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第1話 ヒロイン、選ばれる




 ここは、神聖なる王立ディオラム学園。

 豊かな国土を誇るディオラム王国。その王宮内に位置する、偉大なる創世神様の加護の元に設立された、由緒正しき学園である。

 この学園には国中の貴族の子息・息女たちが集められ、卒業までに素晴らしい魔術の知識、技術、教養、マナーを身に着けるのである。つまりは入学するだけでも大変な名誉と言われ、卒業者には輝かしい未来が約束される場所というわけだ。


 このように名門中の名門と呼ばれるディオラム学園には、原則名門貴族にしか入学が許されていない。

 この世界で魔術を扱うことができるのは普通貴族のみだからだ。

 魔術の才能というものは遺伝するのだ。得意な魔術の種類も才覚も親から子へと引き継がれる。この世界で魔術を扱えるものは非常に希少であり、だからこそその魔術の才を持つ一族を〝貴族〟と呼んで重宝しているわけだ。


 故に魔術を扱える尊き血筋の者のみが門をくぐることを許される、王立ディオラム学園。

 しかしその地に足を踏み入れた、とある平民の少女が一人。


「──続きまして、特待生。ノエ・ジェード」

「はい!」


 名を呼ばれた少女は立ち上がり、颯爽とした足取りで壇上までの道を闊歩する。

 瑞々しい若芽のごとき翡翠の瞳を持つ、薄紅色の髪をなびかせた少女である。長く柔らかい髪はふわふわと波打っていて、前髪は眉より少し上で切り揃えられている。整った顔立ちだが、綺麗というよりはおぼこく、純朴そうな印象を見る者に与える乙女──ノエ。

 今年で齢十五になる、田舎の農村からやってきた少女である。







 ノエの故郷はメルジア村という、王国の端の端に位置する小さな農村だ。

 数十人の農民が暮らす穏やかな場所で、美しい花と美味しい野菜が特産品の村である。

 ノエはそんな村で生まれ育った。

 優しい父と活発な母に育てられ、家ではヘーゼルという名前の大きな犬を飼っている。庭いじりと読書が趣味で、村にやってくる商人から流行のロマンス小説を買って読むことが月に一度の楽しみである。

 毎日農作業の手伝いをこなし、村の子どもたちと広場を駆け回って遊ぶのがノエの日常だ。


 さてそんなどこにでも居る普通の少女・ノエには、しかし一つだけ普通でない所があった。

 それが一体何かと言えば。


「いやあスマンなあ、ノエちゃん。畑作業中に腰を痛めてしもうて……」

「大丈夫? アドルフおじさん」


 村の広場にて、腰を摩りながら眉を下げたアドルフおじさんの前で、ノエは心配そうにしゃがみ込んだ。

 周囲には興味津々という顔つきの子どもたちが集まっている。村に居る子どもたちの中ではノエが一番の年長であり、子どもたちは皆優しく快活なノエによく懐いていた。


「ノエ姉! アレ見せてくれるのか!?」

「こら、見世物じゃないんだからね」


 背に引っ付いてくる村の少年を窘めつつ、ノエはアドルフの背中に両手をかざした。

 するとその手のひらから淡い金色の光が滲む。その光はノエの手を球状に包み込み、ノエの頬の輪郭線を黄金色に照らしながらアドルフの身体にも伝播していく。そうすると彼の額に浮かんでいた脂汗がさっと引いて、彼の顔色はいくらか明るくなった。


