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すれ違いだらけの俺の運命  作者: 甘衣 一語
旅行
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唯一の宝物

 この世界には男女の他に第二の性がある。発情期があり、男女共に妊娠が可能なω(オメガ)。身体能力や知能が優れたエリート階級のα(アルファ)。人口の9割を占めるβ(べーた)。

オメガの発情期は数ヶ月に一度、数日続き、アルファを惑わすフェロモンを体にまとう。発情期中にアルファがオメガの項を噛むと運命の番となり、番以外へのフェロモンの効果は無くなる。さらに、オメガは番以外に対して拒絶反応を示すようになる。番契約は一度しかできず、解約はできないため事故で番になることがないように、オメガの中には項を保護するチョーカーを着けている者もいる。

 そんな、生まれながらの運命が定められている。

「・・・おはようございます。」

「あぁ、おはよう。」

 盆休みの初日。まだ朝の6時過ぎ。待ち合わせ場所としていた駅の入り口で俺らは突っ立っていた。慶人の家からの最寄り駅だ。盆の時期になったからか、朝早くでも家族連れなどで人がごった返している。

 日が昇り始めて辺りが熱気で包まれる。この街に来てすでに5年が経っているが、都会のこの暑さにはまだ慣れない。

「今日も暑いですね。」

 横目で憲人の様子をうかがうと、この暑さにまいっているのは同じようで髪が肌に張り付いている。

「はぁ。」

 なんで、よりによって慶人と母さんの盆に行かないといけないんだ。俺の心中など気にすることなく服をパタパタと仰ぐ姿が恨めしい。慶人も慶人でなぜあんな意味不明なメールに返事を返すんだ。目的を最後まで教えなければ途中で不安になって止めるのではと思ったが、あまり効果はなかったようだ。

「はぁ、ここにいても暑いだけだし、駅に入るか。」

 慶人を待っている間に発行しておいた切符を渡し、改札を通る。ホームはさらに人が多く、熱気がこもっている。


『まもなく列車が通ります。黄色い線の内側までお下がりください。』


 アナウンスと共に到着した列車に飲み込まれるように人が中へ入っていく。降りる人はほとんどおらず、しばらくはホームが空く。

「俺らは次の列車な。」

「はい、子どもじゃないのでさすがに分かってます。」

「そうか。」

 最近は態度が柔らかくなったと思っていたがやはり撤回だ。

 そんな俺の怒りもどこ吹く風で、相変わらず汗を拭うのに忙しそうだ。

「おまえ、そんなに暑いならそのチョーカー外せよ。それと、はい。」

 カバンの中から扇子を取り出す。

「あなただって着けてるじゃないですか。」

「まぁ、俺は、その、暑くないし。」

 指摘されて自分の失態に気付く。なんでそんなこと聞いたんだ、俺。誰にだって触れられたくないことくらいあるだろう。今の時期はオメガでもチョーカーを外す。最近はチョーカー以外にも項を守るための道具が発売されている。それでも頑なにチョーカーを着ける理由が慶人にもあるのだろう。

