第68話:王子の覚悟を試す駒
アルビオン王国の、寂れた漁村。その、薄暗い酒場の片隅で、私は、一枚の羊皮紙に向かっていた。
第二王子アーサーから送られてきた、特殊な暗号表。それを使い、私は、彼への返信を、そして、彼に課す、最初の「テスト」を、作り上げていた。
文面は、ごく、短いものだ。
『大地を蝕む病への薬は、双子の獅子が涙する場所に眠る。もし、貴殿に、この国を救う覚悟があるのならば、十日のうちに、その薬を、独力で、手に入れよ。そして、一人で、海辺の忘れられた古都へと、持参されよ』
この、短い文章に、私は、三つの罠と、一つの試験を、仕掛けた。
まず、「双子の獅子が涙する場所」。それは、かつて、王城の片隅にあった、今は忘れられた庭園の、壊れた噴水の名だ。王族の、それも、過去の歴史に、ある程度、通じている者でなければ、決して、解くことはできない、謎かけ。これで、手紙の返信者が、本当に、アーサー殿下本人であるかを、見極める。
次に、「薬を、独力で、手に入れよ」。これは、彼の、行動力と、勇気を試すための、課題。
そして、「一人で、来い」。これは、彼が、腹心の部下さえも退け、私という、国賊を、信じることができるか、その、覚悟を問うための、最後の踏み絵。
私は、その暗号文を、ポート・ソレイユで築いた、商人たちの、秘密のネットワークに乗せ、王都へと、送らせた。
賽は、投げられた。
あとは、十日間、アーサー殿下という駒が、こちらの盤上へと、正しく、たどり着くのを、待つだけだ。
だが、私たちは、ただ、待っていたわけではない。
私は、早速、この国を蝕む、「病」そのものの、調査を始めていた。黒く枯れた畑から、土と、植物のサンプルを採取し、「知恵のレガリア」の力で、その構造を、分析する。
結果は、すぐに、出た。
「……やはり、ただの病ではありませんわね」
これは、自然発生したものではない。大地の生命力そのものを、ゆっくりと、しかし確実に、吸い上げる、極めて、悪質な、魔術的な「呪い」だ。そして、その性質は、聖女リリアーナの、聖なる力と、正反対の属性を、持っていた。
レオナルドは、その慈愛の力で、村人たちの、救済に当たっていた。呪いを、完全に、解くことはできない。だが、彼の神聖魔法は、飢えに苦しむ人々の、痛みを和らげ、病に倒れた者の、命を、繋ぎ止めることはできた。彼は、この絶望の村に、一筋の光を灯す、本物の聖者となっていた。
アレンは、私たちの、守護者だった。彼は、怪力で、通常では漁ができない、沖合の、まだ汚染されていない海域から、網を引き揚げ、村に、大量の食料を、もたらした。彼の、単純で、力強い善意は、村人たちの、固く閉ざした心を、ゆっくりと、溶かしていった。
そして、運命の、十日目。
私たちは、手紙に指定した、海辺の古都の、崩れた神殿で、約束の相手を、待っていた。
夕日が、水平線へと沈み、世界が、茜色に染まる。
だが、約束の相手は、まだ、現れない。
「……来なかったな」
アレンが、心配そうに、呟く。
捕まったのか。あるいは、怖気づいたのか。それとも、最初から、全てが、罠だったのか。
私の心に、一瞬だけ、疑念が、よぎった、その時だった。
カツ、カツ、と、馬の蹄の音が、遠くから、響いてきた。
地平線の先に、一つの、人影が現れる。
馬に乗った、たった一人の、人影。
その影は、迷いなく、まっすぐに、私たちの方へと、向かってくる。
やがて、その人影は、私たちの前で、馬から降りた。
年の頃は、二十歳前後。まだ、若さは残るが、その瞳には、国の未来を憂う、深い、苦悩の色と、そして、全てを賭けるという、強い、決意の光が、宿っていた。
第二王子、アーサー・フォン・アルビオン。
彼は、その手に持っていた、小さな木箱を、私に、差し出した。
「……あなたが、イリス殿、だな。約束の品は、持ってきた」
その声は、震えていなかった。
彼は、私の、全ての試験を、完璧に、クリアしたのだ。
私は、初めて、この国の未来に、ほんの、僅かな、希望の光を、見た気がした。
悪役令嬢と、憂国の王子。
二人の、奇妙な、そして、危険な、共闘関係が、今、この滅びゆく故郷の、片隅で、静かに、産声を上げた。




