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『我々の事を話そう。事態は思ったより深刻かもしれない。一度、そのあたりの事を含めて説明した方がいいと思ってな』
夜、再び廃工場に戻った弥都は椅子の上に置かれたバルザを目の前に正座していた。人工知能のボディは血がふき取られて元の白色を取り戻している。
ただ、地面に穴を掘り、猫だった生き物を埋葬した弥都のシャツにはその時についた血が染み込んだまま残っていた。
幸い、誰にも見られなかったから良かったものの、もし誰かに見つかれば騒ぎになっていただろう。
「深刻、ですか?」
『そうだ。私と彼女が――正確には彼女がある犯罪者を追ってきたという話はしたな?』
「はい」
『この星に来たのは犯罪者を――窃盗グループなのだが――彼らを追って共に墜落してしまったのが原因だ。その窃盗プループは連合の研究機関から爆弾を盗みだした』
「爆弾、ですか。物騒ですね」
『ああ、物騒だとも』
重く息を吐くようにしてバルザは続きを話す。
『ある研究の副産物なのだが、偶発的に生まれたその爆弾は危険と判断されて破棄が決まっていた。それを窃盗グループが破棄直前に盗んだのだ。突然の事だったのでその場で犯人を追えるのがラディしかおらず、彼女が追跡しながら本隊の増援を待つという手筈だったのだが……追跡中に犯人達はゲートを通ってこの星域へとワープしたのだ』
「ゲート?」
『ワープゾーンの出入り口の事だ。相手がゲートに入った時に発信機でも取り付けて離脱すれば良かったものの、ラディは脱出艇で特攻した挙句にド突き合いを始めた。まったく生きているのも不思議なくらいだ。それ以前に見つかった時点で退避しておくべきなのだ。ラディはいつもいつも無茶ばかりをする。この前も――』
「………………」
愚痴を盛大にこぼし始めたバルザを眺めながら、弥都は昼間に置きっぱなしにしたビニール袋に手を伸ばす。袋の中にはパンなど食べ物が入っており、弥都はその中から菓子を取り出して食べ始めた。
その時に、この人は食べなくても平気なのだろうかと、菓子を音を立てて食べながらバルザから話題に上がっている少女へ視線を向ける。
バルザからラディと呼ばれる少女は未だ眠ったままである。いつ起きてもいいようすぐに食べれる食事を持ってきてはいるが、このまま眠り続けていると栄養失調になってしまうのではないだろうか。
そう考えた弥都はまだ愚痴をこぼすバルザの横でビニール袋から三色の菓子パンを取り出し、それをソファの上で眠っているラディツアの鼻先に差し出す。
別にそれで本当に食べるとは思っていないし、ただ何となくでの行動だった。
「……ん」
僅かにラディが反応する。菓子パンの甘い匂いにつられたのか、鼻を動かし匂いの元を探っているような感じだ。
反応したはいいものの、果たして人は寝ながらものを食べれるのだろうか。
僅かな疑問と好奇心を抱いて、弥都は菓子パンを彼女の口元に持っていく。
それが、御門弥都の失敗だった。
『あの時もそうだ。私達の言う事も聞かず――っ!? 待て、ヤト!』
バルザの制止する声に弥都が振り向く。同時に少年は菓子パンが引っ張られる感触を手から感じた。
ラディツアが眠ったままパンに齧りついていた。そのまま、もの凄い勢いで口を動かしてパンを噛みきり、潰し、飲み込んでいく。
その光景はまるで刃が剥き出しになったシュレッダーだ。
「あっ」
食べるスピードは速く、弥都が気づいた時にはもう遅い。
ラディツアが菓子パンごと弥都の手に噛みついた。
「………………」
『……大丈夫か?』
「……………」
弥都は悲鳴を上げない。だが、激痛が走っているのは確かなようで顔を歪めている。
まだまだ続く噛みつきに弥都が空いている手でラディツアの顔を掴んで引き離そうとする。
「離れない」
少女の噛みつきは強力でなかなかその口を離してくれなかった。
「…………ッ!」
とうとう我慢できなくなった弥都は少女の顔から手を離すと握り拳を作り、ボディブローを喰らわせる。それも、傷口にだ。
「~~~~ッ!!」
声にならぬ悲鳴のような何かを発して少女の顎の力が弱まった。
その隙に弥都は手を引き抜く。手には菓子パンの食いカスやら唾液がべっとりとついてラディツアの口から糸を引いた。それと歯形が、というか噛み傷がしっかりと残っている。
「良かった。指はある」
『大出血しているぞ』
「あっ、すいません。つい殴ってしまいました」
『いや、ラディの事ではなくて……ラディも傷口が開いているが、君の事だ』
弥都は血と唾液をハンカチで拭き取った後、血が染み込み始めたラディツアの包帯を取り替えて自分の手の治療も始めた。
『すまなかった。彼女は、というより彼女の種族は寝ながら食事を行う事ができる。その凶暴極まりない睡眠は食べ物を決して与えるなという認識が連合全体に拡がるほどにな。この前など仮眠室に注意書きの立て札まで立っていた』
「自然公園の動物みたいですね」
弥都は口と左手を使って器用に自分の右手に手当を施していく。
