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第2話 令嬢の牽制




 長い入学式を終え、ついに始まった本格的な学園での日々。

 しかしノエは早速、新たな問題に突き当たっていた。


「この──が提唱する防衛魔術は、いかなる属性にも依らず、ただ自身の──を用いて──に干渉するものだ。世界を構成する──の内、──に働きかける。この際注意すべきことは、自身の魔力機関に──を──し、──することで……」


 授業の内容が全く理解できないのだ。

 現在ノエが受けているのは魔術の初歩中の初歩、防衛魔術の基礎に関する理論である。魔術を扱う者なら誰でも知っていて当然。貴族の子どもならば入学前から基本の知識として叩き込まれる、魔術の一般教養的な講義だ。

 耳の皮が厚くなるほど何度も聞かされてきた理論。今更復習するまでもない、足し算よりも簡単な授業。

 

 けれどノエは、その魔術の第一歩目で盛大に躓いていた。

 それが何故かと言えば、講義内で使われている単語の意味が全く分からなかったからだ。

 農村出身ではあるものの、ノエはある程度読み書きができる。市井で売られている本を読むために文字の読み書きを独学で習得したためだ。勉強は嫌いでなく、飲み込みも早い方だ。だから学園に入学しても何とかやっていけるだろうという自信があった。

 だがやはり現実はそう甘くない。

 魔術学では多くの専門用語が使われ、そのどれもがまず日常生活では耳にすることのないものばかりだ。知らない単語の意味を辞書で引いて調べると、その説明の中にまた新しい知らない単語が現れる。やっと一つの単語の意味を理解できた時には、もうとっくに授業に置いていかれているのだ。


