セツ
七海たちが千歳を救おうと動いている頃――。
古い文献がしまわれた一室から出た千歳とセツ。
地下道を更に奥へと進んでいく。風が吹く方に出口があるとセツは言う。
か弱い蝋燭の明かりを頼りに、壁を伝いながら先へ、先へ。
セツの足を気遣いながらゆっくりと先へ進む千歳は、分かれ道で足を止めた。
千歳の前には3つの道があった。四つ辻だ。
微かな風が千歳の頬を撫でるが、あまりにも弱い。千歳の感覚ではどこから吹いているのかわからず、手にした燭台を掲げて奥を見ようとしていると、セツが前に出た。
「……あっちだよ」
セツは四つ辻の中央に立ち、数秒だけまぶたを閉じると風の行方を感じ取り、千歳を導いた。
「セツ、すごいね」
「よく自然の中で遊んでたから。身についたのかもね」
二人の下駄の音が暗い洞窟に反響する。
四つ辻から先は今までの一本道と違い異様に入り組んでいた。
酷く湿った空気が漂い、ところどころ苔むした岩の青臭さが鼻につく。
曲がり角を曲がるとすぐに丁字路があったり、曲がり角が続く。まるで迷宮だ。だがセツはまるでゴールを知っているかのように迷いなく千歳に道を示す。
暗く狭く、直角に曲がる道の連続で、千歳はふと思い出した。
「お母さんとお父さんに遊園地へ連れて行ってもらった時に、こんな迷路を歩いたな」
「遊園地?」
「知らないの?」
「うん。村から出たことがないから」
セツの言葉に小首を傾げる千歳。繋いだ手をギュッと握り直した。
「じゃあさ、今度お母さんとお父さんにお願いしてセツも一緒に行こうよ、遊園地」
「え……? 遠いんじゃない?」
「大丈夫だよ、お父さんの車で遠いところもすぐに行けちゃうの」
笑顔を浮かべながら語る千歳を見てセツは微笑んだ。
「お母さんとお父さん、好きなんだね」
「え? うん! 大好きだよ!」
なぜそんなことを聞くのだろうと千歳は一瞬不思議に思い、深く考えずに即答する。
純粋な千歳の答えにセツは口元に拳を当て、少し考える素振りをするとぎこちなく頷いた。
「ここから無事出て、奴らから逃げきってから考えよう」
「そうだね!」
前向きなセツの言葉に千歳は少し元気を取り戻した。
暗く狭い、迷宮のような地下道は心細くなるし、地上にはあの悪霊たちがいる。不安で胸がいっぱいだ。けれど、セツの存在が千歳を安堵させた。
ゆっくりと歩を進め、やがて大きな観音開きの扉が目の前に現れた。
先ほど入った部屋の扉と違い、金属で作られた扉は重厚感があり、千歳の倍以上あるかという高さの扉を見上げる。
数え切れないほどびっしりと読めない文字の書かれた御札が貼り付けられており、その威圧感と不気味さに千歳は強張った。
扉はわずかに開いているようで、片方の扉が若干手前に開かれ、隙間から微弱な風が出ていた。
息を呑み、千歳は扉に手をかける。鉄扉の冷たさが指に伝わり、体温を奪われる感覚がした。
中に入るとそこは真ん中に円形の祭壇がある大きな広間だった。
人工的に作られた岩壁に囲まれ、古びた背の高い燭台がいくつも並んでいる。
祭壇には小さな祠のようなものが奉られており、どの方向にも扉がつけられており、千歳から見て正面の扉の前には白い陶器の器が、黒ずんだ灰の積まれた香炉が祭壇の縁に沿って置かれている。
重々しい空気の漂う祭壇に目を奪われる千歳。背伸びをして手にした火を燭台に移す。入口から祭壇までの燭台に火が灯り、広間に淡い光が広がる。
祭壇がただならぬ雰囲気を放っているのを感じ、近寄りたくないと感じながらも、目を離せなかった。目を離せば、祠から何かが出てくるような気がして。
「どこから、外に出れるのかな……」
「あそこだ」
セツは祭壇の奥、千歳たちの入ってきた扉の向かい側にある壁、そこにはめ込まれた大きな棚を指さした。
「あの棚の先に僕の……神社の蔵に出るはずだ」
急かすように言うセツに千歳も頷く。千歳も本能的に感じたのだ。ここにいてはいけないと。
その時だった。
バタンッ――!
祠の扉が壊れそうな勢いで突如開かれた。その音で二人は弾かれたように祠を見た。開かれた扉の奥、祠の中には御神鏡が飾られていた。しかし……。
「鏡が、割れてる……」
セツの零した言葉は震えていた。恐れと絶望に体も震え上がり、足が地面に縫い付けられたかのように動かない。
祠の中に納められていた御神鏡は砕けて無惨な姿になっていた。それを見た瞬間広間全体が揺れだし、天井から塵が降り注ぐ。崩落しそうな勢いで二人は転びそうになる。
声でセツの異常に気づいた千歳はすぐにセツの方を見た。
「セツ!」
「っ……! 千歳! 走れ! 急いで棚を調べるんだ!」
「セツも行くよ!」
「ダメだ! この足じゃどうせ……!」
セツが言いかけた時、祠の方から聞き慣れない音が聞こえた。
その音は地響きや降り注ぐ塵の音、燭台が倒れる音の中でもハッキリ聞こえた。
カ、カ、カ、カ、カ――。
それはまるで猫のクラッキングのようでもあり、カエルの鳴き声のようでもある。しかしそれらよりもゆっくりで、耳障りで、鼓膜にこびりつきそうな音。
「ヒッ!」
千歳は音の鳴る方を見てしまい、小さく悲鳴をあげた。
御神鏡しかなかった祠の中がタールのような真っ黒な何かがみっちりと詰まっている。それが膨張し、祠がミシミシと音を立て、そして四方の扉が全て開くと、祠に入っていたモノが溢れ出した。
それは蠢く汚泥。いくつもの目と歯をむき出しにした不定形。波打ち、渦巻き、泡立つ柱だ。
不揃いな歯をカチカチ鳴らしながら、幾百という口が別々に意味不明な言葉をボソボソと呟く。
「すう……もと……せめし……こきて……」
まるで読経のように淡々と不気味で不可解な歌のようなそれを聴くなり、セツは耳をおさえながら苦々しく眉間にシワを寄せた。
「千歳! 走れ!」
セツの大声に失神しかけていた千歳は正気を取り戻し、叫びながら走り出した。
「わあああああああああああ!!」
黒く光沢を放つ泥の柱を迂回して、隙間風が吹く棚の元にたどり着き、千歳はそこで後悔した。
セツを置いてきてしまった。
棚に手をかけながら、後ろを振り向いた。
振り向いてしまった。
「セツ……?」
千歳と黒い柱の間に立つセツ。その後姿を見た。
セツの背中には黒々とした翼が生えていた。
全身が淡く発光するセツは自分の両手を見て驚きの表情を浮かべた。
「誰かが、僕の札を……正導の儀が始まったのか」
セツは千歳の方を振り向かず、両腕を広げ仁王立ちした。
「僕は観魂神社の氏神の一柱! 刹! 氏神の名を持って今ここに千歳を氏子として祝福を与える!」
その言葉を言い終えると、千歳の体はセツと共鳴するように温かな光をまとった。
セツの言葉を理解できなかったが、千歳は直感で理解した。これまでずっと神様が自分を守ってくれていたのだと。





