うれし涙
この世界には男女の他に第二の性がある。発情期があり、男女共に妊娠が可能なω(オメガ)。身体能力や知能が優れたエリート階級のα(アルファ)。人口の9割を占めるβ(べータ)。
オメガの発情期は数ヶ月に一度、数日続き、アルファを惑わすフェロモンを体にまとう。発情期中にアルファがオメガの項を噛むと運命の番となり、番以外へのフェロモンの効果は無くなる。さらに、オメガは番以外に対して拒絶反応を示すようになる。番契約は一度しかできず、解約はできないため事故で番になることがないように、オメガの中には項を保護するチョーカーを着けている者もいる。
そんな、生まれながらの運命が定められている。
慶人はずっと黙ったままだ。
「平宮さん、味付け薄めで夕食作ってて貰えますか。」
短くそう説明し、慶人は咲ちゃんと一緒にリビングに入る。咲ちゃんには笑顔を取り繕っているが、妹の存在が重りになっているように感じる。事情も知らない俺の発言は、今の慶人には意味がないだろう。
とりあえず頼まれたとおりに夕食を作る。『味付け薄めで』子どもと接することがない俺では、そこまでの気遣いはできない。心配しなくても十分兄として出来ている。2人のやり取りを見るとそう思うが、これは口にしたら余計な重荷になりそうだ。
咲ちゃんの好みは分からないが、慶人の好みなら分かる。要望通り薄めの味で、そして慶人好みの味付けで。出来上がった料理は咲ちゃんに好評だった。
「ありがとうございます。」
食器を運びながら慶人は呟く。今日は食器洗いも俺がする。
慶人は次、咲ちゃんと一緒に風呂に入る。咲ちゃんのはしゃぎ声がここまで聞こえてくる。元々人見知りしない性格なのか、俺にもよく質問してくる。よく喋る子だ。
車の中では俺のことを慶人の恋人と呼び驚いた。咲ちゃんにはそう、見えたらしい。まだ幼い咲ちゃんが恋人という言葉を使うことにも驚いたが、俺たちに対してその言葉が使われるとは思ってもいなかった。
食器を洗ったら、布団を出す。来客用の布団だ。咲ちゃんには少し大きいが仕方ない。
随分と長いお風呂が終わり、髪を乾かした咲ちゃんは自分で布団を広げる。気付いたらもうそんな時間だ。
慶人も寝室に向かうが、咲ちゃんの横で見守るだけだ。しばらく待っているとリビング入ってくる。
「お待たせしました。」
本に向けていた視線を慶人に向ける。俺の向かいに座っている。
まだ少し迷うように目が彷徨っているが、それでも決めたようでしばらくして目があう。
コタツに手と足突っ込んで少し気が緩んでしまうような光景だが、昔話にはそれくらいがいいだろう。
一呼吸置いて慶人は話し始める。運命に狂わされた19年の人生を。
俺が知っている慶人の実家、MUKINOに関する情報は、それほどない。日本で1番知名度の高いスマホメーカーで、オメガの雇用に力を入れている会社らしい。高校の頃に1つの選択肢として考えていた就職先だ。まぁ、大学に行きたいという意思の方が強く、一時期可能性に上がっていただけの会社だ。そんな一流企業の親族、現社長の甥、元社長の孫というのが慶人の立ち位置らしい。
そんな良家の出身で、さらにアルファという性別なら、普通は人生大勝利だ。けれど、慶人にとっては、こと向野家に置いては地獄への道でしかないらしい。
MUKINOの関係者がオメガで固められている、というのは有名な話だ。社長を初め、副社長、幹部、そのほとんどがオメガもしくはベータだ。人口が少ないはずのオメガが集り、アルファはいない。それがオメガの雇用先として選ばれる理由だ。
そのオメガ主義は一族の体質が由来らしい。向野家はオメガしか生まれない。これは俺の知らなかった情報だ。オメガしか生まれず、ベータが時々。アルファなんてあり得ない。
そんな一族に生まれたアルファである慶人の扱いは、残酷なモノだ。1回目の性別検査。これは小学校によって時期が違うが、慶人の場合は入学前だったらしい。小学校入学を目前に控えたある日、慶人は1人で生きることを強要されたらしい。向野家にとってアルファは、慶人はいない者として扱われる。それ故に、6歳にして独り暮しが始まる。慶人の料理の腕前はこのおかげだろう。
そして咲ちゃんもアルファだった。ということだ。自分と同じ轍を踏ませないために、咲ちゃんを預かったらしい。その決断はなかなか出来ないモノで、普通はもう少し躊躇ってもいい選択だ。それでも妹のための最善を選んだ慶人はすごい。すごいのに、本人は咲ちゃんの意思がそこになかったことを後悔しているようだ。全部話してスッキリしたはずなのに、まだ浮かない顔をしている。慶人は1人で抱え込む癖がある。それは今までのこういった背景に起因するのだろうが、今は俺がいるのだから頼ることも知って欲しい。
「偉いな。」
慶人の過去を受け入れながらいろんな感情が湧く。慶人の家族に対する怒りや、聞くのが俺でいいのかという不安。支えになろうという決意。過去への僅かな同情。
そして1番、1番強く思ったのがそれだった。偉い。本当に偉い。
1人でも必死に生きて、自分の命をちゃんと守って。毎日ご飯を食べて、勉強して。子ども扱いしているわけではない。そうではなく、本当に偉いと思う。俺だって、人には言えない過去を持つ。そんな中で命を投げ出したいと思うときだってある。実際そういった事件もなくはない。それでもここまで元気で生活して、学校に行って、バイトをして、それは容易いことではない。一言で偉いと、表すしかない。
いろんな感情を押しのけてその思いが強くなり、気付いたら呟いていた。
「え?」
戸惑ったような表情を見せる。しばらくして少しずつ嬉しそうに顔が綻ぶ。
普段なかなか笑顔も見せない慶人が、ここまで笑うのは珍しい。その笑顔は次第に困ったような表情になり、涙が溢れている。昨日の涙とは違う。うれし泣き、だろう。止まらない涙に困った表情を浮かべながら、口元は笑っている。よかった。
心からそう思う。何様だ、と突っ込む声は無視する。よかった。よかった。
「おやすみなさい。」
しばらくして泣き止んだ慶人は、寝室に向かう。咲ちゃんを寝かせた時点で慶人の就寝時間は過ぎている。気だるそうに扉を開ける慶人。その背中に返事をする。
「お休み。」




