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第36話:西へ、滅びの海を越えて

エルドリアの港を後にしてから、私たちの長い船旅が始まった。

目指すは、遥か西の大陸。そこに眠るという、滅びた古代魔導文明の遺跡。私たちは、エルドリアで得た莫大な報酬を使い、大型の商船の一等客室を丸ごと借り切っていた。


数週間にわたる船上での生活は、驚くほど穏やかなものだった。


「そりゃっ! はっ!」


アレンは、広い甲板で毎日欠かさず大剣の素振りを続けていた。エルドリアでの覚醒以来、彼の力のコントロールは、以前とは比較にならないほど精密になっている。その剣筋には、無駄な力みがなく、それでいて、振るわれるたびに空気が震えるほどの威圧感を放っていた。船乗りたちとの腕相撲大会では、もちろん無敗。すっかり船の人気者になっていた。


「おお、船長! この深海魚のカルパッチョ、実に素晴らしい! この柑橘系のソースが、淡白な白身の旨味を極限まで引き立てていますぞ!」


レオナルドは、案の定、船の厨房に入り浸っていた。彼は、船の料理長とすぐに意気投合し、海で獲れる珍しい魚介類を使った、新しい料理の研究に日々没頭している。その神聖魔法は、船員たちの怪我や病気を癒し、彼もまた「海の聖者」などと呼ばれ、崇められていた。


そして私はといえば、揺れる船室のデスクで、これまでの旅で得た、膨大な資料の整理と分析に時間を費やしていた。アイアンロックの地質図、ポート・ソレイユの交易記録、そしてエルドリアの禁書庫から書き写した、古代の文献。バラバラだった情報が、一つの線で繋がり、世界の本当の姿を、少しずつ、私の前に描き出し始めていた。


ある月夜の晩だった。

考え事に行き詰まった私が、甲板で潮風にあたっていると、アレンが隣にやってきた。


「イザベラ」

「どうしましたの、アレン」

「いや……。ちょっと思い出してな。エルドリアの、あの塔でのこと」


彼は、少し照れくさそうに、しかし、真剣な目で私を見た。


「あの時、イザベラが俺を呼んでくれなかったら、俺、本当にやばかったかもしれない。なんか、よくわかんねえけど、自分が自分じゃなくなっちまうような、すげえ怖い感じだったんだ。……だから、その……ありがとうな」


私は、彼の素直な感謝の言葉に、胸が温かくなるのを感じた。


「礼を言うのは、わたくしの方ですわ。あなたがいてくれなければ、わたくしはとっくに、故郷の断頭台の上で、惨めな最期を迎えていましたから」


私たちは、しばらく黙って、月が照らす穏やかな海を眺めていた。彼が私の『勇者』で、私が彼の『錨』。私たちの関係は、もはや、ただの旅の仲間という言葉では、到底表せないものになっていた。


そんな穏やかな船旅も、西の大陸が近づくにつれて、その様相を変えていった。

空には、常に、不気味な紫色の暗雲が立ち込め、海の色も、生命力に満ちた青から、よどんだ鉛色へと変わっていった。そして、海面には、これまで一度も見たことのない、禍々しい気配を放つ異形の魔物が、姿を見せるようになった。


「……なんという、歪んだ生命体でしょう」


船べりから海を覗き込んだレオナルドが、顔を青くして呟いた。

「これは、ただの魔物ではありませぬ。まるで、この世界そのものから、その存在を拒絶されているかのような……深い悲しみと、憎悪の匂いがします」


そして、数日後。

激しい嵐を乗り越えた私たちの目の前に、ついに、西の大て陸の輪郭が見えてきた。


その大陸は、巨大な骸だった。

全体が、不活性な魔力の霧に、まるで弔いのベールのように覆われている。遠目にも、生命の息吹が、ほとんど感じられない。死んだ大地。


船が岸に近づくにつれて、その荒廃した姿が、より鮮明に見えてくる。

海岸線に沿って、天を突くほどの高さの塔や、巨大なドーム状の建造物の残骸が、墓標のように、無数に点在していた。それらは、朽ち果ててはいるが、かつて、どれほど高度な文明がここに存在していたのかを、雄弁に物語っていた。


私たちは、小さなボートで、その死の大陸に、第一歩を記した。

砂浜に降り立った瞬間、ぞわり、と肌が粟立った。大地から、直接、魂に語りかけてくるような、深い、深い悲しみの念。そして、それ以上に、今もなおこの地に色濃く残り続ける、強大な『魔王』の残滓。それは、世界そのものに対する、底なしの憎悪の気配だった。


「ここが……」


私は、目の前に広がる、壮絶な滅びの光景を見つめながら、呟いた。


「全ての始まりの場所……。そして、おそらくは、わたくしたちの旅の、終わりの場所ですわね」


世界の謎を解き明かす、最後の旅が、今、始まった。

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