アルバイト
この世界には男女の他に第二の性がある。発情期があり、男女共に妊娠が可能なω(オメガ)。身体能力や知能が優れたエリート階級のα(アルファ)。人口の9割を占めるβ(べーた)。
オメガの発情期は数ヶ月に一度、数日続き、アルファを惑わすフェロモンを体にまとう。発情期中にアルファがオメガの項を噛むと運命の番となり、番以外へのフェロモンの効果は無くなる。さらに、オメガは番以外に対して拒絶反応を示すようになる。番契約は一度しかできず、解約はできないため事故で番になることがないように、オメガの中には項を保護するチョーカーを着けている者もいる。
そんな、生まれながらの運命が定められている。
「おはようございます。」
俺は同僚の人たちに挨拶をしながら持ち場につく。今日は休日。休日は一日中までアルバイトをすることにしている。俺のバイト先はシフト制の製菓工場。その中でも俺は機械管理の業務に携わっている。普通、一介の大学生に任せるには荷が重い内容だが、俺の腕を見込んだ工場長からのスカウトだ。元々は髪型や服装の自由な製菓作業を志望して面接に訪れたこの工場で、面接官だった工場長と意気投合。始めは製菓作業が中心だったが、あっという間に大役を任されるようになった。そんな俺に同僚の人たちは笑顔で接してくれた。分からないことはひとつひとつ丁寧に教えてくれるし、失敗しても笑顔で次がんばろうといってくれる。労働条件も可能な限り俺の要望を汲んでくれる。正直、ここ以上によいバイト先はないだろう。
「あぁ、いた。響くん。」
「あ、工場長。おはようございます。」
「おはよう。響くん、教育係の件覚えてる?」
教育係、何のことだが記憶にないが、真面目な工場長が伝え忘れていることはないだろう。先週くらいには伝えられているはずだ。必死に記憶を探る。
「・・・あぁ、覚えてます。確か来週月曜からって話でしたよね。それがどうしましたか。」
「ちょっと急だけど今日からで良いかな。急な変更の希望があって。」
「え、あぁ。良いですけど、俺の業務の代役は用意できてますか。」
機械管理の担当職員は少ないので代役を立てるのも大変なはずだ。今日は俺を含めて2人しか入っていなかったはずだ。
「そこは大丈夫。かけるくんに頼んであるから。」
「それならよかったです。」
「それじゃぁ、8時半に休憩室で待つように伝えてあるから。よろしくね。」
「はい。」
想定外ではあったが、元々説明の構想は練っていた。時計を見るとすでに約束の10分前。もう既に待っているはずだ。俺はできるだけ急いで休憩室に向かう。
「で、なんでお前がいるわけ。」
は頭が痛い。意気込んでやってきた休憩室で待っていた新人とはケイだった。先週の時点で履歴書のコピーに目を通していたが、最近は履歴書に写真を付けない場合のが多い。まさか、俺の初教育係の担当がケイだとは思ってもいなかった。
「えっと、向野慶人ってお前であってるのか?」
「はい。」
何が不満なのか、ケイはずっと視線を落としている。俺もそれほど仲もよくない知り合いとこんな所で会うのは気まずいが、そこは割り切って欲しい。
「そうか、まぁいい、俺は平宮響。今週一週間はお前の教育係だから。よろしくな。」
俺はできるだけ自然に手を伸ばすが、一瞥しただけでまたそっぽを向かれてしまう。こんな態度で大丈夫だろうか。
「おまえなぁ、まぁいい。じゃぁ行くぞ。」
俺はそんな慶人を無視して歩き出す。そんな態度でも仕事は仕事だ。働いてくれたらとりあえずそれでいい。
「ここにシフト希望票が入っているから毎月始めの10日までに記入しろよ。」
「はい。」
「はい、これが慶人のタイムカードな。打刻忘れるなよ。」
「はい。」
「ちゃんと手は二回洗う。手袋は二重にはめる。手袋の予備はポシェットにも入れておけよ。」
「はい。」
「慶人、お前メモ帳もってきてるか?・・・今日は貸してやるから、明日からはもってこい。」
「ありがとう。」
渋々バイトを始めたのかと思ったが、思いのほかしっかりと俺の話を聞いているし、メモの細かく取っている。俺への態度以外の印象はいい。元々真面目な性格だとは思っていたが、これならすぐここにも馴染めるだろう。
「お疲れ様です。お先休憩いただきます。」
昼シフトの同僚の横を通りながら挨拶をする。12時30分。今から俺と慶人は昼休憩だ。
「お疲れ様です。」
「平宮さん、向野さん、お疲れさん」
俺に倣って、挨拶をしながら慶人もついてくる。この職場自体若い人が少ないからか、慶人は既に職場の人たちに可愛がられた。皆いい人達だし、俺がいなくても色々教えてくれるだろう。
「慶人、弁当はもってきているか。」
「はい。」
「そうか、他の荷物はロッカーに入れたままで、弁当だけ持て。」
「どこ行くんですか。」
「食堂。この施設内で食事ができるのはそこだけだから気をつけろよ。」
「はい。」
製造工場から少し離れた場所に建てられた食堂は、工場関係者以外の人でも食事ができる場所だ。利用者は関係者がほとんどだが、休日には家族連れも数組訪れる。
50種ほどの定食が500円ほどで食べられ、かなりお得なため、俺も時々利用している。だが、自炊をするとどうしても余ってしまうおかずを弁当に詰めることも多いため、利用するのは月に数回だ。
「へぇ、おいしそうですね。」
慶人は自分の弁当をつつきながら、キョロキョロと周りの人が食べる定食を見ている。ずっと目が合わす不安だったが、この半日で大分緊張もほぐれたようで俺の受け答えにも目を見て返事をしてくれるようになった。朝の態度は何だったのだろうか。
「昼休憩は一時間だからな。それまではここで過ごす。社員が全員入れる広さを確保してるから。別に寝たりして過ごしても大丈夫だ。ほら、寝てる人もちらほらいるだろ。」
「ほんとですね。」
またキョロキョロと周りを見渡している。働き始めた頃の俺を思い出す。バイト自体も初めてだったため、すべてが目新しかった。
「お疲れ様です。」
「お、お疲れ。」
挨拶をしながら更衣室に向かい、慶人の打刻を見届けて一緒に工場を出る。慶人の家はこの辺りのようでそのまま自然と別れる。
「あの、今日はありがとうございました。」
その去り際、突然振り返った慶人の言葉に面食らう。礼を言われるとは思わなかった。
「はぁ、なんだかなぁ。調子狂う。」
お礼なんて言われるほどのことしていないのに。