第21話:夜明けの港と次なる羅針盤
時計塔での死闘から、数日が過ぎた。
闇ギルド「奈落の口」が壊滅したというニュースは、ポート・ソレイユに本当の意味での平和と秩序をもたらした。二大商会の歴史的な和解と、その後の共同での復興作業は、町の人々の心を一つにし、港には以前にも増して、明るく前向きな活気が満ち溢れていた。
オーバン氏は、弟であるカインの亡骸を、サンストーン家の墓地に丁重に弔ったという。長きにわたる一族の歪んだ因縁に、彼なりの形で終止符を打ったのだ。過ちと悲しみを乗り越えた彼の顔には、もはやかつての頑迷さはなく、賢明な指導者としての威厳が宿っていた。
私たちの協力者たちもまた、それぞれの道を歩み始めていた。
名優サイラスは、私から受け取った莫大な報酬を元手に、港の一角に新しい劇場を建設する計画を進めていた。「人生の最後に、もう一度だけ、最高の喜劇をこの街の皆に見せてやりたいんさ」と、彼は少年のように目を輝かせて語った。
情報屋マリアは、私から得た『魔力鉄鉱』の優先取引権という、金以上の「力」を手に入れた。彼女は、裏社会の情報屋から、今や表社会の商人たちさえ一目置く大物へと変貌を遂げ、今後も私たちの強力な協力者であり続けることを約束してくれた。
そして、私たち一行はといえば、最高級の宿で、しばしの休息を満喫していた。
「いやー、ここのシーフード、最高だな! 特にこの、カニの丸ごと蒸したやつ!」
「ええ、同感です、アレン。この白身魚のポワレ、ソースに使われているハーブの配合が絶妙で……」
アレンとレオナルドは、相変わらず美食三昧の日々を送っている。アレンは闘技場の名誉チャンピオンとして、レオナルドは「腹ペコの聖者」として、町中から英雄扱いだ。
私はそんな二人を横目に、今回の事件で手に入れたものを整理していた。莫大な報酬、二大商会との強固なコネクション、そして『魔力鉄鉱』という、揺るぎないビジネスの基盤。私の持つ「力」は、もはや一国の小規模な貴族を遥かに凌駕する規模にまで膨れ上がっていた。
(この力で、何をするべきか……)
逃げるためだけだった旅は、いつの間にか、その様相を変えつつあった。
そんなある日、私はセリーナとオーバン氏との会食の席で、興味深い噂を耳にした。
「最近、大陸中央に位置する『魔法学術国家・エルドリア』の動きが、どうにもきな臭くてね」
オーバン氏が、眉をひそめながら言った。
エルドリアは、魔法技術の研究においては大陸随一だが、極めて閉鎖的で、他国との交流を好まない謎の多い国だ。
「その国で、古代の『禁術』を復活させ、その力で大陸の覇権を握ろうと企む、過激な一派が力を増している、という情報があるのです」と、セリーナが続けた。
禁術。
その言葉を聞いた瞬間、私の胸に、漠然とした胸騒ぎが広がった。それは、ただの国家間の緊張という話ではない気がした。勇者であるアレンの存在、世界の理そのものに関わる、何か根源的な問題に繋がっているような、そんな直感。
宿に戻った私は、地図を広げ、仲間たちに告げた。
「次の目的地が決まりましたわ」
私の言葉に、カニの脚をしゃぶっていたアレンと、魚料理のソースをパンで拭っていたレオナルドが、顔を上げる。
「次の目的地は、『魔法学術国家・エルドリア』。ビジネスの次は、少しばかりアカデミックな探求というのも、面白そうですわよね?」
私の提案に、アレンは「魔法の国か! すげえ魔法使いとかいるのかな!」と目を輝かせ、レオナルドは「エルドリア……未知なる食材の宝庫かもしれませんねぇ」と、よだれを垂らさんばかりの顔で呟いた。
数日後。
私たちは、ポート・ソレイユの全ての住民からの、盛大な見送りを受けて、町を後にした。
「イリス様! いつでも、この港へ帰ってきてください!」
「英雄様たちに、幸あれ!」
鳴り響く感謝の言葉と、紙テープの舞う光景に、私は少しだけ、くすぐったいような気持ちになった。
船に乗り、遠ざかっていくポート・ソレイユの街並みを眺めながら、私は静かに決意を固めていた。
私の旅は、もはや単なる逃避行ではない。私は、自分の意志で、世界の核心へと触れようとしている。それが危険な道であるとわかっていても、私の知的好奇心と、芽生え始めた小さな使命感が、それを求めるのだ。
悪役令嬢イザベラの第二の人生は、今、新たな羅針盤を手に、未知なる海原へと、その船首を向けようとしていた。




