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慟哭の歌  作者: 紫貴
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 星々の光が煌く宇宙の上で二種の光が高速で動き回っていた。

 星の輝くと比べはるかに小さな光は二隻の船から発せられるライト、そして互いの砲口からのものだった。

 光の筋が両者を行き交い、赤い光を生む。

 船は追う側と追われる側に分かれていた。

 追う側は鋭角的なフォルムを持つ鋼鉄の船体に対し、追われる側は有機的な船だった。

 何枚もの外殻を重ね四角錐の形をし、底辺の部分からは二つの長い尾が伸びている。四つの線が集まる頂点を前方として暗黒に包まれた空間を飛行しているソレは二つの目の間に人工的な装甲が埋め込まれていた。

 いくつもの光条が二つの船の間を行き交い、爆発を生む。

 互いの船に穴が開き、一部のパーツが解体された時、追われる側である有機的な船の前方に銀色の巨大な円が出現する。

 外縁に線が絡み合って描く紋様を持つニ次元の円は鼓動を刻むように表面に波紋を起こす。

 その銀円の中心へと、船が加速した。

 船の先端が銀円に触れると面が震え、波紋を大きくする。そのまま船は波打つ銀円の中へ沈むようにして入っていった。

 そして、追う側もまた崩れながらも加速して銀円の中に入っていった。




 ◆


 小さな石が三つ、地面に転がった。

 遅れて四つ目の小石が、やや離れた所へ落下のタイミングをずらして転がる。

「…………」

 額に生じた痛みと、乾いた音を立ててアスファルトの地面に転がるそれを見て御門弥都は石の飛んできた方角に顔を向けた。

 四車線の道路を挟んだ反対側の歩道に三人組の少年達がいた。彼らは弥都に何かを叫び、屈んで地面に転がった石を掴んだ。

 弥都は正面に向き直って鞄の紐を握ると、全速力で駆け出す。

 間一髪、新たに飛来した石が頭のすぐ後ろを横切って、手摺向こうに広がる海岸へと落ちていく。

 背後から聞こえる罵倒の声を無視して、弥都はそのまま海沿いの道を走り続ける。

 しばらく走り、人気の無い所までくると後ろを振り返った。

 走った事による呼吸の乱れを整えながら自分が走ってきた道をじっと見つめるが、曲がりくねった海岸沿いの歩道には先程の少年達はおろか人一人おらず、車も通らない。

 一度大きく息を吐く。そこで弥都は自分の額、左のこめかみから左頬、そして首にまで伝わってくる感触を思い出した。

 ズボンのポケットからハンカチを取り出すと、水が伝う感触のする部分を拭く。

 拭ったハンカチを見てみると、真っ赤な血が付いていた。自分の左肩を見れば、走ってきたせいもあり、首を伝って襟に血が滲んでいる。

「…………」

 弥都は流れる血を全部拭き取って、脈打って痛みを知らせるこめかみに出来た傷口をハンカチで押さえる。

 その時、海の方から風が吹いた。

 髪が右から左へと靡き、頬を叩いた風のおかげで顔が海の方に自然と向いた。

 沈みつつある夕日の光で海岸が赤にも似た橙色に染めていた。

 弥都は視線をすぐに正面に戻そうとする。だが、視界の隅にあるものを見つけて再び視線を海岸に、山と浅瀬の境目になっている方角へ向ける。

「…………」

 目を細め、それがなんなのか見当を付けた彼は再び走り出した。


 弥都が駆けつけると、そこには岩瀬に少女が一人倒れていた。

 漂流物のように体の半分を波に揺られ、残り半分を陸に打ち上げられている。

 弥都は走ってその少女に駆け寄ると、濡れるのも気にしないで後ろから彼女の両脇下へ腕を通して引っ掛け、波打つ海から引き摺り上げて砂浜へと運ぼうとする。

 少女は十代半ばのようで、まだ十になったばかりの弥都よりも年上のようだ。その体格差はやはり大きく、苦労しながらも弥都はようやく事で運び終えた。

 ゆっくりと少女を地面に寝かし、もう一度彼女の状態を確認する。

 全身が濡れている事から海で溺れたのだろう。弥都が手を彼女の唇の前に伸ばすと、呼吸しているのが分かった。

 ただ、その呼吸は穏やかなものでは無く、苦しみに耐えるような荒い息だ。

 少女は見たこともないデザインの服を着ており、その脇腹には赤く広がる染みがあるのを見つける。

「救急車を……」

 弥都はズボンのポケットからスマートフォンを取り出して番号を打とうとする。

 だが、その手を何者かにいきなり捕まれた事でスマートフォンを地面の上に落としてしまった。

 手は気絶していた筈の少女から伸びていた。

 いつの間にか少女が目を開けて、倒れたまま弥都の手首を掴んでいた。

 彼女は荒い呼吸を繰り返しながら首を横に小さく振った。

 人を呼ぶなという事だろうか。そう思った弥都が問おうと口を開いた瞬間、少女は苦しそうに小さく呻き、再び目を閉じた。弥都の手首を掴んでいた手も力が抜けて自然と砂浜に落ちる。