 授業の終わりを告げる鐘の音が鳴る。

 ノエははっとして顔を上げた。まだ講義の内容を全て書き取れていない。けれど板書は無情にも用済みとばかりに消されていく。

 困った。これでは家に帰ってから復習ができない。

 悩んだノエは、「こういう時は、恥ずかしがらずに人を頼ろう」と決めた。道に迷ったらすぐ人に尋ねる、困ったことがあればすぐ人に聞く、がノエの信条だ。


「あの……ちょっといいですか?」


 右斜め前に座っていた少女二人の肩を叩く。振り返った二人に、ノエは教科書の表紙を見せた。


「さっきの授業、分からない所があって。もしよかったら……」

「──ふ」

「え?」

「ねえ、……ですって」

「まあ驚いた。そんな……」


 少女たちはクスクスと笑って、小さな声で囁き合う。

 好意的、には、どう見ても感じられない。侮蔑、嘲笑。そんな冷たい視線がノエを刺す。

 彼女たちはノエを濁りを含んだ目で見やりながら、薄笑いを浮かべて立ち去って行った。


「そ……そうね。そうよね」


 ノエはしばらく呆然としていたが、しかし我に返って自分の頬を叩く。

 村では村民同士の助け合いが当たり前だった。困り事があれば何でも互いに相談し合ってきた。

 けれどそれは、「自分たちは家族も同然である」という前提条件の元に成り立つものだ。

 それに今のノエには返せるものがない。

 もし頼られたとしても何の役にも立てないだろう。そんな中で一方的に相手を当てにするのはただの利用であり、迷惑をかけるだけの行いだ。


 分からなかった所はどうにか自力で調べるとして、まずは交流の輪を広げる所から始めなければ。

 そう考えたノエは、とにかく懸命に友人作りに励んだ。


「あのっ。お名前はなんというんですか?」


「出身は? どこから来たんですか?」


「好きな食べ物は?」


「お昼一緒に食べませんか!?」


 結果はと言うと──全戦全敗。

 話しかければ煙たがられ、近づけば冷ややかな視線と共に距離を取られ、遠巻きに眺められてクスクスと笑われる。

 ここまであからさまであれば、鈍いノエでも流石に気が付く。


「もしかして私、浮いてる?」


 もしや自分は、入学早々にして孤立しているのではあるまいか。

 その事実に思い当たったノエは、持っていた教科書や筆記具を全て地面に落としてしまった。

 距離を置かれている。完全に。

 それもただの孤立ではない。

 話しかけたあと、会話が上手く続けられなかったり、考え方や感性が合わなかったりして、それで敬遠されるならまだ分かる。

 けれど、話す前から避けられるのだ。まるで腫れ物に触るように。関わりたくない、とでも言うように。

 疎まれる原因になるような失態を犯すまでもなく、徹底的に周囲から関わりを絶たれていた。


 入学する前、ソーン王子はこう言っていた。

『学園内では無礼講、皆が平等に扱われる』と。

 しかしそうは言ってもやはり、身分の差による壁は、目に見えない形で分厚く広がっているのかもしれない。王子がいくら親身に接してくれても、ノエがいくらその壁を乗り越えようとしても、その壁に足をかけた時点で、その行為はある種の〝無礼〟に値する。友好的な関係を築きたいという考えそのものが、身の程知らずと見做されているのかもしれない。

 だって、確かに、自分はただ立っているだけで周囲から浮いてしまう。周りの生徒はただ歩いているだけでも美しく、仕草の一つ一つがずば抜けて洗練されている。

 そんな中に田舎の農村からやってきたばかりの娘が何も分からないまま呆けて立ち尽くしているものだから、それはもう当然、薔薇の花束の中に一本だけ雑草が紛れているかのごとく悪目立ちしてしまうのだ。


「はあ……」

「おや、ため息かい?」


 ノエが背を曲げて息を吐いたその時、背後から誰かに声を掛けられた。

 ノエは慌てて顔を上げ、勢いよく身体を後ろに向ける。

 そこに立っていたのは麗しき金髪の美男子である。この国の王子にして、ノエを学園へと招いた張本人、ソーン・フォン・ディオラムその人であった。


「そ、ソーン王子! ご無沙汰しております!」

「おや。そんなに畏まらなくていいんだよ」


 ノエが王族に対して行うべき一礼をすると、ソーンは苦笑しながら肩の力を抜くように言った。


「で、でも……」

「前にも言っただろう? この学園内では無礼講だと。私は確かに王族だが、それ以前に君と同じ学園の一生徒なのだから」

「いいのですか?」

「勿論。困ったことがあれば遠慮せず、何でも聞いてくれ」


 自身の胸を叩きながら彼が笑う。

 ソーン王子も今年で十五になるらしく、ノエとは同い年なのだそうだ。


「そうだったんですね」

「ああ。君は……青寮に組み分けられたんだね」

「はい! ソーン王子はどこに?」

「私は緑寮だよ」

「緑……。風の寮ですね」

「そうだ。……ところで」

「はい?」

「君、学園生活にはもう慣れたかい?」


 そう問いかけられて、ノエは肩をぎこちなく揺らした。そして鬼気迫る表情で彼を見上げ、歯を食いしばりながら言う。


「まッ……たく馴染めておりません!」

「おや……」


 ソーンは不意を突かれたように片方の眉を上げた。


「それは意外だ。君は社交的だと思っていたのだけれど」

「自分でもそう思っていましたが……。友人を作ろうとしても空回るばかりで……」

「むむむ……」


 ノエが肩を落としてそう言うと、ソーンは腕を組んで低い唸り声を上げた。目を閉じたまま空へと顔を向け、そして目を開き、指を鳴らす。


「ならまずは、私が君にこの学園を案内しよう」

「! いいんですか!?」

「ああ。勝手が分からないことも多いだろうし、この機会に学園内のことをよく知れば、ここでの生活に馴染みやすくなるのではないだろうか」

「ありがとうございます……!」


 なんて優しい人だろうか。彼の気遣いが胸に染みる。

 ノエは深く頭を下げて、朝の湖畔のように煌めいた瞳で彼を見上げた。


 そうしてまず案内されたのは学園内の食堂である。広く清潔な食堂の奥には沢山の料理人が並んでいて、生徒たちは出来上がった料理を自分の食べたい分だけ皿に取っていくのだ。