「どう? おじさん」

「おお……! 身体が楽になったよ!」

「すげーっ! ノエ姉、オレにもやってよ!」

「あたしにもやって!」

「アンタたちはどこも怪我してないでしょ」

「ちぇっ」

「ノエ姉のけちんぼ!」

「こらお前たち、あんまりノエちゃんのことを困らせるんじゃないよ」

「はーい」


 アドルフは立ち上がって腰を叩き、それからノエに向け両手を合わせて「ありがとうね、ノエちゃん」と礼を言う。

 ノエは笑って、顔の前で軽く手を振った。


「いいの。これくらい朝飯前なんだから」

「本当に、いつもノエちゃんには助けられてるよ」

「また困ったら言ってね。いつでも治してあげる」


 と、このようにノエは昔から不思議な力を扱うことができたのだ。

 ノエは人の怪我や病気を治す力を持っていた。

 それは所謂〝魔術〟と呼ばれて然るべきもの。本来ならば貴族や王族にしか使うことのできない、選ばれし者のみが持つ凄まじい力である。

 見る人が見れば泡を吹いて卒倒するような素晴らしい才能であるが、けれどノエは自身の力をさほど特別視することがなかった。


「いやあ、相変わらず凄い特技だねえ」

「本当、我が子ながら不思議な特技だわあ」


 それが何故かと言えば、ノエの周囲の大人たちが皆おおらかで細かいことを気にしない性格だったためだ。明らかに常識の範囲外にあるノエの力を目にしても「不思議だねえ」「本当ねえ」と言うばかりで、ノエのことを〝ちょっと変わった特技を持つ子供〟として扱ったのである。

 故にノエもまた自身の力に対して特に疑問を抱くこともなく、「そういうもの」と思い込んで生きてきた。自身のことをどこにでも居る普通の少女だと思い込み、このまま何事もなくこの村で平穏に暮らしていくのだと考えていたのだ。


 そう、村に彼が訪れるあの日までは。




「ねえ、これ何の騒ぎ?」

「! ノエ姉!」


 野草の採取を終えて森から帰ってきたノエは、何やら村が普段と違う熱気に包まれているのを感じ、近くに居たサンザという少年に事情を尋ねた。

 するとサンザは村の広場を指さして言う。


「ほら、あっち」

「? 誰か来てるの?」

「そう。この村に用があんだって」


 ノエは強い日差しを浴びた時のように目を細めた。そして広場へと近寄って、そこに佇む集団を凝視する。

 日用品や薬草を売りに行商人がやって来たのかと思ったが、しかしどうやらそうではないらしい。商人にしては護衛が多いし、何かを売りに来た様子もない。

 ならば一体彼らは何の目的でこの王都から遠く離れた村へとやって来たのだろうか。


「探してる人が居るんだってよ」

「探してる人?」


 ノエは首を傾げ、それからじっとその集団を見つめる。

 すると集団の先頭に立つ人物が、被っていた白く巨大なフードを徐に外した。そうして露になった顔を見たノエは、思わず手で口元を覆って息を呑む。

 何せ白い外套の下から現れたその男の姿が、それはもう筆舌に尽くしがたいほど美しいものだったからだ。

 夕日の光が糸の形を取ってたなびいているのかと思われる黄金色の髪に、空のように青い瞳を持つ美男子は、口を押さえたまま呆然とするノエへと顔を向け、片手を軽く上げて砂糖菓子より甘く微笑んだ。


「と、とんでもないハンサムが来た……!」


 ノエは驚きのあまり半歩後ろに下がりながら呟いた。

 このまま直視していては目が焼かれてしまいそうだ。こんなにも綺麗な人間が居るのか、と感動したノエは、薄らと顔を赤くして遠巻きに彼を眺める。年頃の乙女として当たり前に、ドキドキと胸を高鳴らせながら。

 あんなに格好いい人が一体誰を探しているのだろう。というか、彼は一体誰なのだろうか。そんなことを考えながら、胸を弾ませて彼を見つめていると。


「……え?」


 何を思ったのか、金髪の彼が脇目も振らず颯爽とこちらに歩み寄ってきた。

 そして彼はノエの前で立ち止まる。ノエは左右と後ろを見渡してから、「わ、私!?」と言わんばかりの様子で自分の顔を指さす。

 すると彼は右手を胸に当て、軽く頭を下げてこう言った。


「──私はディオラム王国第一王子、ソーン・フォン・ディオラム」

「お、うじ?」

「王家の務めとして、優れた魔術の才を持つ者を探しに参りました」


 彼は王族としての身分を示す金色の紋章を示しつつ言った。

 ソーンが語った内容はこうだ。

 普通、魔術を使うことができるのは貴族に限られている。それは魔術を扱える体質というものが遺伝するためだ。だが貴族の血を引いておらずとも魔術を扱えるものが時折生まれてくる。そんな特殊な才ある者を見出し、貴族と同じ教育を受けさせるのが彼の役目なのだそうだ。


