第二十二話:地下通路
前嶌医院地下の長い廊下。
そこは薄暗い上階とは打って変わって、白い廊下を蛍光灯の光で満たされていた。
そんな白一色の世界に黒いスーツ姿の男が一人、杉山浩太がいた。
この廊下は地下研究施設、というわけではない。病院ででた死人を安置する霊安室だ。
廊下には一定間隔でスライド式のドアがあり、その中には金属でできた横長の引き出し式の棚がある。その中は冷凍庫のように低温状態が維持されており、死体の腐敗を止める事ができる。
このような施設はどの病院にもあり、病院で亡くなり、葬儀まで時間がかかる場合などは一次的に保管される。
ただしここにあるのは身元の分からない死体や、引き取り手の無い死体。また、この街で殺したホームレス達の死体もここに保管してある。
木を隠すには森と言ったところだろうか。新聞で行方不明者の写真を載せられてもここに置いてあれば他人に見られる可能性も低く、万が一見られたとしても死体で発見されたと言えば済む事だ。
杉山はUVバンを防ぐために着けていた紫外線防護メガネをはずし、右肩には初老の男、前嶌源二を担ぎながらどうしたものかと考えを巡らしていた。
先回りして源二を確保し、本棚の裏にあった隠しエレベーターでこのフロアまで下りてきたものの、このまま一階へ上がって外に出ても出魅と鉢合わせになる。
だからといってここに隠れていたとしても清秋がエレベーターを見つけてここまで下りてくるだろう。
「ぐ……ぅぅ」
と、そこで右肩に担いでいた源二からうめき声が聞こえた。
どうやら気絶させたつもりが浅かったらしい。
担いでいた源二をリノリウムの床に乱暴に降ろす。
「目が覚めましたか、源二」
「なにを心配したような言い方で、杉山……いや、バートリと言った方がいいのか?」
「ふん、妾の名を気安く呼ぶとは偉くなったものよの、源二」
名前を呼ばれた瞬間に口調がらりと変わる。
それだけで杉山の纏う空気が一変し、真っ白な廊下はどす黒い重圧がかかったように息苦しい空間に変貌する。
それがバートリ・エルジェーベド、杉山の中にいる吸血鬼のものであるのは明らかだ。
血の様な赤色に変化した瞳を瞼で隠し、うんざりした声で呟く。
「それにしてもこの口調は疲れるの。なぜこんな男の体に寄生したのかと後悔するわ」
「私が知ったことか。お前は過去に何があったかなど話さないだろう」
「話す必要もない。そなたは妾の言う事を聞けばいいだけ。永遠の肉体の研究、それだけをやっておればいいだ」
吸血鬼は永遠の命を有する。
それは伝説上でも現実でも変わりは無いのだが、一点だけ大きな違いがある。
吸血鬼が生きていられるのは血液のみということで、肉体はいずれ朽ちる。
吸血鬼が寄生した肉体は代謝能力、免疫能力などが飛躍的に向上する反面で寿命が短くなる。細胞を活性化させることでそこまでのいスペックを有しているのだから生物として寿命が減るのは当然と言えば当然ともいえるだろう。
老化は起きないが死はある。
吸血鬼はその死の時期になると別の個体、他に自分の血を入れた者に意識が移動する。
複数の者に血を混ぜていれば一番濃い者に、もしも誰にも血を入れていなければ死体から血液のみが抜け出て別の宿主を探す。
そして宿主の意識を乗っ取り、数十年後には同じ事を繰り返して永遠に生きていく、吸血鬼とはそういう生き物だ。
しかし今回の宿主は自分で選んだ者ではない。
四年前にこの街で同じような事件を起こしていた時、たまたまそのとき覚醒したツェペシュ、今の清水出魅によってその時の肉体を破壊されたのだ。
当時何の準備もしていなかったバートリは事件の際に唯一血液を混入していた杉山の肉体に意識を持っていかれ、現在の状態になった。
思い出すだけでバートリは歯ぎしりをする。
「だがどうするんだい? 地下まで来たはいいが目的はないのだろ」
