第31話:星読みの塔と三つの試練
隠し部屋のベッドの上で、アレンがゆっくりと目を覚ました。
「ん……あれ……? 俺……」
「気が付きましたの、アレン」
彼は、暴走していた時の記憶が断片的らしく、ひどく混乱しているようだった。
「なんだか、すごく怒ってて……イザベラを誰かが傷つけようとして……。そこから先が、よく思い出せないんだ。俺、何かやらかしたか?」
その不安げな瞳に、私は胸が締め付けられる思いだった。だが、ここで真実を告げるのは、あまりにも酷だ。
「いいえ。あなたは、わたくしを庇って、少し力を使いすぎただけです。心配はいりませんわ」
私は、精一杯の優しい笑みを浮かべて、そう言った。私の意図を察したレオナルドも、「ええ、アレン殿の勇敢な姿、神も見守っておられましたよ」と、話を合わせてくれる。
その優しさに救われたように、アレンは「そっか、なら良かった!」と、いつもの笑顔を取り戻した。
だが、私は知っている。この笑顔を守るための時間は、もう幾許も残されていないかもしれないことを。
その夜、私たちは、アレンを救うための唯一の希望、「抑制の魔道具」を手に入れるため、行動を開始した。
案内役のオルダスに導かれ、私たちは禁書庫の最奥にある隠し扉から、地下深くへと続く、秘密の通路へと足を踏み入れた。
「『星読みの塔』は、アカデミーで最も神聖な場所。ヴェリタス総長に忠誠を誓う近衛魔術師が、厳重に警備している。正面からの侵入は、万に一つも成功せん」
オルダスは、松明の灯りを頼りに、通路の先に仕掛けられた古代の罠について説明した。
やがて、私たちの目の前に、最初の試練が立ちはだかった。行き止まりの壁に、古代文字で、こう刻まれている。
『光なくして道は開かれず、声なくして真実は語られず』
「謎かけ、ですわね」私は呟いた。「光も声もない、となると……答えは『反響』。あるいは『こだま』。この壁に、特定の周波数の音を当てることで、道が開く仕掛けでしょう」
「音、ですか。ならば、お任せを」
レオナルドが一歩前に出ると、澄んだ声で、神聖な祈りの歌を詠唱し始めた。彼の声は、壁に吸い込まれるように響き渡り、やがて、壁そのものが共鳴するように、微かな振動を始める。ゴゴゴ、と重い音を立てて、壁が左右に開き、新たな道が現れた。
次に現れたのは、物理的には破壊不可能な、半透明の「魔力障壁」だった。
「この障壁は、魔力を吸収する性質を持つ。だが、許容量を超えれば、自壊するはずだ」とオルダスが言う。
「なるほど。つまり、こういうことだな!」
アレンは、私の指示を待たずとも、その役割を理解していた。彼は大剣を構え、暴走しないギリギリのレベルまで、その体に眠る膨大な魔力を解放する。そして、黄金色のオーラをまとった大剣を、魔力障壁に突き立てた。
障壁が、まるで飢えた獣のように、アレンの魔力を凄まじい勢いで吸い込んでいく。だが、アレンの魔力は、もはや無限とも思えるほどだ。やがて、許容量を超えた障壁に、ピシリ、と亀裂が走り、次の瞬間、ガラスのように粉々に砕け散った。
最後の試練は、最もシンプルで、そして最も難しいものだった。
目の前に広がる、底が見えない、深い闇の裂け目。向こう岸へ続く道は、どこにも見当たらない。
「『信頼の橋』だ」と、オルダスが言った。「この先に続く光の道は、信じる心を持つ者の足元にのみ、その姿を現す、と伝えられておる」
疑いや恐怖を抱けば、奈落の底へ。なんという、意地の悪い試練だろう。
だが、アレンは、そんなことにはお構いなしだった。
「なんだ、簡単じゃんか! イザベラたちがいるんだ、大丈夫に決まってる!」
彼は、何の迷いもなく、闇へと一歩、足を踏み出した。
すると、彼の足元に、キラリと光のタイルが現れた。そして、次の一歩、また次の一歩と、彼が進むたびに、光の道が、闇の先へと伸びていく。
私たちは、アレンのその絶対的な信頼が生み出した道を、一歩一歩、確かめるように渡りきった。
数々の試練を、私たちのチームワークで突破し、ついに、目の前に、上へと続く螺旋階段が現れた。
「ここを登れば、『星読みの塔』の最下層だ」
私たちは、塔の内部へと足を踏み入れた。
そこは、私の想像を絶する、美しい空間だった。ドーム状の天井には、本物と見紛うほどの満天の星空が映し出され、部屋の中央では、巨大な天球儀が、いくつもの惑星を従えて、ゆっくりと回転している。
だが、その幻想的な光景とは裏腹に、私の心は、凍りついていた。
部屋の中央。抑制の魔道具が保管されているはずの祭壇に、一人の男が、静かに立っていたからだ。
ゆったりとした、アカデミー総長のローブ。白銀の長髪に、全てを見通すかのような、鋭くも穏やかな瞳。
「――お待ちしておりましたよ、イリス殿。そして、最後の『勇者』よ」
アカデミー総長、マスター・ヴェリタス。
彼は、まるで、私たちの到着を、最初から全て知っていたかのように、完璧な笑みを浮かべて、そこにいた。
罠にかかったのは、私たちの方だったというのか。
絶望的なまでの、静かな威圧感が、その場を支配していた。




