追放少女と破門
夏でも雪が絶えない、北方の山。
その雪原を、ひとりの老人が薪を集めて歩いている。
ぼろぼろの道着に、無骨な背中。
かつて剣士として名を馳せた男は、今は誰に知られるでもなく、山奥の古びた道場で静かに暮らしていた。
その途中だった。
ふと、雪の中に小さな塊を見つけた。
近寄ってみれば、ボロ布に包まれた赤ん坊。
泣き声も上げず、ただ静かに、真っ直ぐに、老人を見上げていた。
「死んでいるのかと思ったが、違うか」
不憫に思い、老人は赤ん坊を抱き上げた。
その帰り道、ふと手のひらに鋭い痛みを感じた。
掌が薄く切れて、血がにじんでいる。
赤ん坊を包む布に刃物でも混じっていたのかと確かめたが、何もなかった。
赤ん坊も無傷。
ただ黙って、老人の手から出る血を見つめていた。
(妙な子だ)
迷った。
自分が住まう古い道場には、赤ん坊に与える乳などない。
麓の村にも、今は乳を出せる女はいなかった。
「……仕方ない、飼い犬の乳でも飲ませてみるか」
そうぼやきながら、気まぐれに、赤ん坊を育てることにした。
それから十数年。
赤ん坊は、ひとりの少女に育った。
名は、凪咲。
老人は、師匠として古くから伝わる居合術を教えた。
ただし、無骨で、不器用な教え方だった。
少女は、決して剣の型をすぐに覚えるわけではなかった。
覚えたと思えば忘れ、叱られて泣き、それでも必死に食らいついた。
そして、ある日。
「破門だ」
そう、師匠は告げた。
「え、え、何で突然!」
驚く凪咲に向かい、老人はぶっきらぼうに言う。
「十年以上も剣を教えたというのに、半分も身についておらん」
「このままでは、ワシが死ぬ前に何も残せんわ」
凪咲は慌てた。
「でも、私、まだ覚えなきゃいけない技が」
老人はため息をついた。
「ワシが死んだら、どうするんじゃ、自分で食事も作れん、服の繕いもできん、道場の修復もできん」
「不器用者には、到底無理じゃ、その状況で技を覚えるも糞もないじゃろう」
萎びたように落ち込む凪咲を前に、仕方なさそうに師匠は続ける。
「……ダンジョンに行け、あそこならお前でも、何かの役に立てるかもしれん、学べることも多かろう」
「ダンジョンの傍にある街であれば不器用なお前でも何とか暮らせるじゃろ」
それでも決意を固めぬ凪咲を、師匠は力づくで放り出した。
道場の門を後にする少女の背中を見送りながら、老人は誰にも聞こえぬように、小さく呟く。
「達者でな」
雪は静かに降り積もり、あの日の記憶を白く覆い隠していった。