『話が脱線してしまったな。ともかく、我々は爆弾を盗んだ犯人を追って地球に墜落してしまった。幸い、時間は掛かるが仲間との連絡をつける目処があるからいいが……』
「仲間というのはその連合ですよね。どうやってですか?」
手当を終え、汚れた包帯や布を片づけながら聞く。
『この星とは水面下での交流があった痕跡を見つけた。少なくとも政府間でのやり取りはあるはずだ。私は連合で使われている救助信号を発し、向こうからの接触を待っている。例え信号を知らなくとも、この惑星の宇宙技術ならば我らが落下したことぐらい観測している筈だ』
「当て、というのはそういう事ですか」
『ああ。だが、今日の事で多少事情が変わった。最初は互いに見知らぬ土地、船も壊れ、仲間との連絡を取る算段のあるこちらが多少優位かと思ったのだが……』
「あの猫、だったのモノですか?」
『そう。あれがなぜあのような姿になったと思う?』
「異星人の人達に改造された?」
『微妙にあっているところが何とも言えんな。アレはな、爆弾の効果だ』
「……アレが?」
訝しげに弥都は首を傾げた。
『爆弾と言ったら爆発などの衝撃で物理破壊だと思うのが当然だろうが、盗まれた爆弾は物質を破壊するのではなく、精神を汚染するのだ。これを見てくれ』
言うと、バルザの輪の部分から緑色の光が発せられた。照射されたそれは細い光の線となり、宙に絵を描くように高速で動き回る。
そして、一つの立体画像が宙に投影された。
さすがに弥都は驚いたようで、声は出さなかったが目を見開いた。
『これが例の爆弾だ』
投影された立体画像に映し出された物体はU型をしており、下の曲線から縦棒が一本伸びている。
まるで音叉のような形をしていた。
『ある星に住む知的生命体が独自に持つテレパシー器官、それの仕組みと対策の研究中に出来た物だ。厄介なことに生命体の精神を汚染する』
「汚染?」
『ああ。研究対象だった生命体は蟻や蜂のように一匹の個体を頂点とする社会性を築いていた。その種族のトップ、つまりは女王にしかないテレパシー器官がある。それは同族に命令を下すだけで無く、他種族の心にまで影響を与え狂わせるのだ』
説明と同時に、新たな画像がいくつか増える。
その種族なのだろう。蛇に手足を生えさせて直立させたような生き物が映っている。そして頭部部分を拡大し、断面図が表示された。
『連合とも争いを起こしていた種族で、過去に滅ぼされてはいるがこの広い宇宙だ。似たような種族はいる。連合は精神汚染の対策の為に女王の死体から採取したテレパシー器官の研究を行っていた。その過程で生まれたのがコレだ』
再び、音叉のような物体の画像が前に出る。付箋のような小さな窓枠も開き、文字が並ぶが弥都には読めない文字であった。
『元々は精神汚染の波長を打ち消す為に研究開発されていた機器だったのだがな。皮肉な事に精神汚染を発する物が出来てしまった。しかも質の悪い事に、汚染された精神に肉体が引きずられてしまうのだ』
「精神に肉体が引きずられる?」
『私も専門知識があるわけではないので詳しい事は分からないが……精神汚染を受け、変異した精神の影響で肉体までもが変異を起こすらしい。そして変異した生物もまた精神汚染を振り撒く生きたサイコボムとなって変異を繰り返しながら周囲を汚染していく。昼間のあの猫のようにな』
「だから、急いで殺させたんですね」
『……そうだ。まさか、連中が爆弾を使うとは思っていなかった分、油断していた。てっきり武器商人にでも売り渡すと思っていたのだが……』
バルザの声に後悔の色が混じった。
「その盗んだ犯人はどんな人達なんですか?」
『星域間を渡り歩いては金になる物なら何でも盗んで売りさばいていく連中だ。連合の研究施設にまで盗みを働く程の危険を犯すグループでは無かった筈だが……これについては考えてもしょうがない。今一番の問題は爆弾の使われているという事だ』
投影されていた画像が消え、バルザは一呼吸おいて続きを話す。
『爆弾の効果がどの範囲まで及ぶのか分からないが、変異した猫がいた時点で他にも被害があるかもしれない。なるべく街中を巡回し、変異した生物を処理すると共に爆弾の回収をしなければならない。そのためにはヤト、君の力が必要だ』
「オレの、ですか?」
『爆弾の精神汚染に対抗するにはESP能力と強い精神力が必要だ」
「オレは超能力者ではありませんよ。スプーン曲げも、カードの模様当てもしたことがありません」
『この星の人間全般に言える事だが、才能はある。使っていないせいで深く眠っているだけだ。現に君はあの猫の声に対して耐えてみせた。ラディが動けず、この星の住人に頼るしかない今あらゆる点で必要なものを満たしているのは君しかいない』
無機質な機械の声。だがそれでも、真剣なものだというのが伝わってくる。
『だから頼む。君の力を貸してくれ』
実際に、バルザにとって他に手段は無い。
このまま精神汚染による被害を連合の一員として防ぐ義務があり、同時に爆弾を盗んだ窃盗グループの者達が最も警戒しているのは地球の原住民では無くラディツアだ。