 弥都は戸惑う。人を呼ぶなという少女だが、左腹部からの傷は素人目から見ても深いと分かる。このまま放置するのは危険だ。

 と、少女の意志に反して助けを呼ぼうと、弥都が地面に落ちたスマートフォンを拾う。

 その時、奇妙な音を聞いた。

 熱した鉄板に水をかけたような、水が瞬時に蒸発する音だ。

 音源を探すと、それは少女の、それも傷口からの音だった。

 白い蒸気が昇っており、破れた服から覗く傷口から小さな赤い気泡が発生している。しかも、蒸発する音に混じって粘液が蠢くような不快な音もあった。

 弥都の目の前で、ゆっくりとではあるが傷口が塞がりはじめていた。血が半個体となってそれ以上の出血を防ぎ、細い筋肉繊維が開いた傷を繋ぎ始める。

「…………」

 人間ではない――いや、生物が起こすような現象では無い。

 グロテクスなそれを見、少年は立ち上がると同時に駆け出してその場から離れた。


『…………仕方ないか』

 当然の行為だと思いながら、一連の様子を眺めていた彼は無機質な声で呟いた。

 少年にその存在を気付かれず無視されてしまった彼だが、重傷を負った彼の相方である少女に対する反応も含めて別段気にしてはいない。

 そんな事よりもやるべき事があった。情報を収集する事だ。

 単独では身動きの取れない彼だが、幸いにもこの星ではある程度通信技術が発達していた。ならば、空を行き交う情報を送受信して情報を集める事は出来た。

 少女の容態は無理の出来ない状態だがとりあえずは危険領域を抜けた。心配したところで回復する訳でもなく、悪化する訳でもない。

 と、彼が電波を傍受していると、断続的な物音と共に砂を荒々しく踏む音が聞こえた。

『――む?』

 段々と近づいてくる音は逆三角の形をした手押し車に付いたタイヤの動く音と、それを押す先程の少年の足音だった。

『なんだと……?』

 少年は手押し車を少女の前に置くと彼女の両脇を持って車の上へと運ぶ。体格差があって苦戦しているようだが、少年は嫌な顔をせず、むしろ逆に不気味なほどに無表情だ。

 それからようやく少年は、膝から先と肩から上がはみ出てるものの少女を車の中に入れる事に成功する。

 少年は次に周囲を見回す。

 その時に額に掻いた汗を服の袖で拭う。こめかみから流れていた血が付着するが、少年はそれを一瞥しただけですぐに視線を海沿いに向けた。

 何かを探しているようだった。そして、波際に打ち上げられていた黒いポーチを見つけると急いで駆けつけ拾う。そのまま、手押し車に乗る少女の上に乗せた。

『………………』

 少女の私物を探してくれているのだ。

 ポーチだけで無く無関係のゴミまで拾って積め込んでいるのは幼い故だろう。

『…………使えそうか?』

 波際と少女の所を行き来する少年の姿を見て、彼はある考えが浮かんだ。


 御門弥都が少女の物――かもしれないゴミ――をあらかた集めると、手押し車の持ち手を掴んだ。

『済まないが、私も拾ってくれ』

 同時に声が聞こえた、ような気がした。

 耳で聞いたと言うよりも頭に直接響くような感覚に弥都は首を傾げる。

 その奇妙な声は中年男性の低いものだが、波際を見た時は手押し車の上で眠る少女以外に人の影など一つも無かった。

 幻聴だろうかと思った時、再びそれは聞こえた。

『ここだ。岩場の陰だからそこからでは見えない』

 弥都は一度周囲を見回して声のする岩場を見つけると、僅かに躊躇いながらも手押し車から手を離し、そこへ近寄る。

 だが、岩場にはとても大人一人が隠れてしまうようなスペースは無い。

「…………どこでしょうか?」

『ここだ』

「…………」

 窪んだ岩からあったソレを弥都は見つけ、引っ張りあげる。

『助かった。ラディ……君が拾った少女に代わり礼を言おう』

 声は、弥都が両手で持った白いアタッシェケースのような物から聞こえてきていた。中央には、円とその中を走る直線を描くシンプルな金の装飾がある。

