第12話:偽りの証拠と見えざる敵
クレセント商会の事務所。豪華だが、華美ではない、機能的な調度品で整えられたその部屋は、会頭であるセリーナの性格をそのまま表しているようだった。
「……本当に、引き受けてくださるのですね?」
セリーナは、まだ信じられないといった様子で私に尋ねた。
「ええ。ただし、わたくしもビジネスです。今回も、成功報酬でお願いしたい」
私は彼女に向かって、挑戦的に微笑んでみせた。
「クレセント商会の無実が証明され、かつ、今回の事件の真犯人が白日の下に晒された場合。その成功報酬として、全焼したサンストーン商会の倉庫の被害総額と、同額をいただきますわ」
その条件は、つまり「あなたの商会が失うはずだった全てのものを、わたくしが取り戻してみせる」という宣言に等しい。セリーナは一瞬目を見開いた後、力強く頷いた。
「わかりました。その条件、謹んでお受けします。わが社の、そしてこの町の命運、あなたに託します」
こうして、私の新たな「仕事」が始まった。
「まず、状況を整理しましょう。あなた方は、サンストーン商会から、どのようにして顧客を奪ってきたのですか?」
私の問いに、セリーナは淀みなく答えた。曰く、大陸東方の未開拓地との独自の交易ルートを開拓し、新しい香辛料や織物を安価で提供したこと。曰く、荷物の積み下ろしや輸送に新しい管理方式を導入し、物流コストを大幅に削減したこと。どれも、地道な企業努力と、革新的なアイデアによるものだった。噂にあったような、強引な引き抜きや妨害工作の事実は一切ないという。
「サンストーン商会の会頭、オーバン氏は、どのような人物ですの?」
「古き良き、商人です。伝統を重んじ、義理人情に厚い。ですが、それ故に新しいものを軽蔑し、変化を嫌う。私たちのやり方を、正々堂々とした商売ではなく、商人の風上にも置けない邪道だと、公言してはばかりませんでした」
「なるほど。そして、そのオーバン氏の側に最近現れたという、ギルという相談役は?」
「……素性は、わたくしたちも掴めていません。ただ、彼が来てから、サンストーン商会のやり方は、より執拗に、そして攻撃的になりました。まるで、オーバン会頭を裏で操っているかのようです」
第三者の影。やはり、いるようだ。
私はアレンとレオナルドを伴い、全焼した倉庫の跡地へと向かった。現場は、サンストーン商会の私兵と町の衛兵によって厳重に封鎖されている。
「立ち入り禁止だ! 野次馬は帰りな!」
衛兵の一人が私たちを制止しようとする。だが、その隣にいた同僚が、彼の肩を叩いた。
「おい、やめとけ。あの方々は、『無傷の王者』アレック様と、『腹ペコの聖者』レオナルド様御一行だぞ」
どうやら、二人がこの数日で稼いだ奇妙な名声が、思わぬところで役に立ったらしい。私たちは「英雄様たちの現場検証か」などという好意的な(?)解釈のもと、誰に咎められることもなく、規制線の内側へと入ることができた。
「ひどい燃え方だ……」
アレンが呟く。私はその言葉を無視し、冷静に現場の状況を観察した。
焼け落ちた梁、炭化した商品。そして、焦げ付くような匂い。
「……妙ですわね」
火元は一か所ではない。明らかに、複数個所から同時に出火している。そして、床の焼け跡には、延焼を促すために油が撒かれたような痕跡が、くっきりと残っていた。
そして、例の「証拠品」――クレセント商会の紋章が入った松明。それは、まるで「ここを見てください」と言わんばかりに、現場の中央に、ほとんど燃え残った状態で転がっていた。
「稚拙だわ。あまりに、分かりやすすぎる」
これは、クレセント商会を犯人に仕立て上げたい、という強い意図を持った者の犯行だ。しかし、あまりに露骨すぎる。まるで、観客の感情を煽るためだけの、三文芝居の小道具のよう。
「イザベラ様」
不意に、レオナルドが私の隣で眉をひそめた。彼は、くん、と鼻を鳴らしている。
「これは、ただの油の匂いではございません。ごく微かですが……錬金術で精製される、特殊な発火促進剤の香りがします。非常に高価で、普通の人間が手に入れられるような代物ではありません」
「錬金術……?」
新たなキーワードだ。そうなると、犯人は相応の財力か、裏のルートを持つ人物ということになる。
その時だった。
「イザベラ、これ、なんだ?」
アレンが、瓦礫の影を指さした。彼の超人的な視力が、何かを捉えたらしい。私が近寄って見てみると、そこには、指の爪ほどの大きさの、奇妙な金属片が落ちていた。銀色で、表面に細かい幾何学模様が刻まれている。ボタンか、あるいは何かのアクセサリーの一部か。
私は、ハンカチを使ってそれをそっと拾い上げた。
特殊な発火剤。
そして、場違いな装飾が施された、謎の金属片。
「……見えてきましたわ」
私の頭の中で、バラバラだったピースが、一つの輪郭を結び始めようとしていた。
私はクレセント商会に戻ると、待っていたセリーナに報告した。
「犯人は、あなた方でも、サンストーン商会そのものでもないかもしれません」
私がそう告げると、セリーナは驚きの表情を浮かべた。
「では、一体誰が……?」
「この町を内側から食い荒らし、混乱に乗じて利益を得ようとしている、もっと厄介なハイエナがいるようですわ」
私は拾った金属片を彼女に見せた。
「これに、見覚えは?」
セリーナはそれを手に取ると、しばらく見つめ、そして、はっと目を見開いた。
「……この紋様は……。まさか。これは、この都市の影で暗躍すると噂される、闇ギルド『奈落の口』の構成員が身につけているという、認識票……!」
闇ギルド。そして、サンストーン商会に取り入った謎の相談役、ギル。
見えざる敵の正体が、ついにその尻尾を現した。
情報戦の火蓋は、今、本格的に切って落とされたのだ。