これ以上感染が広がれば、眠っている彼女にまで被害が及ぶ可能性もある。自ら動く事の出来ないバルザだが出来る事をしていくしかない。
例え、子供を利用してでもだ。
目の前の少年の口が開き、返答がきた。
「別にかまいませんよ? というか、そんなつもりでしたから」
少年はどこまでも無表情で、淡々と答えを返した。
『……いいのか?』
「はい。だいたい、この街に住んでるオレにも関係してくることですから」
『助かる』
彼の返答はバルザにとって嬉しいものだが、それにしても少年の態度に違和感を覚える。
大人のよう、というよりは物分かりが良すぎるのだ。宇宙人や超能力の存在をあっさり信じた点は子供らしいと言えるが、バルザのこのような申し出もあっさり受ける。
子供の純粋さ故に何も考えていないのか、それはバルザには分からない。
「調査は今夜から、もう?」
『……ああ。昼は考えをまとめたかったし、君も時間が必要だっただろうから戻ってきたが他にも変異した動物がいるかもしれない。すぐにでも調べたい』
「わかりました」
弥都はバルザを持ち上げ、工場の出口に向かっていく。
『………………』
――確か母親が既に死去し、父親が刑務所だったか。
自立機能のないバルザは弥都によって揺られるまま、別の事を考えていた。
夜空高くにある三日月の下、まだ小学生と思われる少年が白いアタッシェケースを両手で持って、人気の無い寂れた商店街を歩いていた。
「ESP能力とか言ってましたけど、具体的にはどういったものなんですか? そんな超能力とか、自分に覚えはないんですが」
弥都は手に持つアタッシェケースに向けて話しかける。
『少なくともテレパシーの適正はある。実は私が何度か君に対してテレパシーで語りかけたが、君はそれに全て反応してみせた』
表面に金色の輪の装飾を持つアタッシェケースから男の声が聞こえた。
「そうだったんですか。でも、機械もテレパシーが使えるんですか?」
『能力者がテレパシーを使うときに出す脳波を擬似再現したもので、ESP能力者と通信する為だけの機能とも言える。ともかく、君にはESP能力の適正がある。変異した猫の鳴き声に耐えれた時点でそれが分かる。他の地球人ではそうもいかないだろうな』
「もし、ESPの適正の無い人が聞いたら?」
『爆弾の出力や距離、個人の精神力によって多少異なるが、少なくとも理性があまり発達していない本能で動く動物よりは耐えれる。サイコボムと化した動物からの声ならもっと耐えられるだろう。それでも、聞いただけでトラウマが残り、長く聞いていれば変異してしまう』
一人と一機は誰もいない夜の商店街を黙々と歩き続ける。もう夜中と言っていい時間というのもあるだろうが、シャッターが閉め切られた店は人の名残というものが無く、寂れたような空気がある。
『微弱な反応はこの辺りからだな。ヤト、ここはどういう所なのだ?』
「一本の大きな歩道を中心にお店が並ぶ場所ですね。昔は賑わっていたそうですが、中心部の開発で皆あっちの方に行ってしまって今ではほぼ無人です」
『だとすると、まだ被害が及んでいないかもしれない。急ごう、ここから北西の方角だ』
「北西って、どこですか?」
『丁度君の向いている方向が北だから右斜めだな』
「分かりました」
返事し、弥都は小走りに商店街を横切っていく。
廃工場から外へ出かけた弥都達は歩いて数分ですぐにサイコボムの反応を見つけていた。
反応の弱さから、バルザは爆弾によって変異した動物と判断し、好き勝手に歩き回れる前に処理したいとして急いで商店街に弥都を走らせた。
バルザは空中投影で弥都の眼前に小さなレーダーマップを表示させていた。弥都を中心に、サイコボムの反応のある場所を示す光点を映している。
「よく場所がわかりますね」
『精神に干渉する声を出しているのだ。見分けは簡単につく』
商店街の大通りを曲がり、細い裏路地の道を行く。すると、弥都の耳、というよりも脳に直接に響く声が聞こえてきた。
物音一つもせず、それこそ風の音もしなかった商店街、その細道からは遠吠えにも似た不協和音が満たしていた。
『平気か?』
「はい、大丈夫です。猫の時で慣れました」
『普通、そう簡単に慣れるものではないのだがな』
路地を駆け抜け、反応のある場所へと辿り着く。そこは小さなビルに囲まれた空き地のような場所だった。
分かるのはその程度で、月の光も届かない裏路地の様子ははっきりと分からない。だが、ゴミの臭いと共に届く血の臭いが弥都の足を止めさせた。
「………………」
弥都は路地の角に身を隠し、様子を窺う事にする。
見えずとも届いてくるのは血臭だけではない。先ほどから脳をかき回すような声もそうだが、それとは別に不快感が募る音が聞こえてきた。
肉を噛みちぎり、骨を砕き、血を啜る音だ。
『これは……』
バルザが小さな声で驚きの声を漏らす。
段々と目が暗闇に慣れ、そこで起きている光景が見えてくる。
犬――かもしれない生物がそこにいた。
その生き物は四足歩行で手足と胴体が犬らしく茶色の毛皮が生えている。頭も雑種犬のものだ。
ただし、首が一メートル程長い。