『私はバルザ。遥か彼方の銀河からやって来た来訪者だ』




 ◆


 弥都はビニール袋を持って、昼の陽による熱がまだ残るアスファルトの地面を走る。

 河川沿いの道を駆け、人気の無い廃工場地帯へ入っていく。夕日で伸びる影は長く黒い。

 夏の夕方は永いが、もうまもなく朱い夕焼けも終わり夜になろうとしていた。

 弥都は躊躇う事無く真っ直ぐに、ある古びた工場の前に立つとスライド式の大きな扉を開ける。

 全体重をかけてようやく開いた鉄の扉を横切り、工場内に入った。

 古びた工場は機材などが全て撤去されて広々としたがらんどうな状態になっていた。

 だが、錆び付いたドラム缶や長さがバラバラな木材などが取り残されている。

 そして、場違いにも工場中央にソファが置かれている。

 そのソファの上には十代後半の少女が寝かされていた。

 そして床には、バルザと名乗る白いアタッシェケースが立てて置かれている。

『感謝する。寝床まで提供してもらった上にそのような物まで用意してもらって』

 バルザの表面にある円の装飾が点滅し、成人男性の声が発せられた。

「いえ……」

 弥都はビニール袋を一度地面に置くと、工場の隅から古びたパイプ椅子を二つ、引きずってソファの前に設置。椅子の上に喋るバルザとビニール袋を改めて置く。

「ほんとうに包帯と消毒液だけでよかったんですか?」

 弥都はビニール袋の中から包帯を取り出しながら椅子の上に置いたバルザを見下ろす。

『ああ。危険域は越えた。簡単な手当だけで十分だ』

「そうですか」

 ソファの前に移動し、少女の上着を掴んで腹部が見えるよう捲る。ジャケットのような服は今まで触れた事のない変わった手触りだった。

 臍に近い脇腹の辺り、白い肌には亀裂のような形をした真っ赤な傷口があった。内蔵が見えてもおかしくない程深い傷だが、傷口部分がヘドロのような血で覆われている。

「さっきも気になったんですが、これは膿かなにかですか?」

『それは血が半固体化したものだ。種族の特性とナノマシン技術を合わせたもので、止血と癒着の効果がある』

「種族……ナノマシン……」

 聞きなれない言葉を反復する。まるで少女の異常さを再確認しているかのようだった。

『まずは消毒して、傷からはみ出ている血は拭ってくれていい』

 バルザの指示に従い、弥都は消毒液を薬局で買ってきた消毒済みの白い布に付ける。傷の範囲が広いために綿棒などでは時間が掛かる。

『そんな丁寧にやらなくていい。いっそ丸ごとぶっかけてしまえ』

「でも、そんなことをしたら……」

『構わんよ。そうヤワじゃない』

「そういうことなら」

 弥都はキャップを全て開けて少女の傷口に消毒液を躊躇なくぶちまけた。

「~~~~~~ッ!!」

 少女は小刻みに震えて大量の汗を浮かべる。明らかに痛そうだが、目を開ける様子はない。

『……これでも目を覚まさないか』

「痙攣し始めたんですが?」

『気にするな。とにかく、傷口を拭いてやってくれ。粘液となった血も一緒に拭いてかまわない。どうせまた血と一緒に出てくるからな』

 言われるまま、弥都は滅菌済みの布を使って少女の傷口をゆっくりと拭き始める。

「くっ……ぅ、あ……」

 触れた事で痛みを感じたのか、少女が小さく呻き始めた。

 弥都はなるべく丁寧且つ慎重に作業を進める。白い肌に浮かぶ玉の汗も一緒に全ての血を拭き取ると、布に粘液以外の赤い液体が付いた。

 綺麗に拭き取られた傷口から滲む血だ。出血は通常の血のように赤く流れ出ているが、しばらくすると段々と粘液のように粘りが出てきて傷を埋めるように溜まっていく。

「縫う必要はないんですよね?」

『ああ。こうなれば後は自然治癒で綺麗にくっつく。ただ、菌やゴミが入っては感染症になりかねない。包帯を巻いてやってくれ』

「はい」

 血で真っ赤になった布をビニール袋に放り込み、少女の傷を新しい布で押さえて腹に包帯を巻いていく。少女は横になっている為、背に買ってきた水のペットボトルを挟んで隙間を作る。

