表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/113

第1話:断頭台の上の邂逅

「稀代の悪女、イザベラ・フォン・ヴァイスハイトに死を!」


民衆の怒声が、まるで熱波のように肌を焼く。じりじりと照りつける太陽よりも、憎悪に満ちたその声の方が、よほど私、イザベラの体力を奪っていった。


王都の中央広場に設えられた断頭台の上。かつては艶やかだと誰もが褒めそやしたであろう私の髪は無残に切りそろえられ、着せられているのは粗末な麻の服。潔白の証として首元を晒すためのその服は、今や罪人の証として私の惨めさを際立たせていた。


私の罪状。それは、聖女リリアーナに対する数々の嫌がらせ、そして毒殺未遂。王太子殿下の婚約者であるという立場を利用し、嫉妬心から聖女を追い詰めた――というのが、公式の発表だった。


(馬鹿馬鹿しい……)


心の中で毒づくが、もはやその声は誰にも届かない。嵌められたのだ。王太子とその寵愛を一身に受ける聖女、そして彼らに取り入ろうとする貴族たちによって、私は都合の良い「悪役」に仕立て上げられた。ヴァイスハイト公爵家が持つ強大な権力と財産を疎んだ者たちの、実に稚拙で、しかし効果的な策略だった。


父も母も、私の無実を訴えたが、聖女の涙と王太子の怒りの前では無力だった。家は取り潰され、財産は没収。両親は北の果ての修道院へと幽閉された。そして、すべての罪を背負わされた私は、こうして民衆の見世物になっている。


「時間だ」


背後から、冷たい声が響く。処刑執行人だろう。観念して、私はゆっくりと首を断頭台の窪みにはめた。ひんやりとした木材の感触が、やけに生々しい。


(これが、私の人生の結末か)


策略家として、公爵令嬢として、もっと上手く立ち回れたはずだった。油断があったことは認めよう。だが、まさかここまであからさまな冤罪がまかり通るとは思わなかった。


降り注ぐ罵声が、遠のいていく。目を閉じ、来たるべき衝撃に備えた、その瞬間――。


ゴォォォォンッ!


鼓膜を突き破るような、凄まじい轟音が広場に響き渡った。それは鐘の音でも雷鳴でもない。何かが、とてつもない力で地面に叩きつけられたような音。


何事かと目を開ければ、広場を囲んでいたはずの衛兵たちが、まるで木の葉のように宙を舞っていた。そして、断頭台のすぐそば、土埃が晴れたその中心に、一人の青年が立っていた。


年の頃は私と同じくらいだろうか。黒い髪に黒い瞳。この国では珍しいその風貌は、どこか異質さを感じさせる。身に纏っているのは旅人のような軽装だが、その手には身の丈ほどもある大剣が握られていた。常人では持ち上げることすら叶わなさそうなその剣を、彼はまるで小枝のように軽々と構えている。


「な、何者だ!」

「曲者だ!取り押さえろ!」


辛うじて立っていた衛兵たちが、動揺しながらも剣を構える。しかし、青年は全く動じない。彼は困ったように少しだけ眉を寄せると、その黒い瞳でまっすぐに私を見つめた。


「あんたが、悪役令嬢ってやつか?」


間延びした、どこか気の抜けた声だった。緊張感に満ちたこの場には、あまりに不釣り合いな。


「……そうだが」


答える私の声は、自分でも驚くほどかさついていた。


「よかった。間に合ったみたいだな」


青年はそう言うと、にかっと笑った。まるで、道端で困っている人に声をかけるような気軽さで。


「神のお告げがあったんだ。『断頭台にいる悪役令嬢を助けろ。彼女はあんたの旅に必要な存在だ』ってな」

「……神の、お告げ?」


意味が分からない。この男は狂人か?それとも、新たな手の込んだ罠か?

私が戸惑っていると、痺れを切らした衛兵たちが一斉に青年に斬りかかった。


「危ない!」


思わず叫んでいた。たとえ狂人であろうと、私に話しかけてきた人間が目の前で斬り殺されるのは、後味が悪い。


だが、私の心配は全くの杞憂に終わった。


青年は、向かってくる衛兵たちをちらりと一瞥すると、大剣を軽く、本当に軽く一振りした。


――ブォンッ!


風を薙ぐ音と共に、衝撃波とでも言うべき風圧が発生し、衛兵たちは誰一人青年に触れることすらできずに再び吹き飛ばされた。鎧がぶつかり合う甲高い音が、広場に無数に響き渡る。


「……」


声も出ない。あれは、人間の成せる技ではない。まるで物語に出てくる英雄――いや。


青年は私に向き直ると、あっけらかんと言った。


「俺はアレン。見ての通り、勇者だ。異世界からの転生者ってやつらしい」

「……勇者」


その言葉に、点と点が繋がった気がした。なるほど、この規格外の力はそういうことか。神のお告げというのも、彼が「勇者」であるならば納得できなくもない。


「それで、イザベラ。あんたさえ良ければ、ここから逃げ出して、俺の旅に付き合ってくれないか?」

「……なぜ、私を?」

「だから、お告げがあったんだって。それに、あんた、本当に悪人なのか? 俺にはそうは見えないけどな」


アレンは、私の瞳をまっすぐに覗き込む。その曇りのない純粋な眼差しに、私は思わず目を逸らしたくなった。こんな目を向けられたのは、一体いつぶりだろうか。


周囲では、騎士団の到着を告げる角笛の音が鳴り響き始めている。もはや、猶予はない。


私は、この突拍子もない提案をしてきた勇者を改めて観察した。

圧倒的な戦闘力。しかし、その言動からは知性のかけらも感じられない。「神のお告げ」を鵜呑みにし、処刑場に単身乗り込んでくるあたり、計画性というものも皆無なのだろう。


力だけはある、純粋で、単純な男。


(使える……!)


私の頭脳が、瞬時に計算を始める。この男の力があれば、この国から逃げ出すことは容易い。そして、私の知識と策略があれば、この男の力を最大限に有効活用できる。私を陥れた者たちへの復讐は、今は考えられない。だが、生き延びることさえできれば、可能性はゼロではない。


何より、私はまだ死にたくない。こんな理不尽な形で、人生を終えたくはない。


「……いいだろう」


私は、か細く、しかしはっきりとした声で答えた。


「あなたの提案を受け入れよう。このイザベラ・フォン・ヴァイスハイト、勇者アレンの旅に同行させてもらう」


私の返事を聞いて、アレンは満面の笑みを浮かべた。


「そうこなくっちゃな!よし、しっかり掴まってろよ!」


アレンはそう言うと、いとも簡単に私を枷ごと抱きかかえた。いわゆる、お姫様抱っこというやつだ。こんな状況でなければ、顔を赤らめていたかもしれない。


「いくぞ!」


アレンが地面を蹴る。次の瞬間、私たちの体はふわりと宙に浮き、あり得ないほどの跳躍力で広場の屋根へと飛び移った。眼下で、騎士たちが呆然とこちらを見上げている。


「まずは国境を目指す!参謀役、よろしく頼むぜ、イザベラ!」


風を切りながら屋根の上を疾走するアレンの腕の中で、私は強く決意を固めた。


悪役令嬢イザベラの人生は、今日、終わった。

そして今日から始まるのは、勇者の参謀としての、第二の人生だ。


(見ていろ、王太子殿下。聖女リリアーナ。そして、私を貶めた全ての者たちよ。私は生き延びる。そして、必ずやお前たちの手の届かない場所で、誰よりも大きなものを掴んでみせる)


それは、復讐とは少し違う、新たな野望の炎が私の胸に灯った瞬間だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