蛇の体のように蛇腹があり、鱗の隙間から体毛が生えているのが見える。尾も蛇に似た尻尾で、こちらも同じ長さだ。長い首と尾を支える筋力はないのか、垂れ下がって地面に蛇腹を擦っていた。
首長の奇妙は犬は弥都達に気づいておらず、悲鳴のような声を上げる肉塊を貪るのに夢中のようだ。
食われながらも精神汚染を発する肉の塊は、周囲に黒い羽根が散らばっているところからおそらくは烏だったのだろう。
『まさか順応しているのか?』
「順応?」
『サイコボムを受け、変異した生き物は細胞の増殖が暴走して自滅するのが常だ。猫の時のようにな。だが、アレは安定している』
食事に集中している首長犬は周りに転がる血肉と違い、風船が膨らむような膨張は起こさずに今の形態以上の変化は見られない。
「ん? バルザ、あれを見てください。あの犬っぽいのの横腹です」
見えやすいよう、バルザを首長犬に向けて掲げる。
『……刺さっているな』
犬の左の横腹に、工場でバルザが弥都に見せた例の爆弾が突き刺さっていた。縦棒の部分が体の中に埋まっており、U字型の金属部分だけが外に見えている。
「サイコボムというのを突き刺せばあんなふうになるんですか?」
『さあな。すぐに破棄される筈だった物なのでろくに検証もされていないから、詳しい事はわからない。ともかく、自滅が無いのなら何とかして仕留めなければマズいぞ』
「仕留める……」
首長犬の体格は大型犬ほどあり、首のせいもあって体長は三メートル近い。
「武器は……もっといるかな」
一度バルザに視線をやって、何か武器になる物を弥都は探し始める。
その時、足の裏に靴越しから硬い感触を感じた。
しまったと、感触からそれが何か気付いた瞬間、ガラスが割れる音が足下からした。
音は小さい。だが、暗闇の静寂の中ではっきりと聞こえる音だ。
「――――」
首長犬が長い首だけを動かして振り返る。
「………………」
瞼の無い瞳が弥都をしっかりと見据えてきていた。
首長犬が唸りを上げて犬歯を剥き出しにする。牙の隙間から漏れる汚染の声は小さく弱々しい。だが、次第にその密度が高くなってくる。
声量が大きくなったのではない。汚染する力が強くなっていっているのだ。
「うっ、く……」
慣れたと言っていた弥都もさすがに若干苦しそうに顔を歪めた。
首長犬の腹、今まで沈黙していた音叉型のサイコボムが微かに震えていた。唸り声が大きくなるにつれ、音叉の震えもまた大きくなってゆく。
『共鳴しているのか!? まさかこんな使い方が――ヤト、逃げろ!』
犬が大きく吠え、音叉が一際大きな震えを起こす。引き越される狂気の音は最早物理的な衝撃となって弥都を襲う。
バルザを手から落とし、頭を抱える。
『ヤト!? 気をしっかり持つんだ!』
「が、あ、ァアッ!」
脳を鷲掴みされ無理矢理引っ張られるような感覚と、全身の神経に電流が走ったような痛みで弥都は頭を抱えたまま地面に膝をつく。
「――ぐぅ、あ、おぇ……」
思わず嘔吐し、茶色の液体を地面にぶちまけた。
「はぁ……はぁ……っ!?」
肩で息をする弥都に向かって、首長犬が走り出していた。
胴体の四本足は前後に激しく動かし、地面に首と尻尾を引き摺り――いや、蛇腹部分で蛇行しながら正しく蛇のように移動して来る。
おぞましい歩行であっと言う間に距離を詰めた犬の頬が裂ける。顎の間接が外れ、唾液と血の混じった液体を滴り落としながら大きく口を開いて弥都に襲いかかる。
『逃げ――』
逃げろと、地面に転がるバルザが叫ぼうとした瞬間、弥都が彼の取っ手部分を掴んで勢いよく持ち上げる。
バルザの四角い体がつっかえ棒のように首長犬の口を阻んだ。
「んぐ、――ああぁっ!」
左手に持ったバルザを盾にしながら、弥都は地面に落ちていたガラス片を掴む。加減せずに掴んだために掌が切れるが、構わずそれを前に突き出した。
首長犬の首、蛇腹に鋭く尖ったガラス片が突き刺さる。
醜い外見に似合った短い悲鳴を上げた犬は怒りに血走った目で見下ろしてくると、長い尾を振り回して弥都を横から殴りつけた。
当たる直前、電流のような火花が散り、十歳の小柄な体がボールのように跳ねて転がる。
「ぐっ! ――また、手が……」
体を擦りむきながらもすぐさま起きあがった弥都は血だらけになった右手を見て、困ったような顔をした。
噛まれ傷の上にガラス片による切り傷ができてしまっていた。
『ヤト、今なにをした?』
「はい? なにがですか?」
『気づいていないのか?』
「だから、何の――っ」
首長犬が再び犬歯を剥き出しに迫って来る。
弥都は横に駆けだして突進を避け、そのまま路地裏を走る。
「それで、何の話ですか? なるべく手短にお願いします。追われているので」
少年は左手でバルザを持ちながら後ろから追ってくる犬から逃げる。
思わぬ反撃により怒っているようで、避けられて壁に激突した首長犬はガラス片を突き刺したまま弥都を追いかけてくる。
『では、単刀直入に言う。ESP能力を使え』
「無理です」
『無理ではない』
再び身を踊らせて跳びかかってくる首長犬を避ける。勢いが足らなかったのか、牙が肩に掠めそうになる。だが、その直前に電流のようなものが両者の間に発生して牙を弾いた。