 背を反らした少女は痛みで唸るが、今度は無視する。

「できました」

 やり遂げた達成感を含んだ声を出して、弥都は自分の額の汗を拭った。

 子供故か多少大雑把で明らかに傷口以上の広い範囲を包帯で巻いてあった。

『感謝する。少年』

「いえ。さすがに大怪我してる人は放っておけませんから」

 バルザから礼の言葉を聞きながら、弥都はタオルで少女の汗を拭き取ってやった。

 手当が終わったおかげか呻くのを止めた少女は一定のリズムで呼吸を繰り返し、されるがままに汗を拭き取られる。

「あっ、そういえばペットボトルが」

 うっかり、少女の背とソファの間にペットボトルを挟み入れたままだったのを思い出し、弥都はペットボトルを無理矢理抜いた。

 その反動で傷に痛みがはしり、少女は再び痛みで呻いた。

『……さて、ひと段落したところで改めて自己紹介しよう』

 苦しむ少女を余所に、バルザは淡々と話しを始めた。

『改めて、私の名はバルザ。簡単に言ってしまうと人工知能だ。そして彼女はラディツアと言う。彼女は外見こそ君ら地球人と違いはないが、ズバリ宇宙人だな』

「オレは御門弥都と言います。夜都浦第二小学校の四年生です」

『………………』

「何か?」

『宇宙人という単語に驚いていないようだな。寧ろ、疑いの目を向けられると思っていたのだが?』

「オレも宇宙人ですよ」

『なに?』

「地球人だって、宇宙人です」

『……………』

「それとも、ウソなんですか?」

『いや、嘘ではない。しかし、この星の一般常識から考えれば宇宙人を自称する者は頭がおかしいと見られるのが普通ではないのか?』

「そうなんですか? そういうの、まだ子供のせいか分かりません」

 果たして、子供が自ら子供と認識し、知識や常識の不備を自覚できるのだろうか。

 機械ながらも戸惑いを覚えながら、バルザは言葉を続ける。

『宇宙人云々はともかく。礼を言う』

「いえ、当然の事をしたまでです」

『そうか……。ともかく、もう日が暮れる。夜にならない内に帰りたまえ。家族が心配するだろう』

「いえ、家にはオレ一人です」

『……その年で一人暮らしなのか? ご両親は?』

「母はオレが四歳の時に死にました」

『それは済まない事を聞――』

「父は刑務所で服役中です」

『………………』

 さらりと、とんでも無い発言が出た。

『ま、まあ、ともかく今日はもう帰るといい。このままいた所でラディが目覚める訳ではない』

「そうですね。オレも夕飯の準備もしないといけませんので、また明日」

 弥都そう言って一礼すると、手当の際に出来たゴミ――少女の血のついた布など――をビニール袋に入れてその口を縛ると、立ち上がる。

