過去
電車を乗り継いで4時間。夏休みと同じ手順で実家に向かう。違う点と言えば、慶人がいないことくらいだ。
鍵を開けると僅かにホコリが立つ。数ヶ月掃除していないだけでこの有様だ。夏の頃ほどの大掛かりな掃除はできないが、台所と大広間を軽く掃いて会場の設営をする。
毎年やっていることだ。外にある倉庫から長机を出し、大広間に入れる。座布団も出し、いつもの要領で並べている間に時間は過ぎる。家から持ってきたインスタントのチャーハンでお腹を満たし、明日に備えて早めに寝た。
「響くん。おはよう。」
古い扉を叩く音で目を覚まし、時計を見ると8時前だった。こんな朝早くから会の準備は始まる。
店のおばちゃんに始まり、地域の人たちが集り食事の準備をする。それぞれが作ってきた惣菜を、台所で温め机に並べる。正午に近づくと来客で部屋が賑わい、新年会が集る。
どこかしこで新年の挨拶が飛び交い、小さな子どもたちがお年玉をもらって喜んでいる。小さい頃から、父親に引き取られていたときは来ていなかったけれど、ずっと見てきた光景だ。高校の時まではお年玉をもらうこともあった。
「ねぇ、お兄ちゃん。これ食べて。」
赤ちゃんの頃から見てきた子が、上手に喋って手にあるお皿を差し出してくる。
「響くん。この前連れてきた子の名前、なんだったかしら。」
おばちゃん達は慶人の話題で持ちきりだ。自分の娘を紹介しようか、などと賑やかに喋っている。
適当に相槌を打ちながらごちそうを口にしていると、スマホが震える。
『響ちゃん。質問があるんだけど、』
人のいない台所まで移動して応答すると、電話の相手は大和だった。電話なんて普段はしない大和が珍しい。
『ケイ君の誕生日って分かる。』
よほど大切な用事なのかと注意深く聞いていたが、その内容はわざわざ電話するほどの内容ではなかった。
「4月16日だろ。これくら優大に聞けよ、あいつなら覚えてるだろ。」
わざわざ俺に聞くな。ギガがもったいない。
『それは、そうだけど。優大今いないんだもん。』
少し悲しそうな声が帰ってくる。大和を置いて外に出るほどの急用が、この年の初めにあるのだろうか。
「あぁ、そういえば。暇なら慶人の所行ってくれないか。今俺いないから。」
過保護かも知れないが、家を出るときに見えた慶人の表情を思い出すと不安になる。大和を元気づけるついでだ。
『ケイ君?分かった。』
単純な大和から予想通り元気な返事が返ってくる。大和は慶人を気に入っているから、これで何かあったら連絡が来るだろう。
それで適当に会話を終わらせ、また会場に戻る。例年通りであれば、この会はあと3時間続く。
頑張れば今日中に帰れる。予想通りに行かなければ、泊まりになるだろう。
「響ちゃん。早く帰ってきて。」
大和からそう電話があったのは、毎年恒例のカラオケ大会が始まる頃だった。
会が終わるまでまだ2時間残っている。その後に机と座布団の片付けという仕事が残っている、という返事は却下された。
大和の慌て様は伝わっているが、その原因が全く伝わらない。慶人に何かあったのかと考えることはできるが、その真相を大和は答えられそうにない。
慶人の家には優大も一緒に行ったようで、その優大はこちらに向かっているらしい。詳細はそちらに聞くしかない。あと30分後に迎えがある、もう会がとは言っていられない。
電話を切ると店のおばちゃんに事情を伝える。会場の片付けと鍵の管理。少し前までしてもらっていたことだから大丈夫だろう。おばちゃん達を信頼してその席を立ち、俺は帰る準備を始める。出していた布団を片付け、自分が使った食器は棚に仕舞う。冷蔵庫に入れた食材も取り出し、玄関に立つ。
「間に合った。急いで。」
ちょうど来た優大の車に飛び乗ると、車は走り出す。法定速度ギリギリで走っている。理由を伝える余裕はこちらにもなさそうだ。
高速道路を飛ばして1時間。いつもは電車で乗り継ぎながら巡る4時間があっという間だった。
慶人の家が近づくと次第に車はスピードを落とし、やがて止まった。訳も分からぬままに玄関の扉を開ける。すすり泣く声と、大和のオロオロとした姿が視界に映る。
部屋に入ると大和で隠れていた慶人が現れる。
「お兄ちゃん?」
俺を視界に捉えた慶人は、そう呟く。俺を見ているようで、その視線は俺を見ていない。大和達はあれほど急いでいたのは俺に期待していたから、だろうけれど俺では力になれそうにない。
目の前にいるのは、俺が知っている慶人ではない。俺に教えてくれない、俺が知りたい慶人の部分だ。
慶人の過去は、慶人を強く縛っている黒い鎖は、俺には解けない。何をすれば良いのかは俺には分からない。助けたいと、支えたいと、思ってはいても行動できない。大和の心配そうな視線がいたい。
何もできないけれど何かしないといけない。
「慶人。大丈夫。大丈夫。」
気付いたら慶人を抱きしめていた。
ずっと忘れていたのに、今更に幼い頃の記憶が溢れる。幼い頃、訳もなく泣く俺を祖父母は、母親は抱きしめて頭をなでていた。大丈夫、大丈夫と繰り返しながら。
なにが大丈夫なのかその時は分からなかったけれど、今は少し分かる。
俺がいるから大丈夫。俺はずっとここにいるから大丈夫。心配いらない。心配しなくて大丈夫。いつまでも俺はここにいるから。