「悪かった。」

「別に、いいですよ。」

 不機嫌な声が帰ってきたが、俺の今の発言がどれだけ慶人の気を悪くしたのかその声からは窺えない。

「・・・」

「・・・」

 沈黙の時間が流れる。そういえば、こいつと2人きりになったのは初めてだ。バイトの時に時々あるが、業務上の会話をするのとは訳が違う。

「えっと、おい。けい・・・」『プルルルルルー。』


『まもなく列車が参ります。黄色い線の内側までお下がりください。』


「お、来たな。」

 会話のきっかけが見つからなかったのでちょうどよかった。

 気まずさを紛らわすように、到着した列車に飛び乗る。込んでいるだろうと覚悟していたが、思ったよりも空いていた。

 入り口近くの2人がけシートに座り、荷物を下ろす。

「慶人、お前荷物はどうしたんだ。」

 慶人の荷物を上に上げようと振り返るが、その手にはスマホが握られているだけだ。カバンらしきモノは見当たらない。

「ないですよ。」

「はぁ?でも着替えは、どうすんだよ。」

 慶人は目的地を知らない。慣れ親しんだ場所や知り合いの家に行くならともかく、普通こんなときは着替えくらい持ってくるだろう。

「ないですよ。一日くらい着替えなくても大丈夫ですし、最悪買えば大丈夫でしょう。」

 そんなことより早く座ってください、と俺の心配も床吹く風で先にシートでくつろいでいる。

「はぁ。」

 まぁ、いいか。これから行く所はそれほど田舎じゃない。歩けば服を買える店もあったはずだ。

「目的地までは結構かかるから、寝るでもなんでも自由にしてろ。次降りるのは終点な。」

 それだけ伝えて目を閉じる。今日はいつもより2時間も早く起きたから、直ぐに意識が遠のき眠りにつく。



「ひ・・や・ん。ひら・やさん。平宮さん。」

「ん?」

 慶人の声に寝ぼけた頭を無理矢理起こし、目を開ける。

「なんだよ。」

「なんだよじゃないですよ。あと1駅で終点です。」

 不機嫌な慶人の顔が視界に映る。電子案内を見ると確かにそう示されている。慶人がいなかったら寝過ごしていただろう、助かった。

「ありがとな。・・・それより、おまえなぁ。」

 手に取ったカバンのチャックが開き、そこに入っていたお茶が慶人の手に収まっている。この暑さでお茶を飲むなとは言いづらいが、せめて俺に聞いて欲しい。

「一応確認しましたよ。覚えていない平宮さんが悪いので僕は謝らないですから。」

 俺のことだから寝言で言ったのかもしれないが、なぜそんなに強気な態度をとれるのだろうか。

「とにかく降りますよ。」

 まだやや寝ぼけた俺を置いて、慶人はホームに列車の出口に向かう。あいかわらずマイペースだ。

「次はどこですか?」

「3番ホーム。」

 慶人は俺の説明も聞かずにドンドンと先に進んでいく。ちょうどよいタイミングで来た列車に乗り、また同じように列車に揺られる。

「次は2駅で降りるからな。」

「はい。」

 たった2駅では寝てもいられない。窓の外を眺めながら必死に頭を起こし、眠気をやり過ごす。もう5回目の景色だ。


 そんな感じで4回乗り継ぎ、目的の駅に到着する。

「着いた。」

 出発からすでに4時間が経っている。日も昇って本格的に暑くなってきた。

「さすがに暑いし、バスで行くか。」

 改札を通りバス停で待つと、すぐにバスが来た。まだここは栄えているようだ。


「ここって、誰の家ですか。」

 バス停から歩いて数メートルすると見えてくる色あせた昔ながらの小民家。そこが今回の目的地だ。手入れされず、広い庭も生け垣も荒れ放題だ。

「俺の祖父母。まぁ、もうどっちもあの世に行ってるけどな。」

「そうですか。」

 祖父母、そして、俺とかあさんが生活していた家だ。中に入り、窓をすべて開ける。家全体に風が吹き抜け、涼しい風で一気に汗が引く。電気や、水がまだ通っていることを確認して椅子に腰掛ける。

「あの、平宮さん。なんでここに来たんですか。」

 そういえばこいつには何も言ってなかったな。まさか人の家に入るとは思ってなかったのだろう。困惑した表情でこちらを見てくる。

「なんでって、盆だからだよ。」

「盆?」

「あぁ、盆。知らねぇのか?」

「まぁ、一応。聞いたことはあります。」

「といっても、そんなたいそうなことはしねぇよ。ここに帰ってきて、何日かここで過ごして家の掃除して、そんで墓参りする。そんだけ。だから、まぁ人手は欲しいけど慶人が来てくれなくてもよかったんだ。ごめんな、こんなことに付き合わせて。」