鋭い犬歯が欠ける。
『やはりそうだ。ヤト、とにかく念じろ!』
「念じる?」
『相手を拒絶すると、強く思え! テレパシー機能を使ってサポートする。とにかく拒絶するという意志を持て!』
「拒絶する……」
二人が話している間にも、首長犬は何度も弥都を追う。胴体の四本足を震わして跳躍。更に地面に置かれた長い尾の筋肉が一瞬僅かにだが縮小、そして一気に解放してバネのように地面から胴を押し出す。
結果、首長犬は三メートル程の高さにまで跳んだ。
『ヤトッ!』
真上から、蛇の首を持つ犬の頭部が口を開けて落ちてきた。
弥都は振り返りながら、バルザを上に掲げる。
円形の装飾の縁部分に光が灯り、唸りにも似た機械音を発した。
直後、犬の眼前に電流のような現象が発生し、頭部を弾き返した。電流は一瞬だけ弥都の周囲を球状に分散したかと思うと、焦げた臭いだけを残して消える。
「これは……」
『バリアだ。加減していないので多少派手になっているがな』
弥都が驚きで目を見開く中、膜が消え、首長犬が短い悲鳴を上げて地面に落下した。犬は痛みで長い首と尾、手足を激しくくねらせて地面の上で暴れ回る。
『ESP能力者の基本能力の一つで、外敵の物理的な危険要素を弾き返――』
と、バルザの説明中に弥都はおもむろに掌を足下で転げ回る首長犬に向けた。
途端に先ほどと同じ電流に似た閃光が輝き、見えない壁が犬の全身を上から押し潰す。
地面と見えない壁に挟まれ悲鳴を上げる犬は最初抵抗しようと体を小刻みに動かすが、それも無駄に終わり、体の各所から血を噴出させて潰れた。
「………………」
弥都は身動き一つ取らなくなった首長犬から自分の右手へと視線を移し、何度か手を閉じたり開いたりする。
今夜だけで色々と傷を負った右手の包帯は既に血で真っ赤に染まっていた。だが、弥都はそんな痛みとは別の、今自分の中にあった感覚を確かめているようだった。
『もう自由に使えるようになったのか』
「ええ、まあ。試しにやってみたら出来ちゃいました」
『だが、あまり乱用するな。ESP能力は脳に負担を強く上に精神力を大きく消耗させる。今は私が脳の処理を一部肩代わりしたから軽いがな』
「肩代わり?」
『ESP能力を使うには人が普段使っていない脳の機能と精神力を必要とする。私のような兵装は通信機能を通してそれを気休め程度に補佐することができる』
「それって、機械でもESP能力が使えるという事ですか?」
『いいや。あくまで負担を軽くするサポート程度で、ESP能力に必要な力の働きはあくまで脳髄を持つ生き物のみだ』
「なるほど。ところで、兵装という事は武器だったんですね」
『ボディはな。それでも相当古い上にラディも使わず私自身忘れてしまう事もある。それよりも爆弾の回収を頼む』
首長犬の腹には例の音叉の形をしたサイコボムが突き刺さったままだ。
「いきなり爆発したりしませんよね?」
『物理的な攻撃力は無い。精神汚染も君なら耐えられる』
「そうですか」
弥都が手を伸ばす。
「悪ィが、それは遠慮してもらえねぇかな、ボウズ」
「――っ!? 爆弾が……」
背後から声が聞こえると同時にサイコボムが一人でに犬の腹から抜けた。
サイコボムは下に付いた鋭角状の棒から粘液のような血で犬の腹に糸を引き、宙に浮く。そして弥都の背後、斜め上に向かって飛んだ。
弥都の顔横を素通り――
「フン!」
しようとして弥都に叩き落とされた。
左手に持つバルザを勢いよく振って撃墜した結果だ。
地面に叩きつけられた精神汚染爆弾は根本が折れ、U字部分に亀裂が入った。
「な、何しやがってんだぁぁああぁ!? ええ、おぉぉい!!」
再び聞こえる背後からの声。振り返れば路地を囲む建物の換気扇の上に器用にも座る男がいた。
青のジーンズに素肌の上からジャケットを着、頭を角刈りにした男だ。胸には包帯が巻かれている。
「そいつは三つしか無いんだぞ!?」
「反射的につい……すいません。というか、どなたですか?」
『いや、よくやった。元々破棄寸前だった物だから気にするな』
弥都は虫が顔の前に飛んできたのと同じ感覚で反射的に弾いたのだが、その反射運動が功を為したようだった。
『それに、何も盗人に返すことはあるまい』
「あの人が爆弾を盗んだ犯人ですか?」
『その一味の一人だ。下っ端のな』
男の外見は普通の人間と何ら変わりがなく、宇宙人のようには見えなかった。
「下っ端じゃねえよ、クソが! その口の悪さ、やっぱりテメェ、あの女のサポートAIか」
男が見下ろす中、バルザが低い口調で言葉を発する。
『それよりも答えろ下っ端。貴様ら、サイコボムに手を加えたな』
精神汚染爆弾の形状は真ん中から二股に別れた音叉の形をしており、本来下の部分はただの丸い棒であったはずだった。
しかし、犬に刺さっていたのは突き刺さりやすいよう鋭角状の物になっていた。
「だったらどうしたってんだ。それにこっちからも聞きたいんだが、人の体に風穴開けてくれた連合の女はどうした?」
『………………』
「くたばったか……どこかに隠れて傷を癒しているか。何にせよ原住民の、それもガキ一人に協力させている時点でそっちの状況は知れるなあ、オイ」