「この地に天賦の才を持つ者が居るという神のお告げを受け、この村を訪れたというわけです」

「ここにそんな凄い人が……」

「……失礼。貴女、お名前は?」

「あ……ノエ、です」

「ノエくんか。素敵な名前だ」


 ニコ、と彼が微笑む。

 身体の芯を溶かすような微笑を向けられたノエは、頬をほのかに赤くして両手を合わせた。


「そ、その。それで……魔術の才能を持ってる人って、どうやって見つけるんですか?」

「これを使います」

「……首飾り?」

「ええ」


 彼は精巧な装飾が施された首飾りを外套の内側から取り出した。

 その首飾りには傷一つない丸い石がはめ込まれていて、その石は淡い緑色に光り輝いている。


「この首飾りには魔水晶という特別な宝石が埋め込まれていて、この宝石は持ち主の得意とする魔術の属性に反応して色が変わるんですよ」

「なるほど……」

「──」

「?」


 彼は絹のように触り心地の良さそうな笑みを浮かべた。ノエは瞬きを繰り返し、彼に向けて曖昧な笑みを返す。


「どうぞ」

「私ですか!?」

「はい」

「え。でも、私が持ったって何も……あ光った!」

「光りましたね」


 ノエが首飾りを手にした瞬間、魔水晶は目の奥を貫くような白い光を放ち始めたのである。その眩しさにノエは思わず顔を反らし、王子は穏やかに微笑みながら手を叩いた。


「そんな……私に魔術の才能が!?」

「心当たりはありませんか? 生まれつき人とは違う力を扱えたりだとか、身の回りで不思議な現象が起こったりだとか」

「そんな……凄くある!」

「しかも白色は光属性の証。この属性はとても希少なんですよ」


 彼は指を立てながら丁寧に説明してくれた。

 すると話を聞きつけた子どもたちがノエの背中や足にくっついて、「すごーい! 流石ノエ姉!」「ノエ姉、そんなに凄い人だったの!?」と口々に歓声を上げる。ノエは長い三つ編みの端を持ち上げ、指に巻き付けながら咳払いした。


「ま、まあ……。確かに私には昔から人とは違う所があると思っていましたが……」

「おい! 姉ちゃんが調子乗ってるぞ!」

「褒められたらすぐ調子良くなっちゃうんだから!」


 野次を飛ばしてくる子どもたちを何とか追い払い、それからノエは持っていた首飾りをソーンに手渡した。

 ソーンはそれを受け取ったあと、ノエに向けて白い手袋を着けた右手を差し出す。


「魔術の才に秀でた者は王宮内にある……王立ディオラム学園に通うことが出来るんですよ」

「ディオラム学園? そこって、貴族しか通えないはずじゃ……?」

「本来ならば。しかし特待生制度を利用すれば、身分に関係なく入学することが可能なのです」

「特待生、制度……」

「入学資金についても我々王家が援助します。私としても、貴女のような素晴らしい才女には是非とも我が学園に来ていただきたい」


 ノエは胸を押さえて差し出された彼の手を見下ろした。

 胸の中に熱いものがジンワリと広がっていく。その熱さの正体は多分好奇心だとか期待だとかそういうもので、踊るような心地という言葉はきっとこういう時に使うものなのだろうと思った。


「いかがでしょうか、ノエくん」


 彼の青色の眼差しには真摯な光が宿っていた。


「王立ディオラム学園で、私たちと共に学んでみませんか?」


 心の中で白い煌めきが雪のように舞う。

 心臓が高鳴る。無限に広がる宙を前にした時のようなときめきが、背中をそっと押してくる。

 ……村で暮らしていて不自由を感じたことはない。

 多分自分は、恵まれた人生を送っているのだと思う。食べるものに困ったこともなければ、激しい争いごとに巻き込まれたこともない。村で育てている野菜は新鮮で美味しいし、村の人たちはいつも家族同然に優しい。

