第56話:創世の祭壇と対なる試練
私たちの最後の目的地、「創世の祭壇」は、その名にふさわしい、荘厳で、そしてあまりに危険な場所だった。
黒い雷雲と、禍々しい魔力の嵐が渦巻く空域。その中心に、巨大な浮遊神殿が、まるで世界の創造主の玉座のように、静かに鎮座している。
「行きますわよ!」
ホープウィング号・改が、魔力の嵐の中へと突入する。神殿の防衛システムが、最後の侵入者を拒むかのように、無数の光の槍を、雨あられと放ってきた。
「させっかよ!」
アレンが、船の甲板に仁王立ちになり、飛来する光の槍を、その大剣で、次々と叩き落としていく。「力」「勇気」「迅速」。三つのレガリアの力が、彼の肉体を、もはや神話の英雄の域にまで高めている。
「聖なる守護よ、この翼に宿りたまえ!」
レオナルドの「慈愛のレガリア」から放たれる光が、船体全体を包み込み、どうしても防ぎきれなかった攻撃によるダメージを、瞬時に修復していく。
そして私は、その二人の完璧なサポートを信じ、「知恵のレガリア」の力で、絶え間なく変化する攻撃パターンを予測し、弾幕の、ほんの僅かな隙間を縫うように、ホープウィング号を導いていく。
私たちの三位一体の連携は、もはや、誰にも止められない。
激しい空中戦を切り抜け、私たちはついに、創世の祭壇の、唯一の着陸ポイントである、雲上の巨大なテラスへと、その翼を休めることができた。
船を降りた瞬間、私たちは、その場の空気に、息を呑んだ。
空気が、澄み渡っている。魔王の残滓が色濃いはずの中心地でありながら、そこは、まるで生まれたての朝のように、清浄で、神聖な気配に満ちていた。だが、その神聖さの底には、拭いきれないほどの、深い、深い悲しみが、静かに横たわっていた。
神殿の内部は、一つの巨大な美術館のようだった。
壁には、この世界の創造から、古代魔導文明の繁栄、そして、突如として空が裂け、魔王が出現した日の悲劇、追い詰められた人々が、最後の希望として「勇者召喚」の禁術に手を出すまでの歴史が、壮大なステンドグラスの壁画として、描かれている。
彼らは、神になろうとしたのではない。
あまりに強大な、理不尽な「破壊」の概念を前に、自分たちの手で、それに対抗しうる「守護」の概念を、必死で、作り出そうとしていただけなのだ。
私たちは、その悲しい歴史の回廊を抜け、神殿の最奥にある、巨大なホールへとたどり着いた。
そこには、二つの祭壇があった。
向かって右の祭壇には、大盾を模した、重厚な装飾品が。
そして、左の祭壇には、二つのリングが絡み合ったかのような、美しい装飾品が。
最後の二つのレガリア、「守護のレガリア」と「調和のレガリア」だ。
だが、私たちが、そのレガリアに近づこうとした、その瞬間。
二つの祭壇の前で、それぞれ、最後の守護者が、その姿を現した。
右の祭壇の前には、黒曜石のような、漆黒の装甲を持つ、巨大なゴーレム。その体からは、あらゆる攻撃を拒絶する、絶対的な防御のオーラが放たれている。
左の祭壇の前には、定まった形を持たない、霧のような、半透明のスピリット。その存在からは、人の心の隙間に入り込み、精神を蝕む、不和の気配が漂ってくる。
「守護」を司る、最強の盾。
「調和」を破壊する、最悪の毒。
この二体を、同時に、相手にしなければならない。それが、この創世の祭壇が、私たちに課した、最後の、そして、最も過酷な試練だった。
「俺が、あのデカブツを引き受ける!」
アレンが、守護のゴーレムに斬りかかる。だが、彼の渾身の一撃は、ゴーレムの装甲に、甲高い音を立てて弾き返されただけだった。
それと、同時だった。
不和のスピリットが、霧のように拡散し、私とレオナルドの、心の中に、直接、囁きかけてきたのだ。
『……本当に、あの勇者を信じているのか? 所詮は、作られた兵器。いつ、その牙が、お前に向かぬとも、限らないぞ……?』
『……神官よ。お前は、本当に、あの異端の令嬢に、仕えていて良いのか? 彼女は、お前の信仰心さえも、駒として、利用しているだけではないのか……?』
過去のトラウマ、心の奥底に眠る、僅かな猜疑心。それらを、巧みに増幅させる、悪魔の囁き。
「くっ……!」
私とレオナルドの集中が、一瞬、乱れた。
その、ほんの僅かな、しかし致命的な隙を、守護のゴーレムは見逃さなかった。
ゴーレムの、山をも砕くであろう拳が、思考の乱れた私の、無防備な体に、一直線に、迫っていた。
避けることも、防ぐことも、間に合わない。
絶体絶命。
私たちの、揺るぎないはずだった絆が、今、内側と外側から、同時に、砕け散ろうとしていた。