嘲いの笑みを顔に浮かべた男は弥都を見下ろす。
『………………』
サイコボムを壊された事で頭にきているのだろう。その目は鋭く睨み付けるものだ。
だが、サイコボムを破壊した当の本人は平然としているどころか無視して見上げてくるだけだった。
その態度に更なる怒りを覚えた男は、ふと弥都の視線に違和感を覚える。
彼の目線は換気扇の上に座る男よりももっと上、建物の屋上に向いていた。
「ああ?」
二人の会話を無視してまで少年が見ているものが気になった男は後ろを振り向こうとする。
その直前、弥都が空を真っ赤になった右手で指さし、叫ぶ。
「――ゆーふぉーっ!」
「なにぃ!?」
男が体の向きをそのままに、首を半回転させて空を見上げた。同時にジャケットの内側に手を入れて銃らしき物を抜き出す。
しかし、空には未確認飛行物体の影も形も無かった。
「んだぁ? いねぇじゃねえか。驚かし――って、オイ!」
首を再び半回転させて弥都とバルザの方へ視線を戻すと、一人と一機の姿は無く、蛇の首と尾を持つ犬の死骸だけが転がっていた。
男が慌てて左右を見回して路地を駆ける子供の後ろ姿を見つける。
「オイ、ゴラァ! ッけんなよがぁ、クソガキィ!」
壊れた爆弾をしっかりと回収済み弥都を追って、男が四階の換気扇の上から飛び降りる。地面に着地する直前に体が一瞬浮き、静かに着地した。
そして銃を握ったまま男は商店街のある方向に向かって一直線に走る小さな背中を追った。
「今時、あんなの子供でも引っかからない」
狭い路地を弥都は小柄な体で難なく進んでいく。
『子供の君が言うとなんともな。ところで、それをこちらに入れるんだ。念のために完全に機能が失われたか確認できるまでは保管しておいた方がいいだろう』
バルザのボディにある円形部分が回転し、空気の抜けるような音と共に前に迫り出てくる。
そこは空洞になっており、サイコボムを入れるには丁度いいスペースがあった。
「銃を持ってましたね」
サイコボムをその中に入れながら、確認するように聞く。
『ああ。レーザーを発射するタイプだな』
中にサイコボムが入ると、円形部分が先程とは逆に回転して本体の部分に戻る。
「レーザー……SFですね」
『そんな物よりも驚異なのが――』
バルザが言い切るよりも早く、弥都が走る路地の先に男が突然現れた。
何の前触れも無く、何もなかった空間から一瞬で出現した男の手には銃がしっかりと握られており、銃口は弥都に向けられている。
瞬間移動してきた男を見て弥都は急停止し避けようとするが、狭い路地の中ではそれが限られてしまう。
引き金が引かれ、銃口から閃光が瞬く。
「――ッ!?」
眼で捉えられない光が弥都を貫くかと思われたその時、一筋の光線は彼の眼前で音を立てて弾けながら消えた。
「チィ! このぐらいは防げるか」
男が舌打ちする。
弥都はその間にも急いで引き返して曲がり角を曲がる。
「今のは瞬間移動というやつですか?」
『そうだ。上から来るぞ。気を抜けばバリアが弱まる。気をつけろ』
バルザの言うとおり、路地の上に男がテレポートで移動していた。
「喰らえ!」
空中で滞空する男の周囲に光の球体が四つ現れ、尾を引きながら弥都の頭上へと落下する。
弥都の目の前には商店街の大通りへ抜ける入り口がある。彼はそこに向けて飛び込みながらバリアが張られるよう念じた。
四つの光球の内三つが地面や路地の壁に当たり、残り一つがバリアへ衝突する。
どれも着弾と同時に爆発を起こした。
「うわっ!」
爆風に煽られて弥都の体が大通りへ転がり、いくつもの擦り傷を作ってうつ伏せの状態で止まった。
「う、ぐ……」
「ったく、手間かけさせんなよ」
路地裏の暗がり、月を背にして宙に浮いていた男が弥都の目の前に着地する。
「見たとこ、ESP能力を使い初めて間も無いみたいだな」
男は銃口を弥都に向け、彼が転んでも放さなかったバルザを蹴りとばす。バルザは地面を滑り、道の真ん中で止まった。
「悪いな、ボウズ。恨むならお前を巻き込んだ連合の連中を恨みな」
「くっ…………」
『ヤト、聞こえているか?』
銃を向けられ容易に身動きが取れなくなった時、頭の中から声が響いた。
知っている声に、弥都は視線だけを動かして地面に転がるバルザを見る。
不思議な事に、声は弥都にしか聞こえていないらしく男は二人の会話に気づいていない。
『テレパシーで会話している。まず、私の言う事をよく聞いてくれ――』
頭の中から聞こえる声を聞きながら、弥都は男に気づかれないよう四肢に力を入れる。
「………………」
「あばよ」
男が、銃の引き金に力を入れた。
「フッ!」
「なッ!?」
銃口から眩しい光が発射される直前、弥都の体が跳ねた。
四肢に力を入れながら地面を叩くようにして伸ばした結果、ボールのように跳ねてレーザーを避ける。そのまま信じられない勢いで男の側を通り過ぎ、四肢で着地する。
「勢いが強すぎた」
着地した姿勢のまま顔を上げた弥都の片頬が、地面を擦ってしまい赤く滲んでいた。