『…………』

 バルザの金の装飾が一度煌く。

 既に出口に向かって歩き出していた弥都は急に立ち止まって後ろを振り返る。

「あ、はい。お休みなさい」

 そして、まるで何かに返事をするように振り向いて別れの挨拶をすると、そのまま工場の中から出て行った。

『…………当たり、か』

 埃の張り付いた窓から差し込む夕焼けの中、人工知能であるバルザの駆動音だけが静かに音を鳴らしている。『私達に協力してくれ』

 次の日、朝からやってきた弥都にいきなりバルザが協力を申し出た。

「いいですよ」

 そして速攻で返事が返ってきた。

『内容は聞かなくていいのか?』

「子供に出来ない事頼むんですか?」

『……いや。ただ、我ながら何の脈絡も無く言ったので、すぐに返事が来るとは思わなかったから驚いた』

「人工知能でも驚くんですね」

 弥都はビニール袋をソファの前に置かれている小さな木製の箱の上に置くと、昨日そのままの位置にあるパイプ椅子に座る。

 ソファにはラディツアが以前変わらず眠っている。彼女は昨日と比べると幾分安らかな顔をしていた。

 隣のパイプ椅子には白いアタッシェケース、バルザが置かれている。

『予想外の事があれば機械でも動きを止める。それはともかく、事情を説明させてもらおう。昨日、宇宙人云々の話をしたが、我々は……カディス連合と呼ばれる組織に属している』

「れんごう、ですか?」

『そうだ。異星間同士の……この星で言う国際連合の宇宙版だと思ってくれればいい』

「こくさいれんごう……」

 スマートフォンを操作して弥都は単語をネット検索し始める。

『ラディは大まかに言うと情報部に所属しており、その仕事内容は幅広い。今回我々はその仕事の一環である強盗犯を追っていたのだが、宇宙船での戦闘で相手共々この星に墜落してしまったのだ』

「宇宙船……」

 単語を反復した弥都が若干興奮した色を帯びた声を発し、工場の天井を見上げたその瞳に若干の輝きがあった。

 その様子から僅かだが年相応の子供らしさが垣間見えた――

「まさか、その強盗犯を捕まえてほしいんですか? バルザの星では知りませんが、この星で十歳の子供が犯罪者を捕まえるのはすこしムリがあります」

 ――かのように思えたが、少年はすぐに淡々とした様子で反論した。

『安心してくれ。そこまで頼むつもりはない。ただ、私を連れて街を歩いてくれればいい』

「歩くだけ?」

『ああ。ラディが追っていた犯罪者がこの街に潜伏している恐れがある。彼女が目を覚ますまでに、街の地理と様子を直接出向いて知る必要がある。そういう訳で、もう一度言うが協力してくれないだろうか?』

