傷跡
この世界には男女の他に第二の性がある。発情期があり、男女共に妊娠が可能なω(オメガ)。身体能力や知能が優れたエリート階級のα(アルファ)。人口の9割を占めるβ(べーた)。
オメガの発情期は数ヶ月に一度、数日続き、アルファを惑わすフェロモンを体にまとう。発情期中にアルファがオメガの項を噛むと運命の番となり、番以外へのフェロモンの効果は無くなる。さらに、オメガは番以外に対して拒絶反応を示すようになる。番契約は一度しかできず、解約はできないため事故で番になることがないように、オメガの中には項を保護するチョーカーを着けている者もいる。
そんな、生まれながらの運命が定められている。
「響ちゃんおはよう。」
いつものようにギリギリで大学の講義室に入ると、入り口近くの席で大和が大きく手を振っていた。
二人の隣に座ると直ぐに授業が始まり、大和も静かになる。
「昨日大丈夫だったか。」
視線は前を向きながら優大が小さくささやく。聞き逃してしまうほどのその声に戸惑いながら昨日のことを思い出す。
「まぁ、なんとかなったし大丈夫。」
昨日、帰り際に慶人と少し話した。気が抜けたからか、いつもような明るさはなかったが役目を果たそうと補足で説明してくれた。その情報は全て優大が提供したものらしい。
「慶人が感謝してたぞ。」
自分一人では手に入れられない情報ばかりで助かったと、なんでもお礼を伝えるようにと念を押された。自分で言えばいいのにとも思ったが、2人が話している光景はあまり想像できなかった。
90分が経ち授業が終わると、やっと息が出来るとばかりに大和が喋りだす。
「ねぇねぇ響ちゃん。昨日は大丈夫だった。」
「高校の時にあんなに注意したのになんで分かんないんだろうね。」
「怪我とかない、やっぱ今日くらいは休もうよ。」
俺の返事も聞かずに一息に並べられた言葉からは俺の心配と彼女に対する怒りが滲んでいた。俺の知らないところで解決された高校の頃の事件。自分のことにも関心を持っていなかったあの頃、2人はどれだけ俺のために尽くしていたのだろう。そう思うと今更ながらに後悔が押し寄せる。
「でも、さすがだよね。朝、優大から話聞いて驚いちゃった。怒るんだね、ケイ君も。」
何気なく呟かれたその言葉に耳を疑う。
「怒ってたのか、慶人が。」
昨日一緒にいるときはそんな感じは受けなかった。あんなことがあったのに冷静に対処している慶人からは、なんの感情も感じなかったのに。
「あぁ、怒ってた。怒っても何も解決しないから、お前の前では見せなかったんじゃないか。」
そういって優大は慰めてくれるが、気づけなかったことが悔しい。一緒にいて話を聞いていたのに、気づけなかった。なぜ気づかせてくれなかったのだろう。まだ、信頼されていないのだろうか。
他に解決しないと行けないことはたくさんあるのに、そんなどうでもよいことばかり浮かんで考えがまとまらない。そんな状態で二コマ目の講義に向かった。
「ねぇ、響ちゃん。今日は珍しくアウター着てるけど、暑くないの?」
気づいたらいつものカフェにいた。時間は16時。今日の授業はもう終わている時間だ。
「え、なんかいったか。」
俺からの返事がなく不貞腐れている大和に聞き返す。もう一度大和は繰り返しているが、全く頭に入ってこない。
慶人のことが頭から離れない。昨日の、無表情な慶人の顔を思い出す。無理をしていたら、我慢していたならまだいいけれど、あの大したことはされていないという表情が俺を不安にさせる。自分のことより、俺のことで感情を動かすあいつが心配になる。
普通ならあんなことがあった後に他人のことなんて考えていられない。それなのになぜ、平然としていたのか。いつも聞かずにいた慶人の過去が、今はどうしても気になる。不安になる。
「もう、響ちゃんいい加減脱ごうよ。」
大和がしつこく話しかけるこえが、少し遠くで俺とは別の場所で聞こえている様に感じてしまう。
「わかったから。」
それでも大和が心配してくれての行動であることは分かっていて、無視することも出来ず返事をする。声を発したら少しだけ心が落着いた。
最近は夏に比べると暑くなったが、まだ確かに薄手の長袖で十分な暑さだ。僅かに汗をかいている。上に着ていたアウターを脱ぎ大和に渡す。
「あれ、響ちゃん。その腕どうしたの。」
大和が俺の右手に視線を移す。
「あぁ、これは。」
すっかり失念していた。アウターを着れば隠れるからと、下には半袖のTシャツしか着ていなかった故に俺の腕はそれを脱いだだけで露わになっている。
「やっぱり怪我してるんじゃん。なんでいわなかったの。」
大和が珍しく俺に対して怒りを表している。
俺の右手には自己流で巻いたグチャグチャの包帯がある。慶人が昨日自制するために噛んだだけの痕だ。色々と対応に追われてそのことを忘れていて、気付いたときにはかなり変色していた。
「いや、大したことじゃないから言わなくていいかと。」
実際大した傷ではない。数週間すれば治るはずの傷だ。
「それでも、伝えてよ。心配するじゃん。」
そうやって泣きそうな顔をする。優大も少し怒っているようで黙って大和を見ている。
「ごめん。」
こんなに心配するとは思わなかった。本当に大したことはないのに、そういっても信じてくれない。今すぐに病院に言おうと大和はうるさいが、それほどの傷ではない。ただの、慶人のアルファの噛み跡だ。
大和も強情だったが、俺もそれほど事を大きくしたくない。大和たちの、俺よりは丁寧な手当を受けることで互いに譲歩した。
慶人も、こんな理由で感情を、怒りを隠していたのだろうか。




