村人Bの物語
【御注意!】
勇者と神官の、性格形成&世界観構築のために、連載当初時期に走り書きした短編です。
そのため、一部設定が食い違っている場合があります。
生活のための多少の流血表現あります。戦闘はありません。
よろしければ、お進みください。
「どうして人間とは戦わないの? 悪い人間も勇者様がやっつけてくれたらいいのに、どうしてやっつけないの?」
幼馴染が舌足らずの口調で長老に質問するのを、彼はぼうっと聞いていた。床に直接座り込んでいるため、足が痛い。そろそろ退屈だった。
幼馴染の髪が、窓から降り注ぐ昼の光を受け、きらきらと輝いている。のんびりした鳥の声が、遠くから響いていた。穏やかな昼だ。
今まで二人は長老から勇者と魔物の戦いの物語を聞いたところだった。連綿と人々に語り継がれる壮大な叙事詩、すなわち紅蓮の勇者、黄金の勇者、夜闇の勇者、そして始まりの人と呼ばれる、始原の勇者の物語だ。壮絶なる死闘の末に勇者が平和を勝ち取った。そのおかげで我々の生活があるのだ、と壮大な物語は締めくくられた矢先の質問である。話の腰を折った形だ。長老は僅かに鼻白んだようだった。幼子が自分の話に興味を示さなかったのだと考えたのだろう。
彼はちらりと長老の表情を窺ったが、いつも通りに黙り込む。長老も幼馴染にもそんな様子は気に留めない。幼馴染が話して、彼が黙り込む。それが日常の光景であった。
「さあ、それは分からぬよ」
「でも、このあいだ、隣の領主様の騎士団が侵入して狩場を荒らしていったから、収穫が上がらなくて困ったって聞いたの。柵を作るために、税金が上がるって。人間同士も争うのに、どうして神様は人間同士の争いを止めないの? 人間は争ってもいいの?」
理論整然とした言葉に、長老は黙り込んだ。
それは実際のところ、とんでもない発言であった。
神様は正義ではないのか、という問いを含んでいる。平和を約束するはずの神が、争いまでも推奨しているのか。
星神の実在を信じ、神の教えを守る人々にとって、星神は正義である。正義を疑うという世界の常識を覆す考えであるのだが、聞いていたのが学の無い村の長老であったこと、そして幼子からの言葉であったためにさほど違和感は抱かれなかったようだ。
が、長老は幼子が世間の理を知らないために発している面倒な質問だと感じたらしい。
「神様がいつも見ていらっしゃるから、人間は争わないのだよ。神様は子らを信じてくださるのだ。さあ、神様に見られても恥ずかしくないように日々を送りなさい」
長老のその言葉は、話が終了したという合図だった。
子供達の背をさりげなく押し、集会場から出す。
蝋燭などあるはずも無い薄暗い室内から出たばかりの目にとっては、昼の陽光はまぶしすぎる。子供達はゆっくりと歩き始めた。あのままいたところで、長老の機嫌を損ねるだろう事は分かっていた。
昔話という形をとって入るものの、ある意味の教育である。社会常識、上下関係、大人との話し方、様々なことを「おはなし」として擦り込みをする。また、繰り返し使われている貴重な絵本で、読み書きと簡単な計算を遊びとして習得させる。これが昔からこの地方で半ば伝統的に、慣習的に行われてきた教育であった。
しかし、彼の幼馴染にはそれでは物足りなかったようである。幼馴染がいろいろなことに疑問を持つのを、彼は横で見ていた。そして長じるに連れ幼馴染の問いは、大人たちから返答をはぐらかされることが多くなってきた。そんな幼馴染とは逆に、彼はほとんど質問をしたことが無い。幼馴染の行動を、じっと見ていただけだった。
この寒村では、子供は何人かいるものの、いつも一緒に行動するのは幼馴染だ。彼はそのことに疑問を持たなかったし、幼馴染もそうだった。
二人で森の近くで話をしたり(といってももっぱら言葉を発するのは幼馴染だが)、子供ながらに森で食料を採集したりと仕事を持っていた。子供であっても寒村では貴重な働き手である。
「長老はすぐにごまかす。ぼくが知りたい事は何も分からない」
幼馴染は頬を膨らませて怒っていた。彼はよく怒るが、それは大人が見ていないところでのことである。分別、というものらしい。