跳躍している途中で弥都はバルザの真上を通過し、宙で地面に向かって手を伸ばしたのだが勢いが強すぎて指先も掠らずに飛び越えてしまっていた。
バルザを回収する為、弥都は立ち上がり走り出す。
「テ、テメェ!」
男が銃口を再び彼に向け、引き金を引くと同時に周囲から四つの光弾を放つ。しかし、人間離れした速さで走る弥都には当たらずに駆け抜けられる。
弥都は走りながら地面に転がるバルザを掴んで回収すると、そのまま勢いを落とさずに光線を撃ち続ける男に向かって飛びかかるように突進。
バルザを大きく振り被って、男の頭部を手加減になしに狙った。
「うおっ!」
顔面を狙った攻撃は直前に出現したバリアによって防がれてしまう。
「――ちっ」
男の横を通り過ぎた弥都は小さく舌打ちして地面に着地し、今度こそ走って逃げ出した。
「待ちやがれ!」
怒鳴った男の姿が消え、次の瞬間には弥都の背後に現れた。
『ヤト、後ろだ!』
目標だった少年が頭から横に跳び、男の伸ばした腕が空振る。
「チィ!」
弥都は大通りから裏路地へ転がるようにして飛び込んで姿を消す。
その姿を追って男も暗がりの中へ入っていった。
『センスがあるな。もう自在に操るとは』
自転車よりも速い動きで細い路地を走り回るなか、バルザが感心したように言った。
「力加減がまだ上手くできてません」
T路地に行き当たり、弥都は曲がろうとするが減速が足らずに勢い余って壁にぶつかりそうになる。
壁を蹴る事でなんとか無理矢理進路を変える事に成功した。
『それだけ念動力を使えれば十分だ』
弥都が異常な身体能力を発揮しているのは、念動力によるものだ。
バリアを使った時のように、最初はバルザからのサポートを受けて、今は自分の意志によって念動力を使用している。
身体能力が上昇していると言うよりは、動く方向に筋力とは別の力で後押しされているような感覚を弥都は覚えた。
手も触れずに物を動かす力によって手足を引っ張る又は押し出し、着地などの際は体を僅かに浮かせる事で衝撃を和らげている。
「あの空を飛ぶのもこの力なんですか?」
『そうだ。効率が悪いので使えてもあまり使う者は少ないがな。むっ……ヤト、また上からだ』
言われた通り、見上げると路地裏を形成する建物の屋上を飛ぶようにして移動する影があった。
「とっととくたばりやがれ、連合のイヌ!」
光弾が曲線を描きながら屋上から路地に落ち、真っ直ぐに弥都へ向かっていく。
狙いが甘いのか、弥都の動きが予想以上に速いのか、光の弾が外れて無闇に穴を作った。
爆発の煙に紛れ、弥都は横道へ逃げ込んで物陰に隠れる。
「チッ、どこ行きやがったクソガキ! 出てこい!」
一瞬で着弾場所に移動した男が怒鳴り散らして左右を見回す。
物陰の中、身を隠した弥都は男の様子を伺う。
「あの光の玉はオレにも使えますか?」
『使えるだろうがバリアがあっては効果は薄い。それよりももっと効率が良い物がある。私を使え』
「さっきから殴ったり盾にして使ってます」
『……そうだな、使っていたな。だが、用途は合っていても使用法が間違えている。言っただろ? こう見えても武器だと』
言った途端、バルザが僅かに低い音を立てる。
四角いボディに隠れていた切れ目が線として奔り、白い外装が複数のパーツとして別れる。分割されたパーツは内部に隠れていた蛇腹の金属性の棒によって結ばれており、蛇腹の棒が一直線になるよう各パーツが回転する。
生き物が背筋を伸ばすようにして、中央部分にあった円形部分を先頭に全てのパーツが一直線に並んだ。
持ち手を持ったまま変形したそれを弥都は見上げる。
「殴打武器?」
言って、両手で上下に振る。アタッシェケースの持ち手部分だったパーツが金棒に沿ってある程度自由に動くので長さの割に持ちやすい。見た目に反して軽いが、先端の円形部分が他と比べて大きく重しとなっているので威力はありそうだ。
『一応殴っても使えるが、違う。この形態は――』
「見つけたぜえぇぇっ!」
バルザが説明しようとした途端、真上から声がして光弾が降ってきた。
生じた爆発は路地を囲むビルの壁を破壊し、路地を埃と煙で満たす。
「やったか?」
宙に浮き、見通しの悪くなった路地を見下ろして男は銃を持っていない手の平を下に向ける。
すると、路地に充満していた土埃などが風に煽られたよう吹き飛んで消えた。
男が見下ろす中、邪魔な物が消えた路地には少年の姿は消えていた。
避けられたと気づいたと同時、彼の耳がガラスの割れる音を聞く。
「奇襲で声を上げるって……」
『所詮は盗人、戦いに関してはそこらのチンピラと変わらんさ』
明かり一つない階段を、踊り場の窓から差し込む僅かな月の光を頼りに弥都は駆け上る。
弥都は男の光弾をバリアで防いだ後、その衝撃で壁に空いた穴から隣のビルへと進入していた。
『言った通りやれるか?』
「言われた通りならできます」
『大丈夫だな』
踊り場を前にして高く跳躍して体を捻る。体の向きを変えた弥都は階段の手摺りに足の裏をつけて膝を曲げる。
見上げた先、そこには埃が張り付いた窓ガラスがあった。
「――ッ!」
