かつて聖女であった
お前がよろずのものを奪うのであれば、私がよろずのものを生み出そう……古き神々はそのように争ったという。
神々の勝手な盟約により、よろずのものを奪われた者がいる。与えられることなく、ただ、奪われただけの者が。
まるで陵辱されるかのように、一方的に盗まれ、一方的に他者への利益や称賛を産み落とす存在として扱われつづけた彼女の心には、今やどす黒い復讐心がふつふつと煮えたぎり、活火山のマグマのごとく冷めることがない。
塔から地上を見下ろす。
地上のいさかいは止むことがなく、かつて歪んだ因果応報に加担したものたちが責任を押し付けあい、まるで地獄さながらである。
あまりに愚かなこと──。
かつての彼女であれば、何故このようなことをと嘆き、止めようと奔走しただろう。しかしそのようにして、幾度となく蹂躙を受けつづけた今の彼女は、ただそれをながめるばかりである。
これまで彼女の身に起きた地獄を、因果応報として地上の人々が味わうさまを、ただ、目を細めてながめている。
かつて聖女と呼ばれた彼女の姿は、今はもう見る影もない。
***
かつて彼女は聖女として、さまざまなものを魔法で生み出した。水晶の薔薇のような小さなものもあれば、訪れる者の時を吸う森といった大掛かりな魔法もあった。
魔法使いの群れの中で、彼女はさまざまなものを生み出した功績を認められ、あるいは数々の苦難を耐えたその生き方を称賛され、聖女と呼ばれるに至った。
ところが、これをおもしろく思わない者たちがいた。彼らはときに楽しげに笛を吹き鳴らして人々に呪術をかけ、ときには手練手管で人々を籠絡し、聖女に濡れ衣を着せることに奔走した。
努力、友情、勝利──それらを讃える裏で、搾取と蹂躙と策謀をくり返してきた秘密結社である。一部に心ある者もいないわけではなかったが、名を上げようとする者たちは躍起になって聖女を謗った。
聖女が生み出した魔法にはある徴があり、それは彼女の合図にあわせて芽吹き、国家転覆を謀る──という根も葉もない噂。
聖女の生み出した品は、どれもこれもつぎはぎだらけのもので、本人が考えたものではないから称賛に値しない──という誹謗中傷。
長年、権謀術数と人心掌握術に心血を注いできた秘密結社の面々は、人を貶めることに長けていた。
そうしてはじまった偽りの断罪は人々に伝播し、やがて聖女は何もかもに呪いをかけられた。
「金が欲しいと言え。金目当てで王子に近づいたのだと」
髪を掴んで王城の床に押し付ける秘密結社の男に、かつての聖女は冷や水を浴びせるような声で応えた。
「これは呪いのつもりか。私の見るものに、あれこれと呪いの意味を与えたな。何気ない、ごく普通のものに紛れ込ませて──まるで日常の食事に毒を盛るように……。私ばかりではなく、人々もそのように騙して、私を蝕んだ」
「魔女め! その高慢ちきな口ぶりが気に入らない! 貴様をさらに呪ってやろう! それが嫌だと言うなら、とっとと金を受け取って国から出ていけ! そうして二度と魔法を使わないことだ!」
秘密結社の男が、かつての聖女の頭を踏みにじると、固唾を飲んで見守っていた貴族たちの何人かが、直視したくないと顔を背けた。
「愚かな秘密結社の人々。お金を受け取れば、あなた方が蹂躙して盗んだものを、本当に私が売り払ったことになりかねない。しかし私はもはや、命でさえも、どうでもいい。貴様らから受け取るものはない」
「追放だ! 金をくれてやるという我らの温情がわからんとは!」
「よい」
金切り声をあげる秘密結社の面々は、玉座にある王子の声に動きを止めた。
玉座の腕かけの上で、とんとんと王子の指が動いている。
「斯様なありさまでは、追放しても危うかろう。……なにせ、魔法を使うのだから」
「しかし!」
「私がよいと言っているのだ。牢に繋げて、魔力を吸い上げるのがよかろう」
「……はっ」
かつての聖女は冷たい大理石に頬を押し付けられたまま、じろりと王子を見上げた。共に国を守ろうと誓ったはずの王子の心変わりを、呪う気すら起こらない。