 次に科目ごとに分かれた教室や、大広間、図書館、競技場を順番に回った。ノエは自身の手帳に彼の話を書き取りながら、彼の後ろをついて歩く。


「君ももう知っていると思うけれど、この学園は王宮内に造られているんだ」

「私、王宮の中って王族の方しか入れないのかと思ってました」

「そういった場所もある。けれど王宮の大部分は王族以外にも出入りが許されているんだ」


 ディオラム王国の中心には、都市にも負けず劣らずの広さを誇る王宮がある。

 王宮は丘の上にそびえる王城と、その周囲に広がる巨大な庭園で主に構成されている。庭園はいくつもの区画に規則的に分けられていて、常に何千人もの建築師や庭師が手入れを行っているそうだ。

 王宮内には他にも様々な施設が併設されている。例えば有力貴族の城であったり、宴会用のホールだったり、礼拝堂だったり、この学園だったり。

 更に敵の侵入を防ぐため、王宮は高い城壁で円状に囲まれている。城壁には巨大な門が取り付けられていて、厳しい審査を通過した者だけが王宮内への立ち入りを許可されるのだ。

 そのため学園の生徒も容易に王宮の外へ出ることは難しい。門をくぐるためには様々な手続きを踏み、外出届を提出する必要があるためだ。


「庭園は基本自由に出歩くことが出来るが、その際は道に迷わないように気を付けなければならない」

「やっぱり、これだけ広いと迷子になる人が居るんでしょうか」

「ああ、年に数回は聞くよ。夜になっても生徒が寮に帰って来ないという報告を……」

「……!」

「ふふ。そんなに怖がらなくとも大丈夫だ。探知魔術を使えば一日もかからず見つかるからね」

「……脅かそうとしました?」

「少しだけ」


 辺りでは庭師の青年たちが、高く伸びた木の枝を鋏で器用に剪定している。ソーンが傍を通りかかると、庭師たちは手を止めて彼に一礼した。それに対しソーンが手を挙げ、穏やかに微笑む。


「……それから、ここが礼拝堂。入学式の日に訪れたから、君ももう知っているだろう」

「はい!」

「式典の際にはこの礼拝堂で、創世神様への感謝の祈りを捧げるのが学園のしきたりなんだ」


 創世神様というのは、この世界の始まりとされる御方である。

 この世界は創世神様の手によって造られ、世界が始まってから永い時が経った今でも尚、創世神様は空の彼方からこの世を見守っている。というのがこの世界の常識であり、どんな小さな子どもでも知っている神話だ。


「ちなみに、王宮の外れには古くなった礼拝堂がもう一つある。旧礼拝堂と言われている場所だね。けれど今使われている礼拝堂はこちらの方だから、間違えないように気を付けて」

