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第13話:囁きのマリアと蜘蛛の巣

セリーナの顔から血の気が引いていた。

「闇ギルド『奈落の口』……。まさか、彼らが裏にいたなんて……」


それは、ポート・ソレイユの裏社会を牛耳る、最悪の犯罪組織。金次第で、暗殺、誘拐、破壊工作、何でも請け負う毒蜘蛛。その存在は噂でしか知られておらず、下手にその名を探ろうとした者は、次の日には港の藻屑と消えると言われている。


「……無理よ。相手が彼らでは、勝ち目はないわ。下手に手を出せば、今度こそ、私たち全員が消される……」


セリーナの弱気な言葉に、私は静かに首を振った。


「だからこそ、相手の土俵で戦ってはいけないのです。力で来る相手には、知恵と法で対抗する。白日の下に引きずり出してしまえば、闇の住人は力を失うものですわ」


私の揺るぎない態度に、セリーナは迷いを振り払うように、強く頷いた。


「わかったわ。あなたを信じる」


作戦は、情報収集からだ。蜘蛛の巣を解きほぐすには、まずその構造を正確に把握しなくてはならない。私は、三つのルートから情報を集めることにした。


「アレン。あなたは引き続き、闘技場でチャンピオンとして振る舞ってください。そして、町のゴロツキや賭場の連中と交流し、『奈落の口』に関する噂を、それとなく探るのです。『強い奴と戦いたい』という、あなたの純粋な動機は、最高のカモフラージュになりますわ」

「おう! 任せとけ! 強い奴、いっぱい見つけてくるぜ!」


どうやら、目的の半分も理解していないようだが、結果的に情報を持ち帰ってくるだろうから、それでいい。


「レオナルド。あなたもこれまで通り、施療院で『腹ペコの聖者』を続けてください。あなたの前では、誰もが心を許すはず。庶民の間で囁かれる、日常の中の小さな違和感。『最近、見慣れない連中がうろついている』とか、『サンストーン商会の様子が、何だかおかしい』とか。そういった生きた情報を集めてきてほしいのです」

「承知いたしました。美食の合間に、人々の声に耳を傾けましょう。それもまた、神の務めですから」


彼もまた、目的の主従が逆な気がするが、問題はないだろう。


そして、私は私で、この町の情報の「核」に接触することにした。

「セリーナ。この町で、最も深く、最も確かな情報を持っている人物は誰ですの?」

「……一人だけ、いるわ。『囁きのマリア』と呼ばれる老婆よ。港の第7倉庫地区を縄張りにする、伝説的な情報屋。ただし、彼女は金では動かない。そして、命に関わる情報は決して売らないことで有名よ」


金で動かない、か。面白い。


その日の夜、私は一人で、錆と潮の匂いが充満する港の第7倉庫地区へと向かった。その一角にある、今にも潰れそうな薄暗い酒場。そのカウンターの隅で、皺だらけの老婆が一人、パイプをふかしていた。彼女が、『囁きのマリア』に違いない。


私が声をかけると、マリアは値踏みするような鋭い目で私を一瞥した。


「闇ギルドについて嗅ぎ回るお嬢ちゃんかい。命が惜しければ、さっさと家に帰っておネンネしな」

「情報が欲しいのです。もちろん、相応の対価はお支払いしますわ」


私は金貨が詰まった袋をカウンターに置いた。だが、マリアは鼻で笑うだけだった。


「そんなもんで、魂は売らないよ。あたしの情報は、金貨より重いんだ」

「では、これはどうかしら」


私は懐から、小さな布袋を取り出した。中に入っているのは、アイアンロックで採掘された、最高品質の『魔力鉄鉱』のサンプルだ。


「わたくしは、この魔力鉄鉱の、大陸における独占販売代理人です。もし、あなたが有益な情報を提供してくださるなら、その見返りとして、この鉱石の優先的な取引権を、あなたに差し上げましょう」


その瞬間、老婆の目の色が変わった。金には動かなくとも、商業都市の伝説的な情報屋が、大陸の勢力図を塗り替えかねない最高級のビジネスチャンスに、興味を示さないはずがない。


「……面白い。お嬢ちゃん、あんた、ただもんじゃないね。いいだろう。その度胸、買ったよ。何が知りたい?」


交渉は成立した。私は彼女に、サンストーン商会の相談役ギル、そして放火事件について尋ねた。マリアはパイプから紫の煙を吐き出し、ゆっくりと語り始めた。


「ギルは、間違いなく『奈落の口』の幹部さ。数か月前に、どこからともなくこの町に現れ、老いと焦りで判断力が鈍っていたサンストーン商会のオーバン会頭に、巧みに取り入った」

「目的は?」

「港の乗っ取りだよ。あんたたちクレセント商会とサンストーン商会を争わせ、潰し合わせる。その混乱に乗じて、ポート・ソレイユの物流網を、根こそぎ奪うつもりさ。放火事件は、その計画の狼煙だ」

「発火剤は?」

「奴らが懇意にしている、裏の錬金術師がいる。そいつから仕入れたのさ。足がつきにくい、特別な品をね」


全ての点が、線で繋がった。敵の正体、目的、そして手口。私の推理は、完全に正しかった。


「……だが、お嬢ちゃん。相手の正体が分かったところで、どうにもならんよ。ギルが幹部だという証拠も、奴が放火を指示したという証拠も、何一つない。奴らは決して、尻尾を掴ませない」


マリアの言う通りだった。状況証拠だけでは、あの狡猾な蜘蛛を、法の網にかけることはできない。


「ええ、そうね。証拠がない」


私は立ち上がり、マリアに向かって不敵に微笑んだ。


「ですから、作らせるのですわ。彼ら自身の、手でね」


私の頭の中では、すでに次なる一手、敵を罠にかけるための、大胆不敵なコンゲームの筋書きが組み上がり始めていた。


「マリア。もう一つ、お願いがあるの。この町で一番腕の立つ、舞台役者を一人、紹介してくださらない?」


闇の住人を狩るための、華麗なる舞台の幕が、今、上がろうとしていた。

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