 目的を伝えなかったことを今更ながらに後悔する。『付き合って欲しい』内容がこんなで呆れているだろう。

「別に、いいですよ。どちらかというと勝手に着いてきた感じですし。」

 こんなことなら帰ります、と言い始めるのでは心配したが、寧ろ俺の家の中を興味深そうに眺めている。

「そうか、まぁ、掃除は昼過ぎてからにするか。それまでは好きにしてていぞ。近くに店もあるから服とか必要なら買って来いよ。」

「はい。」

 いくつかお遣いを頼み、慶人が出かけるのを見届けて俺も作業に取りかかる。

 本格的に掃除するのは昼からだが、キッチンとリビングぐらいは掃除しないと食事ができない。冷蔵庫が使えることを確認してから部屋全体をほうきで掃き、机の上やシンクを軽く磨く。30分である程度片付いた。

「・・・ただいま。」

 ちょうどいいタイミングで憲人も帰ってきた。片手にプラ袋をひとつ持っている。

「おかえり。」

「掃除してたんですか?」

「あぁ、ここは掃除しないと昼が食べられないからな。そうだ、慶人。何か食べたいものあるか?」

 こんなことに付き合ってくれるのだ、慶人のリクエストを作るくらい朝飯前だ。

「特に何も、別に嫌いな物はないので平宮さんの好きな物を作ってください。」

「そうか。わかった。」

 無茶な注文はしないだろうと思っていたが、この返答が1番困る。ここに大和がいればうるさいぐらいにリクエスト出すだろうが、今はそれを寂しがっても仕方がない。

「まぁ、とりあえず行くぞ。窓閉めてくれるか?」

 食材を買いに行くために財布とエコバックをポケットに入れ、窓を閉める。昼食は外食に行くと思っていたようで俺が外に出るよう用意を始めて焦っている。

「昼食って外食じゃないんですか?」

「そんなわけないだろ。ここは都会じゃないんだ。スーパーはあるが、飲食店までは車で10分だぞ。出前なんてあり得ないからな。」

 帰ってきたばかりで申し訳ないが、さすがに2人分の食材を1人では持ちきれない。

「よし、いくか。」

 窓が閉まっていることを確認し、玄関の鍵を閉める。

 なぜか黙り込んでしまった慶人を連れてスーパーに向かう。慶人にはこの町の中でも大きめのスーパーを教えたが、今から行くのは地元の人たちが開いている小さな店だ。バリエーションはないがかなり安い。


