神官A、勇者に確認をする
※書籍化に際して削除した部分を大幅に修正、再アップです。
町民Cと勇者・神官の出会い直後の会話。
神官視点です。
WEB版では出会いのすぐ後にこれが挟まっていました。
先ほどまで彼女がいた席には、空のカップだけが残されている。
私はため息をテーブルの上に落した。
女性を説得する、しかも相手を怯えさせてからの交渉など、気が重い以外の何物でもない。ようやく終わり、疲労感で体が重く感じる。
これだと魔物と戦っているほうがましだ。あれには敵愾心しかないから、余計な思考を回さずに済む。星職者としてあるまじき考え方ではある。が、事実そうなのだから仕方が無い。
店員を呼び、彼女が飲み干したカップを下げてもらう。笑顔を向け礼を言えば、頬を染めた女性店員が機嫌よく立ち去った。町の人間が私たちに向ける好意は分かり易い。憧れと、信頼と、そして他に潜むもろもろだ。
ただ、その必要以上の注目は今は不要だった。記述式の簡易星術をなぞり、一定範囲外への空気の振動を抑える。こうすればテーブルから外に声が漏れにくくなる。漏れにくい、というだけで、漏れないとは言い難い。
彼女は、本当に普通の女の子だった。
薄茶色の頭髪をみつあみにした、清潔感のある町娘。
それ以上でもそれ以下でも無い。道ですれ違っても、印象に残らないだろう娘。
だから、重ねて勇者に確認を取る。私では、見分けがつかないのだから。
「本当にあの子なのですね」
勇者はゆっくりと頷いた。肯定だ。
できることなら、否定であってほしかった。
勇者の蒼の瞳は底知れぬ輝きを宿している。それを見返し、隠していることもなさそうだと判断した。
問いはただの確認だ。そして、本気で彼女を連れて行くしかないという事実を自分に言い聞かせるものでもあった。
勇者が嘘をついた事は無い。彼は虚言と最も遠い場所にいる人間だ。幼馴染としてともに育った私は一番知っていた。
彼がそう(・・)というならば、そうなのだろう。
彼女を眺めながら、実際に軽く能力判定のための道具を起動させておいた。星術を使用してもよかったが、相手がどのような存在かわからないため、あえて道具を使用した。
結果は惨憺たるものだった。本人の自己申告どおりに、驚くほど彼女には能力がなかった。
懐から調査資料を取り出す。
彼女の住居、来歴、もろもろが記されているが……それも三年前までだ。それ以前の経歴は全く不明だった。ある日、この町の夫婦に引き取られた普通の娘。それが彼女だ。存在がいびつでもない。天災指定者を前にしたのと全く違う、ぼんやりした存在感。
どこを切り取っても、普通の娘だった。
しかし、勇者の言うことが確かならば、それは完璧な隠蔽だといえる。一つ疑念を持てば、様々なことが連なり、疑問ばかりが増えていく。
その一つは、この町があまりにも平和だということだ。
今、世界は魔物の侵食によって脅かされている。
勇者が人間にとっての最後の砦と称されるのは、誇大な表現ではない。
隣の大陸の国家は繰り返される戦闘により、大きく疲弊しているという。隣の大陸は、ここより気候が温暖であり、災害が起こりにくい。そのため、食料の自給率が増し文明も国力も増し、様々な国家が繁栄していた。
人口の増加、それによる国家の発展、それが目覚ましかった。
しかし、それが今、揺らいでいる。
魔物の発生である。
魔物がどこから沸いて出るのか、それを詳しく知る人間はいない。その時々で違うのだ。いまだに星神殿でも、魔物発生の因果関係は明確に判明していない。
ただ、分かっているのは、人間が多い場所に魔物が発生しやすいということぐらいだ。
魔物たちの欲望には際限は無い。あれらは特に人間に対して貪欲だった。何がそうさせるのか、魔物は人間を襲い、殺す。恐らく魔物が増えずにいれば、人間社会も大きな発展を迎えていたに違いない。
魔物を迎撃するために、様々な研究が行われている。しかし、不思議なことにそれらの研究が実を結ぶことが無い。さまざまな星術の実験を繰り返せば、何故か魔物に襲われ、新しい技術が花開くことが無いのだ。
それを人々は魔王の呪と呼ぶ。
先程の彼女も口走っていた「王立魔法院」でも確かにそのような研究が行われている。
能力により人々を選別し、高い力を持つものを囲い込む。その研究者を人々は魔法使いと呼んでいる。
そのような機構を設けているのも、この魔王の呪のせいでもあった。