「わかりました。それぐらいならできます」

『ありがとう。助かる』


 早速街へ探索に出るため、海沿いの歩道を弥都は歩く。両手には少年の体格には不釣り合いなアタッシェケース、バルザを持っている。

「まずは市の周りを歩けばいいんですね?」

『一応地図を入手しているが、私のレーダーで街全体の把握はできないからな。ESP能力者がいれば別だが』

「ESP?」

『ああ。私たちの星域では一般的な存在だが、この地球にはいないようだな。むしろ空空想上の存在だと思われている』

「テレビなどで自称超能力者を見たりしますけど」

『調べてみたが、あれは偽物だな』

「調べた? どうやって? それに地図を手に入れたとか……」

『通信機能がある。それを使ってインターネットから情報を集めた』

「通信機能があるなら、カディス連合に連絡したほうがいいんじゃないですか?」

 話しながら歩いている内に歩道から見える砂浜の光景が途切れ、山の風景へと変わる。

『さすがに距離がある。だが、まあ他に手が無い事はない。結果待ちと言ったところだな。ところで、重くはないか?』

「いえ。見た目と比べてずいぶん軽いので平気です。何でできているんですか?」

『…………■■金属だ』

 ノイズが奔った。

「――ラフ金属?」

『…………そうだ。地球には無い金属だな。先ほどの超能力者の話に戻るが、この金属は――』

 突然バルザが話を止めて沈黙する。

 弥都もバルザの反応に足を止めた。右手側には山の斜面に生える木々が並び、左手側には道路を破産で住宅が並んでいる歩道だ。

「…………? どうしましたか?」

 弥都が見下ろすと、バルザの中央にある輪の装飾が僅かに光っていた。

『この反応……まさか、使ったのか? いや、しかし――』

 深刻な、危機感を持った声でバルザが一人呟くと、山の方から物音がした。

 弥都が音のした方に振り向く。歩道の先、数メートルしか離れていない地点からその音はしていた。

 木々の間に生える茂みが揺れ、小さな影が歩道に飛び出す。

 それは猫だった。四肢の先が白く、それ以外の頭から尻尾のつま先まで黒い体毛に覆われている猫だ。

 体に付いた木の葉をふるい落とすように、猫は数度体を震わせると四肢を伸ばして背を伸ばす。

 どこにでもいる野良猫のように思えた。

「あれは猫です。知ってますか、猫?」

『知っている。猫という生き物はどこへ行ってもいるものだ。だがあれは……』

 その時、猫が空を見上げて顎を開き、喉を震わして鳴いた。

「――――うあッ!?」

 この世のモノならざる声が弥都の脳を襲った。

「な、――ぐ、ぅう……。な、なにが?」

『くっ、やはりか!』

 不快などと表現も生やさしく、何を思うよりも早く先ず吐き気をもよおす声に弥都は両手からバルザを落とし、頭を押さえて地面に膝を付いた。

 声、音、音波、空気の波、そんな現象ではない。脳に、精神に直接響くような形容しがたい声であり、思考も意志もかき乱される。

 脳を侵す声ならざる声は猫が口を閉じると同時に何事も無かったかのように止んだ。

「……今、のは?」

 声が止んだ事で、感じていた不快感から逃れた弥都が顔を上げる。

 いつの間にか振り向いていた猫と目が合った。

「え?」

 一瞬、息を飲む。

 振り向いた猫の右顔には、鼻と口を除く全体に大小様々な目が生えていた。皮と頭蓋骨の間にあるのか、目玉が皮膚と肉を押し上げ、裂けた皮を破り瞼のようになっている。

 目は今も増え続けており、布を引き裂くような音と共に新たな目が皮膚を破って現れる。

 前後左右、様々な方向に素早く動いていた瞳が一斉に弥都の方へ向いた。

 一つだけの左目が青色なのに対し、十を超えた右目は赤色だ。

『一つ聞くが、地球産の猫は目がいくつもあるものなのか?』

「普通は二つです」

『だろうな』

 猫は数度の瞬きをすると、興味を失ったように弥都から顔を背けて走り出した。

『ヤト、追うんだ!』

「え?」

『アレを人のいる所に出すわけにはいかん! とにかく追うんだ!』

 バルザに言われるまま、とにかく弥都は落としたバルザを掴んで立ち上がり、歩道を駆ける猫を追う為に踏鞴を踏みながら走り出す。

「あの猫が何なのか、知っているんですか?」

 歩道から進路を変え、車道を横切っていく猫を追いかける。

『詳しい説明をしてる暇ないが、ともかくあの猫を捕まえるのだ。君も聞いただろう、あの声を』