声に出さず、極力音を出さないようにして力を入れながら両膝を伸ばして跳んだ。念動力で押し上げられる事によって生まれた跳躍力は凄まじく、あっと言う間に窓へと突進する。杖の形へとなったバルザの先端でガラスを叩き割って一気に外へと飛び出す。
「なァッ!?」
窓ガラスを破った先には宙に浮いたままの男がいた。
弥都が飛び出したのは男よりも少し高い、僅かに見上げられる位置だ。
自分の体ごと回転させるようにして、弥都は大きく弧を描きながらバルザを背中から頭上、そして男に向かって振り下ろした。
既に目の前にまで来た相手に迎撃は間に合わない。が、男はバリアだけは間一髪張る事に成功する。
バルザのボディがバリアと接触する直前、先端の円形部分の外縁から眩しい光が溢れだす。
波のように押し広がる光はそのまま形として残り、不定形の刃と成る。
光の刃とバリアが接触した。
バリア表面に火花が一瞬散るが、布を引き裂いたような音と共に光の刃によって容易く切り裂かれる。
「がァあああぁぁーーッ!?」
光の刃が切ったのはバリアだけではない。その向こうにいた男の左腕をも切り落としていた。
肩から先を失った男は悲鳴を上げながら地面に墜落する。弥都もまた落下するが、背中から落ちた男と違って足から着地。
「おおおぉぉっ!? テメェ、クソガキがぁ、腕、俺の腕がっ! ああぁああぁぁっ!!」
男は血を噴水のように噴出させている傷口を右手で押さえて転げ回り、悲鳴の端々に悪態をつく。
「ちくしょうがぁぁ、テメェ、覚えてやがれ!」
叫びと同時、男の姿が一瞬で消える。
「………………」
何となく弥都が横に振り返って空を見上げると、三十メートル先の空に左腕を無くした男の背が見えた。次の瞬間には男は再び消え、今度は六十メートル先にいた。
消えては現れるを繰り返しては遠ざかり、男の姿は完全に闇夜の中へと消えていく。
「……疲れた」
何もせずに男の背を見送ると、大きく息を吐いて弥都は杖状となったバルザを支えにしてその場で項垂れた。
「頭も痛い」
『初めてでこれだけESPを使ったのだ。脳に負担がかかっている。むしろそれだけで済んだのだから適正が高いのだろう』
「そうですか……」
頭痛、と単純に言えないほどの痛みを受けながらそれを顔に出さず、ただ気ダルそうに身を起こすと彼はバルザを見上げた。
「不格好な刃物ですね」
先端の円形部分には光の刃が未だ伸びていた。淡い光を放つ薄い刃は規則性の無い、悪く言うと出来損ないの形をしていた。
『最初に言っただろう。能力者の意思によって形は変わる。もっと明確にイメージしてみるといい』
言われ、弥都は僅かに目を細めて念じてみる。すると、不定形だった刃が形を変え同円心の刃となる。
「………………」
弥都が見上げる中、円形だった刃が今度は三角形に、次は長方形と形を変えていく。同時に、整った形を持たせた事で頭痛が少しおさまってきた。
彼が自在に形を変えていく光の刃は、ビルの中に入った際にバルザに教えられたESP能力の応用であった。
原理はよく分からないが、ESP能力により生まれたエネルギーを圧縮し、形を与えることで武器にするという事らしかった。その威力は先ほどバリアを簡単に切り裂いたように高い。
人工知能であるバルザのボディはエネルギーロスの多いその能力の補助をする機能を持っていた。
「ラディツアさんもコレを?」
弥都はある程度試した後、光の刃を消した。
『いや、彼女は銃を主に使う。私は本来彼女の父親の持ち物だった』
「……過去形なんですね」
『殉職したのだ』
「つまり形見なのでは……。オレが使ってもいいんですか?」
『形見だろうとなんだろうと、道具は道具。私からしてみれば倉庫に仕舞われるよりは、多少壊れても使われる方を選ぶ』
「そういうものですか」
杖状になっていたバルザが音を立てて変形し、元のアタッシュエケースへと戻る。
「ところで、犯人を見逃しても良かったんですか?」
『元々戦闘が目的でない。追っても仲間が待ち伏せしている可能性もある。爆弾の一つを破壊できたのだから十分だ。何より君の体力が保たないだろう』
「たしかに」
言って、弥都はまた深い息をついた。戦闘での緊張が解けたせいか、眠たそうに瞼を重くしている。
その時、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
「警察が来た」
『この星の治安維持組織か。これだけ騒げば当然と言えば当然か』
彼らの周囲は男の放った光弾やレーザーによる破壊痕が生々しく残っている。ここまでの道中も同様で、さすがにすっかり寂れた商店街と言えど、爆発などの音を聞きつけて近所の誰かが通報したのかもしれなかった。
『逃げよう。事情を聞かれては面倒だ』
「はい。ところで、あの人が落としていった腕はどうしますか?」
『落とさせたのは我々だがな。そのまま放置してくれればいい。それよりも急げ』
頷き、弥都は地面を蹴って跳んだ。五階建てビルの非常階段まで跳躍し、今度は手摺りを蹴って隣のビルの屋上へと三角蹴りで移動する。
少年はサイレンの音を背に、そのまま建物の上を跳び渡りながら消えていった。