ろう。怪我の治療もしなければ』

「……わかりました」

 弥都は空になったペットボトルをゴミ箱に投げ捨て、バルザを持ち上げると走り出す。

 なるべく人目につかないよう、人通りの少ない道を選んでいく。

「瞬間移動したり、空を飛べればもっと楽なんですけど」

 グルガは空を飛んで優位な位置から攻撃を仕掛けてきたし、昨夜の男も瞬間移動をしていた。

『勧めはしない。瞬間移動は同じESP能力者が相手なら転移先を読まれやすいし、飛行は使いなれるまで時間がかかる』

「瞬間移動は読まれやすく、空を飛べるようになるには時間がかかるんですか?」

『瞬間移動――テレポートは跳ぶ為に着地点を強く意識する必要がある。ある程度テレパシーができるなら簡単に読まれてしまう。空を飛ぶ事自体は簡単だが、調整が難しい。元々ヒトは地に足をつけて生きる生き物だから、要は感覚の問題、慣れだ』

「なるほど」

 話している内に海沿いに出た。このまま海岸に沿って歩道を歩いていけば廃工場がある。

「そういえば、ここでラディツアさんを見つけたんです」

『そうなのか?』

「図書館……公園の隣にあった施設からの帰りにたまたま」

『君の家はこの近くなのか?』

「いえ、むしろ反対側です。この辺りは人通りが少ないんで」

『……なるほど』

 無表情で淡々と語る弥都に、バルザも簡単な相づちを打つだけに止める。

「そういえば、地球には宇宙船で着たんですよね? それはどうしたんですか?」

『壊れた。木っ端に』

「木っ端……」

『ワープ直前まで窃盗団の船と撃ち合っていたんだが、お互い航行不能な状態に陥り脱出艇で脱出したのだ』

「それで地球に着陸したんですか」

『いや、脱出艇も大気圏で分解した』

「……はい?」

『ラディが逃げる窃盗団の脱出艇に突撃をかましたのだ。乗り込んで暴れ回り、そのまま大気圏に突入した。バラバラになって当然だな』

「…………よく生きてましたね」

 海沿いの道を歩き続け、山沿いに差し掛かる所で方向転換しながら、感心しているような呆れているようなどっちつかずな言葉を返す。

『悪運が強いだけだ。よく無茶をして、運に助けられている。こちらとしては休まる暇がない』

「活発な人なんですね」

『ものは言いようだな』

 話している内に廃工場の前へと辿り着く。

 全体重をかけて重い鋼鉄の扉を開けると、外の夏相当の暖かい風が内部へと流れていった。

 そして、扉を開けて中に入ろうとした弥都は工場内の変化に気づく。

「あっ……」

『やれやれ、ようやくか……行儀が悪いぞ、ラディ』

「んが?」

 バルザの声に、眠っていたはずのラディツアが振り返った。

 口の中に大量のパンを詰め込んでいたせいで、両頬が大きく膨らんでいた。


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