第53話:重力の嵐と三位一体
パワーアップした飛空艇「ホープウィング号・改」は、空を駆けた。
眼下に広がる滅びの都を越え、私たちの視界の先に、天を突くように、しかし、その頂は崩れ落ちた、巨大な塔のシルエットが見えてきた。第五のレガリアが眠る、「天空交通管制塔」だ。
だが、塔に近づくにつれて、私たちは、この空域が、もはや通常の物理法則が通用しない、異次元の空間と化していることを、思い知らされた。
空間そのものが、まるで陽炎のように歪んでいる。上下左右の感覚が曖昧になり、巨大なビルの残骸や、大地の一部までもが、大小様々な塊となって、予測不能な軌道で、私たちの周囲を浮遊していた。
「うわっ! なんだこりゃ!」
突如として、ホープウィング号が、見えない巨大な手に捕まれたかのように、真下へと引きずり込まれる。強力な重力異常の発生だ。
「イザベラ様!」
「大丈夫ですわ!」
私は、「知恵のレガリア」によって拡張された思考能力で、重力異常が発生する僅かな予兆――空間の歪みや、魔力の流れの乱れを読み取り、絶妙な操縦で、船をその魔の手から回避させていく。
だが、危険はそれだけではなかった。
「アレン! 右舷、瓦礫が来るわよ!」
「おうよ!」
甲板に仁王立ちになったアレンが、飛来する巨大な瓦礫を、大剣の一振りで、粉々に砕いていく。彼は、この船を守る、物理的な盾だ。
船体そのものも、異常な重力変化によって、常に悲鳴のようなきしみを上げていた。
「わたくしの慈愛の光よ! この翼に、安らぎと守護を与えたまえ!」
レオナルドが、「慈愛のレガリア」の力を解放し、船体にかかるあらゆる負荷を、神聖な力で軽減・修復していく。彼がいなければ、ホープウィング号は、とっくに空中で分解していただろう。
操縦士の私、盾のアレン、そして、船を守るレオナルド。まさに、三位一体のチームワークで、私たちは、この重力の嵐の中を、突き進んでいった。
「――来ますわ!」
私の警告と同時に、管制塔の防衛システムが、私たちを捉えた。
塔のあちこちから、カミソリのように鋭い翼を持つ、無数の小型ドローン「レイザーウィング」が、鳥の群れのように、一斉に襲いかかってきたのだ。
その動きは、あまりに速く、そして正確無比。避けきれないほどの数の、レーザーの弾幕が、ホープウィング号を包み込む。
絶体絶命。
誰もがそう思った、その瞬間。私は、この状況を打破するための、唯一にして、最も危険な活路を見出した。
「アレン! レオナルド! 最大級の衝撃に、備えなさい!」
私は、操縦桿を強く握りしめ、叫んだ。
「――最大加速! あの、重力異常の中心に、突っ込みますわよ!」
私の選択は、回避ではない。敵の攻撃と、重力の渦、その両方を利用し、敵の予測を完全に超えた軌道で、一気に、塔の頂上を目指すという、常軌を逸した賭けだった。
「イザベラを、信じろってことだな! やってやろうぜ!」
「し、心臓が、口から飛び出しそうですぞー!」
ホープウィング号・改が、咆哮を上げる。
船体から、青白い魔力の光がほとばしり、私たちは、一筋の光の矢となって、重力の渦の中心へと、突っ込んでいった。
視界が、ぐにゃりと歪む。凄まじいGが、全身を押しつぶしにかかる。だが、私たちは、お互いを信じ、歯を食いしばって耐えた。
私たちの、常識を無視した動きに、レイザーウィングの群れは、完全に対応できなかった。彼らの放ったレーザーは、歪んだ重力によって軌道を曲げられ、同士討ちを始める。
私たちは、その地獄絵図のような光景を、紙一重ですり抜け、そして――。
嵐は、嘘のように、過ぎ去った。
私たちは、ついに、重力異常地帯を完全に突き抜け、天空交通管制塔の頂上にある、静かで、穏やかなプラットフォームへと、たどり着いたのだ。
船を降りた私たちの前には、一つの祭壇があった。そこに、風を模したような、流麗で美しいデザインの、一つの足環が、静かに安置されている。第五のレガリア、「迅速のレガリア」。
だが、そのレガリアを守るように、祭壇の前に、一体の、人型のガーディアンが、静かに立っていた。
その体は、光そのものでできているかのように、輝いている。
次の瞬間、そのガーディアンの姿が、私たちの視界から、消えた。
いや、違う。速すぎるのだ。
ドン!という衝撃と共に、アレンが、数メートル後方へと吹き飛ばされていた。
「……ぐっ!?」
アレンの、覚醒した動体視力でさえ、その動きを、完全に捉えることができなかった。
「速さ」を司るレガリアを守る番人。
私たちの前に立ちはだかった最後の試練は、絶対的な「速度」の化身だった。




