第69話:偽りの聖女と王国の病巣
古都の、崩れた神殿。月明かりだけが、私たちと、若き王子を、照らし出していた。
第二王子アーサーは、私たちが、ただの旅人ではないことを、その目で、肌で、感じ取っているようだった。彼は、私の隣に立つアレンの、静かだが、底知れない、力の気配に。そして、レオナルドの、穏やかだが、どこまでも深い、慈愛のオーラに、畏敬の念を、その瞳に宿していた。
「あなたが、イリス殿……。いや」
彼は、私を、まっすぐに見つめ、言った。
「イザベラ・フォン・ヴァイスハイト嬢、ですな」
私は、彼の覚悟を認め、静かに、頷いた。
彼が、差し出した木箱。私が、それを開けると、中には、予想通り、ただ、古びた、数粒の種が入っているだけだった。
「その『薬』は、貴殿の覚悟を試すための、ただの口実。よくぞ、この試験を、乗り越えてくださいました、アーサー殿下」
「……礼を言う」
彼は、試されたことに、怒りを見せるでもなく、ただ、安堵したように、息を吐いた。
私たちは、場所を移し、本格的な、作戦会議に入った。
私が、この大地を蝕む病が、魔術的な「呪い」であることを告げると、アーサー殿下は、王都の、さらに絶望的な状況を、語り始めた。
聖女リリアーナは、私が追放されて以来、日に日に、衰弱。人前に姿を見せることも、稀になり、たまに、儀式を行っても、その奇跡の力は、見る影もなく、弱々しいものになっていること。
王太子である兄は、その聖女に、盲目的に、のめり込み、彼女を疑う者は、誰であろうと、反逆者として、粛清していること。そして、効果のない「浄化の儀式」とやらに、国庫の金を、湯水のように、注ぎ込み、国は、破綻寸前であること。
全ての、ピースが、揃った。
私は、アーサー殿下に、私の、最終的な、結論を、告げた。
「聖女リリアーナの力は、決して、彼女自身のものではありませんでした」
私の、あまりに、衝撃的な言葉に、アーサー殿下は、息を呑んだ。
「彼女の力は、何か、別のもの……おそらくは、このアルビオンの、大地そのものが持つ、生命力と、深く、繋がっていたのです。そして、その繋がりを、媒介していたのが、おそらくは、わたくしの家、ヴァイスハイト公爵家が、代々、受け継いできた、何か。聖女は、ただ、その力を、自分のものと偽り、映し出していただけの、ただの『器』にすぎません」
私が、断罪され、ヴァイスハイト家が、取り潰されたことで、その力の供給源が、断たれた。
聖女の力が、弱まったのではない。化けの皮が、剥がれただけなのだ。
そして、大地を蝕む病とは、生命力の供給源を失った、この国そのものの、悲鳴。
「……なんという、ことだ……」
アーサー殿下が、呆然と、呟く。
「ならば、我らは、どうすれば……」
「目的は、二つ。第一に、聖女リリアーナが、偽物であることを、全ての民の前に、白日の下に、晒すこと。第二に、彼女が利用していた、本当の力の源を、見つけ出し、この大地を、再び、癒すこと」
私は、反撃の、具体的な、計画を、提示した。
「まず、アーサー殿下。あなたは、王都へ戻り、この国の未来を憂う、穏健派の貴族たちを、水面下で、束ねてください。あなたには、改革の、内なる『顔』となっていただきます」
「次に、レオナルド」私は、神官に向き直る。「あなたには、『本物の聖者』として、この病に苦しむ、辺境の地を巡り、人々を、癒していただきます。あなたの、本物の奇跡の噂は、必ずや、民の心に、希望の火を灯し、偽りの聖女への、疑念を、生み出すでしょう」
「そして、アレン。あなたは、レオナルドの、守護者として、彼に、同行を」
「イザベラは、どうするんだ?」
アレンの問いに、私は、不敵に、微笑んだ。
「決まっているでしょう。わたくしは、影の中から、全てを、操りますわ。チェスの、プレイヤーのように、あなた方、全ての駒を、動かし、王太子と、聖女を、完全に、孤立させ、そして、追い詰めるのです」
私たちの、役割は、決まった。
アーサー殿下の瞳に、絶望ではない、闘争の光が、宿る。
「……我が国の、そして、我が民の運命を、貴女の手に、委ねる。どうか、よろしく、お願い致す、イザベラ嬢」
彼は、初めて、私に、臣下としてではなく、対等な、パートナーとして、頭を下げた。
私たちは、そこで、別れた。
アーサー殿下は、革命の旗手として、王都の闇の中へ。
アレンとレオナルドは、希望の伝道者として、民衆の元へ。
そして、私は、ただ一人、残った。
私は、アルビオン王国の地図を、広げる。
私の、駒は、盤上に、配置された。
さあ、始めましょうか。
「――聖女リリアーナ。あなたの、借り物の光輪が、いつまで、その輝きを、保てますことやら」
悪役令嬢の、最後の戦いが、静かに、そして、確実に、その幕を開けた。




