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第8話:改革の槌音

鉱山町アイアンロックの改革は、翌日から驚異的な速度で進み始めた。

その中心にいたのは、言うまでもなくアレンとレオナルドだ。


「うおおおおっ!」


アレンの雄叫びと共に、老朽化して危険だった坑道の支柱が、まるで割り箸のように引き抜かれ、新しい頑丈な木材へと交換されていく。彼一人で、本来なら十数人の労働者が数日かけて行う作業を、わずか半日で終えてしまった。その人間離れした光景を目の当たりにした労働者たちは、最初こそ呆気に取られていたが、やがてその感情は畏敬へと変わっていった。


「すげえ……アレックの兄貴は、まるで山の神様のようだ」

「ああ、これならもう、落盤を心配せずに済む……!」


アレン本人は、褒められて「そうか? もっとやるぜ!」と満更でもない様子で、さらに作業のペースを上げていた。単純な彼を動かすには、賞賛が一番の燃料になるらしい。


一方、レオナルドは町の空き家を借りて作った即席の診療所で、その腕を振るっていた。


「はい、次の方。……ふむ、あなたも肺ですね。長年の粉塵が溜まっています。ですが、ご安心を。神の癒しがあれば、すぐに楽になりますよ」


彼の治癒魔法は本物だった。長年、咳や体の痛みに苦しんでいた労働者たちが、次々とその苦しみから解放されていく。感謝した彼らが差し入れとして持ってくる大量の食料を、レオナルドは「これも神官の務めですから」と涼しい顔で受け取り、診察の合間に凄まじい勢いで平らげていた。その異様な光景すら、町の人々にとっては「あれだけの力を使うのだから、当然だろう」と、一種の尊敬の念を持って受け入れられていた。


私が町の女性たちに教えた簡易マスクの作り方もすぐに広まり、鉱山に入る全ての労働者がそれを着用するようになった。町全体が、一つの目的に向かって動き始めている。そのうねりは、私が想像していた以上だった。


だが、最大の難関がまだ残っていた。ギルドマスター、ボルガの説得だ。

私はアレンを護衛につけ、再び鉱山ギルドの事務所へと向かった。


「何の用だ、小娘。俺は言ったはずだぞ、俺のやり方に口出しはするなと」


ボルガは机に足を放り投げたまま、不機嫌そうに言った。


「ええ、承知しておりますわ。ですが、さらなる生産性向上のため、二つほどご提案がございまして」


私は臆することなく、まっすぐにボルガを見据えた。


「第一に、質の良い照明用魔石の導入。第二に、労働者への適切な休憩時間の付与。この二点です」

「断る!」


ボルガは間髪入れずに叫んだ。


「どちらも余計な経費がかかるだけだ! そんなものにくれてやる金は一銭もねえ!」


予想通りの反応だ。私は懐から一枚の羊皮紙を取り出した。そこには、私が昨夜のうちに計算したデータが、びっしりと書き込まれている。


「ボルガ様。現在の劣悪な照明環境下では、作業効率が約三割低下し、事故の発生率が五割増加するという統計がございます。これにより失われる労働力と、怪我人の治療にかかる費用を計算すると、良質な魔石を導入する初期投資など、すぐに回収できますのよ。休憩時間に関しても同様です。人間の集中力には限界がございます。休息なき労働は、長期的には必ず生産性の低下を招きます」


私が淀みなく数値を並べ立てると、ボルガはぐっと言葉に詰まった。彼は強欲だが、馬鹿ではない。数字の持つ説得力は理解できるはずだ。


「それに……」と私は続けた。これが、最後の一押しだ。


「すでに労働者たちの心は、わたくしどもの方にございます。もしあなたが、彼らが切望している労働環境の改善をここで拒絶なされば、どうなるでしょう? 彼らの不満は、今度こそ暴動に発展するやもしれません。そうなれば、あなたはギルドマスターの地位を追われることになる。……ですが、もしこの提案をお受け入れになれば、あなたは『労働者の声に耳を傾ける、度量の広い指導者』として、町中の尊敬を集めるでしょう。もちろん、最終的に莫大な利益を手にするのも、あなたご自身です。どちらが賢明なご判断か、聡明なボルガ様なら、お分かりになりますわよね?」


それは、丁寧な言葉で包み隠した、紛れもない恫喝だった。

ボルガの額に、脂汗が浮かぶ。彼は自分の利益と保身を天秤にかけ、そして、自身の完敗を悟ったようだった。


「……わかった。お前の言う通りにしよう」


彼は、絞り出すような声でそう言った。


「賢明なご判断ですわ。では、こちらの契約書にご署名を」


私はすかさず、あらかじめ用意していた合意書を彼の前に差し出した。その用意周到さに、ボルガは忌々しげに舌打ちしながらも、震える手でペンを取り、サインをした。


この瞬間、鉱山改革の全ての障害が取り払われた。


ボルガの許可が下りたことで、改革は一気に加速した。坑内は新しい魔石の光で満たされ、まるで昼間のように明るくなった。決められた休憩時間には、労働者たちの談笑する声が響く。彼らの顔からはかつての暗い影は消え、活気がみなぎっていた。


私は現場監督のゲルドを改革の総責任者に任命し、彼を中心に、労働者たちが自律的に動けるような体制を整えていった。


それから数日後。

鉱山からの鉄鉱石の産出量は、事故が起こる前と比べ、二倍近くにまで跳ね上がっていた。町には金が回り始め、閉まっていた店が再びシャッターを開け、子供たちの笑い声が聞こえるようになった。


アイアンロックは、死の淵から蘇ったのだ。


「イリスの嬢ちゃんは、まるで魔法使いだ!」

「いや、女神様かもしれねえ……」


町の人々は、私をそう呼ぶようになっていた。元悪役令嬢が、女神様、ね。皮肉なものだわ。


私は活気を取り戻した町を見下ろせる丘の上に立ち、満足げに微笑んだ。計画は、順調に進んでいる。


「アレン。次の仕事ですわよ」


隣に立つ勇者に、私は告げた。


「いよいよ、この町の未来を決定づける、最後の一手を打ちます」


私の視線の先には、まだ誰も足を踏み入れていない、新たな鉱脈が眠る山があった。

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