オメガ
この世界には男女の他に第二の性がある。発情期があり、男女共に妊娠が可能なω(オメガ)。身体能力や知能が優れたエリート階級のα(アルファ)。人口の9割を占めるβ(べーた)。
オメガの発情期は数ヶ月に一度、数日続き、アルファを惑わすフェロモンを体にまとう。発情期中にアルファがオメガの項を噛むと運命の番となり、番以外へのフェロモンの効果は無くなる。さらに、オメガは番以外に対して拒絶反応を示すようになる。番契約は一度しかできず、解約はできないため事故で番になることがないように、オメガの中には項を保護するチョーカーを着けている者もいる。
そんな、生まれながらの運命が定められている。
「おかしいな。」
始業時間が残り10分に迫り急ぎながらもモタモタとロッカーを漁る。
「まだ見つかりませんか。」
遅れて更衣を済ませた慶人が心配そうにこちらを見ている。既に他の人は更衣室を出ているが、俺だけまだ準備ができていない。
ポケットの中にカバンの中、ロッカーの隅々を探しても見つからない。いつも服のポケットに入れているペンがなくなってしまったのだ。それに気付いたのは5分ほど前で、ずっと探しているのに見つからない。
「最近多いですよね。」
確かに、慶人の言葉を聞きながら思い出す。先週は念のためにと置いてあった靴下が、昨日はハンカチがなくなっていた。今月に入ってから捜し物が増えている。
「平宮さん、他の人には遅れると伝えておくので事務の人にこのこと伝えた方がいいですよ。」
時計を確認しながら言う。確かに、ここまで立て続けに起こると偶然とは言い切れない。慶人の言葉に甘えて1度白衣を脱ぐ。
「こんにちは。」
いつも挨拶をしている事務員の女性に用件を伝えると、事態を受けて適切に対応してくれる。紛失物の詳細を記録して見つかり次第連絡すると言う言葉を聞いてから仕事に向かう。
翌日、従業員全員に所持品の管理に関する注意喚起のメールが発信された。同時に俺の紛失物についても記載されていたが、1週間経っても報告はなかった。
それから更に数日が経過した。少しずつ涼しくなり長袖に手が伸びる日も多くなったある日、大学から体育祭の連絡が届いた。
形式は去年と同じ。全キャンパスの生徒が合同で行う、かなり大規模な体育祭だ。
「ついにこの日がやってきたね。」
メールが届いたのはちょうど3人で昼食を食べているときで、それに1番に気付いた大和ははしゃいでいた。
「まぁそんなに気を落とすなって。」
そんな大和とは反対に落ち込む俺を、優大は慰めてくれている。
体育祭の内容は少し複雑だ。2日に分けて行われ、1日目は学年対抗で、2日目は学部対抗で点数を競うのだ。サッカー、バレー、長距離走、剣道など10種目をトーナメント形式で競い、その順位で点数を与えられる。生徒は最低でもどちらか1日は競技に参加しないといけない。
出場する競技は4月に行ったアンケートを参考にして決まるのだが、
「俺も一緒だからサポートできるし、去年みたいにはならないはず。」
優大の慰めが余計に虚しい。
スポーツが苦手な俺が唯一できる長距離走を希望していたのに、そのメールで届いた俺の出場競技はバレーボールだった。そもそもルールを知らないそのスポーツでは足を引っ張る、と言うか醜態を晒す自信しかない。
「そうだよ。僕の手伝うから。」
大和はそんな俺を見て嬉しそうにしている。去年の悲惨なバスケを見て1番笑っていたのはこいつをどうやって信じればよいか分からないが、運動だけは出来るから頼るしかない。
明日から練習をすると約束をして俺は講義に向かう。今日、午後に講義があるのは俺だけだ。明日からの地獄を想像して絶望しながらも講義を終え、バイトに向かう。
その日も優大のスパルタ練習を経て疲れた体を引きずり工場に入った。泊まりがけの警備員がテレビを見ている事務室の横を通り、更衣室に向かう。
「あれ。」
いつもはちゃんと閉じている更衣室の扉が全開になっている。
「やめて、」
女性らしき声と争うような物音が響く。
部屋の一番奥、俺たち2人のロッカーの辺りから聞こえるその声の主を助けるために、警戒しながら奥に進む。少しずつ大きくなるその声には力がない。
「大丈夫か。」
声を掛けると、物音が消える。怖々覗いたロッカーの向こうにいたのは慶人と彼女だった。だが、明らかに2人とも様子がおかしい。彼女を押さえつけるように馬乗りになっている慶人に対して彼女は必死に抵抗しているがその腕に力はなく、慶人も我を忘れているようでこちらの存在に気付いていない。
慌てて慶人を押さえつける。俺は今までアルファのラット(興奮状態)に立ち会ったことがなく確信は持てないが、これがきっとそれなのだろう。俺がいるのに慶人の視線は目の前の彼女にしか向いていない。当の彼女は意識を失ったように目を瞑っている。もう僕には彼女のフェロモンも慶人のフェロモンも感じることが出来ない。それだけが唯一の救いで、腕の中で暴れる慶人を抑えながら抑制剤を探す。事務室に行けば即効性の抑制剤があるが、そこまでが遠い。
「っ、、」
慶人が抵抗するように俺の腕を噛む。腕に痛みが走り、一瞬押さえが緩む。その隙を突くようにまた彼女に近づく慶人を今度は床に押さえつける。自分の体重で抑えながらカバンを漁る。念のためにと、いつもお守りとして入れている抑制剤が一錠ずつだけ見つかる。遅効性で、慶人に効くかも怪しいそれを無理矢理口に押し込む。
抵抗が弱くなったこと確認して体を起こすと、慶人と目が合う。
ウロチョロとせわしなく動かされる視線の先には彼女がいる。ただその目には既に彼女が価値のないものとして映っているようで、直ぐに視線が動き出す。
「大丈夫か。」
床、ロッカー、天井と順に動いた視線は最後に慶人を押さえつけている俺の腕に向けられる。そこにはさっき出来た噛み跡がくっきりと残っている。
腕を緩め、立ち上がるためにと差し出した手を慶人は払いのける。一瞬だけ俺に向けられた目には、怯えと不安が見て取れた。
止める間もなく慶人は走り出し、暗闇の中に消えてしまった。彼女を思うと後を追うこともできず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
しばらくして我に返り、警備員に状況を伝え彼女にも注射型の抑制剤を打って貰ったときには既に30分が過ぎていた。
「響くん、大丈夫か。」
報告を聞いて駆けつけた工場長は俺を見るなり心配そうに声を掛けてくれる。それほど今の俺は疲れて見えるのだろう。それでも責務は果たさなければいけないと、携帯を取り出す。
「もしもし、大丈夫か。」
15分掛け続け、やっと出た相手は電話越しで泣いていた。事情は分からないが慶人にとって自分がアルファであるという事実は知られてはいけない重大な秘密だったようだ。
しばらく待つと少し落着いたようで、俺もできるだけいつもの感じで話し続ける。今の状況を俺では上手く説明できない。工場長も俺も、事態が大事で説明が欲しい。
そんな焦りかも分からない感情を必死に押させて慶人と話す。落着かせるように、傷つかないように。しばらくして返ってきた返事はいつものように元気なものだった。
俺は自分の責務を、自分の役割を全うできたようだった。




