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第70話:二人の聖者

私の駒は、盤上を、静かに、しかし、確実に、動き始めた。

アルビオン王国の、西の辺境。そこは、大地を蝕む病が、最も深刻な地域だった。人々は、希望を失い、ただ、静かな死を、待つだけの、日々を送っていた。

その、絶望の村に、二人の旅人が、現れた。

一人は、見るからに屈強な、金髪の、大男。もう一人は、穏やかな、神官服を、身にまとった、青年。

アレンと、レオナルドだ。


レオナルドは、村の中央に、ささやかな、祈りの場を設けた。

彼は、聖女リリアーナのような、派手で、大仰な、奇跡は、起こさない。ただ、一人、また一人と、病に苦しむ者の、その手をとり、熱心に、祈りを捧げる。

彼の、「慈愛のレリア」を宿した、その手から、溢れ出す、温かな、神聖な光は、呪いを、完全に、解くことはできない。だが、それは、人々の、苦痛を和らげ、熱に浮かされた子供の、命を、繋ぎ止めるには、十分すぎるほどの、力を持っていた。

彼は、自らの食料を、飢えた者たちに、分け与え、その、穏やかな、優しい声で、人々の、絶望に、寄り添った。


アレンは、その、レオナルドの、守護者だった。

彼は、その怪力で、森から、かろうじて、食料となる、獣を、狩ってくる。壊れた家を、修復し、冷たい夜風から、人々を、守る。

その、太陽のような、力強い、笑顔は、人々の、凍てついた心に、希望という、小さな火を、灯していった。


噂は、風のように、広がっていった。

『辺境の地に、本物の聖者様が、現れた』

『その傍らには、黄金の守護神が、寄り添っておられる』

その噂は、飢えと、絶望に、沈んでいた、アルビオンの民の間に、さざ波のように、しかし、確実に、広がっていく。


その頃。

アルビオン王国の、王都。その中心にある、壮麗な大聖堂は、重く、冷たい、沈黙に、支配されていた。

聖女リリアーナは、その、豪奢な、私室の、天蓋付きのベッドの上で、まるで、枯れ木のように、痩せ細っていた。

かつて、民衆を、熱狂させた、あの、神々しいまでの、輝きは、見る影もない。その瞳には、ただ、全てを失うことへの、深い、深い、恐怖の色だけが、浮かんでいた。


「リリアーナ、大丈夫だ! 私が、ついている!」


王太子が、彼女の手を、必死に、握りしめる。彼は、もはや、正気ではなかった。国の惨状も、民の苦しみも、彼の目には、入らない。ただ、衰弱していく、愛する聖女の姿だけが、彼の、全てだった。


「これも、全て、あの悪女、イザベラの、呪いに違いない! そうだ、もっと、壮大な、浄化の儀式を、執り行うのだ! そのために、新たな、税を、民に、課す!」

「……はい……殿下……」


リリアーナは、弱々しく、頷くことしかできない。

彼女は、知っている。力の源が、どこにあったのかを。そして、それが、もう、二度と、戻らないことも。

巨大な、嘘の城が、足元から、ガラガラと、崩れ落ちていく音を、彼女は、ただ、恐怖に、震えながら、聞いていることしか、できなかった。


王城の、片隅。

第二王子アーサーの、私室には、密やかに、数名の、貴族たちが、集まっていた。彼らは皆、王太子の、常軌を逸した、愚行に、国の未来を、憂いている、穏健派の、重鎮たちだ。


アーサーは、彼らに、私が、もたらした、情報を、告げた。

大地を蝕む病が、魔術的な呪いであるという、動かぬ証拠。

そして、今、辺境の地で、本物の奇跡を、行っているという、「彷徨える聖者」の噂。


その、二つの事実は、貴族たちの、心を、決意させるのに、十分だった。

彼らは、アーサーを、盟主として、王太子派に対抗するための、秘密の派閥を、結成することを、誓った。


その夜。

アーサーから、私のもとへ、一羽の、鳥が、飛んできた。

その足に、結び付けられていたのは、暗号で書かれた、短い、メッセージ。


『――最初の駒は、盤上に、配置されたり』


私は、アーサーの、息のかかった、貴族が、用意した、人里離れた、古い、館で、その報せを、受け取った。

目の前の、アルビオン王国の、巨大な地図。

私は、その上に、三つの、チェスの駒を、置いた。

王都の、アーサー。

辺境の、アレンと、レオナルド。

そして、影の中から、全てを操る、私自身。


聖女への、信仰。それこそが、王太子の、権力の、源泉。

私は、その、土台を、内と、外から、政治と、民衆から、同時に、そして、静かに、切り崩していく。


「女王の強さは、民の、信仰心によって、決まりますのよ、リリアーナ」


私は、地図の上で、偽りの聖女がいる、王都を、指さし、冷たく、微笑んだ。


「そして、あなたの民は、間もなく、新しい、信仰の対象を、見つけることになるでしょう」


包囲網は、狭まっていく。

悪役令嬢の、静かな、そして、完璧な、反撃が、始まったのだ。

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