 このまま村を出ずに暮らし続けても、きっと自分は楽しく生きていけるのだろう。


 けれど多分、今の自分には知らないことが沢山ある。この村の外に広がる未知の世界に、自分の手で触れてみたいと思った。

 自分にしかない特別な力があるというのなら、その力を誰かのために役立てたい。

 そのための切符が目の前に差し出されている。その輝かしい手を取らない選択肢は、ノエの中にはなかった。


「私、やってみたい!」


 こうしてノエは由緒正しきディオラム学園への特別切符を手に入れたというわけだ。

 手を振りながら去って行く王子を見つめつつ、ノエは未来への希望に胸を弾ませる。

 それと、ちょっとした乙女的な期待にも。

 何せ突然あんなにも綺麗な、恐らく同年代の少年が目の前に現れたのだ。村に住む男の子たちは皆ノエよりも年下で、仲は良いがそれは生意気な弟に向ける気持ちと同じ形の好意だ。そこに甘酸っぱい衝動が芽生える余地があるはずもなく、つまりノエはこれまで一度も恋をしたことがなかった。


「これをきっかけにあの王子様に見初められて、身分の差を超えた大恋愛に発展したり……は、しないか。流石に」


 ノエは淡い夢物語を思い描き、しかしすぐさま「そんなに都合のいい話はないか」と掻き消した。

 ──ちなみにソーン王子とはこれから長い付き合いになるのだが、その間ただの一度も恋愛関係に発展することはなかったという事実をここに明記しておく。







 そんなわけでノエはメルジア村から馬車で三日かけて、この王立ディオラム学園へと遠路はるばるやって来たのである。

 入学式にて全生徒の前で教壇に立ち、特待生としての式辞を無事終えたノエは、大舞台で見事主演をやり遂げたような満足げな顔をして原稿用紙を折り畳んだ。

 我ながら完璧な式辞だった、とノエは内心で拳を握りしめる。言葉に詰まることも顔色を曇らせることもなく、堂々たる口振りで原稿を読み上げることができた。必死に馬車の中で練習した甲斐があったというものだ。


 原稿用紙を懐に仕舞い、生徒たちの前で頭を下げながら、ノエはこれからの学園生活について思いを馳せていた。

 自分はこの場所で、充実した学園生活を送るのだ。現役の宮廷魔術師である教師たちから優れた魔術の技術を学び、知識を身に着け、ゆくゆくは自身も優れた魔術師になる。宮廷に努めるのも良いし、治癒の魔術を極めて医療系の魔術省で働くのも良いかもしれない。

 そしてそんな力と教養を身に着けると共に、友達や恋人できたらと三年間の学園生活を彩り豊かに楽しむのだ。

 日頃の授業に課外活動、季節に応じて開かれる様々なイベントを友人たちと共にこなし、決して折れることのない強靭な絆を育んでいく。

 それがノエの目標だ。

 

 この式辞はその夢に向かう記念すべき一歩目である。

 勿論ここに居るのは貴族の子息と息女がほとんど。普通に生きていればノエは彼ら彼女らと言葉を交わすことなどなかっただろう。遠い世界で生きていたはずの彼らとの間には、当然どこまで高く伸びているのかも分からないような分厚い壁が立ちはだかっている。

 けれどそれは、自分から壁を作って閉じこもる理由にはならない。

 平民と貴族という身分差はあれど、自分ならば必ず打ち解けられるはずだ。


(あなた、先程の式辞は本当に素晴らしかったわ)

(ええ。わたくし、感動いたしましたの)

(是非ともわたくしとご友人になっていただけませんこと?)

(モチのロンですとも!)


