第16話:二つの太陽の和解
闇ギルド幹部、ギルの逮捕。
その衝撃的なニュースは、翌朝にはポート・ソレイユの隅々にまで駆け巡っていた。クレセント商会にかけられていた放火の疑いは完全に晴れ、代わって、事件の真相を暴いた私たちの名声は、天を突く勢いで高まっていた。
「イリス様、本当に……何とお礼を言ったらいいか」
クレセント商会の事務所で、セリーナは深々と私に頭を下げた。彼女の手には、約束された莫大な成功報酬が入った、ずっしりと重い革袋が握られている。
「まだ、何も終わってはいませんわ」
私はその報酬を受け取りながらも、冷静に釘を刺した。
「ギルは、いわばトカゲの尻尾。本体である『奈落の口』は、必ず報復してくるか、あるいは次の手を打ってきます。彼らの目的がこの港の乗っ取りである以上、ここで止まるはずがない」
私の言葉に、セリーナの表情が再び引き締まる。
「では、私たちは次にどうすれば……?」
「敵の狙いを、先回りするのです」
私は窓の外、サンストーン商会が事務所を構える方角に目をやった。
「ギルという頭脳を失い、トップが操り人形だったと知れ、サンストーン商会は今、大混乱に陥っているはず。闇ギルドが次に狙うのは、その弱った獲物を内部から崩壊させ、資産と利権を二束三文で買い叩くことでしょう」
「……なんて、汚いやり方」
「ええ。だからこそ、そうなる前に、サンストーン商会を立て直す必要があります。特に、全ての元凶とも言える、オーバン会頭を」
セリーナは一瞬、ためらった。長年、敵対してきた相手だ。だが、彼女はすぐに私の意図を理解し、頷いた。
私たちは、サンストーン商会の事務所へと向かった。そこは、予想通り、重苦しい沈黙に支配されていた。案内された会頭室で、オーバン氏は、まるで抜け殻のように椅子に座っていた。腹心だと思っていた男に裏切られ、商会を危機に陥れたという事実に、完全に打ちのめされている。
「……何の用だ。儂を、笑いに来たのか」
憔悴しきった顔で、オーバン氏は私たちを睨みつけた。その目には、長年のライバルであるセリーナへの敵意と、自身の不甲斐なさに対する羞恥が入り混じっている。
「いいえ」と私は静かに言った。「わたくしたちは、あなたを責めに来たのではありません」
「何だと?」
「あなたは、ギルという男に利用された被害者です。そして、私たちクレセント商会もまた、彼らに陥れられようとした被害者。わたくしたちの敵は、同じなのですわ」
私の言葉に、オーバン氏は顔を歪めた。だが、私は構わずに続けた。
「あなたの商売に対する誇り、伝統を重んじるそのお姿は、決して間違ってはおりません。ですが、その誇りの高さゆえに、あなたは自分の足元が見えなくなっていた。今、あなたがすべきことは、過去の過ちをただ悔やむことではなく、未来のために、あなたの商会と、愛するこの町を守ることではありませんか?」
私はそこで言葉を切り、一つの物語を語り始めた。かつて、古いやり方に固執して寂れ、死にかけていた鉱山の町が、新しい力と知恵を受け入れることで、見事に蘇った物語を。
「伝統と革新は、敵対するものではありません。互いの良さを認め、手を取り合うことで、より強い力を生み出すもの。アイアンロックという町が、それをわたくしに教えてくれました」
私の話が終わった時、オーバン氏の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。それは、後悔の涙であると同時に、長い意地から解放された、安堵の涙のようにも見えた。
彼はゆっくりと立ち上がると、長年のライバルであったセリーナの前に進み出て、深く、深く頭を下げた。
「……セリーナ殿。すまなかった。儂が……全て、間違っていた」
それは、この町の誰もが想像しなかった、歴史的な瞬間だった。
セリーナもまた、その謝罪を真摯に受け止め、オーバン氏に手を差し伸べた。
「顔を上げてください、オーバン会頭。過去を水に流しましょう。そして、今こそ、私たち二つの商会が手を取り合う時です」
固く、握手を交わす二人の会頭。
ポート・ソレイユの空に昇っていた、対立し合う二つの太陽が、一つに重なった瞬間だった。
私はその光景を、満足げに見届けていた。
こうして、ポート・ソレイユの全ての商人を束ねる、強固な同盟が結成された。共通の敵、「奈落の口」を、この町から完全に駆逐するために。
(さあ、これで反撃の準備は整いましたわ)
私の瞳に、冷たくも美しい、闘志の炎が燃え上がる。
(蜘蛛の巣は、もう張らせない。こちらから、根こそぎ焼き払って差し上げますわ)
闇ギルド「奈落の口」に対する、私たちの全面戦争の火蓋が、今まさに切られようとしていた。