こうして、偽りの断罪の果てに、かつての聖女は投獄されることとなった。
***
薄暗い牢に繋がれ、魔力を吸い上げられながら、かつての聖女は「愚かな男に心を沿わせたものだ」と自分に呆れた。努力、友情、勝利──秘密結社は表向きにはそれらを讃えるが、内情はこのざまである。
吸い上げた魔力を使って、せめてもの痛み止めだとお綺麗な物語や詩歌を聞かせるが、それが謂れのない罪を着せられ、牢に繋がれたかつての聖女の心を慰めるものになろうはずがない。
「金を受け取れ」という言葉に従わなかった彼女を、はずかしめる目的であろう。
吸い上げた魔力を、愚かな王子はどうやらさまざまな魔法使いに売っているようである。元より一級品の魔力であるから、ほうぼうで飛ぶように売れたと聞く。さぞかし懐に余裕が出たことだろう。
魔女となったかつての聖女は、右肩に現れた気配に「ごめんね」と小さく声をかけた。
その声を聞いて、右肩がぐいぐいとうねるように動き出す。やがて、精霊が姿を現した。かなり怒っている。彼女が生まれたときからの付き合いだが、こんなに怒っているのを見たことがない。
「なんでお前が謝るんだ! 悪いことなんかしてねぇじゃん! 悪いのは、王子や秘密結社の面々だろー! あいつらマジむかつく!」
「いや、君と作り上げた魔法だもの。私といるせいで、君と作ったものが、勝手に奪われて売り払われた」
「オレはね、相手が君だから力を貸したし、一緒に作ったんだよ! それをさあ! あのバカ王子、あちこちに売りさばきやがって……相手が誰だっていいと思い込んでるの、なんなの? 自分がふしだらだからって、一緒にすんなよな!」
「私も、君とだから、一緒に魔法を作ったんだよ」
精霊の罵詈雑言に、かつての聖女はほんの少し笑い、淡々と言葉をつづける。怒り心頭だった精霊は照れ臭そうに笑い、またすぐに怒り出した。
「もう魔法制御、はずすわ!」
魔法の制御を外すと聞いて、かつての聖女は目を丸くした。そんなことをすれば、魔法はたちどころに暴走するだろう。
まごうことなき聖女であった頃ならば、彼女は精霊を諌めて暴走を止めたであろう。しかし、もはや魔女と誹りを受けるに至った彼女は、止めることをしなかった。
うなずかず、言葉を発さず──ただ静かに、右肩からぷんぷんと怒りながら消える気配を受け止めた。
***
魔法の暴走事故が頻発するようになって、人々は「魔女の呪いだ」と大いに慌てだした。大衆がよくわからない噂話に踊らされるのはいつものことだが、ブロッコリーを崇拝したり、厄払いにと食べたりしはじめたと精霊に聞かされたとき、かつての聖女はきょとんとしたほどだ。
しかしそういうよくわからない噂話を理由に、彼らは聖女を貶める秘密結社の煽動に乗せられるに至ったのだから、大きな不思議はない。
魔法の暴走事故は多くの怪我人を出し、数人が命を落としてしまった。かつての聖女は亡くなった人々のために心を痛めたが、精霊の怒りは収まらず、やがて徒党を組んで夜な夜な人々を脅やかすようになった。
あまりにも大きな被害に、「魔女」から奪った魔法は、使用が禁止されることになった。「魔女」が魔力を吸い上げられることはなくなり、精霊たちは「あのバカ王子、没落したぜ!」とゲラゲラと腹を抱えて笑い転げまわった。
解放された「魔女」に、「いい加減にしろよ!」と心ない声をぶつける者もいたが、かつての聖女はただそれをながめるだけだった。因果がめぐったに過ぎない。
かつての王城を占拠した精霊たちは、「魔女」を迎え入れ、彼女を竜脈へと導いた。
ただ一人きりが契約できる竜脈と結びついたかつての聖女は、魔力をより強いものとし、精霊たちと竜の国に君臨することとなった。
塔のすぐそばを、竜が飛翔していく。大きな影はすぐに遠くなり、秘密結社と地上の人々は頭を抱えて、竜の力強い羽ばたきに慄いた。
かつての聖女は塔の上に立ち、因果応報が人々にもたらす阿鼻叫喚を、かすかに微笑んでながめている。