 そんなふうに他生徒たちに囲まれる自身の姿を妄想しつつ、ノエは片目を開いて辺りを見回した。

 そして「あれ?」と思い、首を傾げる。

 辺りにはパチ、パチ、という不規則でまばらな拍手が漂っていた。マナーとして一応鳴らしているだけの、形骸的な賞賛だ。

 想定ではもっと盛大な、圧倒されるほどの拍手が待ち受けているはずだったのだが。そんな希望的観測とはかけ離れた、何とも言い難い色褪せた手拍子である。


 途端に誇らしかった気分は萎み、自分は何か間違ったことをしてしまっただろうかと不安になる。自分が気づいていないだけで、何か粗相をしでかしてしまっただろうか。

 自分では完璧にやり遂げたと思っていたのに。先程まで歩いていた舗装済みの道が、途端に軋んだ音を立て始める。


「……ふう」


 これはいけない、と思ったノエは、深呼吸をして暗い気持ちを身体の外へと押し出した。

 別に失敗したと決まったわけではないのだ。仮に無自覚の内に盛大に転んでしまっていたとしても、これから巻き返すチャンスはいくらでもある。一度の躓きでその後全てが崩れるわけではない。

 ノエは自分の頬を両手で軽く叩き、気を取り直し、空いている自分の席へと腰を下ろした。

 そしてふと顔を横に向ける。すると隣に座っていた女の子と目が合う。右隣りに座る彼女の口が小さな「あ」の形を描いた。ノエは向日葵のように明るく笑って、ほとんど形のない声で言った。


「私、ノエ。よろしく!」


 膝の上で小さなピースサインを作り、「友達になれたらいいな」という気持ちを込めて挨拶する。

 すると彼女は、しかし軽く会釈をしたのち、ノエからすぐに顔を背けた。彼女の横顔からは、勘違いでなければ塩辛い空気が漂っている、気がする。

 挨拶から数秒で壁を作られた事実に、ノエは呆気に取られて瞬きを繰り返した。陽気に掲げたピースサインをしおしおと引っ込めて、萎れた気分を抱えながら壇上へ顔を向けた、その時。


「──続きまして。新入生代表、ロゼリア・レディハイト」

「はい」


 名を呼ばれた少女が、揺るぎない声色で返答し、立ち上がる。

 肩が触れそうなほど近くを通り過ぎていく彼女の横顔を見上げた時、ノエは思わず息の吸い方を忘れてしまった。

 美しい少女だった。

 腰まで届くほど長い髪は薔薇よりも赤く、一つ一つの髪の束が規則正しい螺旋を描いている。

 勝気な吊眉と吊目、見る者を圧倒するほど重厚な睫毛、長い手足にメリハリのあるスタイル、それに口元を彩る艶やかなほくろを持った、まさに〝美人〟という言葉が相応しい乙女がそこに立っていた。


「この度、栄えある本学園に、主席として迎えられました、ロゼリア・レディハイトと申します」


 ノエの口から思わず「わ」という小さな感嘆の声が漏れる。

 美しい人は、声までもが宝石のように美しかった。彼女の声には人の心を掴むための魔性が宿っていた。人の上に立つ人間というのは、きっと彼女のような形をしているのだろうと思う。


「……──その一端を担う者として、ここに立てることを、心より光栄に思います──……」


 それに彼女は〝主席〟と言った。

 それはつまり、国中から集められたエリート中のエリートたちの、その頂点に立つ者が彼女ということだ。

 ノエは彼女に憧憬の念を抱いた。

 もしも彼女のような凄まじい人と並び立てる友人になれたら、どんなに素晴らしいだろうか。

 ……いや、「なれたら」ではない。なるのだ。


 ノエは心の中で熱意で出来た炎を燃やし、皆には見えないように密かに拳を固く握りしめた。




 そうして入学式を終えたあと、ノエは学園の事務室へと向かって、実家から届けてもらっていた荷物を受け取りに行った。

 学園内には学生寮があって、ノエたち生徒は三年間そこで衣食住を共にするのだ。そこでノエは、そのために必要な荷物を先に転移魔術で学園に送っていたというわけだ。

 人間も転移魔術で移動できたら便利なものだが、転移魔術を使った人間の移動は法律で禁止されている。魔術で空間を移動するのは大変に危険なことだからだ。無事に転移できる保証はないし、空間を移動する際に何が起きるか分からない。荷物を転移させる時も、何かトラブルが起こった時に補償を受けるための保険に加入する必要がある。魔術とは便利なだけではないのだ。