「はい。ありがとうございます。……」


 ノエは頭を軽く下げた。そのまま顔を上げようとして、しかし力が入らず、俯いたままになる。

 視界に自分の髪が映った。薄紅色の、癖のある髪の毛。もっとこまめに手入れした方が良いのだろうか、と取り留めのない雑念が頭に過る。

 するとソーンに「どうしたんだい?」と声を掛けられる。ノエはうわの空から現実世界に舞い戻り、慌てて両手と顔を上げた。


「ええと。その……」

「悩み事かい?」

「……はい」

「それはやはり、学園生活のことについてかな」

「……はい……」


 ノエはぎこちなく頷いた。

 そうして心の中で押し固められていた不安の塊を身体の外へと押し出すように、自身のスカートの端を僅かに握りしめて、途切れ途切れの抑揚のない声で言う。


「……私、どうすれば皆と仲良くなれるんでしょうか」


 抱えていた切実な悩みを、まるで独り言のように吐き出す。

 新しい環境に一刻も早く馴染もうと焦る気持ちが、背中に不透明な負荷をかけてくる。良い関係を築きたいのに、そのきっかけを掴む方法が分からない。

 そんな不安を零すノエの隣で、ソーンは腕を組んでしばらく何かを考える。そして彼は青緑の瞳を細め、ノエへと真っ直ぐに向き直った。


「元々貴族というのは、魔術を扱える者に与えられた身分なんだ。強大な力を持つ者が力を持たぬ者を庇護し、その責任を果たすための立場とも言える。……ノエくん」

「はい」


 ソーンに恭しく手を取られ、美しい瞳に見つめられる。


「君の才能は素晴らしい。故に、本来の意味で捉えるならば、君と他生徒の間に身分の隔たりなどありはしないんだ」

「それは……」

「君はまだ入学して間もない。その上、これまでに類のない特待生という特殊な立場に置かれている。そんな君に対して、皆はまだどう接すれば良いのか分かっていないのかもしれないね」


