10話
重い、重い、重い重い重い重い重い重い⋯⋯。
空気が重い。
場所はスタンピン伯爵家、お母様自慢の庭園、その一画に可愛らしい丸テーブルとチェアー、それらもお母様の趣味。
元王女らしく贅沢に設えられた場所で、婚約者同士の初顔合わせが急遽実現されている。
私の目の前に座って重い空気を醸し出してる彼の名はフォルク・サッセルン。
サッセルン侯爵家の現当主だ。
2年前に一度見ただけだったのに私は彼をしっかりと覚えていた。
ハニーブロンドの髪、瞳はサファイアブルー。
目鼻立ちは整っているけれど少しだけ目尻が下がっているのが愛嬌。
あんな境遇でなければ、彼はきっとこのタッセル王国のモテモテモテ男君だったろうと気の毒に思う。
そしておそらく、いやきっと、う〜ん絶対かな?
この婚約を受け入れていない。
彼がいつこの婚約の話を聞いたのか私は知らないけれど、青天の霹靂であったろうと心中お察ししますというより他ない。
だけどそれはコチラも同じ。
そんなに目の下に隈さんまで拵えるほど悩ませてしまったのだろうか?
そうかもしれない。
何せ私は焦茶の髪色に翡翠の瞳、他人から与えられる感想は一言で何時も片付けられる、それが“地味”。
お祖母様の色を受け継いでしまった私をお父様は何時も「ホーリーを見ていると落ち着くなぁ」と言ってくれるが、落ち着くを言い換えれば地味ということなのだろう。
子供の頃には言われる度に嬉しかったけれど、10歳を過ぎた辺りから言われる度に傷ついてもいた。
今は開き直って気にしないようにしていたけれど、サッセルン侯爵の心中を思ったら少しだけ凹んだ。
まさか重さを醸し出しているのは私も?
思わず自嘲してしまう。
彼を観察しながらオマケに気持ちも沈んで、どんよりしていたら目の前ではいきなりマナー違反を晒している。
それを見て益々彼の境遇が辛いものだったのだと、私は感極まるものがあった。
カップを持つ手はなんとか見れるけど、ソーサーに置く時、カチャカチャと音をさせる。
きっと緊張しすぎて喉が乾くのだろう、それを何度も繰り返すから、後ろに控える私の侍女などは眉を顰めてしまっている。
「ふぅ〜、サッセルン公爵様、お茶はお口に合いまして?母の祖国より取り寄せた茶葉なのですが、如何でしょうか?」
「⋯⋯⋯」
あぁまただ、先程から何度か話を振っているけれど一つも乗ってきてくれない。
かなり警戒されてしまって、正直打つ手無し。
王妃命でも普通の政略結婚と考え、私は何とか受け入れようと気持ちを切り替えて見たけれど、彼はまだ心が決まっていないようだ。
でも⋯もうこれ覆らないのよね。
この婚約、婚姻を取りやめると言うのなら貴族を捨てる勇気は彼にあるかしら?
その辺も確かめた方がいいかもしれない。
もし平民になるって言うなら⋯⋯いやこれは駄目ね、姉様が許さないわ。
だって前々侯爵夫人はサッセルン侯爵のフォルクを頼むと言ったのだもの。
「私は、この婚姻は無効だと思う」
突然言い出したのだけど、私彼の声を初めて聞いたかもしれない。
2年前はコチラが御礼を言うばかりで彼の声は終ぞ聞かされなかったから⋯⋯ちょっと感動!
思ったよりも声は低くなかった、彼は背が高くて肩に少し筋肉が付いているように思う。
この二年で鍛えたのかしら?
ケトナー卿は彼は針金のようだったと昨日あれから教えてくれた。
それに比べたらお肉は付いているように思う。
だから勝手にテノールを想像していたのだけど、どちらかというとアルトだ。
それにもう間違っている、まだ私達は婚姻はしていない。
「無効ではないですね、まだ婚約期間ですし。それにこれは国からの王妃命です。断る選択肢はお互いにありませんわ」
「君が⋯⋯いや何でもない」
サッセルン侯爵は私に対して何か思う所があるのだろう、何かを言いかけたけど止めたみたい。
これも探る必要あるかしらね。
「それにサッセルン侯爵様はサインされましたわよね、もう覆せませんわ。貴族の婚姻とは家を繋ぐための物です。侯爵様はサッセルン家の没落など望んでおりますか?」
「は?何故これを断ったからと言って没落などと、そんな話になるんだ!」
「そういう婚約だからですわ、婚約誓約書しっかりと読み返してくださいませね」
「わっ私にはこっ心に、に、きっ決めたひっ人がい、いるんだ!」
何故この台詞を閊え閊え言うのかしら?
まるで言わされているように感じるわ⋯⋯。
これが姉様の言っていた洗脳紛いって事?
それともただ単に緊張して言えなかっただけ?
婚約者の初めての顔合わせなのに、私の脳内は婚約者の見極めが忙しくて、キュンとするような恋心とは無縁だった。
彼はどうだったのだろう?
でも一つだけはっきり分かるのは、きっと彼はこの時、私の返事に対して絶望したのかもしれない。
「まぁそうですの!それは大変ですね。お相手の方にしっかりと納得させて下さいませね。間違っても先に孕ますような事などなさいませんように。そんなことになったらその子、光を見ることはないかもしれませんわ」
【ガタタタタタッ】
サッセルン侯爵はスタンピン伯爵家自慢の庭園で椅子から転げ落ちた。
一向に起き上がらない侯爵を覗くと彼は気を失っていた。
脅し過ぎちゃったかしら?




