第75話:悪役令嬢のいない玉座
「大いなる奇跡」の顛末から、数週間が過ぎた。
私が帰還したアルビオン王国は、まるで、長い、悪夢から、覚めたかのように、急速に、そして、力強く、再生への道を、歩み始めていた。
摂政宮として、実質的な、国のトップとなった、アーサー殿下の、指揮のもと、偽りの聖女と、愚かな王太子の、失政によって、歪められていた、全てが、正されていく。
『大地の心臓』は、民衆が見守る中、厳かな、儀式を経て、大聖堂の、奥深くへと、再び、奉納された。大地を蝕んでいた、呪いのような病は、その源泉を取り戻し、ゆっくりと、しかし、確実に、癒え始めていた。
私の、助言に基づいた、食料の、公正な、分配システムは、飢饉に、喘いでいた、民の、命を、繋ぎ止めた。
国中に、希望の光が、再び、灯り始めていたのだ。
その、再生の中心には、常に、私の、仲間たちの姿があった。
レオナルドは、もはや、「西の聖者」などという、曖昧な、呼称ではなく、「アルビオンの、大聖者」として、民衆から、絶大な、尊敬を、集めていた。だが、彼は、その地位に、驕ることなく、自ら、腐敗した、教会の、改革に、乗り出し、貴族のためではなく、貧しき者、病める者のための、教えを、説き続けていた。
アレンは、「聖者の、黄金の守護神」として、子供たちの、一番の、英雄だった。彼は、宮廷での、堅苦しい、式典からは、すぐに、抜け出しては、王都の、市場で、買い食いをしたり、孤児院の、子供たちと、遊んだりしていた。その、天真爛漫な、人柄は、人々の、心を和ませ、新しい時代の、明るい、象徴となっていた。
そして、私は。
私の名は、完全に、雪がれた。悪役令嬢という、汚名は、返上され、ヴァイスハイト公爵家は、その名誉と、領地を、回復した。修道院から、解放された、父と母との、再会は、涙なくしては、語れないものだった。
私は、全てを、取り戻したのだ。
私が、この国を発つ前に、成し遂げたかった、全ての目的は、達成された。
そんなある日、アーサー殿下が、私の滞在する、王家の、離宮を、訪れた。
彼は、私に、国の、復興の、状況を、丁寧に、報告した後、一つの、封書を、差し出した。
「イザベラ嬢。いや――ヴァイスハイト公爵」
彼は、私を、最大の、敬意を込めた、その称号で、呼んだ。
「貴女に、正式に、お願いしたい儀がある。この、新しい、アルビオン王国の、初代、宰相の、地位に、就いては、いただけないだろうか」
宰相。
国王に次ぐ、最高位の、権力。
私を、断罪した、この国を、実質的に、支配する、玉座。
かつての、私であれば、歓喜し、飛びついていたであろう、究極の、栄誉。
私は、豪華な、離宮の、内装を、見渡した。権力、富、名声。その全てが、今、私の、手の内にある。
だが。
私の、心に、浮かんだのは、政治の、駆け引きでも、貴族たちの、羨望の眼差しでもなかった。
ホープウィング号の、甲板で、頬を撫でる、自由な、風の、感触。
アイアンロックの、丘の上で、アレンの肩に、もたれかかりながら、見た、温かい、町の、灯り。
私は、もう、知ってしまったのだ。
この、黄金の、鳥籠よりも、遥かに、尊く、そして、美しい、宝物が、あることを。
私は、アーサー殿下に、これまでで、一番、穏やかな、笑みを、向けて、言った。
「摂政宮殿下。その、あまりに、光栄な、お申し出、心より、感謝、申し上げます。新しい国の、礎となる、法案の、草案作りや、議会の、設立。その、お手伝いならば、喜んで、させていただきますわ」
私は、そこで、一度、言葉を切った。
「ですが。わたくしの、居場所は、もはや、ここには、ございません。この国には、もう、アーサー殿下という、賢明で、公正な、指導者が、おられます。影の、策略家は、もう、不要ですわ」
私は、窓の外、どこまでも、青く、広がる空を、見上げた。
「わたくしには……まだ、続けなければならない、旅が、ございますので」
アーサー殿下は、寂しそうに、しかし、全てを、理解したように、深く、頷いた。
それから、一月。
私は、アーサー殿下の、元で、この国の、新しい、統治システムの、基礎を、作り上げた。
そして、王太子と、リリアーナの、処遇も、決まった。死罪ではない。全ての、地位を、剥奪された上で、辺境の、修道院へと、送られ、そこで、静かに、自らの罪と、向き合い、一生を、終える。
復讐の、連鎖は、ここで、完全に、断ち切られた。
全ての、準備が、終わった日。
私は、アレンと、レオナルドと共に、ホープウィング号が、待つ、隠れ家へと、向かった。
私の、両親も、新しい国の、形も、もう、大丈夫だ。
私の、役目は、終わった。
「それで、イザベラ。次は、どこに行くんだ?」
アレンが、心の底から、楽しそうに、尋ねる。
私は、世界の、地図を、思い浮かべた。
もう、私には、目指すべき、具体的な、目的はない。
私は、初めて、完全に、自由になったのだ。
「さあ。分かりませんわ」
その言葉は、私が、これまでの人生で、口にした、どの言葉よりも、甘く、そして、輝いて、響いた。
「ただ……風の、吹くままに。飛んでみましょうか」
ホープウィ-ング号が、最後の、そして、新しい、旅へと、飛び立つ。
アルビオンの、青い空の、その向こう。
まだ見ぬ、私たちの、本当の、「幸福な結末」を探す、旅へと。




