第9話:未来への槌音と女神の微笑み
鉱山町アイアンロックに活気が戻ってから、一週間が過ぎた。
産出量は安定して高く、労働者たちの顔には笑顔が戻り、ボルガの金庫は潤っていく。誰もが、この平和が続くことを信じて疑わなかった。だが、私は知っている。この町の繁栄は、まだ脆い砂上の楼閣に過ぎないことを。
私は、町の功労者となった現場監督のゲルド、そしてギルドマスターのボルガをギルド事務所に呼び出した。
「お二人にお集まりいただいたのは、他でもありません。この町の、未来のためです」
私がそう切り出すと、満足げに葉巻をふかしていたボルガが、怪訝な顔をした。
「未来だと? 町は上手く回ってる。これ以上、何を望むというんだ」
「今の繁栄は、既存の鉱脈の上に成り立っています。ですが、鉱脈は無限ではありません。いずれは枯渇する。その時に、この町もまた元の寂れた姿に戻ってしまう。そうなる前に、私たちは次の一手を打つべきですわ。――未踏の山に、新たな鉱脈を探し、新坑道を掘削するのです」
私の提案に、ゲルドは息を呑み、ボルガはあからさまに顔をしかめた。
「馬鹿を言え! 新規の鉱脈探しに、どれだけの金と時間がかかると思っている! そんな危険な賭けに乗るくらいなら、今の利益を確実に守る方がマシだ!」
ボルガの反対は、予想通りだった。だが、今の私には、彼を説得するだけの材料が揃っている。
「ボルガ様、それは大きな誤解ですわ」
私はテーブルに一枚の大きな地図を広げた。それは、私がこの数日で町の資料室から集めた古い文献や地質図を元に、独自に作成したものだった。
「わたくしが貴族の教養として学んだ地質学によりますと、この町の地層は、東の山脈から連続しています。そして、このポイント。古い文献に『竜の背』と記されたこの岩盤の周辺は、極めて質の高い鉱脈が眠っている可能性が、非常に高いのです」
私が指し示した一点に、ゲルドが食い入るように見つめる。
「それに、時間もお金も、それほどかかりません。なぜなら、私たちにはアレン……アレックがおりますから。彼の力があれば、数日で結果は出ます。もし鉱脈が見つからなければ、すぐに撤退すればいい。リスクは最小限ですわ」
その言葉に、後ろに控えていたアレンが「おう!」と力強く胸を叩く。
ボルガが反論しようと口を開くより先に、ゲルドが力強く言った。
「やらせてくだせえ、ボルガ様! この町が本当に生まれ変わるためには、新しい希望が必要なんです! イリスの嬢ちゃんが言うなら、俺は信じる!」
その場に同席していた他の労働者の代表たちも、「そうだ、そうだ!」と声を上げる。彼らにとって、私はもはや単なるコンサルタントではなく、町を救った英雄なのだ。
ボルガは、完全に四面楚歌だった。労働者たちの支持を失えば、今の地位も危うくなる。彼は忌々しげに私を睨みつけ、そして吐き捨てた。
「……勝手にしろ。だが、もし失敗に終わったら、お前たちとの契約は即刻打ち切りだ! いいな!」
交渉は、またしても私の勝利に終わった。
翌日、私たちはゲルドをはじめとする数名のベテラン鉱夫たちを連れ、私が地図で示した『竜の背』と呼ばれる岩山へと向かった。
「よし、アレン。ここから、まっすぐお願いしますわ」
「任せとけ!」
アレンはまるで遊び道具でも扱うかのように大剣を構えると、硬い岩盤に向かって、それを振り下ろした。
ガギィィン!という凄まじい音と共に、岩盤が豆腐のように砕け散る。アレンはそのまま、まるで巨大なモグラのように、凄まจなスピードでトンネルを掘り進んでいった。
「お、おい……嘘だろ……」
「一日がかりの削岩作業が、ほんの数秒で……」
ベテランの鉱夫たちが、開いた口が塞がらないといった様子でその光景を見つめている。私は掘り出される土や岩石の色を冷静に分析し、アレンに進むべき方向を的確に指示していく。レオナルドは後方で待機し、万が一の事故に備えつつ、鉱夫たちの疲労を癒していた。私たちのチームワークは、もはや完璧なものとなっていた。
そして、掘削を開始してから、わずか二日目のことだった。
トンネルの奥深くから、今までとは違う、ひときわ甲高い金属音が響き渡った。
「イザベラ! なんだか、すげえ硬いのにぶつかったぞ!」
アレンの興奮した声が聞こえる。
私たちは急いで彼の元へと駆けつけた。そこにあったのは、私たちの誰もが、息を呑む光景だった。
壁一面が、鈍い虹色の輝きを放っている。それは、今までこの町で採掘されてきた鉄鉱石とは、明らかに異質だった。
「こ、これは……まさか……!」
ゲルドが、震える手で壁に触れる。
「『魔力鉄鉱』……。武具や魔道具の最高級素材になる、伝説の鉱石だ……!」
しかも、それはほんの一部ではない。見渡す限り、巨大な鉱脈となって、山の奥深くまで続いているようだった。質も量も、常識を遥かに超えている。これさえあれば、アイアンロックは、向こう百年は安泰だろう。いや、大陸でも有数の豊かな町になれる。
新鉱脈発見の報は、瞬く間に町中を駆け巡り、アイアンロックは地鳴りのような歓声に包まれた。人々は抱き合い、涙を流して喜びを分かち合った。
その夜、町を挙げての祝宴が開かれた。ギルドマスターのボルガは、目の前に転がり込んできた莫大な富を前に、上機嫌で高笑いを続けていた。
「ハッハッハ! これで俺も大金持ちだ! イリス、お前たちには礼を言うぞ! 望むだけの報酬をやろう!」
だが、私の本当の目的は、ここからだった。
私は祝宴の喧騒から少し離れ、一人で酒を飲んでいたゲルドの隣に腰掛けた。
「ゲルドさん。素晴らしい夜ですわね」
「ああ、嬢ちゃんのおかげだ。本当に、ありがとう」
心からの感謝を述べる彼に、私はそっと耳打ちした。その声は、祝宴の騒がしさにかき消されるほど、小さなものだった。
「本当の改革は、これからですわよ」
私の言葉に、ゲルドははっとした顔で私を見た。
その瞳に、私は悪役令嬢だった頃の、とびきり意地の悪い笑みを返してみせた。
私の計画は、単に町を豊かにすることでは終わらない。強欲な支配者から、汗水流して働く者たちへ、正当な富を再分配させる仕組みを作り上げること。
それこそが、私がこの町で成し遂げるべき、最後の仕上げ。
血を流さない革命の、始まりだった。