 猫は段々と山の方から離れ、人通りの多い方向へと向かっている。

『君は耐えたが、耐性の無い者がアレを聞けば狂うどころではない。もしあの猫が人の多い所で鳴いてしまえば……』

 先程の感覚を思いだし、弥都は眉をしかめた。確かにあのような声を聞き続ければどうなってしまうか。

 同時にどうして自分は平気だったんだという疑問が湧く。

『ヤト、この周囲は人の反応はないが、地理はどうなっている?』

「あっ、ここは……」

 思考が中断されるが、すぐに頭の中に地図を思い浮かべる。

「たしか中央区の開発の影響とかで、奥に行くほど人気がなくなります。でも、すぐ横道に入れば一気に人が多くなって……」

『なんとしても止めてくれ。あの声に耐えれる君にしかできないことだ』

「分かりました。何とかやってみます」

 話している間にも、得体の知れない猫はまるで誘われているかのように人の集まる都市の中央に向かって走っていく。

 弥都は途中で走りながら身を低くし、地面に転がっていた石を拾い上げた。その際にバルザの底の部分を引きずってしまう。

 黒猫が角を曲がろうとした直前、弥都が石を投げた。

 石は道を曲がろうと体を向きを変えた猫の眼前に落ちる。驚いた猫は身を強ばらせて急停止すると、すぐに方向を元に戻して走り出す。

 自分を追う明確な敵としてようやく弥都を認識したのか、先程よりも速い。

 だが、頭部の目が重いのか前のめりになってしまい上手く走れないようであった。

 弥都はより勢いをつけて足を動かし、加速する。

 迫る足音を聞いたのか、猫もまた足を素早く動かしてより速く走り次の角を曲がろうとする。

 しかし、やはり無理があったのか加速に体がついていかずに猫は足を滑らせて転んだ。それでも敏捷な動物らしく素早く立ち上がろうとする。

「バルザ、先に謝っておきます」

『なに?』

 弥都がバルザを猫に向かって思いっきり投げた。

 勢いよく投げられたバルザは縦に回転しながら見事に猫の体に命中。異形の猫を巻き込んで地面を横滑りし、猫を塀へと挟みこんだ。

 猫はとにかく暴れ回ってバルザと塀の間からなんとか這い出る。

「逃がさない」

 しかし、駆けつけた弥都によって踏みつけられた事で今度こそ動けなくなった。

「■■■■ーーッ!」

 口を大きく開け、猫が吼える。

 その鳴き声は先程見えた時と同じ、人の精神を侵す声であった。

 しかし、一度聞いて来るとわかっていたからか、弥都は平気な顔をして踏んでいる足の位置を変え、これ以上鳴けないように猫の顎を強く踏みつけた。

 異形の猫は息切れを起こしたような掠れた音を喉の奥から発するだけで、声を出す事ができなくなる。

『……色々と容赦がないな』

「え? あっ、すいません。いきなり投げたりして。さっきも擦っちゃったし」

 猫を踏みつけたまま、弥都はバルザを拾って土埃を叩いた落とす。

『捕まえる為だ。気にしていないし、昔からよく投げられている』

「……そうですか。ところで、この……元猫どうするんですか?」

『そうだな……放置して鳴かれても困る。これ以上変質するのも見過ごせない。可哀想だが処分するしかないな』

 踏みつけられている猫の頭部、右側だけに起こっていた目の増殖は胴体にまで及んでいた。目だけではない。小さな口や耳までもが生えようとしており、内側から手足らしき物が出てこようとしているのか胴から突起物が伸びつつある。

 猫という形状は失われつつあり、このままいけば間違いなく別の生物になるだろう。いや、既に猫という原型は失われている。

「………………」

 腹が裂けて生まれた第二の口からは再び鳴き声が発せられる。内蔵だった物を吐き出しながら、だ。

 最早生き物と言っていいのかさえも分からない、グロテクスな肉の塊だった。

『ヤト、早くやるのだ。でないと、人が来て声を聞いてしまうかもしれない』

 肉塊からの声は頭に響く力が大きくなってきている。

 この声に何があるのか弥都は知らない。だが、この声は間違いなく危険なものだと弥都は直感した。

「わかりました」

 弥都は小さく頷くと、バルザを自分の肩よりも高く持ち上げた。

「………………」

 彼が何をするつもりなのかすぐに気づいたが、バルザは何も言わずに無言のままで身を任す。

 少年は勢いを乗せてバルザを猫の頭部に向けて振り降ろした。


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