無言の火蓋
六月。梅雨の合間、薄曇りの朝。
紫陽高校南門前。普段は通学路となるこの道に、今では「狙撃危険区域」の立て札が立っていた。
白陵館進攻科による“封鎖”は続いていた。
だが紫陽防衛部は、もう黙って見てはいなかった。
福田瑞希が、屋上に展開した銀色のパイプフレームの中央に、小さな箱を置いた。
「第七偵察ユニット、起動確認。……カイ、こっち見る?」
部長のカイは片手に火縄銃、もう片手に操作用のタブレット端末を持ってうなずいた。
「見える。風向き、湿度、日射角……全部拾ってる。これ、本当に自作?」
福田はにやりと笑った。
「まあ、工作部と手打ちして、ちょっと技術借りたけどね。正式には“遠隔観測式火縄砲環境解析支援機構(RoFES)”――通称、フクロウくん」
「……長い。フクロウでいい」
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白陵館の封鎖区域の全貌はこれまで“近寄るな”の一言で済まされていた。
正当防衛すら発動できない。見えなければ、撃てない。
だが、フクロウが飛ぶことでその常識は崩れた。
静音式モーターで上昇し、地上35メートルの高度から紫外線と風速を記録。さらに、暗所に設置された赤外線スコープにより――
「いた」
福田が画面を指さす。
団地跡の廃屋の中、隠されていた白陵館の狙撃三脚台。
しかも、それは「無人」だった。
「自動照準装置だ……。彼らは、無人狙撃に移行してる」
星野が唸った。
「つまり、“撃ってない”どころか、“撃つ意思すら手放して”、支配だけは続けてるってことか」
「……最悪の戦術だよ。反撃の責任すら回避できる」
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その夜、紫陽高校の生徒会会議で、福田が証拠写真を提出する。
「白陵館進攻科の行動は、学校法規の“戦術的越権行為”に該当します。無人化装置による狙撃支配は、教育的観点からも放置できません」
しかし、生徒会長の返答は冷たかった。
「“撃ってない”限り、取り締まれない。市も黙認してる。つまり、現行制度では彼らに“勝っている”」
沈黙が流れる。
だがカイは、その沈黙の中で静かに言った。
「なら、“撃った”ことにさせればいい」
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三日後、旧団地跡の封鎖地帯で「誤射事件」が発生した。
白陵館の狙撃台から、誰も操作していないはずの時間帯に、紫陽高校の防衛用観測塔が破壊される。
証拠は十分。フクロウがその瞬間を録画していた。
福田が確認する。
「通信エラーも操作履歴もなし。……つまり“誤作動”で勝手に撃った”。しかも、制御不能だった証拠付き」
星野が呆れ顔でつぶやく。
「“無人”って、便利だけど……責任ってものが、消えるな」
紫陽防衛部は即日、生徒会と教育委員会に正式抗議を提出。
白陵館の“狙撃支配”は、無人システムの不具合を理由に全面撤去されることとなった。
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その翌日。
千堂 静は、初めて紫陽高校に現れた。
「……負けたわ。あなたたちは、一発も撃たずに、私たちを動かした」
カイは火縄銃を肩に担ぎながら答えた。
「“火蓋”ってのは、引き金のことじゃない。心の中に、先に火がついた方が負けなんだ」
静はうっすらと笑った。
「それでも、私たちは“引かせる戦い”を続ける。次にまた会うときは、あなたの銃が“本物”であるか、試させて」
彼女が去ったあと、福田が小さくつぶやいた。
「今のが“警告射撃”かもね」
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夜、紫陽高校屋上。
空を舞う“フクロウくん”が、静かに旋回していた。
そのカメラ越しに見えたのは、今は空になった団地跡と、遠くに見える別の高校の旗――次なる脅威の影だった。
カイは火縄銃に新しい火薬を込めながら、呟いた。
「こっちの“目”は、まだ開いたばかりだ」