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断章1 白と赤 Sv6923年

昔の勇者時代の話

紅蓮あかの勇者時代です。


 

 青年は寝台の傍らに立ち、嘆息に混ぜて言葉を零した。

「馬鹿だなあ」

 静かな部屋にそれは聴くものがないまま拡散し、世界に混じる。

 寝台の上で、少女は安らかな表情で眠っていた。まろやかだった頬の稜線は薄くなり、僅かに女の色香を漂わせている。咲き初めの花の美しさを宿しかけていた年頃だった。ほっそりとした腕は、握りつぶせそうなほどに細い。遠慮がちに胸の上に組まれた指の下には、一冊の本が抱きしめられている。

 もうこの眸が開くことはない。

 よく笑う娘だった。あの自己中心的な男に邪険にされながらもよく付いていけると、傍目から見ても感心したものだ。真っ直ぐにあの男を慕っていたが、既に全ては星の彼方、世界の記憶の中にしかない光景である。あの男も、彼女もいない。

 青年は、もう冷たくなりかけている少女の額に掌を当てる。飛び去りし魂の気配は、すでに欠片も残っていない。

「君は本当に馬鹿だ」

 少女の唇には、ほのかに笑みが浮かんでいる。

 やわらかな日差しの中で午睡をしているように、彼女は永遠の眠りに就いた。

 今日、この時に彼女の魂が途絶えると、星から読み取ったのは青年だった。残された時間を知りたがった彼女に、残酷な現実を告げたのも彼だった。少女は真っ直ぐに彼を見上げて一言だけ告げた。

 嬉しい、まだそれだけ時間がある。

 彼女は本当に嬉しそうにそう呟いたのだ。青年はそれ以上声を掛けることは出来なかった。ひとの命の儚さに触れるたびに、その強さにも驚くのだ。

 少女は青年に、最後に一つだけお願いをした。

 それは遺言かな?

 青年の問いに、少女は答えた。遺言だったら、絶対に、お願いを聞いてくれますか? 静かな凪いだ眸は、若々しい姿に似合わず静謐を湛え、彼を見上げた。

 その眸には悲嘆もなく焦燥もなく、ただ全ての運命を受容した穏やかさだけが漂っている。静かな海のように少女は全てを深く深く懐に仕舞いこみ、その上で笑う。

 仕方ない。最後に一つだけ、叶えてあげよう。

 青年は一瞬その深い色に吸い込まれそうになりながら、苦笑しながら返事をした。

 ありがとう!

 少女は笑いながら何度も礼を言った。それだけが気がかりだった、と。もうその頃、彼女は床から離れる事はなく、命数を数える日々を過ごしていた。

 まだ少女の声が耳に残響を残す。いつかはこの音も青年から消えてしまうかもしれない。星が巡る限り、世界は流動する。それも定めの一つだった。

「おやすみ、やすらかに、    」

青年は最後に彼女の名前を告げたが、それは既に記憶の彼方にしかない残照であり、世界から失われたものだったため、空気を揺らすこともなかった。手向ける花がない代わりに、これぐらいしか死出の旅立ちに渡すものはない。

 青年は少女の手が触れている本を抜き取った。まだ硬直していないそのたおやかな腕は、ゆっくりと胸の上に納まる。

 本に少女の魂が乗り移ったかのように、それはほんのりとぬくもりをもっていた。

 最後の少女の願いは、この本のことだった。なるほど、その願いは確かに青年しか叶えられないものだ。彼は少女の最後の願いをかなえるために、踵を返した。窓から吹き込んだ風が、ふわりと白いカーテンを揺らす。

 風にまぎれ、おねがいします、とささやきのような少女の声が聞こえたような気がした。が、それは恐らく感傷が呼び起こしたものだろう。もう彼女がいないのを先ほど確かめたのだから。

 青年は二度とこの場所に訪れる事はなかった。 


 青年が去ってしばらくのち、部屋に世話係の女性が現われた。彼女は少女の様子に気づき、静かだった部屋に悲嘆の声が響き渡る。

 残された人々は、少女が最後まで大切そうに書いていた日記がないことを不審に思い、探し回った。しかし、それはついぞ見つけることが叶わなかった。その書物の話は、それから時の彼方に消えていった。

 

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