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第7話 世界を変える『パッチ』を当てろ

 俺たちは図書室の奥、柔らかな日差しが差し込む窓際の席に向かい合った。


 ここは本来のゲームなら、琴葉と主人公が初めて心を通わせる『聖域』だ。


 琴葉が大切そうに抱えている『Master_Dialog.sys』──この世界の仕様書とも言える分厚い本を、机の上に広げる。


 ページの大半は黒く塗りつぶされ、無惨な姿になっていたが、俺はハッピーエンドへのヒントを探していく。


「さて、琴葉。早速だが作戦会議だ。泣き止んだら、仕事の時間だぞ」

「……うん。私、何をすればいい?」


 琴葉が真っ赤な目をこすってから、真剣な眼差しを向けてくる。


 俺は本の一節、黒塗りになっていない『ヴィーナス』の行を指差した。


「メインヒロインは姫咲透華。このゲームの目的は、あいつをこの学園の頂点──『ヴィーナス』にすることだった」

「ヴィーナス……? 私、そんなの聞いたことないけど」


 琴葉が不思議そうに首を傾げる。無理もない。この改変のされ方からして、企画段階の華やかな光綾学園の雰囲気はほとんど残っていない。


 背景イラストは踏襲しているようだったが、生徒の様子はまるで違っていた。


「ああ。俺たちが企画会議で共有していた、『初期設定コンセプト』だ」


 俺はページに浮かぶ、あるキーワードを指でなぞった。


「本来のシナリオでは、光綾学園の生徒会長は『ヴィーナス』と呼ばれ、ある特別な権限を持つはずだった。それがこの『白紙の勅令(ホワイト・オーダー)』」


「……白紙の(ホワイト)勅令オーダー?」

「理事会の決定すら一度だけ覆し、あらゆる命令を『仕様』として強制執行できる最強のジョーカー。……透華はこれを使って、西谷とこの地域や学園を守るはずだったんだ」


 俺は窓の外、校舎の向こうに見える時計塔を睨んだ。


 今の世界では、ヴィーナスという概念は消され、透華はただの『没落令嬢』として扱われている。


「でも、そんな設定なかったことになってるんじゃ……」

「表面上はな。だが、メインライターのシナリオも、システムの根幹までは消せなかったはずだ」


 俺は自信満々に笑ってみせる。


 どんなにスクリプトを改変しても、プログラムはまた別だ。システム上は、元のコンセプトを踏襲している。


「この世界は、今も『ヴィーナス・コンセプト』の上で動いている。ただ、誰もシステムにアクセスする権限を持っていないだけだ。だから俺たちがやる」


「アクセス権……?」


「ああ。俺たちが透華を『ヴィーナス』のような立ち位置に押し上げて、周囲にそれを認めさせる。イベントを積み上げて、『ヴィーナス』のフラグを再認識させるんだ」


 改変されたシナリオから、封印された正規ルートを、無理やり掘り起こしていく。


 それは、世界そのものを騙すための『パッチ』のようでもある。


「透華を、本来あるべき姿に戻す……」

「そうだ。そのために必要なのが『シュバリエ(騎士)』だ」


 俺は次のページをめくる。


「ヴィーナスには、その剣となり、盾となるパートナーが必要になる。本来なら西谷の役目だったポジションだ」

「でも、今の西谷くんじゃ……」


「あいつは論外だ。だから俺がやる。俺が『影の騎士』として、透華の誇りを復活させる」


 俺は琴葉に向き直った。


「だが、俺一人じゃ『メインライターの悪意』には勝てない。奴らは平気で非道なイベントを起こして、透華の心を潰しに来る。……だから、お前の『スキル』が必要なんだ」


「私の、スキル……?」


「ナラティブ・ガイド。その本を使って、次に起きる『悪意あるイベント』のプロットを予想してくれ。場所と時間、そして『イベントの必要性』さえ分かれば、俺が先回りして選択肢をぶっ壊してくる」


 琴葉は手元の本をじっと見つめ、それから小さく頷いた。


「セーブやロードの管理と同じ要領だ」

「……わかった。やってみる。佐藤くんが知ってる『本来の設定』、私も見たいから」


 琴葉がページに手をかざすと、黒塗りだった文字が薄っすらと発光し始めた。


 ナラティブ・ガイドとしての機能が、俺とのパスが繋がったことで再起動していく。


「……あった。早速、今日来るよ」


 琴葉の声が緊張で強張る。


「今日の放課後。場所は中庭。イベント名は……『泥濘ぬかるみのティーパーティ』」


「ティーパーティだと?」

「うん。西谷くんたちが、泥だらけになった姫咲さんを『見世物』にして、お茶会を開くっていう……最悪のイベント」


 俺は舌打ちした。趣味が悪いにも程がある。いかにもあのクソライターが考えそうな悪意だった。


「発生条件は?」


「えっとね……『ヴィーナスの髪飾り』の紛失。西谷くんが、姫咲さんのお母さんから受け継いだ大切な髪飾りを、雨でぬかるんだ花壇に投げ捨てることで、イベントが成立する」


「なるほど。投げさせなきゃいいわけだな」


 俺は立ち上がった。


 透華にとってあの髪飾りは、姫咲の誇りであり、母と同じヴィーナスを目指すための道標だった。それを泥の中に捨てられれば、どれだけ傷ついて、絶望することか。


「俺がマークする。放課後まで透華に張り付いて、西谷なんか近づけさせない」


「気をつけて、佐藤くん。この世界は『メインシナリオ』の展開が一番強いから……もし見失ったら、その瞬間にイベントが始まっちゃうかも」


「分かってる。モブの『紛れ込みスキル』をナメるなよ」


 琴葉の肩を軽く叩いてから、チャイムと共に図書室を飛び出していく。


 ──しかし俺は、この世界の悪意シナリオを甘く見ていた。

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