「人間風情が偉そうに、私を説得して自主でもさせる気か?」
「いやいやそうじゃない。ただ私を置いて行けば君なら強硬突破して逃げられるんじゃないかと思ったんだよ」
「ふん、自分だけここに残り罪を妾になすりつける気か? 人間の刑事でなくあのツェペシュに言えば確かに話は通じるだろうが、妾がそんな事を許すわけがなかろう」
全く、人間と言う種族には虫図が走る。特にこの国の人間はプライドというものがないのだろうか。まるでごみに群がる害虫のようだ。
まあその生き方があったからこそ数千年も文明を築いて来たのだろうとバートリは考える。
始末してしまってもいいのだが生かしているのにはもう一つ理由がある。
目の前の男の娘である前嶌一葉。
彼女は食屍鬼の血を有しているためか、自分の能力が十分に行き届かず、時折命令とは違う動きをする時がある。
万が一源二を殺してしまえば、反旗を翻すと言う事もあり得るのだ。
食屍鬼の消化液は吸血鬼の血液さえも分解してしまう。もしも一葉と出魅が手を組めば自分自身の存在にを脅かす事態に発展しかねない。
「一人になるとえらく弱気になるんだな」
「だまれ。一対一なら妾は負けぬ。だが相手が複数人いる場合はどうしても不利に……」
そうだ、今の問題は出魅以外に複数の敵がいる事。
出魅だけなら相手をできる。
では残りの清秋と二葉を止めればいいのだ。だがそれだけの戦力はどうやって手に入れるのか。
いや、できる。
ここは大量の死体を安置している場所。それらに自分の血液を投与すれば数十の戦力を得る事ができるだろう。
それを使って清秋と二葉を足止めし、出魅を倒した後で二人を始末する。
一葉もすでにこの病院内にいないようなのですぐには脅威にならないはずだ。
確率はそこまで高くないが不可能ではないはずだ。
「源二、お前の生きている意味が無くなった」
言うと同時に源二の首筋には細く長い切り傷ができていた。
その原因はいつの間にか振り抜いたバートリの右手。手刀の形に構えたその右手の爪の先にはわずかな血液が付着している。
もちろんそれは目の前にいる源二の血。そして少し遅れてばっくりと割れた切り口から樹液のように血が流れ落ちる。
「もっと勢いよく噴き出させてもよかったのだが妾は今から少し血液を必要としてるのでな。おぬしの血で補給しておくとしよう。妾の一部となれる事を感謝するがよいぞ」
言うと、流れ落ちる赤い液体を舐めとった後、その二つに割れた傷口に口づけをするように唇をあてがい、口に含んでは喉から胃に流す作業を繰り返す。
やはりあまり若くない初老の血液なので美味とは言えないが、その温かい飲み物は胃の中を満たし、自分のエネルギーとなるのを感じる。
近距離に接近した顔から文字通り血の気が失せて行き、青から白に変化していくのがわかる。
そして胃が満たされたのを感じ、傷口から口を話す。
かなり多くの血液を飲んだと思ったが、どうやらまだ残っていたらしい。おびただしい量の血がゆっくりと床を赤く染めていく。
食屍鬼ならその圧倒的な分解能力で人一人分の血液を飲み干すなど造作もないだろうが、吸血鬼の消化器官は人間とほぼ変わらない。満腹になればそれ以上は入れる事が出来ないのだ。
「まあもう助からぬだろうな。少し手間だが、不死の研究は他の者を探すとするよ」
と、言ったが目の前の男にはもう言葉は届いていないだろう。つくづくこの人間という生き物は弱いものだと呆れる。
一片の憐れみを見せることなく、さっそくバートリは作業をに向かう。目の前にある死にかけの人間など、死にかけのセミが道端に転がっているのと何ら変わりはないのだ。
しかし生きている虫は侮れない。
バートリは身近なドアを空け、自らの軍勢を作りだす作業に移る。
虫けらが自分に群がってくるのならこちらも虫を使って追い払おうと。




