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第5話:最初の仲間は腹ペコ神官

私たちが越境した先は、アルビオン王国とは異なる政治体制を持つ「自由都市連邦ガレリア」だった。大小様々な都市が同盟を結び、互いの交易によって成り立っているこの国は、良くも悪くも活気に満ち、そして混沌としていた。


国境を越えて最初に入った町も、様々な人種や文化が入り乱れ、道端では怒声と笑い声が同時に聞こえてくるような場所だった。


「さて、まずは腰を落ち着けられる宿を探しましょう。それから、この先の旅程を考えなくては」

「宿! やったー! ちゃんとベッドで寝られるんだな! それに、美味い飯も食えるよな!」


アレンは私の言葉の後半部分にだけ、キラキラとした瞳で反応した。本当に、この男の思考は食欲と睡眠に直結しているらしい。


私たちは少し奮発して、清潔そうな中級宿を確保した。荷馬車と木箱は、もはや用済みだ。宿の主人に安く買い取ってもらい、当面の資金の足しにする。身軽になった私たちは、早速宿の階下にある食堂へと向かった。もちろん、アレンの強烈なリクエストがあったからだ。


「すいませーん! ここのメニュー、端から端まで全部一つずつ!」

「あいよっ!」


アレンの規格外の注文に、食堂の主人が威勢よく応える。私はそのやり取りに呆れつつ、ハーブティーだけを注文して席に着いた。これからどうやって資金を稼ぎ、この勇者を食わせていくか。それが目下の最重要課題だ。


そんな頭の痛い問題を抱えている私の視界の隅に、奇妙な人影が映った。

食堂の隅のテーブルで、一人の青年が突っ伏している。歳は私たちとそう変わらないだろう。上質な生地で作られたであろう神官服を身にまとっているが、あちこちが薄汚れ、何よりその顔色は土気色をしていた。その身なりと雰囲気は、この騒がしい食堂の中でひどく浮いている。


(神官……? あんなところで倒れられては、面倒事に巻き込まれかねませんわね)


関わりたくない、というのが本音だった。だが、ここで彼が倒れ、騒ぎにでもなれば、衛兵が駆けつけるかもしれない。そうなれば、身分を偽っている私たちにとって良いことは一つもない。


仕方なく、私は席を立った。


「もし。大丈夫ですの、神官様?」


声をかけると、青年はゆっくりと顔を上げた。陽光を思わせる金色の髪に、湖のように澄んだ青い瞳。極め付きは、整いすぎた顔立ち。それは、かつて私が婚約者だった王太子殿下にも劣らないほどの美貌だった。だが、その顔は飢えと疲労で完全に色を失っている。


「……ああ、女神よ……。私はここで、生涯を終えるのでしょうか……。腹が、減りすぎて、指一本動かせません……」


か細く、そして絶望に満ちた声だった。

原因は、病気や怪我ではないらしい。単純に、空腹。


その時、ちょうどアレンが注文した料理の第一陣が、テーブルに所狭しと並べられた。焼かれた肉の香ばしい匂いが、食堂中に広がる。すると、青白い顔をしていた神官の鼻が、くんくん、と微かに動いた。


「おい、大丈夫かよ、神主さん。腹減ってるだけなら、これ食うか?」


アレンが、自分の皿に乗っていた巨大な鳥の脚のローストを、ひょいと神官の前に差し出した。


次の瞬間、私たちは信じられない光景を目にした。

今まで死人のようだった神官が、まるで獣のような素早さでその肉にかぶりついたのだ。上品な顔立ちからは想像もつかない大口で、彼はあっという間に肉を骨だけにしてしまった。そして、まるで憑き物が落ちたかのように、その顔に血の気が戻っていく。