「長老の家にあった星教の経典を読んだんだ。教えは百五十あるけれど、争う事なかれという教えが無いんだ。おかしいとは思わない? この条例が無いから、犯罪が起きるんだよ。神様はこのことを知っているんだろうか。本当に人間を見ていらっしゃるなら、ぼくも今から罰を受けるんだろうか」
神様のことなど、彼はよく理解をしていない。ただ、漠然とよい印象は抱いていなかった。それも『普通の人々』とは反する考えである。彼は、幼馴染にすら、そのことを言ったことは無かった。
何はともあれ、今日の糧を探しにいかねば日が暮れる。彼は幼馴染の話が一段落ついたことを感じ、立ち上がった。粗末なズボンについていた枯れ草をぱん、と払う。はらはらと枯れ草は風を受け、どこかへ消えた。
話を断ち切られたことに対して、幼馴染は怒らない。彼が答えを返さずともきちんと受け止めて聴いていることを知っているからだ。同じように立ち上がる。日に焼けても白い幼馴染の足は、細く、頼りない。彼とは違っていた。幼馴染の両親がその白さをひ弱さだと嘆く。白くてピカピカする髪もあいまり、幼馴染は白い印象が強いのだ。いつもどこか薄汚れた姿をしている彼とは違った姿だった。
「今日も狩にいくの?」
幼馴染はひとまず長老への憤りを流したらしい。その質問に対して、彼は一つ頷いて返事をする。
「ぼくも行く」
そうして危険な森へと二人の子供が分け入っていく。これも日常であった。
何の変哲も無いナイフが風を引き裂き、ウサギの頭部を貫通し、そのままの勢いで背後の木に軽い音を立て突き刺さる。一瞬で絶命したウサギは虚ろな瞳が、空を映しこんでいた。
風下の茂みから出て、あっさりと突き刺さったナイフを抜いた。ウサギの毛皮が血で汚れる。幼馴染は茂みから出ながら、感嘆の声を洩らした。
「やっぱりすごいなあ」
研ぎの足らない古ぼけたナイフでウサギを彼は仕留める。
幼馴染の賞賛に返事を返さないのも、いつものことだ。手早く穴を掘り、ウサギの内臓と血を処理をする。この辺りには肉食獣の痕跡も魔物を見たという話も無いが、血の匂いはいろいろなものをおびき寄せる。手早く処理をするに越した事は無かった。
彼の腰から下げている袋の中には、石をぶつけて仕留めた鳥も既に入っている。ウサギが狩れたのは大きな収穫だった。冬に入る前、たっぷり脂肪を蓄えている時期である。肉の脂が乗っているのだ。
彼の腰に下げた袋は、地面に擦りそうだった。彼の背はまださほど高くは無い。同じ七歳の子供たちより、下手をすれば小さいぐらいだ。だが、彼は誰にも負けない力を持っていた。
身体能力である。素手で岩を砕き、風のように地を駆ける。崖から落ちたとしても傷を負うことが無い。しかし、彼の能力はそれだけではなかった。他の人と見ている世界が違う。それに気付いたのは、母親との会話である。人のそれを遥かに超えるそれを、彼はひたすらに隠し続けている。彼を縛るものは亡くなった母親との約束であった。
―― いい? それを知られちゃ駄目。隠すのよ。もし、知られてしまったら、ひたすらひとの役に立ちなさい。ひとに絶対にその力を向けては駄目よ。そうすれば、人間としてみんなと一緒に生きていけるから。分かった? 自分のために生きるのではなく、人のために生きなさい――。
異常な約束といえるそれは、しかし、子を思う母親が必死で絞った知恵であった。
母は彼の異常さに振り回されていた。何も分からぬ赤子の頃は、力加減などできるはずも無い。それこそ様々なものを壊していたらしい。今から思えば、母は常に彼に怯えていた。彼のことが知られ、星教から異端だと魔物の烙印を押されないかと。そして、彼が、母が、人の輪から外れないかと。良くも悪くも彼女は普通の人間であった。ただの女に底なしの慈悲があるはずもなく、彼女自身が持っている愛情の器では、息子の秘密は重すぎた。結果、母としての愛と秘密への重圧、そして自己愛の狭間で神経をすり減らす日々が続き、心身を弱らせた。やがて病により彼女自身が帰らぬ人となったのは、ある意味自明の理であった。