「ええと。確か……」


 荷物を受け取ったあと、ノエは入学式で配られたしおりを頼りに、自身が配属された寮へと向かった。

 この学園には多くの生徒が在籍しているため、学生寮は四つに分けられているのだ。それぞれの寮には色の名前が当てられていて、赤、青、緑、黄の四つの寮がある。

 ノエが組み分けられたのは青寮であり、この寮には主に水属性の魔術を得意とする生徒が所属しているらしい。ノエが扱える属性は光だが、担い手の数が少ないためにこうして例外的に青寮へと配属されたわけだ。


「わ。凄い。綺麗……」


 寮の庭には山のように巨大な噴水があって、その周りには汚れ一つない水場にしか生息しないとされるブルーハウルという鳥が鈴のような鳴き声を上げて飛んでいた。

 見上げると、そこには真っ青な石で作られた巨大な建物がある。壁も屋根も、窓ガラスでさえも、まるで青い宝石で出来ているのかと思うほどに美しい色をしていた。

 少し離れた場所には他の寮が見えて、他寮もそれぞれ自身のシンボルカラーに統一されている。

 流石は王立学園だ。寮の一つですら見たこともないほど巨大で、豪奢である。自分は今日からここで暮らしていくのだという、未だ地に足のついていない現実が目の前に広がった。浮足立つ気持ちへ「しっかり頑張るのよ、私」と声をかけて叱咤する。


「私の部屋は……」


 自身の荷物を詰め込んだ巨大なトランクを両手で運びつつ、案内書に従って自分の配属された部屋へと向かう。

 鏡かと見紛うほど磨かれた青い廊下を渡り、320号室の扉を叩いた。

「失礼します」と扉の向こうに声を掛けて、金属製の取っ手を捻る。

 この学生寮の部屋は主に二名で使用される決まりとなっている。つまりこの扉の向こうには、これから生活を共にするルームメイトが待っているのだ。仲良くできたらとても嬉しい。友達になれるだろうか。


「こんにちはー……あ」

「あ」


 部屋は二人用にしては随分と広い。その左右にはそれぞれ真っ白なベッドが置かれていて、その左側に見覚えのある少女が腰掛けていた。

 栗色の髪を三つ編みにした、鼻の上に赤みがかったそばかすのある女の子。

 先程入学式でノエの隣に座っていた少女である。

 偶然の再開に心が弾む。ノエは慌ててしおりを捲り、ルームメイトの名前を確認した。


「ユズリさん。ユズリ・レイハさん……で、合ってる?」

「え。ああ……」

「入学式、隣だったよね! すごい偶然!」


 確認を取ると、彼女は曖昧な相槌を打った。

 ノエは右側のベッドの傍にトランクを置いて、彼女に向けて右手を差し出す。


「改めまして、私はノエ。よろしくね、ユズリさん!」

「……」

「?」


 けれど伸ばした手が取られることはなかった。

 ユズリの眉間には深い皺が刻まれていて、彼女は入学式の時と同じように、浅く頭を下げるのみである。

 彼女は小さな低い声で「どうも」と言って、すぐにノエから身体ごと顔を背けた。

 これは、距離を取られたのだろうか。

 いやでも、勘違いかもしれない。ノエは前向きにそう思って、彼女の方へと少し歩み寄った。


「ユズリさんは、どこから……」


 しかしその瞬間、ノエは言葉に詰まった。

 僅かに振り返ったユズリの顔から、刺々しい剣呑な雰囲気が滲んでいた。

 迷惑だ、関わらないでほしい。そういう感情を心に直接叩きつけられて、受け身も取れずに口を噤む。

 流石のノエもそれ以上彼女に話しかけることはできず、伸ばしていた手を腰の横へと戻して、ベッドの上に腰かけた。トランクを開き、黙って自分の荷物を部屋に並べる。


 仲良くなりたい。

 けれど、もしかすると彼女はあまり距離を詰められるのが得意でないのかもしれない。

 入学初日で緊張しているのかもしれないし、そんな日に強引に話しかけられると疲れてしまうのだろう。

 大丈夫だ。自分にはこれから沢山の時間がある。焦らずゆっくり良好な関係を築いていけばいい。


 ノエは自身をそう納得させた。

 結局その日は荷造りを解いて終わり、それ以上同室のユズリに話しかけることが出来なかった。





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