第34話:勇者の誓い、二人の夜明け
「イザベラに、何をした?」
その声は、静かだった。だが、そこに含まれた意志の力は、星読みの塔の空間そのものを震わせ、ヴェリタスが張り巡らせた重力魔法の檻を、内側から粉々に砕いていく。
自由を取り戻した私は、息を呑んで目の前の光景を見つめていた。
黄金色のオーラを穏やかに、しかし力強くその身にまとうアレン。それはもはや、暴走の兆候などではない。魂が、あるべき器に完全に定着し、その力を100%解放した、真の勇者の姿だった。
「あり得ん……! 理論上、魂が完全に定着した勇者の力は、神の御業にも匹敵する……。だが、なぜ今、このタイミングで『魂の錨』が機能したのだ……!」
ヴェリタスの顔から、初めて余裕という仮面が剥がれ落ち、純粋な動揺が浮かんでいた。
私は、ふらつく足で立ち上がり、不世出の天才魔術師に向かって、誇らしげに言い放った。
「あなたの計算違いは、たった一つ。あなたは、人の心、魂の繋がりという、数字では決して測れないものを見誤ったのです。彼をこの世界に繋ぎ止めるのは、魔道具の枷などではない。わたくしたちが共に旅をしてきた、その絆ですわ」
「絆、だと……? 馬鹿な!」
ヴェリタスは、自らの完璧な計画が崩壊しかけていることを悟り、狂気的な叫びを上げた。
「認めん! 私の救済を、貴様らのような不完全な存在に、邪魔されてたまるか!」
彼は両手を天に掲げ、星読みの塔が持つ全ての魔力を、その身に集束させ始めた。塔全体が唸りを上げ、空間が悲鳴を上げるように歪む。世界の理を書き換えるという彼の野望にふさわしい、絶大な魔力の渦が、私たちを飲み込もうと牙を剥いた。
「消えろ! この世界の、不純物どもよ!」
だが、アレンはもはや、迷わない。動じない。
彼は、迫りくる絶大な破壊の奔流に対し、静かに大剣を構えた。その動きは、無駄なく、洗練され、力と技が、完全に一つに融合している。
「お前のやり方は、やっぱり間違ってる」
アレンは、静かに、しかしきっぱりと言った。
「誰かの心を、感情を奪っちまうのが、救いなもんか。イザベラが、俺に教えてくれたんだ。困ってる奴がいたら、助ける。間違ってる奴がいたら、止める。それが、勇者なんだってな!」
その言葉と共に、アレンは一歩、前に踏み出した。
彼は、これまでの力任せな戦い方とは違う。ヴェリタスが放つ魔力の渦、その流れを完全に見切り、力が最も集中するたった一点の「核」を、その黄金色の瞳で正確に見抜いていた。
そして、ただ一振り。
最小限の動きで、しかし、これまでの旅で得た全ての経験と、仲間への想いを乗せた、渾身の一撃。
アレンの大剣の切っ先が、魔力の渦の「核」を、正確に貫いた。
次の瞬間、世界を飲み込むかと思われた破壊の奔流は、まるで巨大な風船が針で突かれたかのように、あっけなく、そして静かに霧散した。
行き場を失った膨大な魔力は逆流し、術者であるヴェリタス自身を打ちのめす。
「……がっ……!?」
全ての力を失い、ヴェリタスは、まるで枯れ木のように、その場に崩れ落ちた。星読みの塔を支配していた、禍々しい魔力の光も消え、そこにはただ、静かな夜明けの光だけが差し込んでいた。
「……そうか……。私が本当に欲しかったのは、神の力などではなく……」
床に倒れたヴェリタスは、遠のく意識の中で、何かを悟ったように、そう呟いた。
「君のような……本当の……『英雄』だったの、かもな……」
その言葉を最後に、エルドリアの最も深き闇は、完全に沈黙した。
戦いは、終わった。
アレンの体を包んでいた黄金色のオーラが、すっと消え、彼はいつもの、少し気の抜けた表情に戻る。
「あれ……? 俺、なんだか、すげえことしたみたいだな!」
そう言って、照れくさそうに頭をかく彼を見て、私の胸に、これまで感じたことのない、熱い感情が込み上げてきた。安堵と、喜びと、そして、どうしようもないほどの愛しさが、一気に溢れ出した。
私は、気づけば、彼の胸に飛び込んでいた。
「……アレン……!」
「うおっ!? い、イザベラ!?」
突然のことに驚き、顔を真っ赤にするアレンの腕の中で、私は、ただ、彼の温かさを感じていた。もう、失わなくて済んだのだと。
その光景を、いつの間にか意識を取り戻していたレオナルドとオルダスが、穏やかな笑みを浮かべて見守っていた。
エルドリアの闇の中心は、打ち砕かれた。
星読みの塔に、穏やかな朝日が差し込む。それは、この国の、そして、私たち二人の、新しい夜明けを告げる光のようだった。