幼馴染は彼の力を知っているが、秘密にするという約束を結んでいた。もっとも、幼馴染自身、彼とは別の意味で異端である。この賢しらな口を利く子供は僅か五歳である。知性の異常な発達は、天才といえるであろう。しかし、このような山奥の寒村ではその才能は疎んじられるものでしかなかった。
人を避ける彼と、人の輪から外れた幼馴染。二人が一緒にいるのことはある意味自然な流れであったともいえる。この日も狩をして、二人は別れた。幼馴染にはまだ両親がいる。彼は一人で過ごす小屋へと帰っていった。
そんな風に日々が過ぎていった。
しかし、ある日。星教の司祭が巡礼の旅の途中、村に立ち寄り、こんなことを言い出した。
「この子には才能がある。中央で伸ばしてはどうか」
中央、というのはこの国の中心である星都セレスタイトのことを指す。青い天上の石で作られた世界でも有数である麗しの都。
そこには王城もあるのだが、王都とは呼び習わさない。
それより上位に位置する星神の主神殿エンジェライトが存在するのだ。主神殿エンジェライトは、それ一つで小さな町が簡単に入る程の広大な敷地を持つ。その主神殿を囲むようにして都が作られているのだ。
司祭が言う場合の中央というのは、主神殿を指す。そこには星教の教義も学びつつ、最高の教育を受けられるのだ。ある程度才能を持ち、継承権を持たない貴族の子弟はそこで学び、司祭となるのが慣わしである。しかし、才能があると認められれば、庶民であっても特別枠で入る事が出来るのだ。
唐突に開けた未来に、幼馴染は珍しく呆然としていた。
彼はいつも通り、それを横で見ていた。見ているだけで、何も言わなかった。
司祭が明日に返事を貰いたい、といい、去って言ったその夜。幼馴染が深夜に彼がひとり住む森の近くの小屋にやってきた。家を抜け出してきたらしい。
「どう思う? ぼくは星教を学ぶべきなのかな」
何を悩んでいるか、言葉にせずとも彼には分かった。
幼馴染と共通する感覚、それは、神への信頼ではなく、漠然とした不信感である。
それが星教の都へ行くという道にとって、大きな障害になるのではないか。それを心配しているのだろう。
彼はいつも思っていたことを口に出した。
「知りたいんだろう?」
幼馴染の知的好奇心は、決してここでは満たされることが無い。それどころか、そろそろそんな生きることに必要の無い事に興味を示し知識を追う姿に、大人たちの視線が厳しくなりつつある。今後ここに居たところでつまはじきにあう可能性すらあるのだ。
彼は、いつも幼馴染を見ていた。だから、その知りたいという渇望を一番理解をしていた。
言葉で、彼の背を押し出す。
「知りたいことを知るだけ知って、それでも駄目だと思ったら帰って来ればいい」
彼が口に出して思いを伝えると言うこと事態、珍しいことだった。幼馴染は失礼なことに、ぽかんと呆け、その次に爆笑した。
「なんだか親みたいだ! いや、親よりも甲斐性がある!」
笑い転げる幼馴染の目の端に、光るものが浮いていた。
ひとしきり笑ったあと、幼馴染は静かに「ありがとう」と呟き、そして「行ってくる」と呟いた。彼はいつも通り 頷きで返事をしたのだった。
次の日、幼馴染を乗せた馬車は星都へ出発した。
それからもただ幼馴染という欠片がなくなったまま彼の生活は続いていった。狩をし、得物を村人と分け合い、代わりにパンや他の作物やその他もろもろを貰う。ここでは貨幣は領主への税金を納めるときぐらいで無ければ使わなかった。
旅の商人からある日「魔物が増えた」「魔王が復活したらしい」との噂話が持ち込まれ、村は大変な騒ぎになった。しかし、同時に「『神の声』が現われたらしい」との噂も持ち込まれた。
彼は村人の騒ぎようを横目に見ながら、神の声、について考えを回らしていた。それは神の啓示を人々に伝える役目を負ったもののことらしい。一代限り、世界が混乱に陥った時に現われる神の啓示をあまねくしらしめす稀なる人。闇と光の話題に、伝説の始まりを予感する。人々は勇者の降誕を願った。
彼にとっては全く関係の無い話であった。
そんなある日、手紙が来た。
紙などは高級品である。幼馴染からだった。