危険な研究を隣人が行っている。そして、そのせいで自分も魔物に襲われる確率があるとすれば。
普段大人しい庶民たちが、その顔を変える。一時期、魔法使い狩りが行われたという闇の歴史もあるほどだ。魔物に襲われた町の人間が混乱し、「魔法使いが研究をしていたせいでこの町が襲われたのだ」という流言を信じた。それにより町の人間が町に暮らしていただけの魔法使いたちを殺害し吊るし上げたのだ。
皮肉なことにその町は、力ある魔法使い達を失ったせいで程なく滅んだという。
これをその町の名前をとり、ツワナアゲート事件と呼ぶ。
この後、魔法使い達のための学院が各国に設けられ、魔法文明が進んだと言っても過言では無い。災いが転じた例だ。不思議と平和利用の研究のためであれば、魔王の呪は発動しないことが多いのだ。
今、私の前に置かれている冷やされた果汁も、その恩恵である。ここ五十年で魔法の技術は庶民の生活に浸透するほど広がった。
しかし、勇者の旅には魔法使いは同行していなかった。
確かに、私以外が同行していた時もある。
だが、この旅に付いてこられるかということは別問題だった。
ひと時の仲間ではなく、本当の意味で同行してもらうには、私たちと『同じ』でなければならない。こればかりはどうしようもない。逆に言えば、条件さえ合えばそのあたりはどうとでもなる。
勇者がいうことを信じるとすれば、彼女は私たちと『同じ』なのだ。根本的なところで、どうしようもない部分で。
本人がそれを知ったところで、頑なに否定するだろう。彼女の常識を打ち破るのは、よほどのことがないと難しいだろう。理解を求めても、恐怖に駆られている彼女には否定しか浮かばない。
だから彼女には結論だけを伝えたのだ。人のよさそうな、小動物的な少女は、怯えながらも同行を許諾した。結果さえあればいい。今のところは。
彼女に伝えた、面倒だから説明を省くという言葉。
その言葉には、様々な意味を込めていた。
この町は平和すぎる。
かといって、星職者が多くいるわけでもない。
むしろ神官の姿など見かけなかったといえる。
魔物が増えると同時に、神官の数が増える。貴族の子弟がこぞって押し寄せるのだ。星神殿では実際魔物を寄せ付けない結界を張る能力を習得しているものが多い。
戦えなければ、寄せ付けないようにすればいい。たとえ自分に適性がなくとも、能力がある人間を囲い込むことが出来れば安泰。そういう考えが透けて見えるのだ。保身もここに至れりといえるのだろう。
だが、それを臆病とはいえない。
実際、魔物の脅威は白い布に落とされたインクのようにじわりじわりと人々の心を染め上げていく。そして、それは幾ら拭ったところで容易には落とせない。シミのように常に暗い影を落としていくのだ。
どの町にいっても人々の顔は暗い。
しかし、ここの雰囲気は全く別のものだった。
例えて言うならば、春の日差し。人をまどろみに誘う、やわらかい空気が流れている。
魔物の存在など、噂でしかないものだと錯覚しそうなほどに。
「ここは、平和すぎる。彼女が信じられないのも仕方ない」
思わず皮肉めいた口調になってしまう。
いくら助力が必要だといえども、この平和に慣れていれば、差し迫った状況は理解できないだろう。
何かに守護されているかのようにまどろむ空気は、いっそ理不尽なほどだ。世界に蔓延る流血と悲劇に比べ、守護された空気のあまりの甘美さに。
「俺は分かる気がする」
珍しい勇者の発言に、机に落ちたままだった視線を引き上げる。
勇者は窓から外を見ながらぽつりと呟いた。
「ずっと見てるなら、平和なほうがいいだろう。意思があるなら、そういうことじゃないのか?」
まさか、と笑い飛ばせるならよかった。が、この状況がそうすることを許さない。
誰のための平和か。
さすがに神の思惟が働いているとは思わないが。
「『神の目』、ですか」
そう呟いてからふとそれに気づく。
そういえば、彼女の瞳は何色をしていただろうか?
あの、大きな瞳の色が、全く思い出せない。
ごく自然なはずの存在に織り込まれた不自然。背中に氷を投げ込まれたような気分になる。
今まで気づかなかった……気づけなかった?
それを総合すれば、神の託宣は正しいものだったのだろう。
当面の課題は彼女の同行で片が付くはずだ。その先は、改めて考えることにしよう。
これからも続いていくであろう戦いの日々を思いながら、しばし、このまどろみのような空気を享受した。