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常世への扉

 汚泥の柱、カドワシさま。

 質量保存の法則を無視し、増殖するカドワシさまの体はゴポゴポと泡立ちながら祠の屋根より上に伸び、滴る泥は祭壇を伝って地面を這い、じわじわと広間を侵食していく。

 天井から滴り落ちるヘドロの様な体の一部からも無数の目玉が浮かび上がっては沈む。

 まるで木のように、上に下に無数の枝分かれした体を伸ばしていくと、次第にむせるような血の匂いが漂い始めた。そのしつこくねっとりとした生臭い臭気は吐き気を催す程で、千歳は着物の袖で鼻と口を覆った。


「なに……この臭い……」


 千歳が眉間にシワを寄せながら咳をする。嗅いだことのない嫌な臭いにむせていると、泥の腕が千歳に向かって伸びる。


「やめろ!」


 カドワシさまの泥の腕がセツの頭上を抜けて千歳の目の前に迫る。だが、セツが手を掲げて泥の腕に向かって握りこぶしを作ると、途端に泥の腕が千切れ落ちた。

 べちゃりと嫌な音を立て、水しぶきを立てながら泥の腕が地面に落ちてドロドロと形を失っていく。

 千切られてなおも、形を失うまで千歳を掴もうと指を動かして這ってくる腕を見て、千歳は腰を抜かし地面に尻餅をついた。


「千歳! 強く帰りたいと願うんだ! お父さんとお母さんの元へ帰りたいって!」

「どういうこと!?」


 泥の柱からまた腕が生え、ゆっくりと伸び始める。一本どころでは収まらず次々と腕が形成され、千歳を取り込もうと手を伸ばす。

 いくつもの腕になりきれない出来損ないの泥が滴り落ちるおぞましい光景にとうとう我慢できず、千歳は悲鳴をあげた。


「きゃあああああ!!」


 喉が裂けるような悲痛な叫び。最後の方は声がかすれ、叫ぶ喉が焼けるように痛み、苦しそうに咳をしながら涙する姿はとても痛々しい。

 頭を抱えうずくまる千歳。セツは再び腕を伸ばし、空を掴む仕草をすると泥の腕を破裂させ千切れ飛んだ。

 セツの額には脂汗が浮かび、歯を食いしばる。相当な力を消耗するらしく、千歳を守れるのも時間の問題かに思えた。


「ぐっ!? ああっ!」

「セツ!!」


 死角から伸びた腕に気付かず、セツは泥の腕に細い体を鷲掴みにされると天井近くまで持ち上げられてしまった。見た目に反してかなり強い力を持っているのだろう。身体を握りしめられ、苦痛の声を漏らす。

 なんとか逃げ出そうと泥の手を掴んで千切るも、千切った側から泥が溢れ出す。すぐに指が作り直され、抜け出すことができない。目を見開き、無意識に体を捩じりながらも、その力強さが彼の小さな体に圧し掛かる。

 セツを掴んだ手は地面に叩きつけようと腕を振り上げる。が、腕は宙でピタリと止まった。

 そして突然、泥の手は形を失った。


「う……わっ!」


 突然宙に投げ出されたセツは地面に落ちかけた所で、翼を羽ばたかせ着地した。

 着地したセツがカドワシさまを見ると、小刻みに震えはじめ、ぐねぐねと形を変える。そして、いくつもの泥の腕がみんな同じ方向へと伸び始めた。

 千歳でもセツでもない、別の方向へと突然伸ばし始めた腕を見てセツは好機だと察した。


「今だ! 強く帰りたいと念じながら棚を動かすんだ!」

「あ……あぁ……!」


 しかし千歳は恐怖のあまり立ち上がれずにいた。心臓が激しく鼓動し、息を呑んだ。背筋に冷たいものが走り、思考が止まる。

 泥の腕は祠の前に置かれた白い器へ向かっていた。腕の向かう方をセツは目で追う。白い器にはいつの間にか赤々とした血が満ちていた。

 カドワシさまのいくつもの手の先に口が現れると、一気に器に突っ込む。器の大きさよりも遥かに大きい泥の腕が重なり混ざるように器の血を貪っているようだ。血に引き寄せられたカドワシさまが大きな隙を見せている。

 セツはその隙に千歳の元へ駆け寄った。

 腰砕けになっている千歳の腰に手を回すと、肩を貸してなんとか千歳を立ち上がらせた。


「さあ、今のうちに!」


 お互いに肩を抱きながら、隠し扉の棚に手をかけ、力いっぱい動かす。

 千歳は祈った。

 お母さんの元へ帰りたい。

 お父さんに会いたい。

 神社へお参りして隣町まで美味しいご飯を食べに行きたい。

 セツと一緒に遊園地へ行きたい。

 沢山、沢山祈った。

 元の世界に戻って、やりたいことを沢山考え、祈った。

 そして棚は動いた。


「なに……これ……」


 棚の先には出口へと続く通路が、なかった。

 目の前には水面のような歪んだ空間が広がっていたのだ。だが水がこちらに流れ出ることはない。重力に逆らって真横に形成された水の膜。水面には儀式の間が反射して映っているように見えたが、不思議なことに、そこにカドワシさまの姿が映っていない。代わりに祠の周りを囲むように白装束の人々が立っているのが見えた。


「飛び込むんだ!」


 セツが千歳の背中を押す。しかし、千歳は踏ん張ってセツに逆らった。

 こんな時になにをしているんだと驚きの表情で千歳を見る。


「セツは!? セツも一緒に行こう!」

「僕は……わかっているでしょ。一緒にはいけない」


 セツはわざとらしく翼を動かす。

 一緒に元の世界に帰っても、セツは過去の存在で、セツという人間はもう死んでいるのだ。


「ダメだよ! こんな所に置いていけない!」


 千歳の必死の表情にセツは戸惑った。

 

「千歳……」


 セツが狼狽(うろた)えていると、背後から音がした。


 ぬちゃり――。


 ぬちゃり――。


 血を貪ったカドワシさまが再びこちらに狙いを定めたようだ。

 黒光りした粘性の腕が、床や天井からゆっくりと二人に向かって伸びてくる。

 セツは焦った。千歳を守らないと……。だが、千歳の思いは変わらなかった。

 千歳は力強くセツの手を握る。


「行こう!」

「……ああ!」


 真っ直ぐな千歳の思いにセツは頷き、二人一緒に常世が映る水面へと飛び込んだ。

 そして、千歳は意識を失った――。

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