第7話:信頼への第一歩
薄暗い酒場の片隅。私を取り囲むのは、くたびれた作業着に身を包んだ鉱山労働者たち。彼らの目に宿るのは、長年の過酷な労働で刻まれた疲労と、私という闖入者に対する深い疑念の色だった。
「ギルドマスターに雇われただと? あんたも結局、ボルガの仲間か。俺たちをさらにこき使うための、新しい手口でも考えに来たのかよ」
口髭をたくわえた、一際体格のいい初老の男が、吐き捨てるように言った。彼が、この場のまとめ役であり、労働者たちの信頼が厚い現場監督のゲルドだろう。
「いいえ、違います」
私は静かに、しかしきっぱりと否定した。
「わたくしがボルガ氏と交わした契約は、成功報酬。つまり、鉱山の利益が上がらなければ、わたくしに報酬は一銭も入りません。そして、利益を上げるために最も重要なのは、あなた方、働く人々の力です。疲弊し、危険に怯えながらでは、良い仕事などできるはずもない。わたくしの目的は、まず皆さんの労働環境を改善し、安全を確保すること。それが結果的に生産性を上げ、ギルドマスターの利益にも繋がるのです」
理路整然とした私の説明に、労働者たちは顔を見合わせる。だが、長年虐げられてきた彼らの不信感は、そう簡単には拭えない。
「口で言うのは簡単だ。だが、小娘一人に何ができるってんだ」
ゲルドの言葉は、この場にいる全員の思いを代弁していた。私は言葉を続けるのではなく、行動で示すことにした。
「レオナルド」
私の呼びかけに、レオナルドが一歩前に出る。彼は、部屋の隅でひどく咳き込んでいる年配の労働者に近づいた。
「神官様……?」
労働者が訝しげな顔をするのを気にせず、レオナルドは優しくその背中に手を当てた。
「お辛いでしょう。鉱山の粉塵が、あなたの肺を蝕んでいます。しばし、安らかなれ」
柔らかな光がレオナルドの手から放たれ、労働者の体を包む。数秒後、光が消えると、あれほど苦しそうだった咳がぴたりと止まった。
「……あれ? 息が……楽だ……」
その奇跡のような光景に、酒場にいた全員が息を呑んだ。
「わたくしのパートナーであるレオナルドは、高位の治癒神官です。彼がいれば、皆さんの長年の不調も、日々の怪我も、癒すことができます」
次に、私はアレンに視線を送った。
「アレン。そこの、古くなった支柱。危なそうですわね」
私が指さしたのは、酒場の天井を支える、ひび割れた太い柱だった。町の建物の老朽化は、ここも例外ではないらしい。
「おうよ!」
アレンは返事をするなり、その柱を両腕で掴むと、ミシミシと音を立てながら、いとも簡単に引き抜いてしまった。どよめきが起こる。天井が落ちてくる、と悲鳴を上げる者もいた。だがアレンは、引き抜いた柱を片手で支えながら、店の外に用意しておいた新しい木材を、空いたスペースに寸分の狂いもなく差し込み、固定してしまった。一連の作業は、ほんの数十秒で終わった。
「……馬鹿な。あの柱は、男五人がかりでようやく運べる代物だぞ……」
ゲルドが、呆然と呟く。
「こちらの護衛、アレックは、ご覧の通り少々腕力に自信がありまして。鉱山の危険な箇所の支柱を交換するくらい、彼にとっては朝飯前ですわ」
圧倒的な治癒の「技術」と、常識外れの「力」。
労働者たちの目に宿っていた疑念の色が、驚愕、そして微かな期待へと変わっていくのを、私は確かに感じ取った。
「わたくしは、机上の空論を語りに来たのではありません。皆さんが抱えている問題を、具体的に解決しに来たのです。教えてください。何に困り、何を恐れていますか?」
私のその問いを皮切りに、堰を切ったように、労働者たちの声が上がり始めた。
「坑道の奥は、支柱が腐っていて、いつ崩落してもおかしくない!」
「明かり用の魔石が粗悪品で、すぐに光が弱くなるんだ。暗闇での作業は、命懸けだぜ」
「ボルガの奴は、休憩時間も惜しんで、俺たちを馬車馬のように働かせる!」
私は彼らの訴え一つ一つに頷き、メモを取る。そして、全ての意見が出尽くしたのを見計らって、私の考えを述べた。
「わかりました。では、明日からこうしましょう」
私は立ち上がり、全員の顔を見渡した。
「第一に、安全の確保。アレンの力で、危険な坑道の支柱を全て新しいものに交換します。照明用の魔石は、わたくしがボルガ氏と交渉し、良質なものを用意させます」
「第二に、皆さんの健康管理。レオナルドが簡易的な診療所を開き、皆さんの体を無償で治療します。粉塵対策として、簡易マスクの着用も徹底しましょう。作り方は、わたくしが教えます」
「第三に、作業の効率化。適切な休憩は、必ず確保させます。休むことも仕事のうち。その方が、長期的に見て生産性が上がることは、歴史が証明しています。そして、鉱石の運搬ルートを見直し、アレンの力で、より安全で短いトンネルを掘削します」
私の提案は、具体的で、かつ彼らが長年望んでいたことばかりだった。労働者たちの間に、明らかに希望の光が灯り始めていた。
「……嬢ちゃん」
今まで最も懐疑的だった現場監督のゲルドが、私をまっすぐに見つめて言った。
「あんた、本気なんだな。俺たちのことを、本当に考えてくれてるんだな」
「当然ですわ。皆さんが安心して働けなければ、わたくしの報酬にも繋がりませんから。これは、ビジネスです」
私はあえて、そう言って微笑んだ。同情や善意よりも、利害の一致を提示する方が、彼らのような現実を生きてきた人間には、かえって信用される。
ゲルドは、私のその言葉を聞いて、ふっと笑みをこぼした。そして、他の労働者たちに向かって、力強く言い放った。
「聞いたな、お前ら! この嬢ちゃんに、俺たちの未来を賭けてみる! 文句のある奴はいるか!」
誰一人として、異を唱える者はいなかった。長かった夜が明け、ようやく朝日が差し込んできたかのような、そんな熱気が、薄暗い酒場を満たしていた。
こうして、私は鉱山労働者たちの信頼という、何よりも強固な足がかりを手に入れた。
「さあ、始めましょう。アイアンロックの夜明けですわ」
私の言葉を合図に、錆びついた鉱山の町を蘇らせるための、壮大な「改修工事」が、静かに、しかし力強く始動したのだった。