「いらっしゃいませ。あら、響くん。そうか、もう盆だものね。大きくなったわねぇ。」

「あぇ、いつもとは違う子をつれて、誰?」

 店に入るとすぐ顔なじみのおばちゃん達に囲まれる。帰ってきた時は必ずここに寄るので店の人たちも毎回気にかけてくれる。

「おばちゃん達も元気そうだな、こいつは俺の友達な。」

「どうも、向野慶人です。」

 そう自己紹介すると直ぐに関心が移り、あっという間に慶人が質問攻めにあう。

「今回は何日いるの?」

 店の奥から店主が出てくる。

「明日まで二日間。今日は何が安い。」

「そんなに短いの、寂しいわね。せっかくだからまけるよ。何が欲しい?」

 このばあちゃんとは子どもの頃からの付き合いだ。年に数回しか来ない俺のことを1番気にかけて食材をくれたり、人手を読んでくれたりする。

「醤油と酒と油、あとめんつゆ。野菜と肉はなんでもいいかな。」

「わかった、ちょっと待ってな。」

 俺の注文を聞き、店のばあちゃんは迷いなく店を歩いて回る。しばらくして、運ばれてきたカゴの中を確認する。

「醤油と料理酒、めんつゆ、油。一応、この店で1番小さいヤツ。あと、ピーマン、ナス、オクラ、トマト。豚肉と鶏肉は200グラムずつね。こんな感じでどう?」

「あ、米も3食分お願いできるか。」

「わかったわ。」

 店の角に置かれた米びつから必要な分だけ米を量り、袋に詰めてカゴに入れてくれる。

「はい。これでいい。」

「よし、これでおねがい。っと、そうだ。」

 俺は店内に入り、目についた物をカゴに入れる。

「それじゃぁ、会計は1856円ね。・・はいちょうど。ありがとう。あぁ、そうだ。」

 俺がおつりを受け取ると、ばあちゃんは店の奥からラグビービーボールくらいのスイカを持ってくる。

「このスイカちょっとひびが入って売れなくなったの。よかったらどうぞ。」

「っと、ありがと。じゃ、また今度な。」

 見た目より重いスイカを受け取り、食材で膨れたかばんを持って店を出る。

「おい、慶人。帰るぞ。」

 ばあちゃん達の輪から抜け出せず困っている慶人にも声をかける。慶人にスイカを持ってもらうい一緒に来た道を帰る。

 家に着くとすぐに窓を開け、食材を冷蔵庫に入れ、食事を作り始める。

「何か手伝うことはありますか。」

 暇を持て余した慶人が顔をのぞかせる。

「うーん、じゃぁ、ちょっとスイカ切ってもらえるか。残ったヤツはラップして冷蔵庫に入れててくれ。」

 棚の中から包丁とラップを取りだし、慶人に渡す。

「わかりました。やってみます。」

 なにを意気込んでいるのか分からないが、腕まくりして張り切っている。

 俺の後ろで頑張っている慶人は無視して、俺は手元に集中する。手を洗い、食材や調理器具も入念に洗ってから調理に入る。いつもは目分量で入れているが慶人にも食べさせるので丁寧にメモリを読みながら作る。

「よし、一段落かな。」

 食材を鍋に入れ、タイマーをセットして後ろを振り返る。

「おまぇ、何してるんだ。大丈夫か?」

 俺の後ろで慶人がスイカに悪戦苦闘していた。どうやら、スイカを輪切りにしようしているらしい。

「お前、スイカをなんだと思ってるんだ。」

 どうやらスイカを見たことがなかったようで、切り方が分からなかったらしい。それなら始めに行ってくれれば教えたのに。

「そうか、まぁいい。貸してみろ。」

 慶人から包丁を受け取り、スイカに入れ込む。小型なので切りやすい。4分の1を残して他は冷蔵庫に入れ、きれいに三角に切って、ひとつを慶人に渡す。

「ほら、食べろ。」

「え、でもこれは。」

「いいから、ほら。」

 強引に口に押し込む。果汁で濡れた手を拭い。残ったスイカは皿にのせる。

「甘い。」

「だろ。」

 食べたことがないという言葉は本当のようで、スイカ食べただけで嬉しそうな表情をしている。スイカは少し高いが、食べたことのない人がいるとは思ってもいなかった。世界にはいろいろな人がいるようだ。

「よし、ちょっと待ってろ、もうちょってでできるから。」

 控えめに響いているタイマーを止め、コンロの火を消す。水で冷まして盛り付けをして、机に並べる。

 揚げナスとトマトを飾ったそうめんにスイカ。暑いので夏らしいメニューにしてみた。

「料理、上手なんですね。」

「別にそんなんじゃねぇよ。」

 このそうめんはかあさんがよく作ってくれたヤツだ。ここに来るときはよく作る。

「いただきます。」

「召し上がれ。」

 二人で手を合わせて食べ始める。母さんが作ってくれたモノとは少し違うが、十分おいしい。少ないかもと思っていたが、意外と腹も膨れた。

「皿洗いは僕がします。平宮さんは他のことでもしていてください。」

 さきに食べ終わった慶人は食器を持って台所まで移動して皿を洗い始める。必死に止める俺の声は耳に入っていないようだ。慶人は客人だから少しでももてないのに、なかなかうまくいかない。

 外に行ってくると伝えて庭に向かう。庭も荒れていたから時間が掛かるだろう。


「はぁ、あちい。」

 最後にここに来たのは4月の頃だ、4ヶ月も来なければそりゃ草も成長するだろう。草むしりを始めてもう30分ほど経つが終わったのは庭の1割程度だ。

「無駄に広いんだよなぁ、この家。」

 ここはそれなりに歴史がある建物で、曾祖父が親戚から譲り受けたらしい。その後何度か改装をしているが、庭の形や家の間取りまで変わってはいないらしい。代々引き継いできた場所でもあり、俺の思い出の場所なので、売り払わずにいる。祖父母が死んでからは時々近所の人が管理をしてくれていて、税金はかあさんのいとこが払ってくれているらしい。