 ノエは数度、緩やかな瞬きを繰り返した。

 そして拳を手のひらに打ち付け、「なるほど!」と明朗な声で言う。


「つまり私が実力を身に着けて、皆に認められることができれば、自ずと周囲に馴染める!」

「その通りだ、ノエくん」


 要するに実力主義、ということだ。

 眩く光る糸を掴んだような気持ちになって、ノエは顔を晴れやかな色に輝かせた。

 そうして親身に相談に乗ってくれた彼に心の底から感謝する。きっと忙しいだろうに、一生徒にこんなにも気さくに接してくれるなんて、何と人の出来た王子なのだろう。

 ノエは再度丁寧に礼を述べようとして、背筋を一直線に伸ばした。


「あの。本当に、ありが──」

「──随分と」


 けれどその時、凛とした端麗な声が響き渡った。

 カツ。カツ。と、石畳を踏む硬質な音が、時計の針のように規則正しく聞こえてくる。

 氷の塊を首筋に押し当てられたような心地になって、しばらく身動きが取れなかった。

 やがてはっと我に返ったノエは、自然と汗の浮かんだ顔を背後に向けた。


「良い御身分ね。ノエ・ジェードさん」


 その姿は正に〝学園の女王〟と呼ぶに相応しい。

 真っ赤な一輪の薔薇に魔術をかけて、美しい少女の姿へと変えたような人である。

 ロゼリア・レディハイト。学年主席の才女にして、学園中の憧れを一手に担う完璧な乙女がそこに居た。

 彼女は複数人の取り巻きを引き連れていた。どの者も素晴らしき名家の息女ばかりだ。彼女たちはロゼリアの後ろに控え、女帝に傅くような厳かな雰囲気を漂わせている。


 自分の名が覚えられていたことに驚きを隠せないノエに、ロゼリアは凛然とした足取りで近づき、そしてノエの顎を細い指先ですくった。


「そのお可愛い顔の一枚裏で、一体どんな奸計を巡らせているのやら」


 薔薇のような赤い髪からは、やはり薔薇のような麗しい香りがした。

 ノエは彼女の美貌に見惚れて固まった。けれど、彼女の言葉の意味を頭の中で咀嚼して、そして驚きに目を見開く。

 するとロゼリアは鼻を鳴らし、ノエの顔から手を離して、「今更誤魔化そうとしたって、わたくしには通じませんことよ。女狐」とノエを小馬鹿にしたような口振りで言う。

 本当に何のことか分からない。ノエは困惑して、自身の髪の先を無意識に摘まみながら言った。


「あ、あの。何のことでしょう……」

「まあ。本当に、困ったふりが得意なのね、貴女」

「え、ええと……?」

「聞けば貴女、殿下を無理に連れ回したそうじゃありませんか。お優しい殿下の心に漬け込んで、二人きりになるため庭園に呼びつけたと」

「……!?」


 ノエは目を剥いて、驚きのあまり自身の顔を指さした。

 そんなノエに罪人を糾弾するかのような視線を向け、ロゼリアは続けて言う。


「ご自分の身の程も弁えず、わたくしの婚約者を誑かそうとするなんて」

「……!?」


 ノエは目を剥いて、驚きのあまりソーンの顔を凝視した。

 今、まさか〝婚約者〟と言ったか。

 聞き間違いではないはずだ。はっきりと彼女はそう言った。

 つまり彼女、ロゼリア・レディハイトは、ソーン王子の正式な婚約者であると。

 つまり自分は、婚約者であるロゼリア様を差し置いて、ソーン王子と二人きりの密会を繰り広げた悪女であると。

 ノエはやっと自身の立場を正確に把握し、彼女が何故そこまで敵意のこもった視線を自分に向けているのか理解した。

 自身の婚約者が知らない女性と二人きりで歩いているのだ。当然良い気はしないだろうし、彼女が怒るのも当然のことである。


「ロゼリア、それは違う」

「……殿下」


 ノエが自分の失態に打ちのめされていると、そんなノエを庇うようにしてソーンが一歩前へ足を踏み出した。ロゼリアは彼へ失意を含んだ氷の視線を向ける。


「彼女をお庇いに?」

「ノエくんは君の思っているような女性ではない。聡明で、才気溢れる、素晴らしい人だ」

「……そうですか。そんな聡明な女性と、二人きりで一体何を?」

「彼女に悩み事があったようだから、その相談に乗っていただけだ」

「相談? 一国の王子にわざわざ? まあ、随分と大層なお悩みですこと」

「彼女には頼る相手が居ないんだ。分かってくれ」


 彼らの前でノエは手を中途半端に持ち上げたまま、目を泳がせることしかできなかった。

 とてもじゃないが会話の合間に割り込める空気ではない。きっと何を言っても言い訳になるし、何を言っても火に油を注ぐことになる。

 するとロゼリアは、顔を青くして硬直したノエを横目で見て、弱い芽を切り捨てるような鋭い口調で言い切った。


「頼る相手が居ない、なんて。そんなものはただの甘えに過ぎません。悩むことがあると言うのなら、それは自身の努力不足が原因でしょう」


 彼女の言葉が心臓に突き刺さる。

 正当性のある刃物が身体を上から下に切り裂いて、その傷口から血が鈍く流れ出た。反論の余地もない事実が、バケツに入った冷水を頭に浴びせられた時のように、その冷水そのもののように頭上に振り落ちてくる。

 ロゼリアはその形の良い眉を寄せ、口元を隠しながら言葉を続けた。


「……それとも。殿下の同情を買うために?」

「ロゼリア!」


 彼女を糾弾するようにソーンが叫ぶ。

 その心魂のこもった声色に彼女は眉を吊り上げ、そして口を閉じ、黙り込んだまま立ち尽くすノエへと靴の先を向けた。

 冷汗を浮かべて地面を見つめるノエを、彼女は退屈な演劇に向けるような眼差しで見て、鼻で笑った。


「……都合が悪くなったら黙るのね」

「え、あ」

「つまらない人」


 ロゼリアは興味を失ったように踵を返し、取り巻きたちを連れて去って行った。

 ノエは生色を失ったまま呆然と立ち尽くす。するとソーンはノエと視線を合わせるために僅かに腰を曲げ、ノエの透き通った空色の瞳を覗き込んだ。


「ごめんね。彼女、何か誤解しているようだ」

「え、えっと……」

「根は悪い子じゃないんだ。きっと話せば分かってくれる」

「あ。あの……」

「うん?」

「その。ろ、ロゼリアさまに、申し訳ないことを。わ、わたし、皆さんのこと、よく知らないまま」

「君が謝るようなことじゃない。現に君は何もやましいなどしていないだろう」


 彼はノエの肩に手を置き、首を横に振った。


「私が彼女の誤解を解いておこう」

「あ……」

「君は何も心配しなくていい」


 そう言って彼はノエを安堵させるように笑い、ノエの肩から手を離し、ロゼリアを追いかけるために身を翻して歩き出した。

 その遠ざかっていく背中を見つめ、ノエは胸を押さえて何度も短く息を吐く。

 心臓からは嫌な音がずっと鳴り響いていて、首の後ろが凍えるほどに冷たくなった。


「こ、婚約者、だったのね……」


 今更知った事実を前に、ノエは自身の短慮と無知を焼き尽くしたいほど呪うばかりだった。





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