そこにはなかなか帰れそうにない旨と、旅費を出すので星都へ来てくれないかという依頼であった。幼い頃からともに地面に文字を書いて練習してきた仲だ。本人の手による物かどうかは分かる。ただ、その意図が分からなかった。断ってもよい、とは書いてある。そして、同封されていたのは十分すぎるほどの旅費であった。
里心がついたという雰囲気ではない。幼馴染は大事なことほど口に出すことを躊躇う性質がある。この手紙も、それが遺憾なく発揮されているのだろう。目の前に相手がいないということは、とても不便だ。この手紙を書いた表情がどんなものだったのか、推し量るしかないのだから。
ただ、分かった事は、幼馴染が何らかの助けを求めているということだけだった。
彼はすぐに旅支度をし、星都へ向かって旅立った。彼は元々身軽であった。処分するものも、引き止める人もない。長老に軽く挨拶をし、旅の空の人となった。
星都の中心、主神殿の更に奥。
セイヒツの庭とされる場所がある。
死の象徴である静謐と、神と人との契約の証である星典を納めた聖櫃がある場所、という意味を持つ。
主神殿の中心にある庭園は、神が初めに作ったとされる樹、星原樹が聳えたつ。ただし、主神殿という巨大建造物に遮られ、都の民とはいえその樹を見ることは出来ない。
星原樹はその葉が通常の樹木とは違い、幹は純白の乳の色であり、その葉は神の心を映すといわれている。その根元に一つの箱が寄り添うように置かれているのは更に秘匿とされることである。
そこへ彼は呼ばれた。
幼馴染のゆくえが分からぬほど、彼は鈍くはなかった。彼は語る事は無いが、さまざまなことを直感的に判断している。
東屋の前で樹を見上げながら、親近感を覚える。
自然には無い異常なそれを、美しいと思うよりも、親近感を覚えるのだ。
ああ、と彼は嘆息した。
ようやく様々なことがすとんと理解できた。
どうして幼馴染とあんなに感覚を共有していたのか。そして、今、この樹に親近感を覚えるのか。
「神の実在を疑う人間はいない」
背後に迫る気配は、慣れ親しんだものだった。彼は樹を見上げながら呟いた。
「神は見ているのだと言う。それは希望ではなく、現実だ。神は実際世界を観測している。世界の内側から、そして外側から我々を観測し、時折小石を投げ込む。その小石が波紋を呼び起こすのを更に観測をしている」
幼馴染は詠うように言いながら、彼の横にゆっくりと並ぶ。背が伸びたようだ。ただ、彼のほうがまだまだ高い。
「私は神の声。神の意思を告げ、世界に波紋を起こすもの。すなわち大神官と称される」
「俺は」
「君は神の手足となって、世界の構造を組み立てなおすもの。すなわち勇者と呼ぶ」
詠う声は幼馴染のものであり神の声であった。世界に多重に響く声は確かに人のそれではなく、深い英知と巧みに隠された独善の気配を匂わせる。しかし、その声に温かみは無く、あらかじめ定められた台本を読むような口調であった。
「勇者よ。これから私たちは計画を実行しなければなりません」
幼馴染が、自分の声で言った。神は去ったらしい。舞台で踊る役者のように、慣れない言葉を使って返答をする。
「喜んで。人の役に立つことが、私の至上の命題です」
茶番ならば、まず舞台に載ることからはじめよう。
あらかじめ定められる悲劇を、より少なくするために。
そして、二人が、人の枠組みで生きていくために。
二人で並んで樹を見上げた。
「ようやくあの日の答えが、分かったんだ」
幼い日に発した、幼馴染の質問が、遠い時の彼方から響いてくる。
――どうして勇者は悪い人間をやっつけないの。
悪い人間と敵対するという行為により、勇者は万人の味方ではなく、ただの『英雄』と成り下がる。『英雄』の性は乱を内包する。乱は神は望まない。争いを禁じない代わりに、大きすぎる乱は望まないのだ。
だからこその勇者であった。
ただし、その行く末は常に曖昧にぼかされている。
おそらく、その先に未来は無いのだろう。勇者は英雄ではなく、一過性の夢のようなものだ。現実に留まるものではない。
踏み入れてしまったことに後悔はしないと決めた。例えそれが横死であろうとも、受け入れるだろう。
今はまだ先は見えず、簡単な決意だけをいだき、樹を眺めるだけであった。