「平宮さん、大丈夫ですか。」

 皿洗いを終えた慶人が出てくる。

「遅かったな。とりあえず、ここの草抜くの手伝ってくれ。」

「わかりました。」

「草はあそこに山作ってあるから他のも集めてあんな感じで積んでくれ。」

「はい。」

 望んで来たわけでもないに慶人は手伝いに積極的で、今も熱心に草をむしっている。ぎらぎらと輝く日差しに汗が顔を伝い落ちる。


「はぁ、おわった。」

「こっちも終わりました。」

 町内放送で流れてくる3時の曲で懐かしい思い出がよみがえる。もうここの住民はいないが、それでも大切な場所だ。俺が生きている限りは出来れば守っていきたい。

「よっしゃ、とりあえず休憩。家はいるぞ。」

 汗を拭う慶人に声を掛けて家に入り、麦茶を2人分用意する。一気に飲み干すと汗が少し引いた気がする。

「ずっと外で作業してて大丈夫だったか。作業に夢中になってて気に掛けてなかったけどごめんな。」

 隣に座る慶人も汗だくだ。時間を忘れて作業してしまったが、大丈夫だろうか。

「全然大丈夫です。むしろお役に立ててよかったです。それより、次は何しますか。」

「元気だな、あと30分くらい休ませてくれ。」

 次に作業に移ろうと立ち上がる慶人に1つしか違わないのに若さを感じる。俺はもうヘトヘトだ。

「わかりました。それじゃぁ、その、探検、してきてもいいですか。」

「探検?」

 どこにいくのだろうか。この辺りには山もトンネルも特に目新しいもはない。

「あ、いや、その、家の中を見て回ってもいいですか。」

「ん、あぁ、べつにいいぞ。ただ、古くて床が抜けてる場所もあるあら気をつけろよ。」

 慶人の家の辺りにはこんな和風の家はないのだろう。この家はかなりの広さがあるし、冒険心をくすぐるのも頷ける。

 少し休んだら、俺もいろいろ見て回らないと、これだけ古いと4ヶ月でも脆くなっている場所は多いだろう。


『ガタ、ドーン』

 家が軽く揺れるくらいの大きな音で目が覚める。

「たく、だれだよ。」

 折角の眠りを妨害され、少し苛立ちながら音のした場所に向かう。この辺りでは空き巣が出たことはない。夜に鍵をしなくても大丈夫なくらいだ。だからあの音は慶人のものだろうが、何があったのだろうか。

「おーい、慶人。」

 声をかけながら家の中を見て回る。

「平宮さん。」

 祖父母が寝室にしていた部屋、に続く廊下から小さな声が聞こえる。

「ぶあっは、おまえ、だからあれだけいったのに。」

「笑ってないで手伝ってください。うまく出れないんですけど。」

 見ると床から上半身だけ出した慶人が必死に俺に抗議している。

「あぁ、悪い悪い。よっと、」

 やっと床から解放された慶人はホコリを払いながら床の状況を確認している。

「あぁあ、悪かったな。ここ、去年優大が落ちたとこなんだよ。ちゃんと塞いだつもりだったけど、甘かったみたいだな。」

 去年も似たような状況になったのだ。その時は優大が可哀想になるくらい大和に揶揄われていた。素人の作業だから直ぐ壊れるとは思っていたが、この際だから専門の人に一度見てもらおう。

「それで、探検は終わったか。」

「・・・・。」

 寝ていて時間は分からないが、既に30分ほど経っているはずだ。家を見て回るには十分な時間だっただろう。作業に戻ろうと声を掛けるが、なぜか返事が返ってこない。

「まぁいい、とりあえずホウキ持ってくるから掃除するぞ。今日のうちに寝室と浴室だけでもきれいにしておかねぇと。」

 俺は玄関横にある用具棚からホウキとチリトリ、ぞうきんを持ってリビングに戻る。

「俺が浴室とトイレやるから。寝室やってくれるか。リビング出てすぐの畳の部屋、さっき見ただろ。」

「・・・はい。」

 何が不満なのかまた怒ったような表情を作っているが、それでも掃除はしてくれるようで道具を受け取って部屋に入っていく。

 何を考えているのか理解できない慶人のことは、考えても仕方がない。一度視界の隅に追いやって、俺も作業に集中する。

 まず、浴槽に軽く水をため、その間に脱衣所に置かれた物を全部廊下に出して掃く。服やタオルは祖父母が死んだときに捨てたり、親戚や近所の人にあげたりしたが、ドライヤーや洗濯機など必要な道具はまだ置いてあるので意外と大変だ。掃いた後は軽く水拭きと空拭きをして、また元の場所に戻す。

