第25話:歓喜の宴と勇者の真実
古代の研究所から溢れ出ていた魔力汚染の源流を断ったことで、森はまるで長い悪夢から覚めたかのように、その姿を変え始めていた。
邪悪な気配は嘘のように晴れ渡り、澄んだ空気が肺を満たす。ねじ曲がっていた木々は、まだ痛々しい姿ではあるものの、その梢から新しい若葉を芽吹かせようとしている。あれほど執拗に私たちを襲ってきた異形の魔物たちも、浄化された森からは完全に姿を消していた。
穏やかさを取り戻した森を抜け、私たちが村へと帰還すると、そこには信じられないといった表情で私たちを迎える、村人たちの姿があった。
「おお……! 森の空気が……変わっておる!」
「体の澱みが、抜けていくようだ……」
彼らは、私たち以上に、この地の変化を敏感に感じ取っていた。やがて、その驚きは歓喜の叫びへと変わり、村中が熱狂の渦に包まれた。
その夜、村では、私たちを讃えるための、盛大な祝宴が開かれた。
決して裕福ではない村だ。だが、人々は家の貯蔵庫からありったけの野菜や干し肉、果実酒を持ち寄り、私たちを心からもてなしてくれた。
「うめえ! この芋のスープ、最高だぜ!」
「おお、この地方でしか採れないという幻の茸! なんという芳醇な香り……! 神に感謝!」
アレンとレオナルドは、言うまでもなく、その歓待の中心で満面の笑みを浮かべていた。レオナルドは、宴の合間に村人たちの長年の病を次々と癒し、「癒しの聖者様」として、もはや生き神様のように崇められている。
私は、そんな彼らの姿を微笑ましく眺めながら、村の長老から、報酬として村に古くから伝わる書物や、この地方の歴史が記された地図を譲り受けていた。金銭よりも、こうした生きた情報の積み重ねこそが、私の財産となる。
宴の喧騒から少し離れた場所で、私は一人、あの研究所で手に入れた金属板を、月明かりにかざしていた。
そこに、古代エルドリア文字で刻まれていたのは、あまりに不穏な研究記録の断片だった。
『被検体No.7……勇者……魔力適合率98.7%……魂の器として極めて良好……異世界からの転移、成功……』
「……魂の、器……?」
私は、その言葉に、形容しがたい悪寒を覚えた。
この研究所は、単なる魔術の研究施設などではない。異世界から「勇者」という存在を、この世界に「転移」させるための、禁断の実験場だったのではないか。
アレンが語っていた、自らの出自。「神のお告げで来た、転生勇者」。
それは、彼が信じているような都合の良い奇跡などではなく、この古代の研究所で行われた「実験」の成功例だったとしたら?
彼の存在そのものが、誰かによって、意図的に仕組まれたものだったとしたら?
「イザベラ、何してんだ? そんなとこで」
不意に、背後からアレンの屈託のない声がした。彼は、口の周りをソースで汚しながら、私の手元を覗き込む。
「……アレン。少し、よろしいかしら」
私は、金属板を隠しながら、彼に尋ねた。
「あなたは、自分がなぜ勇者になったのか、その経緯を、詳しく神様とやらから聞いたことはありますの?」
「んー? 神様っていうか、なんか、頭の中に直接声が響いてきてさ。『世界がやべえから、お前、勇者として行ってこい! チート能力も付けといてやるから!』って。そんな感じだったぜ? 難しいことは、よくわかんねえな」
彼は、からりと笑う。その笑顔には、一片の曇りもない。彼は、自分の存在に、何の疑問も抱いていないのだ。
その純粋さを前にして、私は、この残酷な仮説を彼に告げることなど、到底できなかった。それを知れば、彼のアイデンティティそのものが、根底から揺らいでしまうかもしれない。
「……そうですの。よく、わかりましたわ」
私は、今はまだ、この真実を胸の内に秘めておくことを決めた。彼を守るために。
(この謎を解き明かすには、もっと情報が必要だわ。エルドリアの、もっと中枢にある情報が……)
私は、首都「アルカナ・フェリス」にあるであろう、「魔法省」や「王立アカデミー」に、何としてもアクセスする必要があると結論づけた。幸い、今の私には、村を救ったという「名声」と、アイアンロックの『魔力鉄鉱』という、極上の取引材料がある。それらを上手く使えば、閉鎖的なエルドリアの中枢に食い込むことも、不可能ではないはずだ。
「禁術」の正体。そして、「勇者」の真実。
エルドリアの闇は、私が当初想像していた以上に、私たち自身の存在そのものに、深く、そして直接的に関わっている。
翌朝、私たちは村人たちの心からの感謝と共に見送られ、首都アルカナ・フェリスを目指して、再び馬車を走らせた。
私の探求心は、今や、ただの知的好奇心ではなかった。
隣で能天気に鼻歌を歌う、このお人好しの勇者の、魂の根源を守るための戦い。それが、このエルドリアでの、私の新たな目的となっていた。




