第48話:生命の樹と哀しき母性
歪んだ生命が蠢く狂った森の奥深く。
私たちの前に立ちはだかるキメラ生物たちを、「救済」するという名の、悲しい戦いを繰り返しながら、私たちは、この植物ドームの中心部へと、少しずつ、しかし着実に、歩を進めていた。
アレンは、迷いを振り払い、その一撃一撃に、苦しむ魂への鎮魂の祈りを込めているようだった。レオナルドの神聖な祈りの歌は、この地に満ちる悲しみを、少しでも和らげようとするかのように、絶え間なく響き渡っている。
やがて、私たちは、森の中心にある、ひときわ開けた場所にたどり着いた。
そこにあったのは、一本の、あまりに巨大な、そして、あまりに美しい、乳白色に輝く巨木だった。その枝からは、生命の光そのもののような、柔らかな光の雫が、絶え間なく滴り落ちている。
「……生命の樹……」
私は、その光景に、息を呑んだ。
大図書館アルケイアで読んだ、古代の記録にあった、この「生命の揺りかご」の本来の姿。全ての生命を生み出し、育み、そして癒すと言われていた、聖なる樹だ。
そして、その巨木の根元、最も神聖な場所に、一つの小さなブローチが、柔らかな光を放ちながら、静かに安置されていた。第三のレガリア、「慈愛のレガリア」だ。
だが、私たちがレガリアに近づこうとした、その時。
生命の樹そのものが、まるで私たちを拒絶するかのように、その枝を、不気味に、うねらせ始めた。
そして、樹の幹から、ゆっくりと、一体の、女性の姿をした幻影が、姿を現した。
その姿は、気高く、そして、深い慈愛に満ちている。だが、その瞳の奥には、数千年分の、拭いきれないほどの、深い、深い悲しみが宿っていた。
彼女こそ、この「生命の揺りかご」の管理者にして、古代文明最高の生命科学者であった、「母なる女神」エヴァの、残留思念だった。
『……お帰りなさい、私の、子供たち……』
エヴァの声は、優しく、そして、どこまでも悲しかった。
『あなた方も、この終わらない苦しみの輪廻から、解放されたいのですね……。ならば、おいでなさい。私の、この腕の中で、永遠の安らぎを、与えてあげましょう……』
彼女は、私たちを、自分が狂わせ、生み出してしまった、哀れなキメラ生物たちと、同じものだと認識している。彼女にとって、このドームに存在する全ての生命は、愛すべき、そして、解放すべき、我が子なのだ。
彼女が、そっと手をかざすと、私たちの周囲の植物が、一斉に、その蔦や根を伸ばし、私たちを優しく、しかし、抗うことのできない力で、捕らえようとしてきた。
「くっ……! この力は……! 攻撃ではない……!? 包み込まれるような……!」
「アレン殿! ダメです! この力に抗っては! 精神が、母の腕に抱かれるような、安らぎに満たされて……眠ってしまいます……!」
これは、戦闘ではない。
あまりに強大な「母性」という名の、精神攻撃。この地に満ちる悲しみと共鳴し、生きる意志そのものを、奪おうとしてくる。
アレンも、レオナルドも、その抗いがたい慈愛の力の前に、膝をつき、意識が朦朧とし始めている。
(このままでは、飲み込まれる……!)
絶体絶命の状況の中、私の「知恵のレガリア」が、この状況を打破する、唯一の糸口を示してくれた。
エヴァの悲しみ。その根源は、自らが愛した生命たちを、魔王の襲撃から守りきれず、歪んだ苦しみを与え続けてしまっている、という、深い自責の念。
ならば、彼女を救うには、力でねじ伏せるのではない。
この森の、歪んでしまった生命の輪廻を、完全に断ち切り、彼女を、その終わらない母性の呪縛から、解放してあげるしかないのだ。
「アレン! レオナルド!」
私は、朦朧とする意識の中、最後の力を振り絞って、叫んだ。
「わたくしたちが倒すべきは、彼女ではない! あの、生命の樹そのものです!」
「なっ……!?」
「あの樹が、暴走した生命力の源! あの樹がある限り、この森の悲劇は、永遠に繰り返される! エヴァの苦しみも、決して終わらない!」
私の魂の叫びに、二人が、はっと我に返った。
「あの聖なる樹を……攻撃するのですか!?」
「でも、そうしなきゃ、この森は、救われねえってことか……!」
「ええ! わたくしたちに、本当の『慈愛』を示せるというのなら、その覚悟を、見せなさい!」
私たちは、覚悟を決めた。
レオナルドが、涙を流しながらも、最後の祈りを捧げる。それは、歪んだ生命を生み出し続ける聖なる樹への、鎮魂の祈り。
そして、アレンが、その祈りを受け、大剣を構えた。
「――お母さん。もう、十分だよ」
アレンは、エヴァの幻影に向かって、そう、静かに語りかけた。
「あんたは、もう、一人で苦しまなくていいんだ」
それは、アレンが、自らの魂で紡ぎ出した、エヴァへの、本当の「慈愛」の言葉だった。
その言葉に、エヴァの幻影が、初めて、驚いたように、目を見開いた。
アレンの、黄金に輝く一撃が、生命の樹の幹へと、吸い込まれるように、振り下ろされた。
それは、破壊のための一撃ではない。
全ての生命を、その苦しみの輪廻から解放するための、あまりに優しく、そして、あまりに悲しい、救済の一撃だった。




