カフェ
この世界には男女の他に第二の性がある。発情期があり、男女共に妊娠が可能なω(オメガ)。身体能力や知能が優れたエリート階級のα(アルファ)。人口の9割を占めるβ(べーた)。
オメガの発情期は数ヶ月に一度、数日続き、アルファを惑わすフェロモンを体にまとう。発情期中にアルファがオメガの項を噛むと運命の番となり、番以外へのフェロモンの効果は無くなる。さらに、オメガは番以外に対して拒絶反応を示すようになる。番契約は一度しかできず、解約はできないため事故で番になることがないように、オメガの中には項を保護するチョーカーを着けている者もいる。
そんな、生まれながらの運命が定められている。
アルファ、ベータ、オメガ。性別に関係なく誰もが働きやすい社会。性別に関係なく誰もが生きやすい社会。近年そう叫ばれ、社会全体がそのように動いている中でも人は心のどこかで自分の性別を意識するだろう。それを励みにする者もいれば、忌々しく思う者もいるだろう。
「疲れた。」
大学のカフェテリアの机に身を投げ出す。今日は弁当を持ってきていないから何か買ってこないと行けないけれど、そのために立ち上がるのが面倒臭い。
「どうしたの響ちゃん。元気ないね。」
そんな俺を気遣いながら大和が向かい側に座る。さっき昼食を食べたばかりなのに、手には母親特製の大きな弁当を持っている。
「ちょっとな。」
原因ならなんとなく分かっている。他人に移るわけでもないし、少し自分の体が怠いだけのいつものやつだ。
「珍しいな。アルファなのに知恵熱か。」
そんな風に揶揄っているのは優大だ。こちらは既に講義が終わり余裕があるからか、パソコンを広げて長時間居座る準備を始めている。
「そうだ、疲れたときは気分転換しないと。」
「そうか。でも今は大丈夫だ。」
何を思い立ったのか突然大和が嬉しそうに提案する。こいつの提案がまともだった例しがないからと無視するが、そんなことはお構いなしに俺の腕をつかんで走り出す。
ガタンと椅子が倒れる音が聞こえるが大和はそのまま嬉しそうにカフェテリアを出て行く。
「大和、お前次も講義があるだろ。」
そんな俺らの後を椅子を立ち上げて俺の鞄まで持った優大が追いかけてくる。
予想通りの展開だ。腕を振りほどいてさっさ戻りたいが、それをするのも億劫だ。どうせ講義は終わっている。いつも通り流されてやろう。
「本当。元気ないわね。」
案の定向かった先はいつものカフェだ。いつもといっても月に1、2度来る程度の店だが店の雰囲気などが大和好みのようで何かあるとよく誘われる。
「ね、珍しいでしょ。こういうときは可愛い子とかと話したら元気出るんだよ。」
そういって大和は店内を見回して始める。疲れた俺とは違っていつもの元気で、いつもの行動だ。
「なんかあったの。」
ごつい体つきにごつい顔で女性の喋り方をするママが、心配しながら水を出してくれる。なんだかんだと気を利かせてくれるよい人だ。
「いや、ちょっと暑さにやられただけ。」
「確かに、6月にしては最近暑いからね。ちゃんと水分取りなさいよ。」
そう言うとママは俺の飲み干したグラスに水を注ぎ足し、新しく入ってきた客の接客に向かう。
「そんな暑いならチョーカー外せって言ってるだろう。」
俺とママの会話を聞いた優大の呆れ半分怒り半分の声が心に響く。2人とは同じ高校に通っていた。話すようになったのは高校3年の頃からだが、同じような質問は何度も聞いた。
「でもこのチョーカー似合ってるだろ。オシャレは我慢、って誰かが言ってたぞ。」
それに対して俺の返答はいつも同じだ。俺にこのチョーカーが似合っているなんて思ってもいないし、思いたくもないが何か理由をつけなないと納得して貰えない。性差別はダメだといわれていても、チョーカーをつけた人はオメガだという考えは根強く残っている。オメガでもない俺がチョーカーをつけることは友人の2人からしても不思議なことなのだろう。
「そうかよ。」
その返答を聞くと優大は興味を失ったように大和を目で追う。優大は毎回質問するが深追いはしてこない。その優しさは身にしみて感じている。
「ねぇ、いいじゃん。ご飯食べるの待ってるからさ。」
カウンターに突っ伏して寝ていたらいつの間にか時間が経ち、5時前になっていた。客も増え始めている。
「ね、いいでしょ。」
大和の声に目を覚まし、そちらに顔を動かすと大和は相手を誘っている最中だった。相手に断られたようで、それでもめげずに絡んでいる。優大も注意することを諦め、その空間を視界に入れないように努めている。
「え。もしかしていいの?」
俺もそれに倣って無視していると大和の嬉しそうな声が近づいてくる。
「店長。こっちに移動してもいいですか。」
俺の隣に座りながらママに声を掛けるそいつを唖然と見つめる大和が視界に入る。大和が逃げるためと、俺たちへの当てつけでその席に座ったのだろうそいつは、俺らの視線を気にも止めず元の席から運んできたコーヒーを飲んでいる。
「ちょっと響ちゃん。そこどいて。」
相手の隣の席、今俺が座っている席に座りたいと大和がわめいているが俺の意識はそいつの首元に釘付けになっている。
今時よほどの物好きでなければオメガでもチョーカーは着けない。自分からオメガだと名乗るようなそんなものを着けるより、番契約をしてしまった方がよいと考える人が多いらしい。実際今までチョーカーを着けた人など自分以外に見たことがなかった。それなのに目の前にそれがあるのだ。俺のモノと似た黒いチョーカーがその首に嵌まっている。
そいつは俺と同じくらいか少し小さく、オメガといわれればそう見える。
「はい、ケイちゃん。」
ケイちゃんと呼ばれたそいつは、ママの出した料理を無表情に食べている。
「響ちゃん。その子に言ってよ。」
お願いと喚く大和も視界に入っていないようで黙々と食べる表情に、少し前の自分を思い出す。恐らくこの子は食事を栄養摂取の手段としか思っていないのだろう。だからママも気に掛けて色々喋っているのだろうが、そのほとんどをこいつは聞いていない。
「あ、食べ終わった。」
そんな事を考えている間に皿が空き、大和は再度アタックしている。そいつはめげない大和の誘いを受けて迷惑そうな表情もせず、どうしようか悩むように黙り込んでいる。
「ねぇ、響ちゃん。お願いだけどケイちゃんを外に連れてってくれない。ほらもう6時じゃない。一応あの子も二十歳過ぎてないから。」
そんな様子を見たママが大和に聞こえない声で頼んでくる。この店では6時になったら20歳未満は店を出ないと行けない。6時からアルコールを出すからだ。このカフェはそういう店ではないのだが、万が一の事態を避けたいらしい。
「はぁ。」
優大にもお願いされ、仕方なくそいつの腕を取り店の出口に向かう。俺の会計は優大が出してくれる、こいつのは明日でいいらしい。少し歩きづらそうにしながら付いてくるそいつを店の前で離し俺は駅に向かう。今日はバイトもない。このまま早く家に帰って寝よう。明日には多少元気になっているはずだ。
そう期待して俺は駅に急ぐ。後ろは振り返らないが、足音が1つ遠ざかっていくのが聞こえる。大和に絡まれたそいつに同情しつつ俺も足を速める。今急げば電車に間に合うだろう。