「……はぁ、生き返りました。ありがとうございます、旅の方。このご恩は、生涯忘れませぬ」


彼はナプキンで口元を優雅に拭うと、先ほどまでの姿が嘘のように、にこやかな笑みを浮かべた。その変わり身の速さに、私とアレンはただただ呆然とする。


「わたくしはレオナルドと申します。大神殿に仕える者です。見ての通り、少しばかり……その、お腹が空いておりまして」

「少しどころじゃなかったみたいだけどな! 俺はアレン。こっちはイリスだ」


アレンが屈託なく自己紹介をする。

私はこのレオナルドと名乗る神官を、改めて観察した。治癒魔法を司る神官は、その力ゆえに尊敬される存在だ。だが、彼のこの常軌を逸した腹ペコ具合は一体何なのだろう。


私の疑問を見透かしたかのように、レオナルドは気まずそうに語り始めた。

彼の治癒魔法の腕は、大神殿でも随一らしい。しかし、彼には一つ、致命的な欠点があった。それは、魔法を使えば使うほど、あるいは普通に生活しているだけでも、異常なほどに腹が減る、という体質だった。彼の食費は神殿の財政を圧迫し、見かねた上層部から「民の苦しみを知るため、巡礼の旅に出てみてはどうか」と、非常に丁寧な言葉で、事実上の厄介払いをされたのだという。


「……つまり、あなたは食費がかかりすぎるという理由で、神殿を追い出されたと。そういうことですのね?」

「お、追い出されたなどと、人聞きの悪い! あくまで、自発的な巡礼の旅です!」


レオナルドは顔を赤くして否定するが、図星なのだろう。

私は彼の情けない身の上話を聞きながら、頭の中ではそろばんを弾いていた。


(治癒魔法の腕は、大神殿随一……)


それは、非常に魅力的だった。アレンのような、後先考えずに敵陣に突っ込むような人間と旅をする上で、優秀なヒーラーの存在は必要不可欠だ。怪我をするたびに薬や医者を探していては、時間も金もいくらあっても足りない。


そして、彼にはわかりやすい「弱点」がある。――食欲だ。


「レオナルド様」


私は、商人の娘イリスとして、最高の笑顔を作ってみせた。


「もしよろしければ、私たちの旅にご同行しませんか? 私たちは行商人ですので、各地を巡る必要があります。巡礼の旅の助けになるかと思いますが」

「なんと、それはありがたいお話ですが……見ず知らずの方々にご迷惑をおかけするわけには……」


レオナルドは神官としてのプライドからか、一度は断ろうとする。その態度を読んで、私はアレンに向かって、わざとらしく言った。


「残念ですわ。夕食は、この町で評判の『炎の猪亭』で、豪快な丸焼きでもいただこうと思っていたのですけれど。三人の方が、きっともっと美味しいでしょうに」

「猪の丸焼き!? やったー!」


アレンの歓声と同時に、レオナルドの喉が「ゴクリ」と大きく鳴るのを、私は見逃さなかった。彼の視線は、もはや私ではなく、食堂の外、まだ見ぬ猪の丸焼きへと向けられている。


「……い、いえ。しかし、よく考えてみれば、これもまた女神様のお導きやもしれません。困っている旅人を助けるのも、また神官の務め。よろしいでしょう。このレオナルド、お二人の旅路が祝福されしものとなるよう、お力添えさせていただきます」


彼は咳払いを一つすると、さも当然のように、アレンが注文した残りの料理へと手を伸ばし始めた。その食べっぷりは、やはりアレンに勝るとも劣らない。


こうして、私たちのパーティーに、最初の仲間が加わった。

脳筋で胃袋が宇宙の勇者、アレン。

策略家で腹黒の元悪役令嬢、私。

そして、腕は一流だが腹ペコの訳あり神官、レオナルド。


(これで、アレンが多少無茶をしても、回復させられる。旅の安全性と継続性が、格段に増しましたわね)


私は満足げにハーブティーを口に運びながら、目の前で意気投合して食事をかき込む二人の男を眺めていた。前途は多難だろう。だが、少なくとも退屈はしなさそうだ。


三者三様の思惑を乗せた、私たちの本当の旅が、今、始まろうとしていた。

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