第5話:背後
数日後。
綾子は、ついにこの日が来た。と、憂鬱な気分で営業課のデスクに座る。
朝礼で松本部長は相変わらず気付かない様子で
「あー…今日から、経理事課の町田クンが営業事務で配属になったから、最初はわからない事も多いだろうから、皆で助けてあげて、な。」
違う事で助けて欲しい…
綾子は複雑な気分だった。
とはいえ、石渡マネージャーが熱心に仕事の説明をしてくれる。
よそ見も出来ないし、違う事を考えてもいられない。
だが、どんなに頑張っても完全に集中する事が出来ない。
背中に冷汗をかく。
まるで…悪意を背中に刺されているような感覚だった。
背中が冷たい。
背後には黙々と書類を書く岡本がいる。
ジワリ…ジワリ…
暗闇の中。無抵抗な獲物を執拗に狙いを定めながら近付くような視線。
懐かしい。
吐き気を催す程、懐かしい感覚だ。
怖い…
昔のように…その書類から目を離し綾子の後ろ姿を睨み付けているのでは…?
「それでさぁ………」
石渡マネージャーが相変わらず一生懸命横で教えてくれているのが救いだ。
ところが…
「マネージャー!外出の時間っすよ〜!」
同僚が石渡を呼びに来る。
えっ!?…行かないでっ…!!
背後の恐怖の存在に狙いを定められている
「町田ぁ!ちょっくら行ってくっからよ〜昼までには戻ってくっからさ〜」
「…はい」
石渡は綾子のマウスの上に力なく置かれている手が、止まる事なく震えている事なんか気付く訳がない。
背広を着て、だらしなく結んでいたネクタイを絞め直す。
そして、不安と恐怖に震えている綾子を置いて行ってしまった。
周りはいつも通りの空気が流れる。
ただ…2つのデスク以外は。
ジワリ…ジワリ…
綾子は、また恐怖に執拗に追い詰められている感覚に陥った。
耐え切れず綾子はトイレに逃げるように駆け込んだ。
ここまで来れば大丈夫。
もう…嫌だ…。
デスクに戻りたくない…。
鏡を見つめる。
トイレ内をウロウロする。
再び鏡を見つめる。
口角は下がり、眉間にシワが寄っている。
今にも泣き出しそうな目元。
あぁ…老けて見える。
溜め息をつく。
けれど、立ち直るのにあまり時間はかからなかった。
どうして…私、逃げなきゃいけないの?
昨日までの決意を思い出す。
「…そうか!逃げる必要ない!」
「私が逃げてどうするの!」
「このままじゃあ…負けちゃう!!」
岡本のせいで、やつれて老けて見える、鏡に映った自分に喝を入れるようにキッと見る。
行かなきゃ。
また同じ事繰り返す所だった!
トイレを出て、綾子は大股でずんずん歩く。
まるで
「恐怖」
を威嚇してるみたい。
でも、負けない!
そうしてドアをくぐった時。
「お前のミスで起きたクレームに石渡が謝罪行ってんだぞ!判ってるか!?」
松本部長の怒鳴り声が聞こえて来た。
一瞬ビクッとして綾子は怒鳴られてる岡本を見つめた。
同僚の女性社員が綾子にそっと小声で
「脅かしちゃったでしょ?」
続けて
「岡本さん、取引先怒らせちゃったんだって…それで石渡マネージャーが謝罪行ってるんだけど…すみませんの一言もなかったって誰かが部長に言っちゃったらしくて…」
ちょうどすごい場面に出くわしてしまった。
なるべく部長の視界に入らないようにデスクに戻る。
すごい衝撃が走った。
だが正直、いい気味だった。
仕事の続きを片付けている時。
不意に視線を感じ、恐る恐る顔を上げる。
背後を向く事は出来ないが…
そこには神妙な面持ちの岡本の視線があった。
その時。
大きな足音で石渡が帰ってくる。
石渡は岡本のデスクに行き、何かを話している。
そうしている内に昼休みとなった。