射程500mの正義
5月、風の強い朝だった。
紫陽高校防衛部の部室には、昨日届いたばかりの白陵館高校進攻科からの申し入れ文が広げられていた。
> 「市内南部の防衛権につき、協議を要す。拒否あるいは曖昧な態度が見られた場合、進攻科として“実効支配”に踏み切る」
その文面は礼儀を装いながらも、明確な「恫喝」だった。
「協議って……結局、従えって意味だろ」
星野がテーブルを叩く。
だが、部長のカイは冷静だった。
「白陵館が“撃たないで支配する”手を使ってくるのは分かってた。問題は……“誰が最初に撃つか”だ」
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翌日、紫陽高校南側の通学路で銃撃事件が発生する。
狙撃されたのは2年の女生徒。着弾は制服の肩部――鉄板入りで命に別状はないが、明らかに狙って撃たれた。
警察は「訓練中の誤射の可能性」を示唆したが、防衛部の福田はその弾痕から断言した。
「これ、ミニエー銃の500m射程ギリギリ。風読みと標高補正まで完璧。……わざと“当てて止めただけ”です」
誰がやったのか、紫陽の誰も口にしなかった。だが全員が分かっていた。
白陵館進攻科――“正義の狙撃部”。
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白陵館高校。都市型進学校でありながら、学内に狙撃用の地下訓練区画と監視設備を備える「準軍事系コース」が存在する。
そこの“中隊長”と呼ばれる少女、**千堂 静**は、通称《白の審判者》。
標的に対し一発も撃たずに「威圧」で屈服させる、進攻科随一の策略家だった。
彼女のポリシーは明確だった。
> 「殺さず、撃たずに支配する。それが正義」
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その数日後、白陵館は紫陽高校南部の旧団地跡を封鎖した。
「狙撃訓練区域として市に許可を取った」と公言し、付近の通学路を通る紫陽生には無言の威圧が続いた。
福田は言った。
「これが“500mの正義”です。撃たれなくても、誰も反論できない。恐怖だけで人が引く。これがあいつらの“戦争”です」
その言葉に、カイは拳を握りながら黙っていた。
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週末、紫陽防衛部はついに“500m圏内”へ向かった。
照準器もなし、風速計もなし。だが、火縄銃と静かな決意はあった。
防衛部の面々は、旧団地跡の手前450mに陣を取り、照準旗を掲げる。
星野が笑う。「撃たせてみろ、ってか?」
福田が冷静に続ける。「先に撃った方が“違法”――それを向こうもわかってます。……でも、こっちが動かなきゃ、永遠に市南部は支配される」
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その時だった。
ヒュン……ッ。
風を裂く音。旗のすぐ脇をかすめて、地面に煙が上がる。
狙撃――**ただし“外し撃ち”**だった。
福田がすぐに反撃体勢に入るが、カイが制止する。
「撃つな。……まだ撃つな」
カイは立ち上がり、手旗信号で短く送る。
> 「こちらは非戦。正当防衛以外の反撃なし」
その瞬間、団地跡の高台に一人の少女が現れた。
白陵館の《審判者》――千堂 静だった。
拡声器越しに、静かな声が響く。
> 「貴校の姿勢、確認した。だが“抵抗を示せば示すほど”、次の一手は速くなる。覚えておいて」
言葉に熱はなかった。ただ、圧力だけがあった。
その場にいた全員が理解していた。
今、撃てば違法。撃たなければ奪われる。
その狭間に立つ者たちの戦いは、銃声のないまま始まっていた。
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その夜、防衛部の会議室では新たな方針が議論されていた。
「狙撃への対抗策を」「先に撃たせるには?」「防衛区域を拡張しよう」
星野がぽつりと言った。
「500mの向こうに、俺らの正義は届くのか?」
カイは黙って立ち上がり、火縄銃を手に取る。
「撃たずに届かせる。それができなきゃ、もう防衛なんて名乗れない」
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そして翌週、紫陽防衛部は前代未聞の策に出る。
**“市民公開式訓練”**を行い、白陵館の狙撃拠点の“背後”に住む市民の理解を得る行動に出たのだ。
市民の後ろに立つことで、狙撃の正当性を崩す。
静かだが、確実な“逆包囲”だった。
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それを見た千堂静は、初めて沈黙した。
そしてつぶやいた。
「……撃てない、という敗北もあるのね」