 次に浴室。こちらはあまり汚れていない。ブラシで全体をこすって流し、今日の夕方のためにお湯をためる。最後に洗面台を拭いて終わりだ。


「平宮さん。あの、」

 ちょうど廊下に出たところで慶人が寝室からできてた。

「どうした。」

「押し入れの物、全部出してもいいですか。」

 そんなところまで掃除してくれるのか。俺は面倒であまりやらないので助かる。返事をすると、また寝室に戻っていく。作業をしている間に不機嫌さはなくなったようだ。


 外に出て風呂の火をたく。夏の時期は辛い作業だが、この家はお湯が出ないからこれをしないと暖かい風呂には入れないのだ。

 しばらく火の様子を見て、薪にしっかり火が移っていることを確認して家に戻る。トイレとついでに廊下まで掃いて作業を終える。少しずつ日が落ちてきている。

「おーい、慶人。終わったか。」

 ガタガタと音のする寝室に入る。

「あ、平宮さん。今終わりました。」

 押し入れの中から平宮がひょっこりと顔を出す。本当に荷物を全部外に出してくれたらしい。

「ありがとう。でもおまえ、わざわざ入らなくても反対の扉開ければいいだろ。」

 そう笑いながら押し入れの扉に手を掛けるが動かない。反対の扉は滑らかに動いているのにこちらは動く気配がない。

「開かないので、どうしようかと思って。」

 それ見たことかとでも言うような表情を見せている。その表情は余計だが、慶人の存在には本当に感謝している。

「とにかく、作業が終わったならよかった。とりあえず今日はここまでで終わりだな。風呂沸いてるからよかったら入れ。」

 俺も早く入りたいが、慶人の方が服も汚れている。


「ふふん、っと、こんくらいでいいかな。」

 いつもより丁寧に盛り付けた料理を並べ終える頃、慶人も風呂からあがってきた。

「相変わらず上手ですね。いただきます。」

「おぉ、召し上がれ。」

 今回はただの生姜焼きにオクラやトマトの和え物だ。

 それほど豪華でもないが十分においしいだろう。優大に料理を披露しても全く反応がないし、大和はどんなモノを出してもうまいしか言わない。ちゃんと感想を言ってもらえるのはなんというか、恥ずかしい。

「ごちそうさまでした。また、皿洗いします。」

 俺が立ち上がるより先にそそくさと食器をまとめて立ち上がる。何が嬉しいのか鼻歌交じりに皿洗いをしている。

「俺は風呂入ってくるから、終わったら好きにしてていいぞ。」

 そう言い残してリビングから出る。火が残っていることを確認してから浴室に入る。体を洗い浴槽につかると、疲れが一気に抜ける。

「はぁ、疲れた。」

 慶人と二人きりだと少し気を遣う。というか、何をしゃべればよいか分からない。こんな時間も明日までだ。明日もやることはたくさん残っているから、頑張ろう。


「慶人ありがとう。」

 リビングに戻ると慶人が机の上を拭いていた。

「何か手伝うことはあるか?」

「もうないです。」

 慶人もタオルを絞って干し、作業を終えている。

「そうか、それじゃ、俺もう寝てもいいか?」

 風呂に入ったら一気に眠くなってきた。

「いいですよ。僕ももう寝ます。」

「そうか、布団2枚敷いとくから、使えよ。」

「はい。」

 慶人が出してくれた布団に入って先にに眠りにつく。しばらくは慶人が何かしている音が聞こえたが、次第に眠っていった。

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